欧州ローカル列車の旅 > 2017年 > ドイツ・チェコ > ライプツィヒ〜カルロヴィ・ヴァリ

ライプツィヒ〜カルロヴィ・ヴァリ 目次


目次 ライプツィヒ〜ツヴィッカウ Leipzig - Zwickau
ツヴィッカウ〜ヨハンジョルゲンシュタット Zwickau - Johanngeorgenstadt
ヨハンジョルゲンシュタット〜ポトゥーチキ Johanngeorgenstadt - Potůčky
ヨハンジョルゲンシュタット〜カルロヴィ・ヴァリ Johanngeorgenstadt - Karlovy Vary

ライプツィヒ〜ツヴィッカウ Leipzig - Zwickau


 早いもので、「欧州ローカル列車の旅」を書き始めて間もなく6年になる。自分なりにそこそこ出かけてきたつもりでも、振り返ってみれば、一度も登場していない国がいくつもあるし、何度か行っている国でも、取り上げていない地方も沢山ある。まだまだ乗ってみたい線も沢山あるし、全く知らない線、イメージも沸かない線が、それ以上に多い。やはり欧州は広く、鉄道の歴史が長く、そして鉄道密度も濃い。その中で、シチリア島のシラクーザのように、同じ駅を別の時に別の乗車記で再度取り上げた所もある。しかし、掲載した範囲では、乗車区間の重複はなかった。今回初めて、3年ちょっと前に取り上げた区間に再乗車することになった。チェコの「ジェチーン(Děčín)〜ポトゥーチキ(Potůčky)」の章で最後に乗った、カルロヴィ・ヴァリ(Karlovy Vary)〜ポトゥーチキの区間である。あの時はもう一駅、国境を越えてドイツのヨハンジョルゲンシュタット(Johanngeorgenstadt)まで乗ることも考えていたのだが、結局、チェコの国境駅ポトゥーチキで降りてしまった、というよりも、降りざるを得ない状況となって降りた。以来、この国境を挟んだ二つの町が気になっており、再訪せずにはいられない気持ちを抱きつつ、3年が過ぎた。

 前回はチェコの中都市、カルロヴィ・ヴァリから山の中へ分け入り国境手前まで行ったので、今回は逆に、ドイツの主要都市ライプツィヒ(Leipzig)から2本の列車を乗り継ぎ、ドイツが果てる町ヨハンジョルゲンシュタットまで行き、そして念願の国境超えを果たして、カルロヴィ・ヴァリへと下って行くルートにした。カルロヴィ・ヴァリからは、さらに南下して、やはり前回乗り損ねた景勝路線らしい線に乗り継いで、マリアーンスケー・ラーズニェ(Mariánské Lázně)まで行きたかったのだが、日の短い季節ゆえ、ライプツィヒを朝10時台に出発しても、カルロヴィ・ヴァリで早くも日が暮れてしまう。日没後の初乗りを旅行記にはしづらいので、カルロヴィ・ヴァリまでを対象とした。

 前回は11月上旬で、やはり日の短い晩秋であったから、どうせなら初夏とか、全く違う季節に乗ってみたかったが、そんなことまで調整していては、いつ実現できるかわからない。思い立ったが吉日、ではないが、行ける時に行ってしまうことが大事である。

 ライプツィヒ中央駅の地上ホーム  ライプツィヒ中央駅前

 ライプツィヒは、ベルリン(Berlin)からICE特急で1時間半、などと改めて解説するまでもなく、欧州に興味のある人ならある程度ご存知であろう、旧東独エリアのドイツを代表する主要都市である。私がこの街を訪れるのは、25年ぶり2度目なので、もう大昔の記憶になってしまった。当時はまだベルリンの壁崩壊から日が浅かったため、重厚な東ドイツの面影を強烈に感じさせる街としての印象が強く残っている。あの時はベルリンからライプツィヒとドレスデン(Dresden)を回ってベルリンへ戻ったのだが、ドレスデンの方がまだいくらか西側に近く、モダンで明るい雰囲気も感じた。もとより短時間での限られた場所だけの訪問だったから、偏った印象なのかもしれないが、今回も中央駅付近を少し歩くだけで、重々しさと渋さを感じられる、いい街であった。無論、25年という年月の経過は大きい。行き交う人々もショーウインドウの飾りつけも、すっかり西側化、現代化しており、今や旧東独などと言われても、普通はピンとこないだろうとは思う。私も本当の東独時代に訪れたことはない。今思えば、無理してでも訪れておくべきだったと思うが、これも仕方ないことである。


