欧州ローカル列車の旅 > 2024年 > フランス > ダンケルク~アミアン
| 目次 | ダンケルク Dunkerque |
| ダンケルク~カレー Dunkerque - Calais | |
| カレー Calais | |
| カレー~アミアン Calais - Amien |
ダンケルク(Dunkerque)は、日本での知名度は恐らくさほど高くないが、フランス有数の港湾都市であり、工業都市でもある。英語では、Dunkirk と、オランダ語では、Dunkerke と綴る。市内人口は9万弱。
フランス国鉄のダンケルク駅はフランス最北の鉄道駅。パリ北駅からリール(Lille)経由で直通のTGVも来ており、最速列車で2時間の距離にある。駅からベルギー国境までは14キロ程度で、かつてはベルギーのデ・パンヌ(De Panne)を経てブリュッセルまで鉄路がつながっていた。
![]() |
![]() |
|
| ダンケルク駅舎 | 駅舎前から見るダンケルク駅前 |
ダンケルクの西40キロの所に、もう一つの港湾都市、カレー(Calais)がある。こちらはブリテン島に最も近い大陸の町で、今もドーヴァー海峡(フランス側ではカレー海峡と呼ぶ)を渡るフェリーは物流の大動脈である。昔は旅客もそうであったが、ご存じの通り、この海峡には1994年に開通した英仏海峡トンネル(チャネル・トンネル)が通っており、ユーロスターがロンドンとパリ・ブリュッセルを結ぶ大動脈になっている。カレーはその立地上、長年港湾都市として発展してきた街である。ダンケルクよりも知名度は高いと思うが、貨物を含めた港湾の規模はダンケルクが大きい。しかし、英仏間のフェリーの本数は今もカレー~ドーヴァーが一番多い。旅客はユーロスターに移ったが、今もフェリーが頻繁に往来しており、日々沢山の車やトラックを運んでいる。カレーの市内人口は7.5万ほどで、ダンケルクより若干少ない。ダンケルクの方が工業都市として栄えている面がある。また、カレーは海底トンネルが開通して少しの間、人口減少が見られた。

ダンケルクとカレーの両都市は線路でつながっている。パリやリールから見れば三角形の底辺に当たるが、都市の規模や立地から考えて、活況を呈していてもおかしくない。しかし少し前まで、検索すると、この区間は全てバスであった。今回調べたところ、平日は朝夕を中心に8往復、土曜は2往復だけ、列車がある。日曜は走らない。
ダンケルクもカレーも、幹線と言える鉄道路線は、リールを経てパリ方面で、どちらも週末を含め、終日に渡り列車がある。だから、ダンケルク~カレー間の移動を鉄道で検索すると、直通列車がない時間帯だと、それらが分岐するアズブルック(Hazebrouck)経由で出てくることが多い。しかし、相当な遠回りであり、接続も必ずしも良くないので、時間がかかる。恐らく両都市間の移動はバスが便利なのだろう。
今回はこの方面の訪問が土曜になったため、私は最初に土曜日で時刻検索をしていた。すると、この間の直通列車はたったの2往復しかない。これはすごいローカル線だと飛びついた後、後から平日のダイヤを調べて、平日は一応ちゃんと朝から晩まで走っているので、内心はがっかりしたのだが、しかし都市規模の割には限定的な利用しかされていないローカル線であることは間違いない。産業地帯であり、美しい風景はなさそうな所ではあるが、それはそれ、こういう所の実態というのは気になるもので、乗って確かめることにした。
ダンケルクからカレーまで乗った後は、乗り継いで先へ行くことにした。そちらも割とローカル線というか、列車本数は少なく、利用者も限定的と思われる。南下してパリに近づくにつれ少しずつ本数が増えてくるので、どこで打ち切るのがいいか、若干迷ったが、カレーから乗り継ぐ次の列車の行先がアミアン(Amien)だったので、カレーからアミアンまでを後半で取り上げ、今回のローカル線の旅としては、アミアンを終点にすることにした。アミアンはパリから約130キロ、真北にある内陸都市で、まだパリへの通勤圏ではないものの、パリとの交流も強そうな、そういう都市と駅である。
