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プルゼニ〜プラットリング 目次


目次 (1) プルゼニ〜クラトヴィ Plzeň - Klatovy
クラトヴィ〜ジェレズナー・ルダ Klatovy - Železná Ruda
ジェレズナー・ルダ・アルジビェチーン/バイエリッシュ・アイゼンシュタイン
 Železná Ruda Alžbětín / Bayerisch Eisenstein
(2) バイエリッシュ・アイゼンシュタイン〜ツヴィーゼル Bayerisch Eisenstein - Zwiesel
ツヴィーゼル〜グラフェナウ Zwiesel - Grafenau
ツヴィーゼル〜プラットリング Zwiesel - Plattling

プルゼニ〜クラトヴィ Plzeň - Klatovy


 チェコ第四の都市プルゼニ(Plzeň)は、人口17万、チェコ西部の中心都市で、産業も発達しているが、一般にはビールで有名である。地図を見れば、南北も西も、ドイツ国境がさほど遠くない。実際、伝統的にドイツとの関係が深い街である。ドイツ語ではピルゼン(Pilsen)として知られる。

 プルゼニ中央駅の駅前  プルゼニ中央駅構内

 チェコとドイツを鉄道で越えるルートは結構色々ある。実際の運転本数や利用状況はまちまちだが、プルゼニが絡む幹線ルートとしては、プラハ(Praha)からプルゼニを経てドイツのレーゲンスブルク(Regensburg)、ニュルンベルク(Nürnberg)、ミュンヘン(München)方面へ行くルートが目立つ。ここは国際IC特急が毎日4往復走っている。

 そして、プルゼニからそれよりやや南へ向かう路線も、国境を越えてドイツへと抜けられそうである。だが、時刻表を見ると、チェコ側とドイツ側では国境駅の駅名が異なっている。列車が国境を越えてくれないのみならず、ここが徒歩連絡で簡単に乗り継げるのかどうかもわからない。


EUROPEAN RAIL TIMETABLE Winter 2017/2018 edition より引用

 ヨーロピアン・タイムテーブルでも、レールマップでも、それ以上の詳しいことはわからなかったが、いかにもつながっているように掲載されているので、これは面白いかもしれないと思い、ネットで検索して調べてみた。すると、この2つの国境駅は、実質は国境に跨る一つの駅も同然であり、チェコの列車を降りたらホーム上を歩いて国境を越えれば、ドイツの列車に乗り換えられることがわかった。これはなかなか興味深い。当然、シェンゲン協定以前には駅での出入国審査があったのだろう。

 旧東独のヨハンジョルゲンシュタット(Johanngeorgenstadt)からチェコへと国境を越えてきた翌朝、中央駅である、プルゼニ・フラヴニ(Plzeň Hlavni)駅にやってきた。今日は日曜日、しかもクリスマス・イヴである。クリスマス前後の列車の運転状況は、ヨーロッパでも国によって違うが、ドイツやチェコのあたりは、12月24日と12月31日の夕方以降の列車の多くが運休になる。他方、12月25日は通常の日曜ダイヤ並みに動いている。いずれにしても午前中から昼間は通常ダイヤである。だが日曜ということもあり、帰省客などは昨日までに動いてしまったのだろう。今日は駅も閑散としており、どの列車も空いている感じがする。

 プルゼニ中央駅は、風格ある大きな駅で、同じチェコの主要都市でも、例えばカルロヴィ・ヴァリ(Karlovy Vary)などとは比較にならない。線路が二つに分かれるその間に大きく立派な駅舎があるのだが、現在、駅前が工事中であった。立入禁止ではないが、ほとんど行く人がおらず、皆、両側の仮設通路から駅に出入りしている。結局、駅舎の写真を撮る最良の方法は、駅前を通る路面電車の中からであった。翌日その方法で撮ったのが、左下の写真である。駅前広場全体が掘り返されて泥んこなのである。ここを通らなくても駅には線路の両サイドから出入りできるのだが、それでも工事中の駅前広場も立入禁止にしないのはお国柄だろうか。ごくたまに歩く人がいる。