 本日一番手は、Sバーンである。Sバーンは、ドイツを初めとしたドイツ語圏の都市部の、いわば「国電」か、もう少し拡大しても「近郊区間」の列車である。日本の首都圏は、今は違いも曖昧になってしまったが、昔は4つドアロングシートが国電区間で、3つドアセミクロスシートが近郊区間と、明確な区分があったと思う。Sバーンは、感覚的にはその近郊区間に近い。どちらにしても、ローカル線ではなく、都市近郊の電車区間である。だからローカル線紀行の対象としては外して、この紀行文の起点もツヴィッカウ(Zwickau)でも良かったのだが、まああまり難しいことを言わず、著名都市ライプツィヒからスタートし、段々とローカル線へ移って行く様子を紹介したい。

 ライプツィヒ中央駅(Leipzig Hbf)は、沢山のホームがある頭端式の巨大ターミナルである。しかし、Sバーンだけは乗り場が地下である。ライプツィヒのSバーンは、地図を見るとかなり多くの路線網を有しており、そのほとんどがここ中央駅を貫く形で運行されている。それなのに中央駅の地下ホームは一面二線で、追い越し線も折り返し設備もない。そして列車は綺麗に5分間隔でやってくる。中央駅の前後は5分に1本という高頻度だが、行先は色々に分かれており、先へ行くほど本数が減る。そして、本日最初の行先であるツヴィッカウまで行く列車は、2時間に3本しかない。ということは、40分に1本かと思うだろうが、そうではない。60分に1本の快速系統(S5X)と、120分に1本の普通系統(S5)とがあり、普通系統の方は、その間、途中のアルテンブルク(Altenburg)までの区間列車が入る。つまり、アルテンブルクまでは、普通も快速もそれぞれ60分毎にあるので、快速停車駅であれば、1時間に2本が利用できる。逆に、アルテンブルク〜ツヴィッカウ間の快速通過駅は、2時間に1本しか列車が停車しない。国電区間・近郊区間といっても、ドイツ屈指の閑散路線なみの本数である。そして、ツヴィッカウで乗り継ぐ、その先の区間は、普通列車のみだが、綺麗に1時間に1本が運行されている。ライプツィヒからのSバーンにツヴィッカウで接続しているのは、Sバーンの快速系統である。よって私が乗るのも、快速系統S5Xのツヴィッカウ行きである。

 実際、そのライプツィヒ中央駅の地下ホームは人が結構多く、混雑していた。さほど広くない島式ホーム1面で、両側に5分間隔で列車が発着するたび、乗降客で賑わう。4輌編成が多いが、2輌の列車もあり、その場合は列車が停まると乗客がホーム中央に移動する。日本のような乗車位置案内もなければ、編成輌数の表示もない。大きな荷物を持った人が多いが、これは今日がクリスマス直前の土曜日だからであろう。それゆえ、いつもより混んでいるのかもしれない。いわゆる国電区間でも、中長距離客もかなり利用する。

 ライプツィヒ中央駅付近  ライプツィヒ地下ホームに着くツヴィッカウ行き

 10時39分発ツヴィッカウ中央駅行きは、ハーレ(Halle)が始発で、前の列車の遅れのせいか、やや遅れてホームに入ってきた。4輌編成。下車、乗車とも多く、乗り込んでみれば座席のほとんどが埋まっている。

