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アムシュテッテン〜ゼルツタル 目次


目次 ルドルフスバーン Rudolfsbahn
アムシュテッテン〜クラインライフリンク Amstetten - Kleinreifling
クラインライフリンク〜ゼルツタル Kleinreifling - Selzthal
ゼルツタル Selzthal

ルドルフスバーン Rudolfsbahn


 山がちの内陸国オーストリア。国境を長く接し言語も一緒で文化も近いドイツや、山岳国としての類似性を多く備えたスイスなどと似て語られることも多い。だが国の人口密度(平米当たり)は、ドイツ227人、スイス202人に対して、オーストリアは101人と、だいぶ低い。言ってしまえばより田舎の国である。鉄道路線図を見れば、それなりに線路は敷かれているが、人口密度の低さに呼応して、ドイツやスイスほどには、高運転密度や等時隔運転が見られない。そして山や湖など、自然風景は概して雄大で素晴らしい。つまるところ、ローカル線の旅を楽しむのに適した魅力ある国である。そのオーストリアを久しぶりに訪れることになった。

 オーストリアで最も輸送密度が高そうなのが、ウィーン(Wien)とリンツ(Linz)の間約182キロで、従来の路線に並行して高速新線ができて、実質複々線になっており、運転本数も多い。平地が開け、点々と中小の都市がある。車窓風景も割と平凡である。ヨーロピアン・レール・マップでは、オーストリアの路線は大半が景勝路線の黄緑色に塗られているが、この区間はそれも全くついていない。

 そこから山を隔てた南側には、ザルツブルク(Salzburg)など各地と、オーストリア第二の都市グラーツ(Graz)方面とを結ぶ路線がある。幹線とはされているが、山の中を縫うように走る一段落ちの亜幹線クラスで、スピードも遅い。こちらはECまたはICの特急が2時間に1本の割で運転されている。両線の関係を日本で例えるなら、かつての東北本線に対する奥羽本線といったところだろうか。

 その途中にゼルツタル(Selzthal)という駅がある。町は小さいが、本線がスイッチバックするので全列車が停車する。人口は2千人を割っており、過疎化が進んでいる。そして、リンツやその東のザンクト・ファレンティン(St. Valentin)、アムシュテッテン(Amstetten)などから、南北縦断のローカル線がここに集まってきている。ここまで知れば、ゼルツタルが鉄道の要衝であり、鉄道の町として栄えてきて、そして今、斜陽にあるとの想像がつく。

 これらのローカル線の一部には、ルドルフスバーンという名前がついているので、何やら私鉄のようにも思える。歴史的起源はそうだが、今は全てオーストリア国鉄の運営になっている。もとはクロンプリンツ・ルドルフ・バーン(Kronprinz Rudolf-Bahn)という会社で、最初の路線開通は1866年。日本初の鉄道開通の2年前である。ちなみにルドルフは地名ではなく、当時のオーストリア・ハンガリー皇太子の名前から来ているそうだ。

 行って折り返す盲腸ローカル線も楽しいが、幹線と幹線を結ぶ連絡路線にもローカル線が色々あり、かつて栄えたもののすっかり衰退した山岳路線も多い。日本の中国地方の陰陽連絡線あたりを想起させる。そのあたりのどこかに乗ろうと思って調べているうちに、驚くべき事実にぶち当たった。それは、そのゼルツタルへと至るローカル線のうち一つは、ゼルツタル寄りの区間が壊滅寸前なのである。具体的に言うと、土日に一往復だけ運転されており、平日は旅客列車が一本も走っていない。

 ちょうど土日を挟んだオーストリア短期旅行を計画したのだし、見つけた以上、これは乗るしかない。そうなると旅の全ての計画がここを軸に進むことになる。

 週に2往復しか運転されないのは、アムシュテッテンからゼルツタルの全区間ではなく、南側の山間部、ヴェイセンバッハ・ザンクト・ガレン(Weißenbach-St. Gallen)とゼルツタルの間、57.5キロである。それ以北は平日も休日も、2時間に1本程度、走っている。ダイヤはアムシュテッテンを朝に出る列車と、アムシュテッテンに夕方に戻る列車である。山間部には、何々国立公園という駅名が2つ続いてあるので、どうやら休日のハイカーを当て込んでのダイヤらしい。それも恐らく、そういう需要が沢山あるのではなく、廃止させないため、つまり線路を錆びさせないため、最低限の列車を動かすという前提の中で、多少でも乗ってもらえるように検討した結果なのだろう。逆方向の山間部の沿線住民が都市へ出るための運行は見捨てられている。見捨てたというより、現実の需要がほとんどなくなってしまったのだろう。

