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ボーデン〜ナルヴィク 目次


目次 (1) スカンジナヴィア最北駅への道 Way to Northernmost Station in Scandinavia
ボーデン〜イェリヴァレ Boden - Gällivare
イェリヴァレ〜キルナ Gällivare - Kiruna
(2) キルナ〜リクスグレンセン Kiruna - Riksgränsen
リクスグレンセン〜ナルヴィク Riksgränsen - Narvik
ナルヴィク Narvik

スカンジナヴィア最北駅への道
Way to Northernmost Station in Scandinavia


 世界中で北極圏まで旅客鉄道が通じている国、つまり北極圏内で鉄道に乗れる国は、ロシア、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの4ヶ国だけである。最北はロシアのムルマンスク(Мурманск/Murmansk)へ至る線で、終着ムルマンスク駅の緯度は北緯68度58分。ロシアへの鉄道旅行は少々敷居が高いが、スカンジナヴィア3国はいずれも思い立ったら割と気軽に行ける。私は一昨年、フィンランドに行き、同国の最北駅であり、北極圏内の北緯67度21分にある終着駅、コラリ(Kolari)まで乗った。格別の絶景こそなかったけれど、快適で楽しい汽車旅であった。

 そこで今回、以前から狙っていた、北欧最高緯度にある終着駅、北緯68度26分のノルウェーのナルヴィク(Narvik)を目指すことにした。時期は8月末。2年前のフィンランドも8月後半だったし、それ以前にノルウェー北部の鉄道に乗りモー・イ・ラーナ(Mo i Rana)まで行ったのも9月中旬だった。 せっかく白夜のある地域に行くのに、その恩恵を得られない中途半端な、しかも似たような季節ばかりになってしまった。計画性はないものの、年中暇というわけでもない自分の都合と性格上、やむを得ない結果ではあるが、行く気持ちになった時がチャンスであるから、致し方ない。もっとも白夜の北欧は、観光客が多く、混むし、宿なども値段が高くなる。加えてその時期は蚊などの虫がすごいらしい。 であれば、それらが概ね去って、なおまだ夜より昼が長いこの時期は、ひとつの狙い目である。冬になる前にと気持ちが焦る頃でもあり、結果、いつも北欧がこの時期なのであった。次回はせめて春分の後、夏が来る前の残雪深い頃にしたいと思う。

北極圏内の鉄道

 この最北の鉄道は、ほとんどスウェーデンを走るが、終着の手前から39キロだけ、ノルウェーに入る。終着駅ナルヴィクもノルウェーの町である。このノルウェーの39キロ区間は、他のノルウェーの鉄道と接続していない、孤立した区間である。線路や駅などの施設はノルウェー国鉄の所有で、貨物列車はノルウェーの会社も運行しているが、旅客列車の運行は100%、スウェーデン国鉄SJが担っている。国境を跨がず、ノルウェー国内区間だけを乗る場合も、ノルウェー国鉄のサイトでは切符は買えず、スウェーデン国鉄のサイトに行かなければならない。運賃表記もノルウェー・クローネではなくスウェーデン・クローナである。

 この鉄道は、鉄鉱石線という線名がついているほどで、スウェーデン北部のキルナ(Kiruna)で産する鉄鉱石を港へ運ぶために敷設された。キルナから、スウェーデン北部のボスニア湾にあるルーレオ(Luleå)港までは、地形も比較的穏やかで、貨物輸送にも適し、国境越えもない。しかしルーレオ港は冬期に凍結するので、線路は峠を越え、国境を越え、不凍港であるノルウェーのナルヴィクまで敷かれた。ナルヴィクは北極圏内にある町としては人口もそこそこあり、鉄道需要も見込める都市である。実際、ノルウェーのトロンハイム(Trondheim)からボードー(Bodø)まで来ているノルウェー国鉄を、ここまで延ばす計画が何度か浮かんでは立ち消えになったらしい。よってナルヴィクは、ノルウェーにありながら、スウェーデン国鉄の列車の終着駅として、かれこれ一世紀以上も君臨している。

 首都ストックホルムからナルヴィクまでの鉄道距離は、1465キロ。東京〜鹿児島中央の在来線実キロ1514キロより50キロほど短い。ストックホルムを夜に出て、ナルヴィクは翌日午後に着く長旅である。

