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プルゼニ〜プラットリング 目次


目次 (1) プルゼニ〜クラトヴィ Plzeň - Klatovy
クラトヴィ〜ジェレズナー・ルダ Klatovy - Železna Ruda
ジェレズナー・ルダ・アルジビェチーン/バイエリッシュ・アイゼンシュタイン
 Železná Ruda Alžbětín / Bayerisch Eisenstein
(2) バイエリッシュ・アイゼンシュタイン〜ツヴィーゼル Bayerisch Eisenstein - Zwiesel
ツヴィーゼル〜グラフェナウ Zwiesel - Grafenau
ツヴィーゼル〜プラットリング Zwiesel - Plattling

バイエリッシュ・アイゼンシュタイン〜ツヴィーゼル
Bayerisch Eisenstein - Zwiesel


 国境駅45分の滞在を堪能し、バイエリッシュ・アイゼンシュタイン12時41分発プラットリング行きの客となる。見事にガラガラである。客車も気動車も大いに古びていたチェコと違い、新しくてモダンな軽快気動車で、乗り心地も快適である。但し座席は片側2人、片側3人掛けなので、混めば少々窮屈そうだ。鉄道趣味的というか、懐古趣味的には、チェコに軍配が上がる。

 この鉄道は、ドイツ国鉄DBではなく、ヴァルト・バーン(Wald bahn)という地方鉄道である。ヴァルトはドイツ語で森という意味だから、直訳すれば「森林鉄道」になってしまう。こうなったのは最近らしい。いつ頃か、正確に調べるなら今はネットだろうが、少し前の時刻表を見てみた。すると、2013年夏の時刻表では、まだDBとなっていて、2014年春号で、ヴァルト・バーンという表記が登場している。

 単に運行会社が変わった以上の変化もいくつかある。2013年夏とそれ以前の時刻表を見ると、プラットリングからのドイツの列車の一部は、国境駅を越えて3駅目のシピチャークまで直通していた。しかし、シェンゲン協定以前の、例えば1999年の時刻表を見ると、ここで完全に分かれており、直通列車はない。乗客は列車を降りて出入国審査をして乗り換えをしなければならなかったのが読み取れる。そのあたりの経緯を深く調べれば、それはそれで面白いかもしれないが、ともかくざっと言えば、シェンゲン協定後に一時は直通運転をしたけれど、ドイツ側が地方鉄道化するに際してまた直通を廃止してしてしまった、ということになるだろうか。

 それにしても、どうせ国境を越えて直通運転をするなら、クラトヴィとかプルゼニぐらいまで走らせればいいのに、僅か3駅7.5キロだけというのは、何故だろう。途中2駅は、ジェレズナー・ルダの中心部最寄の駅で、ある程度の乗降客がいる所だから、そうするとこの町とドイツ側との間に直通需要があるということだろうか。これら町中駅は単線の駅だから、シピチャークまで行くのは折り返しの都合と思われるが、とにかくそのような時期があったのである。実際に見てきてわかった通り、線路はつながっていて、直通運転は可能である。

 ここに限らず、国境審査廃止による自由開放で、相互の交流が深まるかと思って列車を増発させたり直通運転させたりしても、実際に始めてみると思ったほど乗客数が伸びなくて、しばらくしてやめてしまった所が他にもいくつもあるように思う。人口が少なく著名な観光地もない地域では、たまに旅行する人だけでは数が知れているから、日常的に利用する人を増やさないといけないわけだが、日常的な生活圏というのは、そう簡単には変わらないのだろう。

 ドイツとチェコの場合、国境が開放されてもすぐに鉄道の需要増につながらない理由は、もちろん他にも色々あるのだろうが、こうして実地を見てきて何となく少しわかってきた。国境近くのドイツの住人にとって、チェコへ行くメリットの一つは買い物だ。とにかく物価もガソリンもチェコが安い。その場合、チェコに行く時にはガソリンを入れに行くのを兼ねて買い物をするから、やはり車になる。車での行き来は増えただろうが、鉄道利用に結びつかない。チェコの住人にとって、ドイツへ行くメリットの一つは、きっと高い賃金だろう。だが、チェコから通勤できる範囲のドイツは、概して人口が少ないか景気が悪いか、その両方で、職を見つけるのも容易でないに違いない。ドイツはEU最大・最強の経済と雇用を誇る国だが、それでも地域格差は相当ある。チェコ国境に近いドイツは、概して寂れている。物価や人件費の安いチェコとの国境が開放されたことで、価格競争力で負けて、地域経済が一層疲弊しているところも少なくないだろう。そんな所にチェコの人が、自由に働けるようになったからといって乗り込んでも、おいそれと仕事が見つかる筈もない。