 盲腸線ではないので、乗る方向や他路線との乗り継ぎの選択肢も含めて考えると、いくつかの案ができる。結局、土曜の晩にアムシュテッテンに泊まり、日曜の朝の列車でゼルツタルまで乗り通すことにした。

 そのアムシュテッテンは、駅の周辺に小ぢんまりした市街地がある小都市であった。著名な観光地もないので、ビジネス客主体と思われるホテルが若干見つかったが、とりあえず駅近くへの宿泊は問題ない。そうでなければリンツあたりに泊まることになるのかなと思っていたが、朝8時の列車に乗るのだから、起点の駅付近に泊まれるならそれが断然楽である。

 雨のアムシュテッテン駅前  アムシュテッテンの中心街は駅から5分程度

 あいにく、前日に続いて雨模様であった。そんな日曜の朝なので、人の姿はまばらである。駅もひっそりしているが、幹線の駅だから、列車の発着はそれなりにある。こういう列車に乗る時にはいつも、本当にそんな列車が走っているのかと心配してしまうのだが、確かに行先案内に出ている。ホームは11番線。これは、4〜5番線ホームの一部にある切り欠き式のホームである。ローカル線の発着にふさわしい。

 アムシュテッテンの発車案内  4・5番線と同じホームにある11番線への通路

 その4〜5番線ホームに上がれば、確かに5番線の長いホームの先が切り欠きホームになっており、列車が停まっている。だが、近づいて行くにつれ、目を疑った。私は1輌の気動車だろうと予想していた。昨日見た限り、このあたりでも支線系統では1〜2輌の旧型気動車によるローカル列車がまだまだ現役で走っており、いい雰囲気を醸し出していた。今日乗るのは、それらをはるかに上回る、超がつくローカル線である。だが、新車、しかも4輌編成、そして、よもやと思って車輌の上を見れば、パンタグラフが上がっている。気動車ではなく電車であり、従って電化路線なのだ。


 無論、週2往復だけのために電化したはずはないから、遠い昔に相当栄えたのか、貨物のためなのか、恐らくその両方であろう。ローカル線らしい車輌でないことにがっかりした次は、そういう経緯に興味が湧いてくる。どんな沿線なのだろうと思う。乗客はほとんどいない。4輌をホームからざっと見たところ、全部で6〜7人であろうか。


アムシュテッテン〜クラインライフリンク
Amstetten - Kleinreifling


 モダンな電車は8時05分、定刻に静かに発車した。アムシュテッテンはさほどの都市ではないが、それでも沿線はそのベッドタウンなのであろう。本線から左へ分かれると、ほどなく長閑な住宅地になる。3分走って停まった最初の駅グラインスフルト(Greinthfurth)も、駅前が新興住宅地風である。小綺麗だが、まだローカル線らしい味わいはない。あいにく雨がかなり強いので、散歩している地元の人すら見ない。

 アムシュテッテン発車時の車内  最初の駅グラインスフルト

 2つ目の、ウルマーフェルト・ハウスメニンク(Ulmerfeld-Hausmening)という長い名前の駅から若い女性が一人乗ってきた。無論、行楽客風ではない。とりとめのない風景ながら、イプス川の渓流に沿うようになり、3つ目のクレレンドルフは徐行で通過した。この路線もリクエスト・ストップが導入されている。ということは、この先の期待の閑散区間など、全く停車しないかもしれない。初春の大雨の日曜、国立公園へ行く行楽客など乗ってなさそうである。

