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バイヨンヌ〜サン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポール 目次


目次 フレンチ・バスク Pays Basque Français
TERアキテーヌ62線 TER Aquitaine Ligne 62
バイヨンヌ〜サン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポール Bayonne - St Jean Pied de Port
サン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポール St Jean Pied de Port

フレンチ・バスク Pays Basque Français


 バスク地方といえば、スペイン北部の一地域と思う人が多いと思う。私も最近まではそうであった。他のヨーロッパ言語との関連性がない独立系言語であるバスク語があり、独特の文化を持ち、スペインからの独立運動が根強くあるエリア、といった程度の初歩的な認識であった。

 それでも、スペインにおけるバスクの独立心と自尊心の強さは、折に触れ感じていた。例えば、英語圏のパブでこんな会話をしたことがある。「どちらから」「バスク」「スペイン人ですか」「いいえ、バスク人です」

 確かにバスクに該当する地域の大部分は、スペインの一部である。だが、ピレネー山脈をはさんでフランス側もまたバスク地方なのである。今回はそのフレンチ・バスク地方のローカル線に乗ってみることにした。

 フレンチ・バスクとは、今日、行政上の一地域区分はないものの、フランスのどこを指すかは明確に定義があるそうだ。日本語で県と訳される行政単位であるデパルトマンで言うと、ピレネー・アトランティック県(Le épartement des Pyrénées-Atlantiques)というのがある。そのうちの半分弱の、古代プロヴァンス(郡)のうち3郡が、そこに相当する。そのエリアの人口は約25万人で、地図を見ると、ピレネー山脈という険しい山を介しながらも、スペイン側のバスク地方とつながって一体となっている。

 フレンチ・バスクの代表都市であり、鉄道でも主要駅となっているのが、今回のローカル線紀行の起点でもあるバイヨンヌ(Bayonne)だ。パリとマドリードを鉄道で結ぶ最短ルートの幹線上にある。バイヨンヌは、ピレネー山脈から流れ出るアドゥール川(L'Adour)が大西洋に注ぐ手前に開けた、人口5万弱の街である。この街で、支流のニーヴ川(La Nive)が合流している。その合流点の南が市街地で、橋を渡った北側にフランス国鉄のバイヨンヌ駅がある。

 ニーヴ川沿いのバイヨンヌの街並み  バイヨンヌでアドゥール川を渡るTGV

 バイヨンヌの隣町がビアリッツ(Biarritz)とアングレット(Anglet)で、この3市の人口が約12万。これだけでフレンチ・バスクの人口の半分強を占める。その他周辺の町も加えた、ラブール(Labourg)全体は、面積ではフレンチ・バスク3分の1に過ぎないが、人口は8割あまりを占める。これら都市部のフランス人は、バスク語には興味を持たず、バスク語を話せる人は少数派だという。これが内陸の過疎山間地域に行けば行くほど、フランス語とバスク語とのバイリンガル話者の割合が高まるそうだ。

 ビアリッツ中心部  ビアリッツの海岸

  アングレットは住宅地としての機能が強いのに対して、ビアリッツは海に面した町で、地中海沿岸ほどではないが、最近はリゾート地としても知られている。町の内陸部に、ビアリッツ空港がある。最近は北ヨーロッパやイギリスなどから、格安航空会社がここへも太陽を求めるバカンス客を運んで来るようになった。その格安航空を利用して、私もビアリッツ空港へと降り立った。

 町はずれの内陸にあるビアリッツ駅  ビアリッツ駅ホーム

 リゾート・ホリデーでビアリッツを訪れるヨーロッパ人観光客の大半は、バスクなど、さほど感じることもなくホリデーを終えるのだろうし、太陽さえあればあとはさして重要ではなくどうでもいい、というホリデーメーカーだっているだろう。かくいう私も初訪問かつごく短期滞在であり、バスク文化を感じ取ろうなどという大それた目標があるわけでもない。それでも人口の集中する都市部だけでなく、内陸の村までローカル線で分け入るだけでも、多少は何か発見できるかもしれないと、一応は期待している。

 真ん中に出ている白い塔が駅  バイヨンヌ駅舎

 いずれにしても夕方の列車まで時間があるので、ビアリッツの海へ行ったり、バイヨンヌの街を歩いたりしてみた。そこも典型的なヨーロッパの地方都市であり、ビアリッツは国際海浜リゾート都市でもあった。