 夜行は2本ある。早い時間に出発する方が、ストックホルム18時11分発のナルヴィク行きで、1465キロを乗り換えなしに乗り通せる。ボーデン(Boden)を通るのが朝9時頃で、終着ナルヴィクには15〜16時台に着く(日により異なる)。但し実際の直通はキルナまでで、そこで乗り換えになることもあるようだ。

 もう1本が、今回乗った、ストックホルム21時12分発で、これは、ルーレオ行き。手前のボーデンで乗り換えれば、ナルヴィクが17時37分着となる。夜行はストックホルム始発で、前方にはドゥベド(Duved)行きが併結されている。それは深夜のスンツヴァル(Sundsvall)で分割される。そのスンツヴァルでは、スウェーデン第二の都市イェーテボリ(Göteborg)発の列車と併結される。だから、夜にストックホルムで見た時と、朝にボーデンで見た時では、ほぼ同じ長さの編成の列車なのだが、実際は途中で半分が入れ替わっているのである。イェーテボリとストックホルムからの線が合流するのはかなり手前のイェブレ(Gävle)だが、イェーテボリ発はイェブレには停車せず、分割併合作業は一括してスンツヴァルで行われている。

 今回は別ルートに抜けず、ストックホルムから同じ区間を往復することにしたので、せめて行きと帰りで昼夜の時間帯をずらして、全区間、片道は昼間に乗ろう、と最初は考えた。しかし、検索すると、ストックホルムとボーデンの間は、夜行に乗る以外の選択肢がない。昼間の列車に関して言うと、ストックホルム〜ウメオ(Umeå)間715キロには、特急列車が概ね1時間に1本あり、6時間半ほどで走っている。しかし昼間の鉄道移動としてはこれが限界なのだろう。ウメオ〜ボーデン間315キロは、その間だけの需要も少ないようで、昼間のローカル列車は2往復しかない。ここが昼間移動のネックになる。そのどちらかに合わせたとしても、結局前後のどこかが、長距離夜行列車に重なってしまう。だから、ストックホルム〜ボーデンの間を昼間移動する乗り方は、ナルヴィクを目的地とした検索では出てこない。もしも全線乗りつぶしを目指す人で、明るいうちに乗って景色を見なければ乗ったことにならない、と決めている人がいるなら、白夜の季節に夜行に乗って一晩中起きていれば、可能ではある。さもなければ途中で1泊してゆっくり行けるなら、それがいいだろう。

 ともかく今回は、ストックホルム21時12分発のルーレオ行き夜行に乗り、ボーデンでナルヴィク行きに乗り換える旅程に決めた。ボーデンの乗り継ぎ時間も22分だけで、あとは延々列車の中、ナルヴィク着が17時37分。20時間25分の長旅である。聞いただけでうんざりする人もいるだろうが、純粋に楽しみで仕方ない。我ながら重い慢性鉄道病だと思う。

 切符は、インターレールパスを用意しておいたが、この区間は夜行のみならず、ナルヴィクまでの昼間の列車も全車指定席なので、追加料金を払って事前予約をしておかなければならない。これはスウェーデン国鉄のサイトで簡単にできる。寝台の追加料金が日本円で2700円弱と、日本の寝台券に比べるとずいぶん安い。ついでにレールパス無しの通常運賃で、ストックホルム〜ナルヴィクという長距離の切符を買うといくらになるか、調べてみたのだが、寝台込みでも早割なら8500円程度から、座席なら5000円ほどで、東京〜鹿児島に近い距離を移動できる。北欧というと物価が高いイメージがあるが、鉄道運賃に関してはずいぶん安い。日本でいう寝台券部分は、6人1室コンパートメントのクシェットなら3000円前後が相場だし、特急料金のようなものも要らない。日本もこのぐらいにしておけば、夜行列車もそれなりの利用率が保てて壊滅しなかったのでは、と思ったりはする。