 徐々に田舎の景色が増えるが、工場や倉庫なども見える。古くから人が住み、産業もある地域と思われる。駅付近には近代的なアパートが見える所もある。

 駅員もいるヒルム・ケマテン駅  中核駅の一つ、ヴァイトホーフェン

 イプス川に沿って開けた町が、ヴァイトホーフェンで、駅名は正式には、ヴァイトホーフェン・アン・デア・イプス(Waidhofen an der Ybbs)と言う。構内も広く、折り返し列車もある駅で、数名が下車し、乗る人もいた。

 ここヴァイトホーフェンからは、狭軌鉄道が分岐している。かつてはかなり奥まで走っていたようだが、今はヴァイトホーフェンの近郊だけを残し、その先は観光鉄道になっているらしい。オーストリアは山深いエリアを中心に、こういう狭軌鉄道がかなりあり、今も生活路線として活躍している所もあれば、観光鉄道としてのみ残っている所もある。それらを回る旅も楽しいだろう。ヴァイトホーフェンでは、ホームの左側に標準軌の列車が停車していたため、狭軌鉄道の様子はわからなかったが、発車してほどなく、左へ細い線路が分岐していくのが見えた。

 駅舎が素敵なヴァイヤー駅  雨で水かさが増した濁流に沿う

 ヴァイトホーフェンを過ぎるとイプス川と遠ざかり、駅間距離も長くなる。山も深まり、山間集落の風情豊かなヴァイヤー(Weyer)に停まる。木材の町なのだろうか。駅周辺には木を多用した立派な住居が多い。ヴァイヤーの駅舎自体もおしゃれで味のある木造建築である。ここで4名ほど下車した。

 ここからは下り勾配となり、路線はイプス川水系からエンス川水系へと移る。そのエンス川が右から寄り添ってきて、鉄橋で渡る。折からの大雨で、川は水量も多く、濁流渦巻く姿は迫力がある。既に山深い渓谷であり、人家もほとんどない。そんな所でスピードを落としたと思うと、左にホームが現れ、停車する。時刻表より2分早いが、ここがザンクト・ファレンティンからの路線が合流する、カシュテンライト(Kastenreith)のはずである。しかし本当にそうなのだろうか。単線でホームだけの駅にしか見えない。発車まで5分もあるからか、雨のホームに運転手が降りて、タバコを吸っている。それ以外には人影も全くない寂しいところである。

 謎は先頭車輌まで行くと解けた。先頭車のあたりで右から路線が合流してきているのである。しかもちょうど、ザンクト・ファレンティン発のクラインライフリンク(Kleinreifling)行き列車が到着している。この駅に両列車がほぼ同時に着き、あちらが先に発車し、次のクラインライフリンクまで一駅、こちらの列車が追いかけるように続行するダイヤである。ザンクト・ファレンティン方面からこの列車への乗り換えは、ここカシュテンライトでも可能は可能だが、次のクラインライフリンクということになっている。

 寂しい合流駅カシュテンライト  クラインライフリンク駅

 こちらの列車も続いて発車。ここから先は、左手にエンス川の豪快な流れがひたすら沿う。そもそもがエンス川は、ザンクト・ファレンティンからの路線にずっと沿って遡ってきている川である。川の流れを基準に考えれば、ザンクト・ファレンティンからゼルツタルまでが本線で、今乗ってきたアムシュテッテンからの区間は、別水系から一山越えてきた支線ということになる。だがどちらにしても、この先は週末一往復のみで、風前の灯。本線がどちらか議論しても仕方ないまでに寂れている。

 いずれにしても、3分でクラインライフリンクに着く。少しは大きな集落が現れるかと思ったが、そうでもなく、エンス川の渓谷に沿って僅かな家があるだけの、自然景観豊かな、しかし寂しい所であった。それでも駅構内は広く、駅舎も立派で、主要駅の風格がある。隣のホームに、さっきのザンクト・ファレンティン発ここ止まりの列車が停車している。その列車からの乗り換えなのか、ここからの乗車なのかはわからないが、この駅から当列車に乗り込む人は僅か1名であった。


クラインライフリンク〜ゼルツタル Kleinreifling - Selzthal


 クラインライフリンクから、次のヴァイセンバッハ・ザンクト・ガレンまでの一駅は、15キロほどあり、14分かかる。エンス川にピタリと沿って遡る区間で、初めてのトンネルも現れる。ダムもあって、折からの大雨で水かさが増しており、迫力満点である。