 人で溢れ返る土曜午後のバイヨンヌ市街地

 バイヨンヌは地域の経済と商業の中心地として、買い物客や観光客で賑わっていて活気があった。とはいえ人口5万余りなのだから、特に大きな都市ではない。日本で人口5万の地方都市といえば、商店街にも活気がなく、シャッター通りと化した所が少なくない。何がここまでの差を作るのかと、いつも不思議に思うのだが、とにかく欧州経済危機などと言われてもピンとこないほどに、狭いストリートが人で溢れているのである。

 バイヨンヌ駅は川向こうの山裾にある。駅舎は立派だが、主要駅にしては小ぶりで、駅構内もホームも広くない。駅本屋前に1番ホームがあり、他のホームとは地下道で結ばれている。駅全体を覆う鉄骨屋根の上屋があり、雨はしのげる。

 駅のすぐビアリッツ寄りはトンネルで、トンネルを出るとアドゥール川を渡る。アドゥール川鉄橋は、ビアリッツから国境のアンダイエ(Hendaye)を経てスペインへとつながる幹線鉄道の複線の鉄橋だが、ここバイヨンヌで分岐して内陸のトゥールーズ(Toulouse)方面へ行く路線も、これから乗るローカル盲腸線も、鉄橋の先までは線路を共有している。


TERアキテーヌ62線 TER Aquitaine Ligne 62


 乗るのは、バイヨンヌから南へ垂れ下がった全長52.1キロの盲腸ローカル線である。概ねニーヴ川に沿って遡り、サン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポール(St Jean Pied de Port)という、短い語が5つつながった長い地名の村まで行く。ここは、スペイン国境まで8キロという山間部の村で、フレンチ・バスクの3つの古代プロヴァンスのうち、真ん中のバス・ナヴァール(Basse-Navarre)に位置する。人口は1500人程度らしいが、巡礼ルートでもあり、観光客や巡礼者の滞在や宿泊もあるらしい。そういう所だからか、古くから鉄道が敷かれている。

 日本のような正式線名などないので、そのまま、バイヨンヌ〜サン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポール線などと長々と書かれている線である。フランス国鉄SNCFの地域ローカル路線網TERの、アキテーヌ地方(Région Aquitaine)を管轄する、TER・アキテーヌにおける路線番号では、62番になる。

 乗ってみることにしたのはいいが、言うは易し、行なうは難しで、とにかく本数が少ない。少ないのにダイヤが複雑というか、面倒で、曜日によって5種類ものダイヤがある。月曜、火水木曜、金曜、土曜、日曜祝日である。少ないなりに、というか、少ないからこそ、本当に必要な人に最も便利な最大公約数的なダイヤになっているのだろう。いずれにしても、せっかくこんな所まで来て究極のローカル線に乗るのだから、終着の村、サン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポールで1泊することにした。

 乗るのは土曜日のバイヨンヌ18時07分発で、最終列車である。最終だし、これでサン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポールまで行ってしまうともう戻る列車がないので、泊まらざるを得ない。

 終着で泊まることにしたもう一つの理由が、他の列車よりも、この18時07分発に乗りたかったためである。何故かというと、この列車のみ、途中の全駅に停車する。他の列車は途中の小駅5駅は通過する。逆方向だと、サン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポールを朝5時台に出る列車のみ、全駅停車なので、早すぎて乗れないし、それはどのみち日曜は走らない。そういった一日1往復しか列車が停車しない小駅があると、これらがどんな駅なのか、そこでの乗降客があるのか、見極めたくなるのである。

 そんな寂れたローカル線ではあるが、歴史は古く、19世紀末には全通している。そして1931年には直流電化されているのだが、つい最近の2010年に、非電化化されているのである。乗客も減り、貨物輸送もなくなったので、架線や変電所などの維持費を考えると、ディーゼル車の運行にした方がコスト削減ができるということらしい。日本でも、廃止になった宮城県の栗原電鉄(くりはら田園鉄道)などに例がある。しかしそうは言っても、沿線人口も昔から多かったわけではなく、車社会以前とは言っても、このような線がかつて電化されていたという方に、逆に驚いてしまう。今日、一日平均の利用者数は1800人だそうで、日本の旧国鉄の第一次廃止対象路線の輸送密度2000人よりは低いが、それでもこの少ない本数の時刻表を見て想像するよりは随分多い。