 駅前広場工事中のメイン駅舎(翌日撮影)  プラハ発クラトヴィ行きの入線

 本日最初の列車は、プラハからやってくる、クラトヴィ(Klatovy)行きで、プルゼニは9時50分発。2番ホームで少しばかりのの客とともに待っていると、定刻より早い9時41分、電気機関車に牽かれた昔ながらの汽車の姿でやってきた。東欧はまだまだこういう列車が多くて嬉しい。

 客車は4輌。最後尾1輌だけがボックス席で、あとの3輌はコンパートメント車であった。ガラガラだったので、コンパートメント車に乗ってみた。古いタイプの8人1室であるが、空いているコンパートメントが沢山あり、もちろん相客はいない。昔の東欧では、この8人1室が満員という長距離列車が結構あって、私もそれで一晩を過ごした辛い思い出がある。しかし今、東欧でも新造車は6人1室仕様なので、このタイプのコンパートメント車は次第に淘汰されているようだ。混んでいるのは勘弁だが、こういう時こそ、雰囲気を堪能して思い出にしておきたい。

 折角早着したのに、定刻より3分ほど遅れて発車。しばらく高架から古びた市街地を見下ろし、3分で町中のプルゼニ・ザスタヴカ(Plzeň zastávka)に着く。ザスタヴカというのは、チェコ語で乗降場ないし停留所といった意味である。これまでの経験では、駅名にザスタヴカのついた駅は、ホームと簡単な待合所程度の簡易な構造なのだが、ここは立派な駅舎も備わった本格的な駅であった。乗車客も結構いる。

 この列車はプラハからの直通なので、快速の扱いで、小駅は通過する。プルゼニからクラトヴィまで、途中停車駅は5駅で、通過駅が9駅ある。右の時刻表は、プラハとプルゼニの間はこの列車の停車駅だけ掲載してあり、プルゼニ以南は全駅掲載している。この列車が通過する小駅にも停まる各駅停車は、プルゼニ〜クラトヴィ間の区間列車として、2時間に1本ぐらい走っている。割と本数はあるが、この様子ではきっと、昼間の列車の多くはガラガラだろう。

 8人1室の昔ながらの東欧型コンパートメント  街外れのプルゼニ乗降場駅

 乗降場駅を出るとほどなく市街地が果てる。雑木林が多く、所々に小さな集落が現れる。路線は単線である。通過駅の多くは単線の無人駅のようであった。

 早くも下車が多いドブジャニ  寂しい所にあるフルムチャニ駅

 プルゼニから16分のドブジャニ(Dobřany)に着く。いずこも同じ、古くて大きな駅舎を持つ昔のままの駅である。ここで早くもかなりの下車客があった。その後も駅ごとに少しずつ降りてゆくのに対し、乗ってくる客は少ない。

 殺風景なプジェシュティツェ駅  駅舎が立派なシュヴィホフ駅

 沿線風景は単調である。それでも晴れてくれればきっと綺麗だろうが、どんよりした曇り空が憂鬱な、冬らしい天気が続く。ただ、気温は結構高く、窓を開けても寒くない。遅れを取り戻し、俄かに線路が増えて周囲も町らしくなり、終着クラトヴィに定刻に着いた。ガラガラの古いコンパートメント車輌という、欧州でも段々機会が減ってきた希少価値のあるひとときだったし、駅などの古びた設備に味わいはあったが、車窓風景には格別の特徴のない路線であった。


クラトヴィ〜ジェレズナー・ルダ Klatovy - Železná Ruda


 クラトヴィの駅ホームは、二昔前の駅そのままという感じで古びていた。到着ホームの反対側に、次に乗る列車が停まっている。乗換時間は10分しかないが、どうせ空いているので、ホームから階段を降り、急いで駅を出て、駅前だけ観察しに行く。

 クラトヴィに到着  古いが荘厳な駅舎内部

 クラトヴィとはどんな所か想像もつかずにやってきたが、駅舎はいかにも社会主義時代に作られた風の古色蒼然たる立派な建物であった。見方によっては美しいし、見方によっては何だか新興宗教の施設みたいでもある。


 駅前は団地ばかりであった。市街地は離れているらしい。天気もどんよりしているので、いかにも殺風景で、駅前だけ見れば、ここは何もないつまらなそうな町に思えてしまう。

 クラトヴィの駅前  ジェレズナー・ルダ行きは2輌の気動車

 後で調べてみれば、中心部は徒歩15分ぐらいで、そこまで行けば歴史的建物も結構残っているらしい。しかし古くから観光とはあまり縁がないようで、最近ようやくそういった建物を活かして観光にも力を入れ始めたところのようである。人口は2万ちょっとで、チェコの民主化以後、ずっと微増か横ばいで、失業率も低く、景気は悪くなさそうである。

