欧州ローカル列車の旅 > 2016年 > フランス > コルシカ島の鉄道 (1)
地中海に浮かぶフランスの島、コルシカに飛行機で渡り、島の鉄道全線に乗ることにした。パリを土曜の朝に出て2泊し、月曜の夕方の便でパリに戻る。飛行機の便数が多いのは、二大都市であるアジャクシオ(Ajaccio)とバスティア(Bastia)。航空券の値段・便数・時間帯とも似たようなものなので、どちらにするか迷ったが、空港と町がより近いアジャクシオを選んだ。とにかく公共交通の便が悪い島らしいから、タクシーを使うことになった場合のことを考えてでもあるが、鉄道の時刻表を検討した結果、アジャクシオからの方がやや動きやすそうだったという理由もある。
コルシカ島と聞いただけで、すぐ具体的なイメージが沸く人は少ないと思う。フランス語ではコルス(Corse)であるが、本稿ではコルシカに統一した。面積8,680平方キロ、人口30万。人口密度は平米あたり35人弱で、これは北海道より少ない。大雑把に言うと、面積は四国の半分弱、人口は四国の10分の1弱。四国も山がちの島だが、コルシカ島はそれ以上で、最高峰は実に標高2,710メートル。四国最高峰の石鎚山1,982メートルや北海道、九州の最高地点をもはるかに上回る。すぐ南にあるイタリア・サルデーニャ島と似たイメージでセットで見てしまう人もいるだろうが、あちらは面積で3倍近くあり、人口も多く、人口密度も2倍の高さがある。平地もずっと多く、最高峰ははるかに低い。
歴史的にはイタリア支配が長く、中世にはジェノヴァやピサなどに支配された植民地であった。そしてコルシカ語という独自の言語もあり、公用語ではないものの、今も高齢者を中心に第一言語としての話者がいるという。そういう島なので、フランス本土とは色々な意味で異なっている。地名や駅名は、ざっと見る限り、イタリア語風の綴りが多い。
コルシカは、夏はいくぶんマイナーな地中海リゾートとして、それなりに欧州人に人気があるらしい。すこし前まで一部過激派による独立闘争関連のテロもあったが、今は平和そのものと言っていいだろう。地中海の島だから、必然的に海のイメージが強いが、平地が少なく、大規模な一次産業を展開するには厳しい山深い島なのである。都市は、上に書いた二大都市が人口5〜6万台で、あとは日本で言う町以下。1万弱の主要な町3つを足すと、5つの主要な市町があり、それらを中心とする、日本の「郡」に近いような5つの行政区画に分かれる。その5つの市町のうち4つまで、鉄道が通っている。
その鉄道だが、全線と言っても2路線しかない。大昔にもう1本、東海岸をひたすら南下する線があったが、とうに廃線になっている。2路線のうち、本線格の主要路線が、バスティアとアジャクシオの二大都市を結ぶ158キロの路線で、途中、険しい山越えがある。その途中駅のポンテ・レクシア(Ponte Leccia)という所から分かれて第四の都市カルヴィ(Calvi)へ行く線が74キロで、こちらが支線格と言える。全線全区間、単線非電化である。
そういう路線網だから、往復とも同じ空港に発着して全線を乗ろうとすると、各線とも往復乗車することになる。これはむしろ願っても無い。片道1回だけでは見落とすものも多いので、2度ぐらいは乗りたいからである。
コルシカ島の鉄道は、フランス本土の「国鉄」であるSNCFとは別運営で、地方政府が運営補助する、コルシカ鉄道、略称CFCという独立の鉄道会社によって運行されている。山がちの離島という条件なので、欧州大陸とは違う狭軌のメーター・ゲージである。日本の在来線同様、それが現代に至るまで、スピードアップを阻む要因の一つになっているようで、経営的には厳しいらしい。事実、何度となく廃線の危機を経ながらも、今日まで存続しているのが現状である。それでも数年前に新車輌を導入してイメージも一新し、今後も島の貴重な足として存続させていくようである。私はその昔、旧式の車輌が写った素朴な写真を見て、以来この島の鉄道に漠然と興味を抱いていた。だから旧型車の頃に乗りたかったのだが、今さら言っても仕方ないことである。