SNCF Ligne 62 Horaires du 26 Aout 2013 au 14 December 2013 より引用


バイヨンヌ〜サン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポール
Bayonne - St Jean Pied de Port


 バイヨンヌ18時07分の列車は、予想通り、17時48分にサン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポールから着く列車の折り返しであった。少し早めに駅へ行ってホームで待っていると、駅の東のトンネルから、新型の軽快気動車が飛び出してきた。古い味のある車輌ならという期待もあったが、これはもう仕方ない。

 バイヨンヌ駅構内  トンネルを出てやってきた気動車

 バイヨンヌからの乗客は25人ぐらいであった。老若男女、そして地元住人っぽい人から観光客まで、客層は広い。旅行者風の東洋人も2名いた。

 到着して乗客を降ろして折り返しとなる  新型気動車の車内

 定刻に静かに発車すると、すぐトンネルに入り、出ると家の密集した間をゆっくり走る。そして間もなく、さきほど散歩して近くまで行った、アドゥール川の鉄橋を渡る。進行右手がバイヨンヌ市街地であり、左手は郊外になる。郊外の側に味も素っ気もない新しいショッピングセンターや自動車修理工場などがある。

 アドゥール川橋梁上からの眺め  分岐点(本線列車から翌日撮影)

 鉄橋の先でポイントをガタガタと渡り、直進する本線に対して、こちらはゆっくりと左へカーヴして分岐する。実質ここからがこのローカル線である。そこから2分も走ると家並みも途切れ、さっそく農村風景になった。

 右手にニーヴ川が寄り添ってくる。まだバイヨンヌを出ていくらも来ていないのに、早くも渓流の風情があって好ましいが、そのあたりから列車は最徐行となった。見ると10キロ制限の臨時の標識がある。最近増水して川の斜面が崩れたりしたのだろうか。工事をやっている感じのところもある。

 それゆえ、最初の停車駅ヴィルフランク(Villefranque)まで、時刻表だと12分のところ、18分もかかってしまった。この調子でどんどん遅れていくのだろうか。ヴィルフランクは、一日1往復しか停車しない駅の一つで、バイヨンヌに近いにもかかわらず寂しいところで、乗降客もいなかった。そのうち廃駅になってもおかしくないが、新しい駅名標があったので、当面存続予定なのだろうか。こんな小駅でも、駅名標はフランス語とバスク語の2ヶ国語表記で、これはこの後、この線の全ての駅で同様であった。

 心配するほどのこともなく、そこからは普通のスピードに戻り、5分で次のユスタリッツ(Ustaritz)に着く。元交換駅で、全列車停車駅だ。駅周辺は寂しかったが、駅には駐車場も併設されていて車も10台ほど停まっているし、この列車からも5名ぐらい下車した。

 駅舎が閉鎖されたユスタリッツ駅  中間の主要駅カンボ・レ・バン

 ここからは駅間距離が短くなり、3分ほど走って単線の無人駅ジャッス(Jatxou)、また3分でアルスー・ラレッスール(Halsou-Larressore)と停まる。どちらも一日1往復だけしか停まらない駅で、駅周辺にはパラパラと人家が見られるにもかかわらず、どちらの駅も乗降客はなかった。途中の沿線は概ね牧草地と麦畑という農村地帯で、森林も結構多い。

 次のカンボ・レ・バン(Cambo-les-Bains)は、大きな駅舎がある主要駅の風情で、駅前は殺風景だが、丘の上にまとまった町並みが見える。駅舎も使われているようで、駅としての機能が今なお生き残っている途中駅のようであった。ここで4名下車した。

 丘の上に町があるカンボ・レ・バン(翌日撮影)  ニーヴ川の渓流

 カンボ・レ・バンまでは、起伏も緩い、典型的な農村であった。ここを出ると少しずつ山に分け入る感じとなり、時おり線路に沿うニーヴ川の流れも狭く速くなってくる。駅間距離も長くなる。線路の整備状態も悪くなるのか、時速40キロ制限の所が多い。カンボ・レ・バンは、駅数では全線のちょうど中間だが、バイヨンヌからここまで30分なのに対して、ここから先が、あと1時間もかかる。