 さて、このヴァルト・バーンは、本線に当たるプラットリング〜バイエリッシュ・アイゼンシュタインの72キロの他、途中から分かれる3本の短い盲腸支線を抱えている。その3本のうち2本までが、2つ目のツヴィーゼル(Zwiesel)で分岐している。これらの盲腸支線は、いずれもドイツ屈指のローカル線と思われるので、全部乗り潰したいところだが、日の短い季節ゆえ、今日はそのうち1路線だけ、寄り道することにしてある。それは、3支線のうち最も距離が長く、そして運転本数が少ない、グラフェナウ(Grafenau)という所への線で、ツヴィーゼルからの2つの支線のうち一つである。ツヴィーゼルは4方向が相互に接続しあうダイヤであり、ツヴィーゼルからグラフェナウは片道49分かかる。よってグラフェナウを往復してくると、この2時間後のプラットリング行きに接続する。それでプラットリングに着けばほぼ夕刻。日の長い季節なら、後の2線も全部乗ってみたかもしれないが、1つ乗れるだけでも良しとしなければならない。ちなみにツヴィーゼルから出ているもう一つの支線は、ボーデンマイス(Bodenmais)という所までのやや短い15キロの線である。そちらであれば片道20分なので、行って戻って1時間後のプラットリング行きに乗れる。

 ガラガラの列車内  到着駅と時刻を示す近代的なモニター

 バイエリッシュ・アイゼンシュタインからツヴィーゼルは、結構深い雪の中を淡々と快適に走った。途中唯一の停車駅ルードウィッヒスタル(Ludwigsthal)は深い雪の中の寂しいところで、乗降客も無かった。車掌も乗っていないようで、よって検札もない。車内にはモダンなディスプレイ・モニターがあり、5駅先までの各駅名と到着時刻が出る。また一角には切符の券売機があり、沿線案内や時刻表などのパンフレットも置いてあるなど、サービスは充実している。

 寂しい所ではあったが、時たま現れる人家は、チェコ側より大きな家も多く、近代的で、良く手入れされている感じだった。こういった点に国力の差を見る気がする。そしてやや平地に入り、人家が多少増えてきたかなと思うと間もなく、ツヴィーゼルに到着した。13分の短い乗車であった。


ツヴィーゼル〜グラフェナウ Zwiesel - Grafenau


 ツヴィーゼルは列車ダイヤの上では間違いなくヴァルト・バーンで最重要の中核駅だろう。49分に2本の支線の列車が同時に着いており、このプラットリング行きが54分着、行き違うプラットリング発バイエリッシュ・アイゼンシュタイン行きが58分着でやってくる。そしてプラットリング行きが59分に、バイエリッシュ・アイゼンシュタイン行きが00分に発車した後、支線2本が02分に、左右に同時発車する。但し、そうして4列車接続が行われるのは2時間に1回である。これから乗るグラフェナウへの線だけが、毎時1本ではなく、2時間に1本の運転だからである。いずれにしても、4本の列車が並び、相互に乗り換えができるのは見事で、実際なかなか見応えがあった。これぞ人口の少ない山間部のローカル鉄道が奮闘している姿そのものである。

 なお下の写真は、4本とも停車してはいない。ホームが一部、互い違いになっていて、プラットリング行きだけは横に並ばない。この写真の左3つの列車は停車中だが、一番右はプラットリング行きで、発車して動き出している。だから、この角度で4本の列車が並ぶ写真が撮れるのは一瞬である。


 そもそもドイツといえば、田舎でも隅々まで1時間に1本が定着している印象があったので、計画の段階で、この2時間に1本の線を見つけた瞬間に興味を持ってしまったのだが、実際に来てみてこんなモダンな地方鉄道になっているのは意外ではあった。ともかく、グラフェナウを往復してもプラットリングに明るいうちに着けることがわかった時点で、もうこれしかない、と思って決めてきた。その代わり、乗り潰すだけの旅である。ツヴィーゼルでの乗換時間は、行きも帰りも10分、そして終着グラフェナウでの折り返し時間は僅か7分である。どこも駅前の観察が精一杯で、町歩きの余裕はない。