 ライプツィヒ中央駅を3分遅れで発車。この先しばらくは市街地の地下区間を行く。駅間距離は短く、地下鉄並みである。市街地の各駅とも身軽な客が大勢下車し、荷物を持った客が若干乗ってくる。3つ目のライプツィヒ・バイヤリッヒァー(Leipzig Bayerischer)を4分遅れで発車すると、地上に出る。風景は早くも郊外で、中心市街地の街並みは車内からは見られない。そして中央駅から10分も走れば、雑木林などが増えてきて、やや田舎の風景も展開する。瀟洒な豪邸も散見される。

 中央駅から14分の、マルククレーベルク(Markkleeberg)までは各駅停車で、そこから快速運転区間になる。アルテンブルグまでは他路線の列車が停車してカバーしており、運転本数は結構多いが、駅間距離はやや長くなった。こちらは、ベーレン(Böhlen)からアルテンブルクまで21分の無停車で、途中4駅を通過する。その通過駅の一つの駅前には巨大な火力発電所があり、煙突からモクモクと煙が出ていた。

 典型的な都市郊外駅ライプツィヒ・コネヴィッツ  アルテンブルク駅

 車窓から見るアルテンブルクは古い風格ある町であった。特に予定がなければ途中下車して散歩したいような所である。この先は快速より普通の方が少ないという閑散区間になる。風景もすっかり田舎になり、都市郊外の雰囲気もなくなってきた。列車の方はこの時点で乗車率50%程度であろうか。網棚の荷物が結構多い。

 ゲスニッツ駅付近  下車と乗り換えが目立ったヴェルダウ

 ライプツィヒからちょうど1時間のクリミチャウ(Crimmitschau)に停まる。遅れが1分に縮まった。列車内から見る風景はこの駅前も風格ある重厚な街並みで、立派な家が多い。けれどもアルテンブルクと違い、廃墟と思われる建物もパラパラある。この程度の観察では断言はできないが、ライプツィヒ都市圏から離れるほどに過疎化が進んできているように思われる。最後の停車駅、ヴェルダウ(Werdau)は、乗り換えもあり、下車客や乗り換え客が多かった。


ツヴィッカウ〜ヨハンジョルゲンシュタット
Zwickau - Johanngeorgenstadt


 ツヴィッカウ中央駅(Zwickau Hbf)は市街地と少し離れるが、かなり大きな、そして古びた駅であった。今回の私は、ヨハンジョルゲンシュタットに心を奪われていたし、どちらにせよツヴィッカウで町歩きをする時間はスケジュール上無理だったのだが、通り過ぎるだけでは惜しい街である。

 ツヴィッカウ中央駅に到着したSバーン  重厚なツヴィッカウ駅舎

 ツヴィッカウの現在の人口は約9万。旧東独の典型的な工業都市で、自動車産業などで栄えた歴史があるが、作曲家シューマンが生まれ育った街でもある。シューマンは、今日のルートであるライプツィヒやカルロヴィ・ヴァリにも縁が深かったということを知れば、その思いに馳せながらの旅もしたかったなと思う。


 いずれにせよ、僅か11分の乗換時間なので、慌しく駅舎と駅前広場、駅構内の姿をカメラに収めるのが精一杯であった。駅自体もかつてはきっと今より栄えていたのだろうが、今は広大な敷地と設備を持て余し気味のようであった。

 古色蒼然たるツヴィッカウ駅構内  ヨハンジョルゲンシュタット行き列車

 ツヴィッカウ始発のヨハンジョルゲンシュタット行きは、8番線から12時09分に発車する。この先は非電化区間で、輸送量もだいぶ減ると思われる。フランス国鉄ならば、こういう区間は一日数本しか運行しないだろうが、ドイツだから、日中毎時1本の等時隔運転が実現している。

 今日はクリスマス前の土曜だから帰省客も多いのか、さきほどのSバーンからキャリーバックを転がした乗り換え客がかなり乗り込んでいたようである。実際、2輌編成の列車は結構混んでいて、ボックスあたり2〜3名の客で埋まっていた。網棚も荷物でほぼ埋まっている。

