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南西ウェールズの盲腸線 目次


目次 (1) ウェールズの鉄道 Railway in Wales
カーディフ〜カーマーゼン Cardiff - Carmarthen
カーマーゼン〜ミルフォード・ヘヴン Carmarthen - Milford Haven
(2) ホイットランド〜フィッシュガード・ハーバー Whitland - Fishguard Harbour
ホイットランド Whitland
カーマーゼン Carmarthen
カーマーゼン〜ペンブローク・ドック Carmarthen - Pembroke Dock

ホイットランド〜フィッシュガード・ハーバー
Whitland - Fishguard Harbour


 ホイットランドは分岐駅であるが、相対ホーム一面で、両ホームは跨線橋で結ばれていた。この列車が7分遅れで停車すると同時に、反対ホームにフィッシュガード・ハーバー行き列車が入ってきた。あちらはほぼ定刻である。島式ホームなら楽に乗り換えられるのだが、これは厳しい。とにかく全力で走り跨線橋を渡る。あちらの列車は跨線橋に近い所ではなく、かなり先に停まっている。駅出口のない側のホームなのだから、もっと跨線橋に近い所に停車してくれても良さそうなものだ。幸い、手を振りながら階段を走って降りる私の姿が女性車掌の目に留まった。実際、待ってくれて、問題なく乗り込むことはできたものの、間一髪であった。もちろん乗り換えたのは私一人である。

 後部のドアから乗り込んでみれば、最後尾のボックス席の両側を、ジャージ姿にスポーツバッグという30〜40歳ぐらいの男性ばかり6〜7人が占めており、昼間からビールなどを飲んでいる。ちょっとそこまでの地元客ではなく、羽目を外しかけた旅行者風である。私は、これぞまさにフェリー連絡の長距離客、それもアイルランド人ではないか、と直感した。列車の方はここまでの小型気動車ではなく、標準サイズの車輌ではあるが、それでも僅か2輌編成であり、空いている。それなのに驚いたことに、車内販売のワゴンが乗っていた。これというのも、この列車がロンドン〜アイルランド連絡の長距離列車の長い歴史の流れを組む伝統列車のスジだからであろう。かつてはロンドン直通であったが、今はスウォンジーで乗り換えは要する。しかしロンドン発スウォンジー行きの特急と接続しており、今もロンドン方面から最短時間でフェリー連絡ができるダイヤが組まれている。そういった国際フェリー連絡の長距離列車が中途半端に落ちぶれた姿ではあるが、徹底的に合理化を仕切れていない、といった言い方は失礼だろうか。車内販売を残して、快適に長距離旅行ができるようにサービスを維持してくれていると思えば、感動的ですらあり、不採算を理由にどんどん車販をやめていく今の日本の在来線特急などに、多少は見習って欲しいものである。


 この列車がそういう列車であることは、停車駅がかなり絞られていることでもわかる。例えば、主要駅のカーマーゼンも通過、というより、スイッチバックを避けるため、手前の短絡線を通ってきている。時刻表を見ると、今、定期旅客列車でカーマーゼンに寄らないのは、下りのこの列車1本だけで、上りには1本もない(乗車当日の土曜ダイヤの場合)。これでロンドンからアイルランドへ行く場合、どうなっているかというと、ロンドン・パディントン発7時12分の、グレート・ウェスタンの特急が、終着スウォンジーに10時43分着。17分の接続でスウォンジー発11時ちょうど、フィッシュガードでフェリーに乗り継いで、アイルランド南東端にあるロスレア(Rosslare)港に16時25分に着く。ロスレアから先は、20年ぐらい前の時刻表には、ロスレア港発のアイルランド国鉄リムリック(Limerick)行きというのがあり、アイルランド中西部の都市リムリックに23時すぎに着いていたのだが、今、アイルランド国鉄は、この路線のロスレア側を廃止してしまい、バスになってしまった。但し、ロスレア港と首都ダブリン(Dublin)を結ぶ東海岸線は残っている。しかし、ダブリンとイギリスのフェリー連絡は、このルートではなく、北ウェールズのホリーヘッド(Holyhead)なのである。そのホリーヘッドには今もフェリー連絡を意識していると思われるロンドン直通列車が走っている。