![]() |
![]() |
|
| TGVが何本も出るダンケルク駅 | 右はリール行き快速で乗客も多い |
昼過ぎ、あいにく小雨模様のダンケルクへとやってきた。パリからリール経由でTGVがそれなりにやってくるし、リールとここは快速列車で結ばれているので、そんなに閑散とした田舎駅ではない。駅前も綺麗に整備されている。しかし駅舎を抜けるといきなり構内踏切があり、一番手前のホーム以外へはそれを渡っていかなければならない。

目指すカレー行きは一番奥の7番線からの発車だが、あいにく手前ホームからパリ行きTGVが発車するタイミングで、駅員が何名も出て渡ろうとする客を制止していた。終着駅の駅構内だからか、踏切には警報機も遮断機もないが、TGVが通るのである。その長い編成のTGVが去ると、待っていた客がホームから駅へ、駅からホームへと、踏切を渡る。
![]() |
![]() |
|
| リール行きがメインのダンケルク発車案内 | 一番奥の7番線から発車するカレー行き |
踏切を渡った人の多くは、4番線のリール・フランドル(Lille Frandres)行きに乗ったようである。そのホームに行かず、さらに先へ進む人は少なく、ホームも閑散としているが、4輌編成の電車が屋根も無いホームに停まっており、発車を待っていた。ガラガラである。
ダンケルクの発車は13時ちょうどで、定刻。4輌編成の車内は寥々としており、天候も相まって寂しいが、ローカル線気分は盛り上がってくる。同じ13時ちょうど発に、リール・ユーロップ(Lille Europe)行きもあるので、並走するかと思ったが、見かけなかった。
![]() |
![]() |
|
| ダンケルク発車後すぐ渡る運河 | クドゥケルク・ブランシュ手前の踏切 |
駅を出るとすぐ運河を渡る。このあたりは低地で、海運で栄えたためか、運河が多い。どことなく場末感のある所をちょこっと走り、大きな踏切を渡ると最初の駅、クドゥケルク・ブランシュ(Coudekerque-Branche)である。ここまではリール方面の、いわば本線と並んで走る複々線区間である。停車中にダンケルクを時刻表上は同時発車のリール・ユーロップ行きが走り去っていった。
![]() |
![]() |
|
| クドゥケルク・ブランシュ駅 | クドゥケルク・ブランシュ駅 |
クドゥケルク・ブランシュの先で、まっすぐ南下するリール方面の路線に対して、右カーヴで分岐していく、ここからが土曜は1日2往復しか走らないローカル区間になる。しかし複線電化である。この線は歴史も古く、1876年にまず非電化単線で開通している。一部複線化は1915年、そして全線電化されたのはごく最近の2014年だそうだ。それ以前の、例えば2011年のトーマスクックの時刻表を見ると、この区間の列車本数は、平日5往復、土曜2往復なので、これでも電化したことで本数を増やしたと思われる。だがもちろん電化の主な目的は貨物輸送で、ネットで調べると、ダンケルクの港湾の発展に伴い、と説明されている。
![]() |
| 操車場に隣り合うグランド・シント駅 |
沿線風景は、田舎のローカル線の風景ではなく、さりとて都会でもない。しいて言えば鶴見線の雰囲気だろうか、しかしちょこちょこと駅がある鶴見線ともまた異なり、大柄な風景とでもいうのか、鶴見線に見られるような面白味にも欠ける感じがする。ともかく工業地帯らしい所を淡々と、それなりの高速で走る。
線路が広がってきて、大きな操車場の脇を通る。それが終わらないうちに、いかにも殺伐とした駅、グランド・シント(Grande-Synthe)に停まる。ちょっと入れば閑静な住宅地もあるらしいが、駅自体は殺風景で、ホームは舗装もされていない。コンクリートむき出しの長い跨線橋が操車場を跨いでおり、駅ホームと駅の南北を結ぶ歩行者通路になっている。周囲も生活の香りは感じられない。一般住宅は見えないが、駅前に真新しいビルはある。土曜の今日、1日2往復だけの列車を利用する住人もいない。