 ツヴィッカウ定刻の発車。ワンマン運転で、車掌は乗っていないようである。列車内に切符の自動販売機がある。基本は信用乗車方式で、たまに抜き打ちで検札をするのであろう。ツヴィッカウからヨハンジョルゲンシュタットは、56キロを1時間12分で走るので、表定速度は47キロ、途中駅は17駅なので、平均駅間距離は3キロちょっとである。

 列車はツヴィッカウの郊外を走る。最初は何ともとりとめのないつまらない景色だったが、10分弱で、渓流が近づいてきた。かつては水を使っての工業も盛んだったのだろうか、それの名残と思われる施設も見られる。古くから自然を活かしつつ発展していたであろう成熟した土地としての歴史を感じる。旧東独という先入観があるから余計そう感じるのかもしれない。

 列車は数分ごとに駅に停車し、数名を降ろして先へと進む。しばらくボックス席3人の状態でいたが、ヴィーセンブルク(Wiesenburg)という所で空きボックスができたので移動した。それでもまだそこそこの乗車率を保っている。

 ヴィーセンブルク付近の渓流  ほぼ中間の中核駅アウエに到着

 ツヴィッカウから40分、ほぼ道半ばにあるアウエ(Aue)に着く。ここで乗客の半分近くが下車した。乗る人もいるが少なく、だいぶ空いた。乗り換え路線もあって、この区間の途中駅としては一番の主要駅である。

 アウエは現在の人口が1万7千ほどだが、市を名乗っている、このあたりの中心地で、様々な鉱産物を産出することで、かつては栄えたそうだ。人口は1950年代が最大で、今の倍ほどであった。以後徐々に減り、今も漸減状態らしい。それでもヨハンジョルゲンシュタットのように、最盛期の10分の1という極端な減少はなく、まだ市としての体裁をしっかり保っている。ちなみにヨハンジョルゲンシュタットの方は、現在の人口4千人ほどである。最盛期はアウエより多かったこともあるので、あちらの方がずっと極端な減り方をしている。


 車窓から見るアウエの街並みは、発車後の進行右手が最も美しい。ちょっと下車して散歩してみたいような所であった。とはいえ小さい町なので、ほどなく果てて、再び渓流に沿う。

 アウエから10分余りで、次の町が、シュワルゼンベルク(Schwarzenberg)。丘の上に瀟洒な住宅が並ぶ、美しい街並みが印象的である。その中心駅、シュワルゼンベルクは、アウエとどことなく似た雰囲気の駅で、ここでまたかなりの下車客があり、だいぶ空いてしまった。

 シュワルゼンベルク駅  エアラ駅

 それまでちょこちょこと見られた線路際の残雪が、エアラ(Erla)のあたりから俄かに濃くなった。そして、エアラの次のアントンスタール(Antonsthal)まで来ると、もう一面の雪景色である。

 アントンスタール付近の渓流と雪景色  ブライテンブルン駅付近

 さらに雪深くなったブライテンブルン(Breitenbrunn)で、数名下車。駅前には、廃車の旧型電車と思われる車輌が置かれている。かつてベルリンあたりを走っていたのではないだろうか。今もここで何かに使われているようではあるが、良くわからない。鮮やかな色合いが印象的であった。

 ブライテンブルン駅  乗降客ゼロのエアラブルン

 最後の途中駅、エアラブルン(Erlabrunn)は、雪に埋もれた寂しい集落で、人家も少なく、乗降客もなかった。ついに最後の一駅となった。自分の勝手な思い入れが強すぎるだけではあるが、ついにヨハンジョルゲンシュタットに着くと思う感慨に、思わず襟を正す。つまりは3年間ほど気になっていた所についにやってきた、というだけのことであるが。

ヨハンジョルゲンシュタット〜ポトゥーチキ
Johanngeorgenstadt - Potůčky


 終着ヨハンジョルゲンシュタットで降りたのは、十名ちょっとだっただろうか。雪景色のせいもあるのか、あっけらかんとした終着駅で、特に寂しさは感じない。というのも、駅前はもともと市街地と離れていて、何もないところなのである。だが、駅前広場の向かいの道路を渡った所にある立派な2つの建物は、どちらも廃墟であった。他方、駅舎のない線路の反対側にはソーラーパネルが並び、その向こうには綺麗な住宅も並んでいた。