 DBロゴがそのままのツヴィーゼル駅舎  ツヴィーゼル駅前からの眺め

 急いで駅前にも出てみる。今、この駅はドイツ国鉄DBの列車は来ないのだが、石造りの立派な駅舎には、DBのロゴがそのまま残っていた。駅前広場は広く、バス停もあるが、この時間、バスは見かけなかった。駅はやや高台にあるようで、駅前から市街地を下の方に見下ろす感じの立地である。駅前にしゃれたデザインの宿があるが、あとは店もなく、閑散としている。

 13時04分発グラフェナウ行きは、1輌で、1番線から発車する。乗り込んで見れば、乗客は10人ちょっとぐらいで、空いていた。定刻に発車。グラフェナウというのは、もちろん今回の旅を計画するまで、全く聞いたこともない地名だったが、ツヴィーゼルから見ると南南東ぐらいに位置する、森林に囲まれた山あいの小さな町である。人口は8千人余りで、ここ数年ほぼ横ばいとのことである。ちなみにツヴィーゼルは9千人余りで、少しだけ多いが、大差ない。この人口で鉄道が維持していけるのかどうか、というよりも、地図を見ると、人の流れに合っているのかが気になってしまう。グラフェナウから見て、交流の深い最寄りの主要都市はどこなのだろう。どこでもないような、良くわからない山間の町である。

 1番線で発車を待つ1輌のグラフェナウ行き  ツヴィーゼル発車直後の車窓

 この線は、32キロに途中駅が7つあるので、平均駅間距離は4キロである。途中駅のうち5駅はリクエスト・ストップで、降りる場合は車掌に知らせる必要がある。ちなみにプラットリングへの本線はリクエスト・ストップは導入されておらず、全ての列車が全ての駅に停まるが、支線3線には、いずれもリクエスト・ストップの駅がある。

 今度は女性の車掌が乗っていて、すぐ検札に来た。インターレールパスが使えるかどうか心配だったのだが、問題なく使えるとのことで安心する。ユーレールパスも恐らく同様に問題ないだろう。こういったパスの有効性の問題は、日本にも同様にある。つまり、日本でも外国人向けのJRパスが、並行在来線の第三セクター化に伴い、使えない区間が増えてきており、ややこしくなっている。欧州も同様に、最近はローカル線の経営分離が多い。民営で経営が成り立つはずのない所だから、上下分離だけでなく、国や自治体のサポートが入っているなり、地方政府の公営だったりするのだろうが、いずれにしても、各国のいわゆる「国鉄」の手を離れてきている所が多いのである。パスが使えるかどうかは、本当にまちまちだが、日本のように、JRの手を離れたら原則は駄目、ということはない。いずれにしても、ここヴァルト・バーンでパスが有効ということにホッとした。

 車窓風景の方は、ツヴィーゼル発車後1分は、ツヴィーゼルの町の様子がわかるような所を走る。しかしその後は概ね、雪の積もった林の中を走り、時々人家が現れる。快走した本線と違い、急カーヴが多く、スピードも遅い。

 雪深きフラウエナウ駅  沿線は森林が多い

 最初の2つのリクエスト・ストップ駅は徐行通過し、まとまった家並みのあるフラウエナウ(Frauenau)で数名が下車する。次のクリンゲンブルン(Klingenbrunn)はリクエスト・ストップだが停車し、高齢の夫婦が乗ってきた。雪道を運転するのが厳しい年齢だろうか。日本では、閑散ローカル線ほど、乗客は高校生と高齢者ばかりだが、ヨーロッパであちこちのローカル線に乗って感じるのは、概して幅広い年代の人が利用していることである。

 途中では一番大きなシュピーゲラウ  終着グラフェナウに到着

 次のシュピーゲラウ(Spiegelau)は途中では一番大きな町で、立派な駅舎もあり、客の大半が下車した。クリンゲンブルンからの高齢夫婦もこの1駅だけの利用であった。それ以外の下車客には若い人も多い。

 緯度的には南下しているのだが、地形的には険しくなってきて、雪もさらに深くなってきた。そんな雪景色の中を列車はゆっくり走り、やや谷が開けたかと思うと、そこが終着グラフェナウであった。終着駅で降りたのは私以外に5名であった。