 晴れていれば気持ちが良さそうな区間だが、雨は雨でまた悪くないと思い直す。日本ではないが、ここでも水蒸気が豊富な水墨画のような世界が広がっている。そしてヴァイセンバッハ・ザンクト・ガレンが近づくのだが、線路が広がり、貨物列車が停まっている留置線も現れたのに、沿線風景はほとんど変わらない。そして山峡の寂しいヴァイセンバッハ・ザンクト・ガレンに定刻に着いた。平日も含め、ここまでは2時間に1本ぐらいの列車が来ている、その折り返し駅である。だからもう少し大きな町を想像していたのだが、車窓から見る限り、駅付近には何も無いし、この駅での乗降客もゼロであった。

 この駅名は、ヴァイセンバッハとザンクト・ガレンという2つの集落名の複合駅名である。地図を見れば、どちらも駅から少し離れた所にある集落で、駅はどちらの町からも若干離れている。

 増水で迫力を増すダムが車窓に何度も見える  山峡のヴァイセンバッハ・ザンクト・ガレン駅

 2分停車で発車、いよいよ週2往復区間に進入した。次のヒーフラウまでは21キロもあって、この線の最長駅間距離である。所要21分だから時速60キロであり、ローカル線としては立派なスピードである。実際、走り出せばそれなりに快走する。新型電車だから音も静かだ。さきほども貨物列車が停まっていたように、貨物列車が定期的に走っているらしく、旅客列車だけを週末に錆止めのために走らせているというわけでもなさそうである。エンス川をひたすら遡る区間で、トンネルやダムがいくつかある。

 両駅の中間地点ぐらいに、グロスライフリンク(Großreifling)という所があり、通過する。駅ではない。信号場というよりも原木積み出しのための貨物駅のようで、広い構内を持ち、貨車が停まっていた。周囲には若干の人家もある。

 その先でエンス川を鉄橋で渡る。川が車窓左手から右手に移る。その先にまた廃駅のような信号場がある。有効長がかなり長い。なるほど段々とわかってきた。この路線は昔から貨物が主流で、沿線で切り出される木材の輸送が一つの役割と思われる。


 そしてヒーフラウ(Hieflau)に着いた。リクエスト・ストップではなくちゃんと停車し、ドアも開けられる。最初に見つけてダイヤを見た時は、この週2往復区間の途中駅は、全て単線でホームだけの無人駅ではと思っていたが、歴史と過去の輸送事情はまた違うのであろう。交換設備もあり、構内も広く、駅舎も立派な大きな駅である。駅名標などの案内表示も新しい綺麗なものがきちんと整っている。さらには何と駅員がちゃんといて、駅舎前に立ち、列車の発着を見守っている。だが乗降客はいない。

 その先も水量豊富なエンス川の渓流を遡る。人家も耕地もほとんどない寂しい所である。また鉄橋で川を渡るとやがてスピードを落とし、ポイントを渡る音がすれば、次のクシュタッターボデン・イン・ナチョナルパーク(Gstatterboden im Nationalpark)に停車する。2つある国立公園駅の一つ目である。ヒーフラウほど広い構内はなく、昔も今も貨物扱いなど無さそうな駅だが、駅舎は大きく、やはり駅員が立っていたのに驚く。あいにくの雨だし、乗降客は皆無である。しかし行楽シーズンにはこの列車を利用して国立公園を訪れる人がある程度はいるのだろうか。

 駅員もいるクシュタッターボデン・イン・ナチョナルパーク  エンス川に小さな橋が架かっている光景

 ちょこっと走り、次がヨンスバッハ・イン・ナチョナルパーク(Johnsbach im Nationalpark)。駅間距離が短いこともあり、ここは単線で、進行右側に片面ホームがあるだけの停留場であった。その割には立派な駅舎があるが、他の駅よりは小さいし、駅員もいない。それでもきちんと停車するが、乗降客もなくすぐ発車した。この一往復区間は、万が一の乗降し損ないを起こさないためなのか、ダイヤに余裕を持たせるからなのか、リクエスト・ストップを導入せず、全部の駅に停車するようになっているらしい。