 イクサスー(Itxassou)も、単線の駅で、寂しい所ではあったが、駅周辺に豪邸がいくつか見られる。昔ながらの富農かもしれない。やはり乗降客はいない。

 車窓に広がる山村風景  ルオソア駅

 次のルオソア(Louhossoa)は、今までで一番寂しい所にある駅で、駅前に踏切があり、家が1軒見える以外に何もない所であった。ほとんどホームという所に、その家のものと思われる洗濯物が干してある。離れた所にはもっと人家があるのだろうし、だからこそ駅があるのだろうが、やはり乗降客はいない。これで、一日1往復しか列車が停まらない5つの駅の全てに停まったが、いずれも乗降客がゼロであった。これらの駅はもはや存続する意義があるのだろうか。もっとも今日は土曜なので、平日は通勤通学の利用者が存在するのかもしれない。

 ルオソアを出た所のニーヴ川  並行する道路も交通量は少ない

 次がポン・ノブリア・ビダレイ(Pont Noblia Bidarray)で、繁華なところではないが、立派な駅舎があり、駅前にホテルもあった。観光客向けであろうが、せっかくの駅前ホテルでも、きっと列車で来る客は僅かだろう。この列車の乗降客はゼロ。長い駅名だが、この駅の所在地はビダレイという村である。ポン・ノブリアというのは、駅前にある、ニーヴ川に架かる古い石の橋の名前である。時刻表の駅名は、ポン・ノブリアが先だったのに、ホームの駅名標は逆であった。なおこの駅は、この路線全駅中、スペイン国境までの直線距離が最も近く、3.5キロぐらいしかない。

 ポン・ノブリア・ビダレイの駅名標  オッセ・サン・マルタン・ダロッサ駅は乗降なし

 また10分走ると、次がオッセ・サン・マルタン・ダロッサ(Ossès-St Martin d'Arrossa)という、これまた長い複合駅名である。 駅はサン・マルタン・ダロッサという村にあり、ニーヴ川の対岸、直線距離にして1.5キロ程度のところには、オッセという小さな集落がある。何かの理由でオッセも立てて駅名に入れたのであろう。ローカル盲腸線の終点の一つ手前の駅といえば、洋の東西を問わず、ホーム一面の小さな駅が多いが、ここはこれまでで一番、構内の広い駅であった。だがほとんどの線路は錆びている。かつて貨物の取り扱いでもあったのかと思って後から調べてみると、かつてはここから分岐路線があり、サン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポールのほぼ真西、直線距離で約8キロに位置する、サン・テティエンヌ・ドゥ・バイゴリー(Saint-Étienne-de-Baïgorry)という所まで列車が走っていたそうだ。そこへの路線がいつ廃止になったのかは、調べ切れなかったが、もうだいぶ年数が経っていると思われる。列車代替のバスが発着しているような雰囲気もなく、ここもまた乗降客はいなかった。利用者はないが、このあたりに泊まっている観光客なのか、地元の人かはわからないが、列車の発着を見学に来ていた大人が4名いて、この列車の発車を興味深げに眺めていた。

 最後の一駅は、これまでで一番距離も長く、時間も18分かかる。ニーヴ川もますます細くなり、だいぶ山に入ってきたなと思わせるところを、概ね川に沿って遡る。周囲は長閑ないい感じの農山村風景が続く。羊も結構見かけた。絶景とまではいえないが、心いやされる、ある意味でフランスの田舎の原風景かもしれない。国道がほぼ並行しているので、そこまで秘境という感じではないが、カーヴは多く、スピードは出ない。

 そんな所にちょっとした平地が開けると、家が若干増え、気動車はスピードをゆるめた。そして終着駅、サン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポールへゆっくりと滑り込んだ。時刻表より5分ほどの遅れであった。


サン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポール St Jean Pied de Port


 サン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポールは、どこの国でも良くあるかなと思われる、中規模なローカル盲腸線の終着駅であった。無人駅のようだが、味のある中規模な駅舎があり、小綺麗に手入れされている。


 降りたのは15人ぐらいであろうか。結局、バイヨンヌ寄りの2つの全列車停車駅で数名ずつ降りただけで、一日1本しか列車の停まらない駅では誰も乗降せず、その他、途中駅からの乗車も一人もいなかった。一回だけで判断はできないが、大半が全区間を乗り通す乗客という路線のようである。