 いずれにしても、今や列車とフェリーを乗り継いでイギリスとアイルランドを行き来する旅客需要は、限りなく小さくなっているとみていいだろう。その大きな理由は格安航空会社であろう。アイルランドと言えば、世界最大の格安航空会社、ライアンエアの本拠である。昔は飛行機に乗るお金のない貧しい人は、皆フェリーを介して旅したわけで、私には、あの最後尾のジャージの男性たちにそのイメージが被ってくるのである。だが彼らにしても、今は安くアイルランドへ行くなら飛行機の筈である。

 ミルフォード・ヘヴンの線路が分岐するあたり

 空いたボックスにゆったり座り、車内販売のサンドイッチとコーヒーにもありついで、のんびり車窓を眺めながら、今来た所を戻りつつ、そんな事を考えていると、間もなくミルフォード・ヘヴンとの分岐駅、クラーベストン・ロードである。この列車もここをリクエスト・ストップにしてくれていれば、ホイットランドであんな駆け足をしないで済んだのだが、とにかく通過扱いなので、ややスピードをつけて通過。左へさきほど乗ってきた単線がカーヴを描きつつ分岐していく。こちらがまっすぐの本線という感じであるが、こちらも最終区間は単線になる。

 クラーベストン・ロードからフィッシュガード・ハーバーまでは、25キロ。途中駅は終着のすぐ手前にある1つだけで、その間は延々と駅がない。見ていると、未開の僻地というほどではなく、点々と農家が見られたりはするのだが、線路沿いにまとまった集落はないようである。だからもうこの区間はローカル輸送を期待せず、フェリー連絡の長距離輸送に徹する前提でずっとやってきたのであろう。そうなると、鉄道とフェリーを乗り継ぐ客が減れば、路線の存在意義がなくなってくる。現にアイルランド側ではそうして鉄道も廃止されてしまったわけだし、ここフィッシュガードの最終区間も、10年ほど前には真剣に存廃議論があったらしい。それが今、またいくらか息を吹き返してきている。その理由が、フィッシュガード・アンド・グッドウィック(Fishguard & Goodwick)駅の復活である。

 フィッシュガード・アンド・グッドウィック駅名標

 列車は片面ホームだけの駅、フィッシュガード・アンド・グッドウィックに停まる。ここで大半の客が席を立ち、降りてしまった。フェリーに乗り継ぐアイリッシュではないかと私が勝手に思った後ろの男性陣も、そうではなく、ここで降りた。総数15名ぐらいいただろうか。駅舎もない簡素な停留所だが、ホームは真新しく綺麗である。この駅は2012年に復活開業したばかりなのである。それまで半世紀ほどは、この駅もなく、この区間はフェリー連絡がほぼ全て、となっていた。ここに限らないが、大型フェリーの出る港というのは、殺伐とした所が多く、最寄りの町の中心部とは距離がある場合が多い。ここもそうで、このフィッシュガード・アンド・グッドウィックの方が、名前の通りの2つの町に近い。これらの町の人は、以前は鉄道でカーディフやロンドンなどへ出掛けるにも、ハーバー駅まで行くしかなかった。ハーバー駅には駐車場もあるが、駐車料金が非常に高い。国際フェリーポートという事情から、駐車料金を安くするわけにもいかなかったのだろう。だから地元の人に利用しづらく、結果としてこの駅ができる直前段階では、クラーベストン・ロード〜フィッシュガード・ハーバー間の旅客列車本数は1日2往復、つまり1日2往復のフェリー便に連絡する列車のみだった。本数では英国一の閑散路線であろう。それが今はフェリー連絡以外の列車も何本かできた。時刻表で数えて見ると6往復ある。そのうち2本がフェリー連絡のある列車であり、その貴重な1本に、今まさに私が乗っているのである。

 フィッシュガード・アンド・グッドウィック駅  フィッシュガード・ハーバー手前

 ところで、時刻表を見ると、この駅の時刻は12時23分で、発車ではなく到着となっている。僅か1キロほどしかない終着のハーバー着が12時30分である。7分もかかる筈はないので、この駅の発車は12時27分ぐらいかと思われるが、時刻表には発車時刻は載っていない。もちろんこの1駅だけを乗る人などほとんどいないだろうが、それでも実際には発車時刻もあるに違いない。東海道新幹線の品川だって、東京行きは時刻表には到着時刻しか載っていないが、実際に駅に行けば発車時刻が出ている。しかしこの駅のホームにある発車案内表示では、到着時刻と同じ12時23分となっていた。実際に発車したのは12時24分ぐらいで、最後の1駅はそろりそろりではあったが、それでも12時27分には終着、フィッシュガード・ハーバーに到着した。フェリー連絡ということもあり、わざとダイヤに余裕を持たせているのかもしれない。