 規模もそこそこのアドモント駅  やや平地に降りてきた

 なおも渓流に沿って遡り、線路際に残雪が増えてはきたが、次のアドモント(Admont)が近づくと、地形は穏やかになり、若干の平地が開け、人家もパラパラと見えてくる。そしてアドモントに停まる。駅付近に材木工場が見え、駅自体もその積み出し施設があるようで、貨車も停留している。ここも駅員がいる。急行停車駅ぐらいの風格がある。

 フラウエンベルク駅付近  終着の一つ手前、フラウエンベルク

 アドモントから先は、これまでよりやや開けた地形で、エンス川も少し離れ、山村集落が点在するようになる。線路際まで残雪が増えてきた。そんなところにある最後の途中駅、フラウエンベルク・アン・デル・エンス(Frauenberg an der Enns)に停まる。この土日のみ1往復の区間では最も小ぶりな駅舎だが、交換駅で、駅員もいて、原木を積んだ貨車が数輌停まっている。駅付近には三角屋根の立派な民家が多い。

 その先は標高は上がっている筈だが、残雪は徐々に減ってきた。最後にもう一度、だいぶ細くなったエンス川を渡ると、右からリンツからの単線電化の路線が合流してきて、前方にやや大きな集落が見えてくる。線路がいくつにも分かれて広い構内が広がると、終着駅ゼルツタルである。

ゼルツタル Selzthal


 ゼルツタルは、長いホームの2番線に到着。結局降りたのは私の他に5名であった。全員がクラインライフリンクかそれ以遠からの客で、週2往復の区間では乗降は全くなかった。

 ゼルツタルに到着  4分で接続するシュラートミンク行きが発車

 まさに主要駅の風格を備えた大きく立派な駅である。だが人は少なくガランとしており、衰退感がたっぷりである。列車を降りた5名は、全員が他の列車への乗り換えらしく、駅の外へ出ていった人はいないようであった。接続列車はいくつもある。まずは僅か4分の接続で、本線を西へと向かう10時23分発普通列車シュラートミンク(Schladming)行き。これは同じ長いホームの前の方に停まっている。実際、キャリーバッグを転がしながらそちらの方へ向かった人がいた。次が10時48分発のIC特急グラーツ行き、そして11時19分にEC特急チューリッヒ行きと、衝動乗りしたくなるような魅力的な列車が続く。ICもECも、この駅でスイッチバックをするので、数分の停車時間がある。ちなみに私はその次の11時21分発リンツ行きに乗る予定をしている。


 4分接続の普通列車の発車を見送ってから、駅を出てみた。地下道には1918年のゼルツタル、という絵が掲げてある。蒸気機関車が颯爽と駅を発車するところが描かれているが、その絵を見る限り、駅周辺は農地で、やはり大きな町とは言えない。実際、鉄道が来る前は山間農業主体の寒村だったようだ。鉄道と共に発展し、最盛期の人口は1960年代の2700人、それが今は1600人程度まで減っている。長期に渡り減少傾向が続く、典型的な過疎の町である。それも鉄道と共に栄えたり寂れたりしている町だから、今は鉄道の需要減や合理化・自動化に連れ鉄道職員の数が減り、それに伴い人口が減り、町が寂れていっているのであろう。

 地下道にある1918年のゼルツタルの絵  現ゼルツタル駅舎

 駅舎は小ぢんまりしていた。木造だが、新しそうである。駅前を見渡せば、右手に大きな、いかにも鉄道の駅という感じの立派な建物があり、横には蒸気機関車も保存されている。これは紛れもなく旧駅舎であろう。大きすぎて持て余すようになり、今の簡易な駅舎へ役割が移ったと思われる。旧駅舎は事務所として今も使われているようではあった。

 旧駅舎と保存蒸気機関車  ひっそりしたゼルツタル駅付近

 幸い雨がかなり小降りになってきている。初春の日曜の午前中なので、完全にひっそりしており、人の姿を見かけない。だが古びてはいるが構えの立派な大きな家が多く、かつては豊かに栄えた町であることが偲ばれ、町並みにも風格が感じられる。店は小さなタバコ屋ぐらいしかなく、今は閉まっている。少し歩き回ると、立派な扇形機関庫があり、転車台が現役のようであった。そのあたりを歩いていると、踏切があり、ちょうど鳴り出した。やってきたのはグラーツ行きIC特急であった。ガラガラである。こういうのを見ると乗りたくてたまらなくなる。