運行本数は少ない。バスティア、アジャクシオ、カルヴィの3大主要市町がそれぞれ行き止まりの終着駅となっており、それら都市圏に区間運転の短距離列車があるほかは、長距離列車が基本である。全線を走る列車の本数は、平日で本線5往復、支線2往復。そして、駅の入った地図を見ると、特にバスティアとカルヴィの都市圏で、駅がやたらと多い。実際、都内の私鉄並みの駅間距離だ。一転、長距離列車のみの区間は駅が少なく、駅間距離10キロ前後の所も目立つ。それらのほとんどが勾配とカーヴ、トンネルの多い山岳路線である。
列車ダイヤには平日、土曜、日祝の3通りがある。平日と土曜は、二大都市のバスティアとアジャクシオで、特にバスティア側で、通勤対応と思われる短区間の列車が朝夕を中心に走っている。土曜は若干の減便で、日曜はかなり減る。
CFCのウェブサイトは、仏英2ヶ国語対応で、時刻表や切符・運賃などの必要情報入手は容易であった。そこから時刻表をダウンロードし、それを元にダイヤグラム作成ソフト"OuDia"を使い、本線の平日ダイヤを作ってみた。上がバスティアになる。バスティアとアジャクシオの都市圏は駅が多すぎるので、一部の駅を省いたが、それでも詰まりすぎて、駅名が読めなくなってしまった。両端の都市圏以外は全駅を掲載してある。いずれにしても、ダイヤの概要は理解いただけると思う。
両端の都市圏を除くとほとんどが内陸の山岳地帯である。一般に山岳鉄道は面白い。ここまで下調べをして、こんなに面白そうな鉄道に何故今まで目が行かなかったかと、改めて自分に恥じ入る、と言えば大袈裟だが、それほどに期待できる旅である。積極的に足が向かなかった理由の一つに、何かの記事で、主に観光客のためにかろうじて存続している観光鉄道なのだ、という記述を読んだから、というのがある。だが今回の訪問で、それも正しくないことを知るに至った。
土曜日の朝、パリ・オルリー空港からのコルシカ航空は、エアバスのA320で、搭乗率は3割弱であった。観光的に最閑散期のこの時期とはいえ、空きすぎではあるが、ともかく定刻より早く、南国ムード溢れるアジャクシオ空港に着陸した。幸い、爽やかな冬晴れである。
空港ターミナルを出ると、目の前にはレンタカー会社のオフィスばかりが目立つ。市内へのバスが右端にポツンと止まっていたが、運転手だけで、客は一人もいない。一応航空便との接続を考えたダイヤらしいが、飛行機が早く着いても定刻までは発車しない。だから発車まで時間があるので、空港内の観光案内所で地図をもらったりして時間を潰し、発車5分前に再びバスに戻った。やはり乗客は誰もいない。結局私一人だけを乗せて発車、途中での乗車もない。やがて単線の線路が見えてきてしばらく並行し、踏切も渡り、15分ほどで、アジャクシオの駅前へ着いた。
終着駅の風格もあるアジャクシオ | アジャクシオ駅構内 |
11時台にスムーズに駅に着いたところで、次の長距離列車は15時12分までない。それはわかった上でやってきた。駅舎に入ってみると、列車が無い時間にもかかわらず切符売場の窓口が一つ開いていて、男性の係員が座っていた。
さっそく「パス・リベルタ」を50ユーロで購入する。コルシカ鉄道の全線乗り放題切符はこれ一種類だけで、有効期間は実に8日間。3日しかいない私には勿体無いと思うかもしれないが、アジャクシオ→カルヴィ→バスティア→アジャクシオと3区間の片道切符を買うだけでも、63.10ユーロする。事前にネットで調べている時、「カルト・ズーム」という名前でも出てきたのだが、最近名称が変わったのだろうか。公式サイトや駅にあるパンフレットでも、パス・リベルタとなっているのだが、実際の切符は、カルト・ズームであった。切符としての味わいはないが、不思議な、今まで見たことのないデザインで、一見したところ、切符に見えない。
続いてホームに入ってみる。頭端式でホーム2面3線の他、多少の留置線がある。狭軌とは言っても、日本の鉄道の大半が採用している1067ミリゲージに比べて僅かに狭いだけの、1000ミリゲージである。しかし欧州で標準軌に慣れているせいか、欧州と日本では感覚が異なってしまうのか、この1000ミリゲージを見るといつも、随分狭く感じてしまう。