 インターレールやユーレールパスを持っていても、寝台や座席指定だけの追加料金がネット予約できる点は、2年前のフィンランドより進んでいる。但しチケット番号の入力が必要なので、先にパスを購入していないと買えない。チケットは即、PDFで発行される。プリンターがなくても車掌にスマートフォン画面でQRコードを見せるだけでOKであった。便利で、かつ進んでいるが、私は駅で買う普通のチケットも欲しいと思い、今回の旅行の他の区間では、わざと現地駅窓口で指定券を購入したのだが、出てきたのはネット予約の時のPDFと全く同じスタイルのA4用紙であった。スウェーデンではもう、従来の概念での切符というものが存在しなくなっている。何しろこのPDFにQRコードが印刷してあるチケット、値段が書いていない。

 夜行列車の重みを感じる寝台車入口  ストックホルム中央駅で発車を待つ

 欧州もひところに比べれば夜行列車が激減したと言われる。それでも、日本で夜行列車の消滅を嘆く人が見れば羨ましがるであろう程度には走っている。私は、6人1室の簡易寝台であるクシェットを下段で取っておいたのだが、6つのベッドが全て満室であった。他のコンパートメントをのぞいても、概ね乗客で埋まっていた。スウェーデンももちろん、国内線の飛行機もあるし、格安航空会社も増えている。それでもこれだけの利用者がいる。ストックホルムでホームを端から端まで歩いて眺めてみたところ、電気機関車に続き、客車13輌(うち7輌がルーレオ行き)。食堂車1輌、座席車2輌の他は、色々なタイプの寝台車であった。

 ストックホルム郊外のウプサラに停車  朝9時半すぎのエルブスビュン

 列車は定刻に発車、私は夕食も済ませていたので、早々と横になり、結構良く寝てしまった。途中何度か目は覚めたが、深夜のスンツヴァルでの分割併合にも気づかず、ちゃんと起きたのは8時頃である。ウメオあたりから降りる人が目立ち、8時の時点では6つのベッドのうち3つは空であった。食堂車に行ってコーヒーとサンドイッチを買って席に戻って食べる。同室の残った客が、寝台の中段を畳んで座席にしている。下段の反対側の私も真似して、客のいない中段を下ろす。使い終わった寝具は上段に放り込む。そうすると6人1室の座席コンパートメントの昼間の列車へ変貌する。かつての日本ではこの作業は係員が乗り込んでやっていたが、こちらは全て乗客のセルフサービスである。


ボーデン〜イェリヴァレ Boden - Gällivare


 ボーデンには定刻より3分早い10時09分に着いた。既に残り少なくなった乗客のほとんどは、ここで降りる。終着ルーレオまではあと一息なので、できればルーレオまで行き、ルーレオ発ナルヴィク行きの全区間に乗りたい。しかし本数が少なすぎるので、ルーレオでの滞在を合わせたゆとりプランを作らない限り、ここボーデンでの乗り換えとなってしまう。というよりも、ボーデンで接続良く先へ行けるようにダイヤを組んでくれているわけである。

 ボーデンにはほぼ定刻に到着  ボーデン駅舎

 ボーデンは私が1992年夏に夜行列車に乗車した駅である。フィンランドのケミ(Kemi)からバスでハパランダ(Haparanda)へ、そこから北海道のローカル線を思わせる一輌だけの気動車列車に乗り、ここボーデンに着いた。それはボーデンでストックホルム行き夜行列車に接続していたので、ボーデンはホームでの乗り換えだけであった。ボーデン〜ハパランダ間の旅客輸送はその年の秋に廃止されてしまったので、当時はそんなことは考えてもいなかったものの、結果、間一髪のところで廃止直前の路線に乗れたのだった。線路自体は貨物輸送で今も健在で、そのためボーデンは、それも含めればそれなりに規模の大きい鉄道ジャンクションと言える。但し、ハパランダからの旅客列車廃止後の代替バスは、最初は鉄道ルートに忠実だったものの、いつの頃からかルーレオ発着に変わっており、ここボーデンには立ち寄らなくなっている。

 ボーデン駅前  ルーレオ行きが長時間停車中のボーデン

 ボーデンはそんな駅であり、一応の町でもあるが、この地方の中心都市で貿易港を擁するルーレオに比べれば断然小さい。夜行列車から降りた人の大半は、私と同じナルヴィク行きへの乗り換え客である。ナルヴィク行きへは同じホームの反対側で乗り換えができるが、来るまで少し時間があるので、駅前に出てみた。バス停もあるし、アパートや人家やオフィスビルがパラパラとあるが、商店の一つもなく、閑散としている。駅舎内には小さな売店兼カフェがあり、営業していたので、昼食のサンドイッチを仕入れておく。