 終着のハーバー駅で降りたのは、グッドウィックの半分ほどの7〜8名であった。観光シーズンにはもう少しいるのかもしれないが、今や鉄道とフェリーを乗り継ぐ客は、壊滅寸前である。この駅は駅そのものがフェリーターミナルであり、フェリー会社が管理しているそうだ。駅のホームに接してガラスの自動ドアがあり、そこを入るとフェリー乗り場の待合室であり、フェリーの切符売場窓口がある。逆に鉄道の切符に関しては、窓口も自動券売機もない。切符を持たずにここから列車に乗る人は、車内で車掌から正規運賃で買うしか方法がないらしい。

 フィッシュガード・ハーバー駅に到着  フェリーターミナル内から見る駅ホーム

 一瞬、フェリーに乗る以外にはどこにも行けない駅かと思ったが、長いホームを後ろへグッドウィック方向へ歩けば、公道に出られ、踏切がある。生活の気配は皆無の港湾地帯であり、フェリーに乗るトラックや車が通るぐらいの殺伐とした所である。そのあたりから駅を眺めれば、今は単線で片面ホームだけの終着駅であるが、かつては他にも線路があった形跡が見られる。長編成の列車が停まり、列車とフェリーを乗り換える旅行客でごった返した時代を偲ばせてくれる風景ではある。

 列車から降りてフェリーの乗船手続をする客  フィッシュガード・ハーバー駅

 逆にホームからさらに前方は、港湾事務所へと続いているが、一般客の出口はない、と書いてある。時間があれば、行ける所まで行ってみたかったが、早着分を含めても16分しか滞在時間がないので、他に特に何もないところとはいえ、一通りうろついて写真を撮れば、あっという間に発車時刻が迫ってきた。もちろんこの折り返し列車に乗る。逃がせば次は6時間以上後の19時00分発である。


 折り返し列車にハーバー駅で乗る客は、10人弱であった。やはりグッドウィックでそれよりやや多い人数が乗ってきた。さきほどの女性車掌が検札に来る。ホイットランドであんな乗り方をしたからすっかり覚えられていて、パスを見せようとすると、「今度はどこまで行くの」と聞くだけであった。どういうタイプの客か見通されているようだ。


ホイットランド Whitland


 盲腸終着駅3駅訪問の最後は、ペンブローク・ドックであり、そちら方面との分岐駅はさきほど走って乗り換えたホイットランドである。これまでは終着での折り返し時間も含め、どこも慌しく、もう少し時間が欲しい所ばかりであったが、今度は大いに時間があり、ホイットランドで乗り換えると、1時間55分もの待ち時間が生じる。ホイットランドは計画段階で調べた限り、一応の町だが、小さくて特に見所もない、つまらなそうな所であった。だからもう1駅乗り越して、カーマーゼンまで行くつもりであった。そうするとカーマーゼンの滞在時間は1時間26分。ここは大きな町なので、1時間ぐらいの町歩きも楽しめそうである。しかし、さきほどのホイットランドが若干は気になる。定刻なら7分の乗換時間があり、駅と駅前ぐらいは観察できる筈だったのに、遅れのせいで駆け足乗り換えになり、写真の1枚も撮れなかった。そこで私はこの列車をホイットランドで降りて27分を過ごし、後続のミルフォード・ヘヴン発の列車に乗ってカーマーゼンへ行くことにした。そうするとカーマーゼンの滞在時間は58分。つまり待ち時間を2つの駅に振り分けたわけである。

 ホイットランド駅のカーマーゼン側  ホイットランド中心部

 ホイットランドは寂れた集落ではあったが、一応は小さな駅前商店街があり、開いている店も多少あり、ホテルも1軒あった。駅前に町の歴史を説明する案内板があり、かつて鉄道の町とした賑わった旨の記述もあった。今も重要な鉄道ジャンクションであり、信号係が24時間常駐している、とも書かれているのだが、駅の横の踏切にある信号扱い所はどう見ても無人である。この説明板ができた後で、自動化されたのだろう。