アジャクシオの駅は市街地の東はずれにある。つまり駅から西側が市街地である。線路は東へ向かっているので、線路に沿って歩けば市街地の反対側に行ってしまう。12時15分にメッツァーナ(Mezzana)という所までの区間列車があるので、さきほどバスから見た踏切のあたりまで行って、この列車の写真を撮ることにする。我ながら物好きではある。といっても駅から徒歩10分ほどの場所で、海に沿ってヨットなどを見ながら歩けば退屈しない。
アジャクシオを出て市街地を進む列車 | 町中をゆっくり走る |
先進国で人口6万の小都市となれば、完全な車社会である。踏切が鳴ればたちまち渋滞ができる。何となく、ここでは鉄道は邪魔者なのではないかと思いつつも、ゆっくりと走り去る列車をカメラに収めて満足し、今度は駅を過ぎて反対側の市街地へ、そこを抜けてビーチまで、町を探索する。天候に恵まれたせいもあって、どこも絵になる風景で、博物館へ入る時間もないぐらいに、あっという間の数時間を過ごすことができた。
アジャクシオ中心部の商店街 | 市街地すぐの所にこんな風景が広がる |
それでも12月である。15時になれば早くも夕方の気配が漂ってくる。駅へ戻るが、人は少ない。ちょうど引込み線から、さきほどと同じ2輌ユニットの新型気動車がやってきた。ホームで待つ人は10人程度で、一人のおばさんが私に「これがバスティア行きか」とフランス語で尋ねる。列車ダイヤからして、それ以外に考えられないので、うなずいてしまう。
時間帯からして、ある程度の地元利用者があってもおかしくないと思うのだが、見事に空いていて、2輌の乗客は合計15人程度だろうか。あまりの寂しさに愕然とはするが、好きな席が選べるのは嬉しい。
時刻は正確で、15時12分、ピッタリ定刻に発車した。ここはフランスではあるが、離島だし、鉄道会社も違うので、フランス国鉄ならある程度乗り慣れた身だが、同じ国という気がしない。初めて来た国でその国の鉄道に初乗車した時と同じワクワク感がある。
発車すると右に港湾を見ながらゆっくり進み、さきほど写真を撮った踏切を過ぎ、しばらく町中を行けば、最初の停車駅、レ・サリーヌ(Les Salines)である。左側は平凡な場末の風景だが、右は遊歩道などが綺麗に整備されたビーチが広がっている。ここで2名の乗車があった。その次のリカント(Ricanto)は乗降なく徐行通過。コルシカ鉄道は全線に渡り、主要駅以外はリクエスト・ストップが基本なのである。そのあたりからすっかり郊外の風景になった。
やがて、右手に空港の管制塔が見えてくると、カヴォーヌ(Cavone)に停車し、空港とは無関係そうな地元の少年を一人降ろす。空港最寄り駅とはいえ、空港利用には使えない中途半端な駅だそうだ。カヴォーヌは、CFCのウェブサイトにも現地の駅名標にも、そういう名前で書かれているが、地図検索その他では、カンポ・デロロ(Campo Dell'oro)という駅名になっていることが多い。CFCの時刻表にそんな駅名がないので、計画段階の当初の私を惑わせた。地図で見れば、この駅と空港ターミナルは直線距離で1キロぐらいしかないので、歩けるのかも、と思ったのだ。実際は空港敷地をぐるりと迂回して3キロ以上歩かないといけないし、もとよりバスなどはない。駅のあたりはタクシーなども簡単につかまりそうもない所である。だから現実的には空港連絡には使えない駅である。
カンポ・デロロというのは、アジャクシオ空港のあるあたりの地名らしく、地元ではカンポ・デロロ空港と呼ばれているが、最近はナポレオン空港という愛称が一般的なようである。アジャクシオはナポレオン一世の出生地であり、ナポレオンを観光資源の一つと位置づけているようである。だから空港もナポレオンの名前を積極的に使っている。カンポ・デロロ空港は旧称と言っても良さそうである。だがきっと、地元ではその方が通りがいいのだろう。いずれにしても、駅名としてはカヴォーヌが正式らしい。カヴォーヌの先では、右手に空港の滑走路がはっきり見えた。