 次に乗るのは、クラトヴィ始発のジェレズナー・ルダ・アルジビェチーン(Železná Ruda Alžbětín)行きで、列車は2輌の旧型気動車である。プルゼニ〜クラトヴィでさえ、1輌で十分な乗客数だったので、プラハからクラトヴィまでの直通列車が来ているのが不自然に思えるのだが、日に何本かのプラハ発の列車はクラトヴィを越えてさらに先へ、ジェレズナー・ルダ・アルジビェチーンまで直通している。それに当たれば、クラトヴィでの乗り換えすら必要ない。ただ線路の方は、クラトヴィまでが電化区間だが、その先は非電化区間になるので、直通の客車列車もここクラトヴィで機関車を付け替えるに違いない。ともあれ、日本も昔はそうだったが、客車列車は数輌余計につないでも、燃料の消費量がさして変わらないので、混む区間に合わせた長距離鈍行に仕立てやすい。30年ぐらい前の東北本線など、混雑する仙台付近に対応した9輌ぐらいの長編成鈍行客車列車が、黒磯〜白河あたりでは空気を運んでいたものだった。ついそちらの方に発想が行ってしまうのだが、今、東欧で汽車に乗ると、日本の国鉄時代末期あたりを思い起こすことが多い。

 分岐駅のヤノヴィチェ・ナド・ウーフラヴォウ  広々とした単調な農村風景

 クラトヴィから2つ目のヤノヴィチェ・ナド・ウーフラヴォウ(Janovice nad Úhlavou)は、分岐駅である。最近改装したのか、高くて綺麗なホームのある駅で、数名が下車する。改めてチェコはローカル線の密度が濃いなと思う。クラトヴィのような人口2万の小都市からも、いくつもの方向に路線が出ている。日本なら、九州あたりで国鉄の第一次特定地方交通線が残っていた頃に近いかもしれない。

 ニールスコ(Nýrsko)で数名が下車。発車後、乗っている2輌目の車内を歩いてみたが、客は誰もいなくなってしまった。1輌目には何組かの客が残っているようである。

 だいぶ下車したニールスコ  豊かそうなデシェニチェの村落

 その次のデシェニチェ(Dešenice)あたりから、起伏が出てくる。駅の先で線路が高くなり、道路をまたぐ。右手にデシェニチェの村の全貌が望める。立派で綺麗に整備された家も多く、豊かそうに見える。ここ以前は地形が平坦で、道路との交差もほとんど踏切だったが、このあたりから段々と丘陵地帯に入っていくようで、初の短いトンネルも一つあった。進むに連れて線路際に残雪が見られるようになる。

 乗客が誰もいなくなった2輌目  駅横に廃墟があるハムリ・ホイソヴァ・ストラージ

 すっかり雪景色になった、ホイソヴァ・ストラージ・ブルチャールニーク(Hojsova Stráž-Brčálník)という単線の寂しい駅を過ぎ、カーヴを繰り返しながら山の中をゆっくりと進む。少し長いトンネルを抜けると、シピチャーク(Špičák)である。この少し長いトンネルは、まさに少しという程度であり、通っている時は特別とは思わなかったが、2007年まで、チェコで最長のトンネルだったそうだ。長さは1747メートルに過ぎないが、建設時の1870年代では難工事で、何名もの殉職者を出したという。そして2007年にこのトンネルを追い越して最長になったのは、カルロヴィ・ヴァリの少し北東のホムトフ(Chomutov)という所から分かれるローカル線にある。その路線は以前よりあるが、路線改良により新たに掘られたトンネルが、ここより11メートルだけ長いそうだ。チェコは山も多い国だが、古いローカル線はトンネルを避けてカーヴを繰り返している所が多い。日本やスイスあたりとはトンネルの長さのゼロの数が一つ違うが、チェコもいずれ、高速新線ができて、スイスのような長大トンネルで話題になる時が来るのだろうか。