 ホイットランド駅の西で線路が分岐  かつては始発もあったらしいホイットランド

 駅前にはステーション・ハウスという名前のパブがあり、看板に蒸気機関車の絵が使われている。英国のあちこちの駅前で、似たように蒸気機関車の絵が入った看板のホテルやバーなどを見かける。ホームを見れば、上りホームの反対に折り返す列車が発着した線路の跡があった。今は単なる相対ホーム1面の駅だが、かつては加えて両側にもう1本ずつ、線路があったようだ。例えばフィッシュガード・ハーバー行きの直通列車に、ホイットランド始発ペンブローク・ドック行きが接続するような運転形態などがあったのかもしれない。

 というような感慨はあったが、12月のうすら寒い陰鬱な天候でもあり、住んでいる人には悪いが、30分もいれば十分、そんなホイットランドであった。

 ミルフォード・ヘヴン発マンチェスター行き

 一駅だけ乗る次の列車は、2分ほど遅れてやってきた。ミルフォード・ヘヴン発の大型2輌編成で、さきほど私が乗った小型ではなかった。そのちょうど2時間後の列車である。この列車はスウォンジー、カーディフ、ニューポートを経て、何と延々、19時15分着のマンチェスター・ピカデリー(Manchester Piccadilly)まで行く長距離快速列車である。車内はさきほどより空いていた。そんな列車に私は1駅だけ、カーマーゼンまで乗る。もっともこの一駅間は16分23キロと、長い。本日の対象区間全路線で、クラーベストン・ロード〜フィッシュガード・アンド・グッドウィック間24キロに次いで2番目に長い駅間距離を有する。格別でない殺風景な複線非電化区間を淡々とかなりの高速でひたすら突っ走る区間である。


カーマーゼン Carmarthen


 カーマーゼンは、駅前は寂しいが、駅間近の橋を渡って対岸へ行けばほどなく市街地である。駅から5分ちょっとで中心商店街という感じの所に到達できた。12月の土曜の午後ということで、クリスマス・ショッピングなのか、そこそこに人が歩いており、店も沢山開いていた。都会とは較ぶべくもないが、ホイットランドとは違い、地域の経済と商業はしっかり健在である。

 カーマーゼン駅舎  駅と市街地の間を流れるタウィ川

 この町にはノルマン時代の立派な城がある。いかにも堅牢そうな石の城壁があり、門から中に入って行く人、出てくる人がかなり多い。時期も時期だし観光客ではないのはわかるが、中でマーケットかイヴェントでも開かれているのかと思って行ってみれば、ただ単にその先の駐車場への近道になっているだけであった。

 カーマーゼン中心部の商業地域  カーマーゼン城

 説明板によれば、最初の建設は11世紀で、ウェールズで唯一、王侯貴族の住居として使われていたこともある由緒ある城らしい。それなのに、16世紀の戦争で廃墟となり、以後は長らく刑務所として使われ、今は一部の建物が地方政府のオフィスになっている。町のシンボルの城がその程度の処遇だから、観光面でも知れているようで、見事に地元民しかいない。夏は観光客も多少は来るのだろうか。


 一応、クリスマス前の賑わいと活気があったのは救いではあるし、坂道の両側に店や建物が並ぶ中心部はそれなりの情緒はあった。だがそれ以上の特徴や個性は特に見出せなかった。


カーマーゼン〜ペンブローク・ドック
Carmarthen - Pembroke Dock


 次に乗る14時58分発のペンブローク・ドック行きは、スウォンジーが始発で、ここで18分も停車している。発車10分前ぐらいに駅へ戻ると、構内踏切を渡った2番ホームにポツンと2輌編成で停まっていた。発車時の乗客はざっと2輌で30名といったところである。

 通り過ぎ、乗り換え、乗降と繰り返した4度目のホイットランドを過ぎると、今度は左カーヴで単線の支線に入る。この線は他2線の末端盲腸区間に比べると長く、駅も多く、駅間距離も短い。運転間隔はミルフォード・ヘヴンと同じで日中2時間毎であるが、途中駅も含めて地元利用がやや多そうな線と思われる。風景はさして変わり映えせず、時に低い丘に雑木林、そして農地、牧草地、荒れ地で、多少の起伏はあるが、海はほぼ見えない。