アジャクシオはバスティアよりやや人口も多い、コルシカ島最大の都市である。だが列車ダイヤを見る限り、バスティアほど鉄道の都市近郊輸送が栄えていない。さきほど写真を撮った区間列車も、このバスティアまでの長距離列車も、全て各駅停車だし、車輌も一緒である。この列車にも、近郊区間の短距離利用者も乗っている筈である。しかし次のエフリコ(Effrico)も乗降客なく通過し、あっけなくメッツァーナに着いてしまう。平日1日5往復の長距離列車に加え、アジャクシオとメッツァーナの間には6往復の区間列車があるのだが、果たしてこれらにどれだけの利用者がいるのだろうか。メッツァーナも特に大きな集落でも住宅地でもなく、閑散とした小駅の風情であった。
アジャクシオ都市圏の果てメッツァーナ | 下車客の見られたボコニャーノ駅 |
それでもメッツァーナは明らかに都市圏と山岳地帯との境目をなす駅である。標高56メートルのこの駅を出ると、線路はにわかに登り勾配となり、山へと分け入っていく。一転、駅間距離も長くなる。そしてここから38キロ先の、コルシカ鉄道最高地点にある駅、ヴィッツァヴォーナ(Vizzavona)は、標高906メートルに及ぶ。
9キロ先の次の駅、カルブッチア(Carbuccia)は、もうすっかり山奥にある単線の駅であった。駅周辺に人家もほとんど見えない寂しい所だが、谷を隔てた向かいの山の中腹にはある程度の人家が見られるから、こちらも列車から見えない所に同じように家があるのかもしれない。そうでなければ、この駅の存在価値もないであろう。次のウチアーニ(Ucciani)は古い駅舎もある交換駅で、人家もパラパラ見られるが、徐行で通過する。
列車はなおもカーヴを繰り返し、時に車輪のきしみ音を出しながら、ぐんぐんと勾配を登っていく。揺れが結構ある。短いトンネルも現れ出した。そしてボコニャーノ(Bocognano)に停車。一応の山村集落と思われ、下車客もいた。駅を出てほどなく、まとまった家並みがあった。
ボコニャーノ付近の車窓 | ヴィッツァヴォーナへ向けて登っていく車窓 |
しばらくして長いトンネルに入ると、列車はにわかにスピードを上げた。出た所が最高地点にある駅、山と森林に囲まれたヴィッツァヴォーナで、時間調整なのか、停車したが、乗降客はなかったようである。
5分で次のタットーヌ(Tattone)。元交換駅だが、交換設備は使用停止となっているようで、もう一つの線路はすっかり錆びている。日本のローカル線でもお馴染みの光景である。ここも寂しい山間の駅ではあるが、駅近くに大きく立派な建物がある。病院か何からしい。駐車場には車が沢山いる。
標高最高地点にあるヴィッツァヴォーナ | 左手に今から停車するヴィヴァリオ駅が見える |
その次が、キャンピング・サヴァッジオ(Camping Savaggio)という変な名前の駅で、通過したが、駅名標はただのサヴァッジオであった。キャンプ場でもあって、その便宜のため後から追加したのだろうか。日本なら駅名改称をすれば即、駅名標も取り替えるし、いつから改称しますと公式発表があるが、こちらではこうして曖昧なままやり過ごし、どれが正式かも良くわからないケースがままある。
最高地点は過ぎたが、なおも山深い所をほとんど直線もなく右往左往という感じで進む。事前に見た地図でも、その次のヴィヴァリオ(Vivario)の前後は、勾配稼ぎと思われる大回りがとりわけ激しいと感じた。そのヴィヴァリオ駅が、車窓左手に見えてくる。前方というよりほとんど真左にある。そこをぐるりと半円を描きながら、ゆるやかに勾配を下りつつ、駅へと進入してゆく線形である。この駅も周辺に人家などはない。やはり時間調整のためか停車したが、乗降客もいない。
次のヴェナコ(Venaco)の手前で、有名なヴェッキオ橋(Pont du Vecchio)を渡る。別名エッフェル橋。パリのエッフェル塔のエッフェルである。理由はこの橋の設計者が、まさにそのギュスターヴ・エッフェル氏だからである。エッフェル塔があまりに有名なので、それ以外の実績が隠れている感があるし、私も今回の旅を通じて初めて認識したが、エッフェル氏はフランスの数多くの鉄道施設の設計を手掛けた建築家である。この橋は84メートルの高さがある名物橋で、もちろん乗っている車中から橋は見えないが、並行している国道と渓谷の眺めもなかなかである。
高さ84メートルの通称エッフェル橋からの車窓 | 山間の集落にあるヴェナコ駅 |