 古いが綺麗に手入れされた駅舎  駅の先の小さな車庫へ引き上げる気動車

 これが最終の到着列車で、発車する列車も明朝までない。 到着したこの車輌は客を降ろした後、どうなるかと思っていると、線路をさらに先へ進んでいった。その先に小さいながら、屋根つきの車庫があった。列車はその中に格納される。乗務員はこの村に泊まるところがあるのだろうか、それとも車で帰宅するのだろうか。いずれにしても、乗客が降りて散った後の駅は、人の姿もなく閑散としてしまった。日没時刻は過ぎているが、まだ薄明るく、この時間独特の空気感が何とも言えない風情を醸し出している。

 駅と駅前広場

 サン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポールの村の中心は、駅から歩いて5分ほどである。私自身もそのあたりの宿を予約してある。夕闇の迫った駅を背に、一本道を歩いていく。この道も雰囲気は良かったが、まあフランスの田舎のどこでも見られそうな景色ではあった。そして少し広い道に突き当たる。そこまで来ると店やレストランやパブがパラパラと見られる。

 サン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポールは、サンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)への巡礼ルートとしてその名前を広く知られる村である。 といっても、信仰深いキリスト教徒でもなければ、何のことかわからない人が多いと思う。私もここを訪れるまでは何も知らなかったのだが、それでも日本人でもこの巡礼の道を歩きに来ている人を何人も知っている。彼らの多くは別にキリスト教徒でもないと思う。一種の観光と言っては失礼にあたるのかどうか、何とも言えないが、四国のお遍路さんにも、信仰心から回っている人ばかりでなく、例えていえば鉄道乗りつぶしと似た感覚で、全寺訪問を目指しているような人もいるわけだし、まあ現代において、宗教を宗教としてそこまで真面目一辺倒に捉える必要もないと、私は個人的には思っている。

 日没時の風情ある村の中心部

 それはともかく、サンティアゴ・デ・コンポステーラというのは、スペインでも北西部のポルトガルに近いガリシア地方にある町である。キリスト教の三大巡礼地の一つとして知られる。他の2つがどこかというと、エルサレムとヴァチカンで、それらと比べると知名度は断然劣るが、ともあれそういう大事な町である。 巡礼の道は、フランス各地を出発し、ピレネー山脈を越えてスペインに入り、スペイン北部を延々800キロも歩いて到達するという、気の遠くなるような長い道である。今もそこを1ヶ月かけて徒歩で行く巡礼者が大勢いるという。 フランス各地からのルートは大きく4つあり、そのうち3つまでが、ここサン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポールで合流し、ここからピレネー山脈を上がって国境を越えてスペインに入るのである。そういう巡礼の宿場町が、サン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポールなのである。私のように、どこか面白そうなローカル線はないかと探して、たまたま見つけた路線の終点がサン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポールで、それで初めて知った、などという人は断然少数派だと思う。そんな、知る人ぞ知る、ではあるが、ある意味、有名な村なのであった。

 村の中心あたりのストリート(翌朝撮影)  朝日を浴びるバスク風の建物(翌朝撮影)

 夜の村も味はあったが、翌朝、また村を歩いてみた。幸い天気が良く、秋の朝日の下でみる風景は、明るくいい雰囲気であった。この地方ならではと思われる様式の家屋も多く、これだけをもって断定はできないが、これがフレンチ・バスクなのかという片鱗を感じることはできた。

 幽邃な雰囲気のニーヴ川(翌朝撮影)  駅への道(翌朝撮影)

 せっかくなので聖堂など古い建物のいくつかぐらいは見てみたいとも思ったが、とにかく本数が少ないので、先を急ぐため、朝9時39分発の日曜の始発列車でここを去ることにする。昨夕と似たような乗車率で、始発からの客は20名ほどであった。途中4駅だけに停車する列車だが、どの駅でも1〜3名の乗車があった。途中での下車客はゼロ。この線はバイヨンヌやそれ以遠と沿線を結ぶ路線であり、利用者の大部分が全線通しで乗る客だ、というのが一往復した限りでの結論であった。



欧州ローカル列車の旅:バイヨンヌ〜サン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポール *完* 訪問日:2013年10月12日(土)


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