 交換待ち停車のあるテンビー駅  テンビー駅前

 ホイットランドから4つ目のテンビー(Tenby)は、立派な駅舎を持つ交換駅で、降りる客が多い。ここで数分停まり、反対列車と行き違う。ホームに降りて駅前を見てみれば、情緒あるゆるい坂道が町に向かっており、両側にしゃれた家並みが続いている。今回は季節と天候のせいもあり、どことなしに寂れた陰気な町並みばかり見てきたが、ここテンビー駅前は、こんな冬の夕方でも、気持ちよく散歩できそうな所であった。後で調べると、テンビーは思った以上に人気のある海浜リゾート地らしい。5分も歩けば海辺に出られて、海沿いにはホテルやレストランも沢山あるという。

 ペンブローク駅  ペンブローク駅

 途中の小駅の多くはリクエスト・ストップだが、夕方の帰宅時間ゆえ、全ての駅で停車して、1人か2人の客を降ろしていった。一時停止踏切も2つほどあった。終着の一つ手前がペンブローク(Pembroke)で、ここで残った客の半分以上が降りた。単なるペンブローク駅であり、ペンブローク・タウンなどと名乗っていないが、普通に考えれば、ここが町の中心に近い駅で、終着のドック駅は町外れの港の駅、という風に思える。和歌山市と和歌山港のような関係で、ペンブロークという一つの町の中の2つの駅である。私も今回の旅に際して調べるまでは、そう信じ込んでいた。だがここの実情は異なる。ペンブロークと、ペンブローク・ドックとは、近接しているものの、別の町なのである。商業地区と港湾地区という区別ではなく、それぞれにタウン・センターがあり、小さな商店街がある。大きさも似たり寄ったりで、町の人口は、ペンブロークが7千人、ペンブローク・ドックが9千人とのことである。

 それでも終着ペンブローク・ドックも、フィッシュガード・ハーバーほどではないにしても、フェリー連絡の雰囲気も備えた駅かもしれないと思っていたが、着いてみれば海も見えない普通の終着駅であった。駅舎は結構大きく、それなりの風格を保っていたが、線路は単線1面で、かつて反対にもう一つのホームがあった痕跡が残るという、今の時代にあちこちにありがちな駅であった。本日訪れた3つの終着駅の中では、ここが一番、最果ての終着駅といった雰囲気を醸し出している。


 まだ夕方4時20分なのだが、既に日没時刻である。そういう暗くなる直前の時間だったので、いやが上にも終着駅の旅情が盛り上がる。そのままドラマの一シーンになりそうな寂寥感が何とも言えない。とりあえず暗くなる前にホームと列車を一通り撮影する。そして駅を出れば、もう降りた客は散ってしまい、閑散とした駅前には人の気配もなかった。あとはこの列車の折り返しに乗って夜の列車で引き返すだけなのだが、ここは他の2つの終着駅と違い、折り返しの発車まで53分もある。この時間を利用して、少しでも空の明るさが残るうちに、町を抜けて海まで行ってみることにした。事前に調べてはあったので、大雨でもない限り、もともとそのつもりではいたが、微妙な時間帯ゆえ、実際どの程度暗いのかは、来てみるまでわからなかった。まだ少しは大丈夫そうだ。

 ペンブローク・ドック駅舎

 駅前に案内図があった。中心部の商店街を抜けていけば、海辺に出られる。フェリー・ポートはそこからさらに左奥である。ここもまたアイルランドへのフェリーが発着する町なのだ。中心部にはショッピングセンターもあるという。鉄道の駅が寂しくても、ちょっと歩いて町の中心に行けば意外に賑やかで活気がある所は、数限りなくある。それらを一回りし、できればショッピングセンターでコーヒーの一杯ぐらい飲みたい。そうすると53分は短すぎて慌しいかもしれない。私は早足で一直線のメイン・ストリートを中心部へ向かった。

 だがここは、いくら歩いても寂しかった。一応、商店街に入ったのだが、クリスマスの飾りが侘しいばかりで、人がほとんど歩いていないし、車もあまり通らない。店はいくらか開いているが、お客も滅多に見かけない。そしてショッピングセンターの入口へ来たが、中は薄暗い。入っていくと、まだ土曜の16時台なのに、すでに営業時間を終えたカフェがあり、そして貸店舗の看板を出した区画も多い。営業しているのは雑貨を扱う店1つだけで、そこにも買い物客など一人もいない。もう少し大きな町なら、クリスマス前の土曜の夕方は、どこもショッピング客でごった返している筈である。ここはもはや、年1回のクリスマス商戦のためにギフト商品を仕入れる余力もないのだろうか。きっとこの町の人は、クリスマス・ショッピングに地元を相手にせず、どこか遠くの大きな町に行くのだろう。あるいは郊外に大きな駐車場つきのショッピングモールがあるのかもしれない。この中心商店街とショッピングセンターは、地元民に日々の生活に必要な最低限のサービスをかろうじて提供することで、何とか残っているように思われた。