 見事な扇形機関庫は今も現役  グラーツ行きIC特急が到着

 初老のおじさんが犬を連れて散歩しているのに出会う。初めて人を見かけた。目が合って軽く挨拶する。恐らく引退した元鉄道員ではないだろうか。そうなら話を色々聞いてみたいが、ドイツ語はできないし、いきなり英語で話しかけるのも失礼かと思い、遠慮しておく。


 観光名所などはなさそうなので、駅近くのカトリック教会に入ってみる。誰もいなかったが鍵はかかっていない。綺麗に整備されており、今も定期的にミサが行われていると思われた。そんな雰囲気にたっぷり浸って満足し、駅へ戻る。乗る予定のリンツ行きは既にホームに入っているが、ガラガラというか、ほとんどお客がいない。間もなく国際EC特急、グラーツ発チューリッヒ行きがやってくる。それを待つ人が数名いる。列車は電気機関車を先頭に、重々しく入ってきた。空いているが、ここで降りてリンツ行きに乗り換える人も十数名いて、閑散とした駅も、ひととき活気づく。といっても賑わいとは程遠いが、鉄道ジャンクションとしての機能は一応健在である。もう一つの接続路線である筈の、私が乗ってきた線は、夕方まで列車が無いので、ここからアムシュテッテンや途中の町へ行こうとすれば、リンツ行きに乗り、リンツからアムシュテッテンへ、という風に大回りしなければならない。実際、OBBのサイトで検索すれば、そういう大回りルートが出てくる。バスなどもなさそうだし、どうしても必要ある人はそうして大回りしなければならないのだろうが、そういう人も僅かの、もともとも人の流動が少ない地域なのだろう。そして言うまでもなく、移動が必要な人の多くは、現代では車で移動している筈である。

 駅近くのカトリック教会  チューリッヒ行きEC特急が到着

 チューリッヒ行きは、数分停車し、機関車を付け替えて、来た方向へと発車していった。本線の特急の全てがここゼルツタルに停車してスイッチバックをする以上、この駅の鉄道の要衝としての役割は終わらない。だが、このスイッチバックを解消して特急の所要時間を15分ほど短縮するため、ゼルツタル手前に短絡線を設ける計画が以前からあり、ゼルツタルでは町を挙げて猛反対しているということを、後から知った。

 帰ってから古い時刻表を見てみると、2007年のトーマス・クックによれば、クラインライフリンクとゼルツタルの間には、平日6往復、土日3往復が走っている。うち土日の1往復は、ウィーン〜ビショフスホーフェン間の長距離列車で、食堂車のマークまでついている。その他、土日に1往復、リンツ発でザンクト・ファレンティンからエンス川沿いの線を通り、ヒーフラウまで、という列車がある。今は週2往復しか列車が来ない途中駅のヒーフラウは、その頃は折り返し列車すらある駅だったのだ。その次に私の手元にある2010年の時刻表では、今と同じ土日のみ1往復の運転になっているが、2010年時点では、ウィーン直通である。地元のローカル輸送ではなく、都市部からの週末行楽輸送列車として存続させることになったらしい様子が見て取れる。

 この土日のみの区間が今後も存続するのかどうかはわからない。貨物がある限り、残すのかもしれないし、旅客列車だけ先行廃止するかもしれない。そもそも貨物だっていつまでも続かないかもしれない。この後乗ったリンツ行きの車窓は、今回取り上げた区間よりは景色もやや平凡で、リンツに向けて段々と混んできてつまらなくなってくる線であった。そちらと比べれば今回乗った閑散区間は、本数の少なさが際立つばかりではなく、車窓風景も素晴らしかった。できればもう一度ぐらい乗りに来たい。その時はエンス川に沿う、ザンクト・ファレンティンからの線と組み合わせて乗りたいと思う。



欧州ローカル列車の旅:アムシュテッテン〜ゼルツタル *完* 訪問日:2017年3月19日(日)


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