渡り終えるとほどなくヴェナコ着。山に入ってからのこれまでの駅の中では一番大きな集落で、数名の下車客がある。アジャクシオから1時間40分だから、毎日通える距離ではないが、ちょっとした用事での日帰りに鉄道を利用するには、遠すぎず近すぎずの適度なあたりだろう。このあたりまでで山間部の車窓ハイライトは終わりと思われるし、太陽もかなり落ちてきた。12月上旬のこの地域の日没時刻は17時05分ぐらいであるから、間もなくである。
そして小さな駅を一つ過ぎれば、コルテ(Corte)。山間部最大の都市、といっても人口1万に満たないが、コルシカ島で第四位の人口を有する町である。ここは何より、コルシカ島唯一の大学がある町なのである。そのせいか、ここで数名の下車客と引き換えに、若い人が随分と乗ってきて、この列車にも初めて活気が出てきた。
コルテから分岐駅のポンテ・レクシアまでは、途中に2つ駅がある。山間部とはいえこれまでのような深い山ではなく、やや開けた山里という感じで、人家もぽつぽつと見られる。しかしその途中ですっかり日が落ちてしまった。明日の夕方、真っ暗になる前にもう一度乗る予定をしている。
そしてすっかり夜の更けたポンテ・レクシアに着く。閑散とした寂しい分岐駅という予備知識はあったが、深い山を越えてきた後だけに、ぽつぽつとは灯りのある車窓である。この列車はバスティア行きだが、ここでカルヴィ行きに接続する。乗り換え客が多少はいるはずと思ったが、私以外の誰一人として席を立たないので、心配になる。しかしホームの反対側にはがらがらの列車が停まっている。ホームの案内表示にも、ここがカルヴィ方面と書いてあるので、間違いはないだろうが、それにしても恐ろしいまでの空きようである。もう一つのホームには、バスティア発アジャクシオ行きも到着し、接続を取るはずであるが、そちらの列車が遅れているらしく、バスティア行きもこの列車もなかなか発車しない。ちなみにこの乗り換え列車はポンテ・レクシアが始発の折り返しである。ポンテ・レクシアとカルヴィの全線を走る列車は平日も土日も2往復だが、列車ダイヤはそれぞれ異なる。平日は、午前の1往復はバスティア直通で、午後の1往復がポンテ・レクシアで折り返している。そして土曜は2往復ともポンテ・レクシア折り返しである。対して日祝は2往復ともバスティアへ直通している。いずれにしても、この列車はここポンテ・レクシアで交換する本線の上下列車ともに接続を取るダイヤになっている。
遅れてきたバスティア発アジャクシオ行きからの乗り換え客と思われる人が若干名乗ってきたが、それでも2輌全部で10名はいないであろう。そして、乗ってきた同じホームのバスティア行きと、同時発車する。正規ダイヤでは同時ではない。同じ方向に同時発車して、しばらく同じスピードで並走する。あちらの列車の乗客の顔までしっかりわかる。大都市圏では時々経験する並走だが、こんな所でこういう光景が見られるとは思わなかった。やがてそれぞれにゆるやかなカーヴを描きながら分かれていく。そして外は真っ暗闇になった。
三列車が接続し合う夜更けのポンテ・レクシア | 終着カルヴィへ早着した列車 |
ポンテ・レクシアからカルヴィまでは、はっきり2つの区間に分かれる。前半のイル・ルッス(Ile Rousse)までの51キロは、平日も土日も1日2往復しか列車のない、コルシカ鉄道の最閑散区間であり、地図を見る限り、人口密度の低い山の中をカーヴを繰り返しながら走っている。駅間距離も長く、途中駅の全てがリクエスト・ストップで、大きな集落もなさそうなところである。
対するイル・ルッスからカルヴィまでは、概ね海岸沿いを走る。駅間距離も短く、都市圏輸送とまでは言えないが、前半よりははるかに人口密度の高い地域を走る。途中駅の駅名をつぶさに見ていくと、何とも観光リゾート地としか言いようのない、昔ながらの地名ではなさそうな妙な駅名がいくつもある。
日没後なので、細かな沿線観察は明日に譲るが、とにかく、ガラガラの夜の列車はひたすら闇の中を走った。本線に比べて揺れがひどい。軌道整備が追いついていないようである。イル・ルッス以外の駅は全て、リクエスト・ストップ扱いだが、そのどれ一つとして停車しなかった。よって終着カルヴィには、時刻表より4分も早着した。