 寂しいが立派な駅シピチャーク  シピチャーク駅後方

 シピチャークは山間の風情ある駅である。車輌の後ろから見てみると、森と雪に覆われた寂とした駅で、出発信号機の先にその最長トンネルの入口が半分だけ見えている。構内は結構広い交換駅だが、雪が被っていて使われていない線路もある。線路の両側は防雪林なのか、林が多いので、車窓からみるとそれだけで、集落も見えないが、実際には駅周辺にはスキー場があり、ホテルやレストランも点在しているらしい。

 ジェレズナー・ルダ・ミェスト駅  ジェレズナー・ルダ・ツェントルム駅

 シピチャークから3分走ると、ジェレズナー・ルダの町外れという感じの、ジェレズナー・ルダ・ミェスト(Železná Ruda město)に着く。英語で言うタウン駅である。立派な駅舎はあるが、駅自体は単線の乗降場で、1輌目から数名が下車。そのあたりからジェレズナー・ルダの町を回り込むように走り、ちょこっと走ると次がジェレズナー・ルダ・ツェントルム(Železná Ruda zentrum)駅、つまり中心部駅である。こちらも単線で、同じく数名が下車。ミェストとツェントルムはどちらがより賑やかな街中なのか、良くわからないが、意味はどちらも街中駅なので、より賑やかかどうかといった優劣はなく、単に区別のために違う単語を使っただけなのだろう。日本なら川越市と本川越、あるいは中佐世保と佐世保中央みたいなものだろうか。そのツェントルム駅を出ると、一旦町を外れてしまい、また風景が寂しくなる。


ジェレズナー・ルダ・アルジビェチーン/バイエリッシュ・アイゼンシュタイン Železná Ruda Alžbětín / Bayerisch Eisenstein


 再び町が現れることもなく、雪景色の田舎をもう一息走り、終着ジェレズナー・ルダ・アルジビェチーンには11時56分、ピッタリ定刻に着いた。こちらは大きな駅である。ホームが3面もあり、着いた列車の両側に、客車列車が止まっていた。隣のホームに停車中の列車(下の写真の右の列車)が、12時08分発のプラハ行きであった。機関車+客車5輌であるが、見たところ、客はほとんど乗っていない。


 広々とした駅だが、全部の線路は使われていないようで、一部は雪で埋まっていた。ここまで乗ってきた客は10人弱。皆、雪のホームを前方へ進み、出口へと向かう。構内踏切を渡れば大きな駅舎がある。

 その構内踏切から先を眺める。本屋のある1番ホームと、その次のホームが異様に長く、先へつながっている。しかし人が歩いて先へ行けるのは、1番ホームだけのようである。但し1番ホームは列車の発着には使われておらず、線路の所は完全に雪に覆われている。そして1番ホームの屋根の下を歩いていけばほどなく、ホームに斜めに赤い線が引いてある所に行き着く。この赤い線が国境である。

 降りたら構内踏切を渡って立派な駅舎へ向かう  ホームの赤い線が国境で手前がチェコ側

 ホームに線が引いてあるだけで、自由に行き来もできるし、同一の駅の如く先へ続いているのだが、超えればドイツであり、線から先はドイツの駅、バイエリッシュ・アイゼンシュタイン(Bayerisch Eisenstein)なのである。

 国境の赤線に立ってチェコ側の駅を見る  ドイツ側ホームから見る駅舎で真ん中あたりが国境

 ドイツの列車はまだ入ってきていないが、ドイツ側にも構内踏切がある。除雪されているので、そこが通路だとわかる。構内踏切を渡った隣の島式ホームがドイツの列車の発着ホームで、2番線と4番線になっている。4番ホームはチェコ側までつながっていて、チェコの駅にも4番線があるのだが、ホーム上の国境手前に進入禁止の標識がある。無視してそのまま進めば、チェコ側の構内踏切に行けるのだが、規則としては、1番ホームを経由して乗り換えなければいけないらしい。もちろん出入国審査があった時代は、それは厳格であっただろうが、今は問題なさそうに見える。しかしそもそも人が少ないからではあるが、そういうルール違反をしている人もいないので、やめておく。