グランド・シントを出るとほどなく、そんな産業地帯に一旦終わりをつげ、単線になる。そのあたりから農地の多い田舎の風景に変わる。しばし快走すると、次は古い駅舎が残るが、ホームは綺麗に整備された、ブルブール(Bourbourg)。やはり乗降客は見かけない。地図で見ると、このあたりが一番海から離れていて、農村地帯のようだ。
![]() |
![]() |
|
| 重厚な駅舎のあるブルブール駅 | ブルブールは一応整備された駅 |
ブルブールからも農村風景が続く。天気が良ければ印象は全く違うのだろうが、日本で言う梅雨のような日で、雨は上がったものの、どんよりパッとしない天気である。単調だが、小さな水路を頻繁に渡る。そんな所をしばらく行くと、やや人家が増え、次のグラヴリーヌ(Gravelines)。ここは数名の乗車客がいた。
![]() |
![]() |
|
| ブルブール発車後の農村地帯風景 | 利用者を見かけたグラヴリーヌ |
グラヴリーヌを出てすぐ運河を渡る橋は、可動橋である。もしかすると沿線の数少ない名所かもしれないと思いつつ、相変わらずパッとしない曇天の農村風景を眺め、かなりの距離を走ると、ボー・マレ(Beau-Marais)という駅に停まる。そのあたりからカレーの郊外なのか、住宅が増え、やがて左から、リール方面からの線路が合流してくると、レ・フォンテネット(Les Fontinettes)に着いた。ホームには待っている人もいて、そこそこの利用者が見られる駅のようだ。
![]() |
![]() |
|
| グラヴリーヌを出て渡る可動橋 | 合流駅のレ・フォンティネット |
ここはもうカレー市中の駅なのだろう。最後の一駅は複々線で、途中は線路が広がり車輌が留置してある所もあり、周囲も住宅などが建て込んでいる。とはいえ線路は一段低い所で、上を道路が跨いでいるので、あまり風景を堪能はできない。ほどなく終着カレー・ヴィル(Calais Ville)に、13時42分、定刻より1分早く着いた。始終余裕のある定刻運転であった。
列車は4輌編成と、それなりの長さなので、各駅での乗降客数をしっかり把握できたわけではないが、ここカレーで降りた人は、10名程度であろうか。平日はもう少し客がいるのかもしれないが、本数の少なさもあってか、利用されていないのがはっきりわかる線である。
![]() |
![]() |
|
| カレー・ヴィル駅へ到着 | 丸窓が船を連想させる跨線橋 |
旅客用の鉄道路線図で見れば、この駅はどん詰まりの終着駅だが、頭端式ではなく、線路は先へ、カレーの港まで2.5キロほど続いている。そのため、一見途中駅風で、駅を出るには、前方の跨線橋を上がることになる。跨線橋の窓は丸窓で、何となく船の窓を連想させる。
![]() |
![]() |
|
| 跨線橋から見るカレー・ヴィル駅ホーム | 大きな街だが列車本数は多くない |
駅舎はフランスの主要駅としては小ぶりである。もっともここは主要駅とはいえ、パリからリール経由の路線の終着駅で、それも平均2時間に1本程度、あとはさらに本数の少ない路線が2本なので、本数的にはローカル線の駅に近い。駅舎の規模は乗降客数に見合った妥当なサイズなのだろう。
![]() |
![]() |
|
| カレー・ヴィル駅舎と駅前 | 駅舎反対側から見ると線路は先へ続いている |
駅前は道路で、渡って反対側に行くと、駅の先の線路が見下ろせる。複線で、新しそうなコンクリート枕木を敷き詰めたしっかりした軌道で、線路も光っていた。旅客列車はないが、港まで貨物列車が定期的に走っているのだろうか。