 駅前から見る町は案外大きい  ホームと段差無しでバスに接続

 グラフェナウは、単線で片側にホームがあるだけの終着駅で、かつての駅舎と思われる大きな建物があるが、今は民間に払い下げられているのか、パブになっていた。その向かいにはスーパーマーケットがある。駅自体は、1〜2輌の気動車の折り返しができるだけの最低限のものだが、駅前を整備してバスと乗り継げるようにしてあり、ホームからバリアフリーでバスへ乗り換えができる。車止めの先にはユニークな建物を含む市街地らしい家並みが見える。バス乗り場の先へ行って見れば、谷間に住宅地が広がっていて、それなりに人が住んでいる町であることもわかる。どんな町なのか、もう少し散歩してみたいが、僅か7分しかない。さきほどの女性車掌がホームの端で煙草を吸っていた。


 折り返しグラフェナウ14時00分発は、行きよりは多い10名程度の乗客がいた。乗ってきたばかりの所をまた眺めつつ、定刻にツヴィーゼルへ戻ってくる。クリスマス・イヴという特殊な日だから、普段の乗車率がどうなのか、何とも言えないが、採算面では厳しいローカル線には違いない。それでもこうして新しい鉄道として生まれ変わって数年。今後も当面は存続することだろう。このあたりは田舎でも、日本や旧東独と違って人口が減っていないのも好材料である。


ツヴィーゼル〜プラットリング Zwiesel - Plattling


 ツヴィーゼルで、さきほど国境駅バイエリッシュ・アイゼンシュタインから乗ってきたちょうど2時間後の、プラットリング行きを待つ。やはり回送同然のガラガラで、2輌編成で入ってきたが、ここから乗り込む人は多く、20人はいる。バイエリッシュ・アイゼンシュタインとここの間は、本線でありながら、他の支線以下の利用者数かもしれない。バイエリッシュ・アイゼンシュタインは、どの支線の終着駅より人口が少ない村だし、国境を越えてのチェコとの行き来も少なそうである。夏になれば観光客が増えて、また変わってくるのかもしれないが。

 ツヴィーゼルの発車は2時間に7本  プラットリング行きが到着(左の列車)

 ツヴィーゼルからは一路南下し、プラットリングへ向かう。58キロを55分で走破するので、ローカル線の鈍行としては十分な表定速度だ。線形も良さそうで、雪原を快走する。

 プラットリング行きに乗り込む乗客  立派な駅舎のレーゲン駅

 この線は、一駅おきに主要な駅がある。2つ目はレーゲン(Regen)で、駅舎も立派で、下車が少々あり、乗車ははるかに多い。人口も1万をちょっと越す町だそうだ。レーゲンを過ぎれば徐々に雪が薄くなり、平地に下りてきているのを実感する。

 レーゲンを過ぎると徐々に雪が減る  もう一つの支線が接続するゴッテスツェル

 ゴッテスツェル(Gotteszell)は、町は小さいが、もう一つのヴィヒタッハ(Viechtach)への25キロの支線が分岐する駅で、反対ホームには1輌の接続列車が止まっている。その支線からの乗り換えと思われる客が何人か乗り込んできた。この支線はツヴィーゼルからの2つの支線とは異なり、大昔に廃線となった路線を、ヴァルト・バーンになってから復活させたそうで、開業は2016年9月である。私も旅行計画の時点ではこれの存在に気づかず、現地へ来て車内の時刻表などを手にして初めて知った。終点ヴィヒタッハは、グラフェナウとほぼ同規模の人口8千人ほどの町だという。

 ゴッテスツェルを過ぎれば雪もほぼなくなり、平地へ下りてきた感が強まる。そして列車は、デッゲンドルフ中央駅(Deggendorf Hbf)に着く。ローカル線の途中駅で、分岐する線もなく、他に駅名にデッゲンドルフを含んだ駅もないのに、中央駅なのである。