 ヨハンジョルゲンシュタットに到着  駅舎と駅前広場

 こことカルロヴィ・ヴァリを結ぶチェコ国鉄の列車は2時間に1本で、ドイツの方は1時間に1本である。だから、カルロヴィ・ヴァリ方面への接続がある列車と無い列車がある。今日、私が乗ってきたのは、無い列車である。というより、ここで時間を取るために、わざわざそういうスケジュールを組んだのである。もっとも接続があろうが、乗り継ぐ客は僅かと思われる。これは3年前に来て実感したところである。

 駅裏手はソーラーパネルと新しい住宅  駅前の巨大な廃墟

 9分後にツヴィッカウ行きとなって折り返していく列車の乗客は、十名足らずであった。それを見送ってから、駅を出て、さあ、念願の徒歩国境超えで、ポトゥーチキまで歩く。これこそが今回の目的の一つである。

 駅前の道路をポトゥーチキ方面へ歩くと、少しずつ線路と離れて行く。最初の交差点を右へ行けば、ヨハンジョルゲンシュタットの中心部へ行ける。当然、行ってみたい。今度こそ折角、ヨハンジョルゲンシュタットへやってきたのだから、中心部の様子を見ておかねばならない。だが、急ぎ足で見たとして、それから国境を越えてポトゥーチキの町も前回よりちゃんと見ると、あとはポトゥーチキからカルロヴィ・ヴァリ行きの列車に乗って終わりである。それでも前回果たせなかった事は果たせるのだが、鉄道旅行好きとしては、ここに一つ、重大な心残りを作ることになる。ヨハンジョルゲンシュタット〜ポトゥーチキの国境区間一駅を、未乗車のまま残してしまうことになるのだ。ドイツやチェコの鉄道全線乗車を目指しているわけではないが、かといってここまでこだわってやってきた区間の、それも国境超え区間だけを未乗車で残すのは、いかにも気分が良くない。

 折り返しツヴィッカウ行きが発車  ポトゥーチキへの寂しい道

 そんなわけで、これも心残りではあるが、今回はヨハンジョルゲンシュタットの市街地訪問は諦める。滑る雪道で普通より速く歩けないのも想定していなかった事だが、雪がなかったとしても、時間はかなり限られてしまう。人も車も滅多に通らない寂しい道を、凍結した雪道を注意深く歩いてポトゥーチキへと向かう。

 15分ほど歩くと、前方に俄かにごちゃごちゃした街並みが見えてくる。それがポトゥーチキである。国境のすぐドイツ側にもカフェなどがあったが、明らかに国境を越えたその瞬間から、賑やかになる。人も大勢歩いているし、駐車場も大入り満員である。雑貨屋が多いので、クリスマス前の今は掻き入れ時なのだろう。そして確かにレストランもあり、ガソリンスタンドも2つほどあった。

 国境に立ってチェコ側を見る  チェコ側から見たドイツ方面

 3年前、カルロヴィ・ヴァリから列車に乗り、ポトゥーチキ駅で降りた時の、殺気立つほどの寂れた感慨はどこへやら、ポトゥーチキというのは実はこんなところであったかと、改めて不思議な気持ちになりつつ、あたりを歩き回ってみる。店の数は20ぐらいはあるだろうか、これで雪がなければまるで東南アジアのマーケットである。

 それでも、そんな国境特需と関係ない、昔ながらと思われる一般の民家がある所も見ることはできた。振り返れば丘の上に立派な教会もあるのだが、あの教会がある場所は、地図で改めて見れば、ポトゥーチキではなく、ヨハンジョルゲンシュタットなのである。

 ポトゥーチキの普通の民家が並ぶ風景  ポトゥーチキから見るドイツの教会

 そんなポトゥーチキの賑わいが終わり、寂しくなるあたりの最後に、3年前に来たマーケットの建物があった。雪があると風景が多少は違って見えるものの、鮮明に見覚えのある建物であった。そこからは前の記憶の通り、寂しい細道を少し歩き、小さな橋を渡れば、駅である。雪のない時と雰囲気は違うものの、3年前と変わらず黄色い駅舎があり、そしてやはり見事に人の気配がない。