カレーに特に見たい所があるわけではないが、何しろ次のアミアン方面行きは16時14分で、2時間半もの待ち時間がある。この本数の少なさもあって、ローカル列車の旅としてアミアンまで続けることにしたわけでもある。あいにくパッとしない天気だが、カレーの町と港をゆっくり歩きまわり、カフェで昼食をゆっくり採る。
![]() |
![]() |
|
| 駅から徒歩10分弱のカレー中心市街地 | 市街地の先は港湾地帯 |
カレーはいかにも港湾産業都市の雰囲気で、特に栄えてもいないが、人はパラパラ歩いている。観光客っぽい人もいるが、多くはない。教会や要塞など、史跡となっている建築物はあるけれど、それはどんな町にでもあって、カレーに来たらここは絶対見ないと、というほど著名な観光施設はない。市街地はすっかり成熟しており、古びた店もあれば、改装しておしゃれになった店もある。土曜だが、昼間の飲食店は、外から見る限り、どこも空いていた。

そんな街を一通りのんびりと歩き回り、16時前、駅に戻ってきた。もっと早い列車があればそれにしただろう。
16時14分発アミアン行きは、C番線から発車する。島式ホームの向かい側は2番線で、16時06分発リール・フランドル行きが停車している。ダンケルクは日本と同じでわかりやすく、駅舎側が1番線で順に7番線まであるのだが、ここカレーはさほど大きな駅でもないのに、アルファベットと数字の番線が混在している。車輌はレジョリスと呼ばれる6輌編成の連接車で、車長が短く、1輌にドアが1つしかない。隣の2番線に停まっている4輌編成のリール行きと、全長が大体同じである。先にリール行きがそれなりの客を乗せて発車していったが、こちらは客も少ない。
発車直前に若干の乗車はあったが、列車はガラガラで、16時14分、定刻にカレー・ヴィルを発車した。ここからは、ダンケルクからカレーまでに比べると、産業地帯を脱して海に近い風光明媚な所を走りそうな線である。
のみならず、この区間にはちょっと期待があった。というのは、もう20年近く前の話だが、仕事でこの沿線の某企業を訪問したことがある。その時はローカル線など使わず、カレーまで車で迎えに来てもらったのだが、その際に企業の人とこの地域についての雑談になり、一応鉄道があり、駅もある、といった話が出た。しかし彼らいわく、我々は普段使うことはない、本数も少ないし、乗るのが難しい、みたいな話だったのである。都市部を離れればどこにでもある話かもしれないが、その記憶が残っているので、さぞかしのローカル線との印象を与えるに十分な雑談であり、以来、いつか乗ってみたい、と思っていた。それだけの事ではあるが、やっと乗る機会ができた、私にとってそういう線なのである。
![]() |
| 発車10分前のアミアン行き車内 |
さきほど乗ってきた所を1駅戻り、レ・フォンティネットへ。その手前の線路が広がった所で、何と戦車を詰んだ貨物列車が停まっていた。もしかするとウクライナ紛争の関係だろうか。あの紛争も随分長くなったものの、ヨーロッパの大概の所を旅行していても、何かを肌で感じることはほとんどない。それだけに、ちょっとドキッとする。そして、さきほども停車した、レ・フォンティネット。若干の乗車客がある。
線路はここから3方向に分かれる。左がさきほど乗ってきたダンケルク方面、真ん中が幹線のリール方面、そしてこちらは右カーヴで針路を南西へ向ける。ちょこっと郊外に出たかと思うと間もなく、カレー・フレタン(Calais Fréthun)に停車する。
![]() |
![]() |
|
| 戦車を積んだ貨物列車に遭遇 | 高速列車乗り換え駅カレー・フレタン |