 中央駅を名乗るデッゲンドルフ  さほど大きく見えないデッゲンドルフ

 デッゲンドルフは、ドナウ川北岸に開けた人口12万弱の大きな街である。今回のプルゼニ〜プラットリングの全ルートで、プルゼニの次に人口が多い。かつては支線が分岐し、町中に他の駅もあったらしい。それらがことごとく廃止され、中央駅だけが残っている。ドイツを鉄道で旅していると、小さな町と思っても、中央駅(Hbf)を名乗る駅があちこちにあるが、その場合、町の中に中央駅以外の駅が少なくとも1つはある。日本で例えると、山陰本線の江津ぐらいの駅でも、江津中央と名乗っているようなケースである。三江線に江津本町という隣駅があるので、それと区別するためである。一旦中央駅と名乗れば、三江線が廃止されても、江津中央の駅名を引き続き使う。そんな感じでデッゲンドルフ中央駅は、ずっと改称されずに残っているし、今後も名乗り続けるのだろう。デッゲンドルフは江津よりずっと大きな街なのだが、私も今回こうして現地に来るまで、全く知らない地名であった。鉄道面ではドイツ国鉄の主要幹線網から外れてしまっているので、こうなっているが、主要な道路は街を抜けているし、何よりドナウ川がある。

 そのデッゲンドルフ中央駅では、降車と乗車が同じぐらいの人数だが、大きく入れ替わるというほどでもなかった。車窓風景も、そこまで大きな街には見えなかったが、ともかく僅かな停車時間ですぐ発車する。発車1分後、ドナウ川を渡る。後は淡々と平凡な平野の景色である。畑や荒れ地もあれば、工場や倉庫も見られるという、地方都市郊外のとりとめのない風景になる。

 デッゲンドルフの先で渡るドナウ川  終着プラットリングへ到着

 最後の途中駅パンコフェン(Pankofen)は、殺風景な郊外風景の中に会社や工場が見られるところで、日曜の今日は乗降客がいない。そして沢山の線路が現れると、列車は終着プラットリングへ定刻に到着した。2輌の列車からは結構な人が吐き出される。それなりの利用者があり、採算的には厳しいにしても、鉄道として残し、経営再編して発展させたことが何となく納得いくような路線であった。

 プラットリング駅舎  プラットリング駅前通り

 プラットリングは、ドイツ屈指の在来幹線の途中駅である。その幹線とは、フランクフルト(Frankfurt)から、ヴュルツブルク(Würzburg)、ニュルンベルク、レーゲンスブルクを経て、ここプラットリングの先は国境駅パッサウ(Passau)まで行き、国境を越えてオーストリアへ入り、リンツ(Linz)を経てウィーン(Wien)へと、ほぼ一直線につながっている。フランクフルトとウィーンを結ぶICE特急が2時間に1本あり、ここプラットリングにも停車する。その他にもちろん、多くの急行や普通列車も走っている。国境駅パッサウまではあと52キロだから、オーストリアにも遠くない。その他、本線の南側をミュンヘンまで行く路線もある。こちらは普通列車だけだが、1時間に1本あって、ミュンヘンまで2時間弱である。それ以上に本線は貨物の大動脈として重要らしい。プラットリングも貨物駅としても栄えてきたようで、貨車が滞留する広い構内がそれを証明している。

 ICE特急も停車するプラットリング  跨線橋から見るプラットリング

 そんな鉄道の大きな主要駅であるにもかかわらず、プラットリングという町は、知名度が低い、というよりも、地元の人以外はあまり知らないだろう。観光ガイドブックにもまず載らない。私も今回の旅まで、何となく聞いたことがあるかも、という程度で、特に意識したこともなかった。何となくでも聞いたことがあったのも、鉄道旅行が好きで時々時刻表を眺めるからで、車でばかり旅行している人なら、あちこち行っている人でも聞いたこともない町かもしれない。人口も1万3千人程度で、ドナウ川対岸のデッゲンドルフにも全く及ばない。


 そういう町と駅だけに、どんな所だろうとは思っていたが、来てみれば何となく納得でもあった。駅前も何もないほどは寂れておらず、飲食店なども少しある。鉄道乗り継ぎ駅の駅前ならではだろう。しかしわざわざやってくる所でも観光目的地でもなさそうで、実際、駅を見下ろす跨線橋から見れば、中途半端な風景が広がっており、工場の煙突も見えた。中高年のドイツ人にとっては、終戦までナチス収容所の支所があった町として負のイメージもあるそうだ。それでも長年、鉄道の町として発展してきたに違いないし、鉄道ハブとしての機能は今後も続くことであろう。



欧州ローカル列車の旅:プルゼニ〜プラットリング *完* 訪問日:2017年12月24日(日)


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