 ペンブローク・ドック中心部  寂しすぎるショッピングセンター

 一本道のメインストリートを抜けると、ほどなく右手が海辺で、左手はさらに行くとフェリーポートへと通じる。その海も寂しかった。悪い眺めでもないし、フェリーが出るほどの町なのだから、この辺にレストランやホテルなどがあっても良さそうなのに、海に面した道路に並ぶ家々も、普通の民家ばかりである。海に突き出したマルテロ・タワーは、ナポレオン時代に建てられた見張塔で、観光施設になっているのかもしれないが、そこへ渡る歩行者用の橋には立入禁止のロープが張ってあった。

 海と見張塔と背景に対岸のネイランド

 湾を隔てた対岸にも点々と灯りがある。対岸は、ネイランド(Neyland)という港町で、その昔は商業港として賑わい、鉄道もあったという。その鉄道は、朝に乗ったミルフォード・ヘヴンへの路線の、終着の一つ手前、ジョンストンから分岐して、ネイランドが終着という、支線のそのまた枝線であった。ネイランドが最も栄えたのは19世紀末だそうで、その頃はアイルランドへの旅客船も出ていた。1906年にフィッシュガード港が整備されると、客貨とも急速にそちらへ移り、旅客船はほどなく廃止、貨物港としては戦後の1966年まで残ったが、以後、商業港としての機能はなくなり、それから既に半世紀余りになる。

 その対岸のネイランドから西へ行けば、ほどなく今日最初に訪問したミルフォード・ヘヴンである。ここペンブローク・ドックからミルフォード・ヘヴンまで、直線距離では8キロ程度しかない。地図で見れば近いことはすぐわかったので、実は今回も、最初の計画段階で、フェリーか何かがないか調べたのだが、それはなさそうであった。但しこの少し東には道路橋があり、そこを経由するバスが少ないながら走っているらしい。この道路橋は1975年に開通した有料橋で、それ以前のフェリー輸送を置き換える役割で建設されたという。ペンブローク・ドックからミルフォード・ヘヴンは、その橋を経由すれば車で15分程度とのことである。あのミルフォード・ヘヴン駅横のショッピングセンターも、大規模とは言い難かったが、少なくとも車は沢山来ていて、駐車場は大入り満員の盛況であった。ペンブローク・ドックの人もあそこまで車で日常的に買い物に行っているのか、もっと近いこちら側の別の場所にもっと賑わったショッピングセンターがあるのかはわからない。ただ、少なくとも、この町の小売業は、風前の灯かと思われた。

 駅途中の民家で見かけたクリスマスの飾り

 帰ってから色々調べているうちに、このペンブローク・ドックには、町の名前を変えようという運動があることを知った。候補名に、ペンブローク・ヘヴンや、ペンブローク・ハーバー、さらにペンブロークを使わない候補名もあるそうだ。固有名詞である地名の一部であるとはいえ、ドックというのは船の修理所の意味であり、実際、そういった産業があったことによって町の名前になっている。しかし今、町の産業としては、もうドックは無い。実際にドックがあってもなくても、この地名から連想するのは、美しい景色と結びつかない港湾産業都市のイメージである。それを払拭すればもっと観光客が来てくれるのではないか。そう簡単とも思えないが、地元にそういう考えがあるそうだ。今のペンブローク・ドックは、高失業率の町として常に名前が挙がる所らしいので、そういう悪印象を変えたいという気持ちもあるのだろう。

 折り返しスウォンジー行き列車の発車時間が近づいてきたので、すっかり真っ暗になった寂れたメインストリートを歩いて駅へ戻る。開いている店があり、たまには人や車が通るので、深夜のよう、というのは言い過ぎだが、やはり寂しいので、夜もだいぶ遅いような錯覚に陥る。実際はまだ夕方5時すぎなのだ。駅に来てみれば、列車には10名ぐらいのお客が集まっていた。最後にしんみり感が際立った、冬の陰鬱な旅ではあったが、無事に3つの路線に乗ることができて、鉄道旅行としては大満足であった。



欧州ローカル列車の旅:南西ウェールズの盲腸線 *完* 訪問日:2017年12月9日(土)


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