 乗ってきたチェコの気動車は、古い車輌に良くあるように、折り返すために1輌目と2輌目を入れ替える必要がある。その1輌目だけが切り離されて、国境を越えてドイツへ進入している。つまり線路はつながっており、直通運転しようと思えば可能なのだ。そのチェコの気動車の1輌がドイツ領内で停車している時に、ドイツの黄緑色の列車が2輌編成でやってきた。プラットリング(Plattling)発当駅止まりの列車で、12時13分、定刻の到着である。その折り返しが私が乗る予定の12時41分発プラットリング行きとなる。折り返し停車が28分あるので、まだ駅と駅周辺を観察する時間がある。


 駅前広場に行ってみる。ホームに国境の赤い線があるのだから、駅前広場にも国境がある。もちろん自由に通行はできる。それがどのあたりかもわかったが、雪に覆われているので、道路に線が引かれているのかまではわからなかった。

 駅舎のある建物もホームも1つにつながってはいるが、駅名も違うし、国まで違うのだから、切符売り場や待合室はそれぞれ別個にある。日本でも、複数の会社にまたがる駅で、駅舎がそれぞれにある所は珍しくない。特に第三セクター化された所などには、駅舎だけ別だけれど入れば同じホーム、という駅もある。しかしここのように、長いホームと駅舎が国境を挟んで分かれているこの形態は珍しいだろう。

 チェコ側の駅舎と駅前  チェコ側の駅前から町へ下りる道

 チェコ側の駅舎内には小さな売店があり、お菓子などの軽食を売っているが、ドイツ側にはない。チェコの方が物価が安いから、こうなってしまうのだろう。チェコの待合室にはコーヒーの自動販売機もあって、やはりチェコ価格で安いが、チェコ・コルナの硬貨しか使えない。売店は旅行者のための軽食を売るだけでなく、何故か民芸品のようなもの売っている。昨日、ポトゥーチキ(Potůčky)で見たようなものである。駅の売店なんかに並べてもそんなに売れるとは思えないものも沢山並んでいるが、ドイツの国境近くの人達は、こういう物を買うときは安いチェコで買うことになっているのだろうか。

 ちなみに、この国境集落だけに関して言えば、チェコ側のアルジビェチーンよりは、ドイツ側のバイエリッシュ・アイゼンシュタインの方が大きい。アルジビェチーンはあくまでジェレズナー・ルダという自治体の一部であり、中心部からやや離れた人口100名の小集落である。対するバイエリッシュ・アイゼンシュタインは、そういう名前の一つの村であり、全体の人口はほぼ千人。駅の周囲に少ないながら人家が点在していて、駅付近が村の中心集落になっている。千人の人口の大半がこの駅から徒歩圏内に住んでいると思われる。

 駅前の国境から見るドイツ側の駅舎  ドイツ側の先頭。左はドイツの駅舎で右奥はチェコ駅

 という具合に国境を挟んで駅前、駅舎内、駅構内を行ったり来たりして観察し、写真を撮っていれば、45分の乗り継ぎ時間もあっという間に過ぎる。来る前は、45分もあれば、駅前から坂を降りて、国道の国境にも行ったり、双方の集落を歩いたりできるかなと思っていた。しかし道が雪で滑りやすいこともあるが、駅自体も面白いので、とてもそこまでの時間はない。それらをしっかり見るなら、最低あと1時間は必要である。

 今はこうやって遊び半分で気楽に訪問して、国境の真ん中に立ったりもできる楽しい国境駅だが、かつては違っていた。ヨハンジョルゲンシュタット〜ポトゥーチキの国境とここの違いは、ドイツ側がかつては西ドイツだったことである。東西冷戦時代のこの駅は、近づくのも難しい、警備の厳しい所だったらしい。国境線には鉄条網が貼られ、チェコスロヴァキアから西側へ脱走できないように厳しく監視されていたという。鉄道路線自体は19世紀後半に全通しており、第二次大戦で被害を受けたものの、その後復旧し、しばらくは運行されていた。しかし1953年、東西冷戦による「鉄のカーテン」によって、国境は完全に遮断される。以来、国境の通行は徒歩連絡も含め、認められていなかった。その時代、チェコ側の列車はジェレズナー・ルダ・ミェスト駅が終着だった。しかし単線の駅なので、客車列車は推進運転でシピチャークまで引き返して、シピチャークで機関車を付け替えていたという。東西冷戦が終結し、ここで乗り継いでのチェコとドイツの往来が復活したのは、1991年6月のことである。


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