 ほどなく、間もなく列車が来ると言っていると思われる、チェコ語の自動放送が入る。そしてカルロヴィ・ヴァリ方面からのヨハンジョルゲンシュタット行き列車がやってきた。車輌が前回の黄と緑ではなく、新型に替わっていた。


 今回は乗り放題のインターレール・パスを持っていることでもあり、結局、この列車で一駅、ヨハンジョルゲンシュタットまで乗り、また折り返してカルロヴィ・ヴァリまで行くことにした。この国境超えの一駅区間だけ往復乗ることになる。往復乗るか、全く乗らないかの二者択一であり、全く乗らない選択をすれば、ヨハンジョルゲンシュタットの市街地を歩く時間も取れたというわけである。

 私は何となく、3年前の怖い女車掌が乗っているのではないかと、半ばビクビク、半ば再会を期待していたのだが、流石にそんな偶然は無く、中年の男性車掌と見習いの若い女性車掌が一組で乗務していた。二人とも英語も流暢であった。


ヨハンジョルゲンシュタット〜カルロヴィ・ヴァリ
Johanngeorgenstadt - Karlovy Vary


 ようやく念願の列車での国境越えを果たし、僅か2分の乗車でヨハンジョルゲンシュタットへ戻ってきた。反対ホームにはツヴィッカウからの列車が到着している。私が乗ってきたやつのちょうど1時間後の列車である。乗客はというと、こちらには他に3〜4名、乗っていたようで、私以外の全員がツヴィッカウ行きに乗り換えていたようである。逆に、ツヴィッカウ方面からの乗り継ぎ客と思われる数名がチェコの列車に乗り込む。3年前、ポトゥーチキで乗客が一人もいない列車が国境を越えていくのを見送ったのだが、今回はどの列車にも一応、客がいる。とはいえやはり少ない。この国境越え路線、こんな状態で今後もずっと残るのだろうか。

 チェコの列車からツヴィッカウ行きへの接続時間は僅か3分。ほどなくツヴィッカウ行きが定刻14時30分に出て行く。それからこちらはさらに発車まで17分ある。3年前はここでの折り返し時間が12分であったが、今は20分になっている。実はずっと気になっていたが、これから乗るカルロヴィ・ヴァリ行きは、前回、ポトゥーチキから乗ったのとほぼ同じ時刻なのである。ただ、3年の間にダイヤがマイナーチェンジしているようで、列車番号も全く違う。変わった点の一つに、ポトゥーチキでの停車時間が短くなったことがある。3年前はまだ、国境審査があった時代の名残りなのか、ヨハンジョルゲンシュタット行きでは5分もの停車時間があったが、今回は上下列車とも2分停車になっている。その他待避による停車時分の調整などもあって、全区間の所要時間が5分ほど短縮されている。

 再びヨハンジョルゲンシュタットの駅付近を歩き回って追加で写真を撮る。といっても特に何もないのだが、そうして14時47分発のカルロヴィ・ヴァリ・ドルニ行きに乗車。見習い車掌がいるからだろう、私が乗り放題切符を持っていることをわかっていても、改めて車掌がやってきて検札をする。

 ヨハンジョルゲンシュタットで並ぶ列車  雪深きホルニ・ブラトナ駅

 ポトゥーチキで3名ほど乗車。そして列車は勾配を上がり、進むほどに雪が深くなっていった。3年ぶりなので、前回の記憶もあるが、雪の有無で印象はかなり異なる。駅はどこも古びたままで、手入れがされていない。古い駅舎でも手直ししつつ綺麗に使っていたり、新しい簡素な待合所があったりして小綺麗な駅が多いドイツとは、このあたりが異なる。