カレー・フレタンは、英仏海峡トンネルに合わせて1993年に開業した、比較的新しい駅である。パリ北駅を出てイギリスへ向かうユーロスターは、大半の列車がパリからロンドンまでノンストップだが、フランス内に駅が2つある。一つがリール・ユーロップで、ターミナル駅のリール・フランドルとも徒歩数分の市街地にあり、利用者もそこそこいる。もう一つがここ、カレー・フレタンで、海峡トンネルの手前すぐにある駅なのだが、もともと停車本数が少なかったのが、コロナで休止となり、以後復活しておらず、今もユーロスターは全て通過している。だからここからイギリスへ行く列車は無いが、パリとここの間に高速線経由のTGVが若干走っている。キャリーバッグを転がした客が数名乗ってきたから、パリからTGVで来た客かもしれない。今日、カレーの人がイギリスへ行こうとすると、列車なら一旦リールまで戻ってユーロスターに乗ることになる。イギリスの行先によっては、それよりはドーヴァーまでフェリーで行った方がいいだろう。
フレタンを出ればほどなくカレーを脱し、特徴の薄い平凡な内陸の農村地帯に入る。人家はパラパラとある。特徴は薄いが、気になるのはこの先3つの通過駅で、これら3駅は、検索する限り、朝夕に合計2往復の区間列車が停車するだけで、この列車を含む大半の列車が通過している。ホームだけの簡素な駅もあったが、カフィエ(Caffiers)は待避線もある結構広い駅であった。どこも駅周辺に住宅がパラパラとみられる程度の寂しい所で、停車本数が多くてもどこまで利用者が増えるのか、といった所だろう。だから、それよりは中距離客のスピードアップを優先していると思われる。
![]() |
![]() |
|
| ほとんど列車が停まらないカフィエを通過 | マルキーズ・リンクサン駅 |
曇天も相まってパッとしない車窓風景が続く。次の停車駅のマルキーズ・リンクサン(Marquise Rinxent)は、そういう2つの集落の間にある駅で、若干の乗降客が見られた。
そんな退屈な車窓風景が、次のヴィミル・ヴィムルー(Wimille-Wimereax)が近づくと少し変わってきて、右手遠くに海が見えてくる。ここも似たような名前だが、2つの集落名を取った駅名で、車窓左手の内陸がヴィミル、右手の海に面した町がヴィムルーである。ヴィムルーは海岸沿いに工場も港もない、小さな海浜リゾートのような町らしい。
![]() |
![]() |
|
| 海辺の町ヴィムルーを見ながら走る | ヴィミル・ヴィムルーは利用者が結構多い |
ヴィミル・ヴィムルーからブローニュ(Boulogne)までの間が、今回の旅で唯一、自然の美しい海岸線を見られる区間である。といっても、波打ち際を走るわけではなく、遠くに海がチラチラ見える程度だが、港町らしい風景が続き、列車はブローニュ・タンテルリー(Boulogne-Tintellerie)に着く。トンネルに挟まれた相対ホーム2面の停留所だが、港町ブローニュの市街地に近く、利用者もパラパラいる。そこから市街地をちょこっと走ると、ブローニュ・ヴィル(Boulogne Ville)、またはブローニュ・シュル・メール(Boulogne-sur-Mer)で、主要駅であり、TGVも日に数本、やってくる。
ブローニュは、カレーとアミアンの間では一番大きな町で、今回の旅で唯一、ちょっと途中下車してみたいと思った街である。車窓からも風格ある家並みも見えるし、大きな漁港を有すると同時に、古くからの海浜リゾートでもあるようだ。海外からの観光客が押し寄せる街ではないが、天気のいい日はイギリスが見える所だからか、イギリス人観光客が結構訪れるらしい。街の正式名が、ブローニュ・シュル・メールなのだが、フランス国鉄のサイトでもグーグルマップでも、その駅名で出てくるが、他のいくつかのサイトだと、ブローニュ・ヴィルという駅名で出てくるし、列車内に掲示されていた路線図も、ブローニュ・ヴィルであった。どちらも正しいというか、どれか一つが正式という概念がないのかもしれない。ここも乗降客、特に乗車が多く、列車はそれなりの乗車率になった。
![]() |
![]() |
|
| ブローニュ・ヴィルは立派な主要駅 | 平凡な景色になったエスディニュール駅 |