 ペルニンク(Pernink)はこの区間で最高地点にある駅で、ヨハンジョルゲンシュタットよりも226メートルも高い、標高902メートルにある。その駅の少し先が、スキー場で、リフトの降り場である。日本では普通、駅のそばにスキー場がある場合、駅や線路が低い所にあり、駅近くにあるのは、リフトの乗り場だと思う。だがここは逆である。列車でやって来てこの駅で降りてスキーをする場合、最初にいきなり滑って下りることになるのだ。とはいえ小さくて素朴なスキー場で、地元の人がパラパラと楽しんでいる程度と思われた。

 スキーリフトの降り場を過ぎたあたりが本当のサミットで、ここから線路はカルロヴィ・ヴァリに向かって下っていく。羊腸カーヴを繰り返す区間である。前回の旅で、ネイデク・ティソヴァ(Nejdek-Tisová)からネイデク・ザスタヴカ(Nejdek zastávka)まで、鉄道の営業距離7キロのところ、直線距離では1.5キロ程度しかないことを発見し、ネイデク・ティソヴァで降りて走れば、ネイデク・ザスタヴカで同じ列車に乗れるのではないかと思った所である。今回、それに挑戦できないかと思っていたのだが、その間にあるノヴェ・ハムリ(Nové Hamry)での列車交換による停車時間がダイヤ改正で前より短くなっていて、前回は鉄道の所要時間16分だったのが、今回は13分になっている。この3分の差も大きいが、それ以上の問題が雪道で、これでは山道を走って下りることなど不可能である。よってこの計画はあっさりと諦める。そのネイデク・ティソヴァも、ネイデク・ザスタヴカも、どちらもリクエスト・ストップの駅で、この列車は停車しなかった。

 徐行通過のネイデク・ティソヴァ  主要駅のネイデク

 ネイデク(Nejdek)で結構大勢乗ってきて、ボックス平均2名ぐらいの乗客数になった。前回は、行きは大勢下車したが、帰りのこの列車は僅かしか乗車しなかった。その時々のタイミングもあろうが、いずれにしても、この路線では乗降客の多い主要駅である。ネイデクを過ぎると風景はいくぶん平凡になり、雪も徐々に浅くなっていった。

 それでも、ノーヴァ・ローレ・ザスタヴカ(Nova Role zastávka)までは沿線はほぼ雪に覆われていた。しかしその先でにわかに雪がなくなり、次のノーヴァ・ローレ(Nova Role)に停車すると、雪はほとんどなくなった。あっという間の変化であった。

 雪の全くないスタラ・ローレ  新駅舎となったカルロヴィ・ヴァリ

 そして本線が合流してきて、カルロヴィ・ヴァリに着く。本線と乗り換えの主要駅だが、寂しいところにあり、都市の規模の割には古びたみすぼらしい駅、というのが前回の印象であったが、ここも新駅舎ができており、工事がほぼ完成して供用開始しているところであった。下車する人は少なく、大半の乗客は終点のカルロヴィ・ヴァリ・ドルニ(Karlovy Vary dolní)までである。私もここでは降りない。

 カルロヴィ・ヴァリ・ドルニに到着  夕暮れ時のカルロヴィ・ヴァリ市街地

 そしてカルロヴィ・ヴァリの街を流れる川をぐるりと迂回して渡り、下駅である終着のドルニ駅に着いた。3年前とほぼ同じ列車で同じ時刻に再びここに着いたわけだが、前回よりさらに日の短い季節ゆえ、夕闇がかなり迫っている。今日はクリスマス直前の土曜日なのだが、11月の平日だった前回に比べると、中心部は人が少なく、閑散としていた。クリスマスの飾りつけもあまり派手ではなく、どことなく寂しげだ。雪も全くないので、秋の景色ともあまり変わらない。同じ所の二度目の訪問なら、やはり全く違う季節、つまり夏かそれに近い時にしたかったと改めて思わざるを得なかった。



欧州ローカル列車の旅:ライプツィヒ〜カルロヴィ・ヴァリ *完* 訪問日:2017年12月23日(土)


南西ウェールズの盲腸線 (2) へ戻る     プルゼニ〜プラットリング (1) へ進む