ブローニュを出ると線路は南へ向かう。この先は海と少し離れた平凡な景色となり、正直、面白くなかった。しかも駅ごとに乗車があり、段々混んできて、カレーを出た時のガラガラのローカル線とは雰囲気も変わってきた。乗客はちょっとそこまでの身軽な人より、キャリーバッグなどを転がした中距離客が多い感じで、多分だが、パリなどの大都市へ向かう人が多いのではないだろうか。エタープル・ル・トゥケ(Étaples-le-Touquet)もその一つで、二面三線の大きく立派な駅で、乗降客も多い。本数こそ少ないものの、この路線が幹線に近い設備を持つ路線だという風に認識を改めるに至る。
![]() |
![]() |
|
| 風格ある立派なエタープル・ル・トゥケ駅 | 乗降客の多いラン・デュ・フリエ・ヴェルトン駅 |
次のラン・デュ・フリエ・ヴェルトン(Rang-du-Fliers-Verton)という長い名前の駅は、さらにもう一つ、ベルク(Berck)が後ろについてさらに長い駅名で表示されることもある駅である。駅自体は閑散とした所にあるが、乗降客が多く、カレーから完全各駅停車の朝夕の2往復はここ止まりであったり、少ないもののパリ行きTGVがあったりする、意外な主要駅である。駅の立地は、ラン・デュ・フリエとヴェルトンという2つの町の間にあり、少し離れた海沿いにそれより大きなベルクという町もあるので、ある程度の利用者が集まる駅のようだ。
![]() |
![]() |
|
| 小駅でも立派な駅舎を有するルー | 主要駅のアブヴィルに到着 |
そして主要駅のアブヴィル(Abbeville)に着く。着く手前、右側を注意していたのだが、やはりというか、ル・トレポー(Le Treport)という港町へ行く線路が錆びついていた。以前から風前の灯という感じの本数の少ないローカル線で、パリからさほど遠くないこともあり、何度か乗ろうかと思ったことのある線だが、2018年、ついに全てバスに置き換えられたらしい。ル・トレポーへはもう1本、別ルートからも路線があり、両方の終着駅であったが、もう1本はかろうじて僅かな本数が残っているらしい。
アブヴィルでも乗車が多く、もはや閑散ローカル線のイメージではなくなった。列車はここからアミアンまでは、ほぼノンストップ。停車するのはアミアンの街に入った一つ手前のサン・ロック(Saint-Roch)だけである。この区間だけの各駅停車があるので、以遠から来るこの列車は、いわば区間快速としてアミアンまで行くわけだ。アブヴィルからアミアンまでは、何となくじめじめした湿地帯が多く、森の中を走る所もあったが、目を見張るような風景はなかった。途中通過する小駅周辺もあまり栄えていないようであった。
![]() |
![]() |
|
| アミアン市街に近いサン・ロック駅 | 立派で大きいアミアン駅舎 |
アミアンの郊外に入り、市街地にも近いサン・ロックで若干の客を降ろす。最後の一駅は近く、終着アミアン、2分遅れでの到着となった。
アミアンは、大きな駅であった。駅前も人が多く、飲食店などが並んでいる。駅自体も、駅前の賑わいも、ダンケルクやカレーより都会的で活気もある。パリまではまだ131キロもあるので、これはパリ郊外の賑わいではなく、アミアンが大きな街だからであろう。しかし、ダンケルクからカレーを経てここまで来ると、パリに近づいたなという感覚にはなる。

総括としては、期待したほど面白いローカル線ではなかった。とりわけ、今回はダンケルク~カレー間の本数の少なさが最初の動機で、カレー~アミアンはついでにつけた感じなので、そちらはほとんど下調べもせず乗ってみたから、なおさらである。その中で唯一、機会があれば下車してゆっくり歩いてみたいと思った所は、ブローニュであった。何はともあれ、こうして乗ったことのない線と初めての街を少しずつ潰していってはいる。しかしまだまだ乗っていない線が山ほどある。やっぱり欧州は広いのである。