 10時29分、ルーレオ発のナルヴィク行きIC96列車がやってきた。電気機関車牽引で客車3輌であった。その到着と入れ違いに、乗ってきたストックホルムからのルーレオ行きが発車していった。ナルヴィク行きは、ルーレオから乗っている客は少なく、ここで大勢乗り込む。全車指定席だから慌てて乗る必要はないが、それでも皆が乗車口に群がり、大きなバックパックの人も多いので、スムーズには乗れない。指定された号車のドアに乗っても、席が反対側の人も多く、大きなリュックを背負った人が車内の通路ですれ違わなければならず、そこで詰まると次の人が乗車できなかったりする。

 それでも4分停車の間にほぼ落ち着き、2分遅れの10時36分に発車。乗車率は8割ぐらいであろうか、つまり席の大半は埋まっているし、網棚もバックパックなどでほぼ埋まっている。私は窓側の席が取れず、通路側で、最初は残念に思ったのだが、実際に乗ってみて思ったのは、私のように駅に着くたびにドアまで行って写真を撮る人間が窓側に座っては、通路側の客に迷惑である。つまり、窓側が取れないぐらい客が多い時は、むしろ通路側が正解なのであった。

 鉄道ジャンクションとしては大きなボーデンも、町は小さいので、すぐに途切れて森林地帯へと入る。最初の駅ムリエク(Murjek)まで87キロもあり、55分かかる。車窓風景も単調で、目を見張るものとてないが、それでも徐々に北へ北へと向かう寂しい景色を見ていれば、遠い所へ来たんだという感慨は沸いてくる。車窓は概ね森林と原野で、たまに湖がある。農業がおこなわれている感じはほとんどなく、牛などの家畜もほとんど見ないし、人家も稀である。

 10分ごとぐらいに信号場がある。貨物列車とすれ違うこともある。ボーデン〜ナルヴィクの旅客列車は基本は3往復だが、その何倍もの貨物列車が走っているに違いない。11時15分のラカトラースク(Lakaträsk)という信号場ではこちらが停車し、行き違いの貨物列車を待つ。三角屋根の立派な駅舎があり、駅名標もある。かつては駅だったのが、利用者減で信号場に格下げになったのかもしれない。

 そうしてやっと着いた最初の駅ムリエクは、簡素ながらちゃんとした駅舎があり、駅舎の隣には、やっているのかどうかわからないが、カフェのようなものがあった。しかしそれだけで、駅前も寂しい。2名の下車客があり、迎えらしい車が駅前にいた。ムリエクの集落自体は、人口100人足らずだそうだ。

 ボーデン発車後落ち着いた車内  最初の停車駅ムリエク

 ムリエクと次のナッタヴァーラ(Nattavaara)の間で北極圏に入る。以後終着ナルヴィクまで、線路は徐々に緯度を上げつつ進む。

 ムリエク駅前  車窓はこんな風景がずっと続く

 ナッタヴァーラは停車しなかった。リクエスト・ストップなのか、あるいはもしかするとそういうシステムもないが、全車指定席だから、切符をチェックした車掌が下車客がないことを機関士に伝えた上で、勝手に通過しているのかもしれない。


イェリヴァレ〜キルナ Gällivare - Kiruna


 主要駅の一つ、イェリヴァレ(Gällivare)には、時刻表より実に17分も早い、11時41分に到着した。停車駅を一つ通過したぐらいで17分もの早着とは、日本では考えられないだろう。本来でも19分停車なので、今日は停車時間が36分ある。ここで2割ほどの客が下車する。幸い日が差して暖かくなっており、先へ行く客も、停車時間が長いのを知っているのか、列車から出てくる人が多い。

 立派なイェリヴァレ駅舎  イェリヴァレ長時間停車のひととき

 イェリヴァレは、ストックホルムとオスロのちょうど中間あたりにあるクリスティネハムン(Kristinehamn)という所から、延々1295キロを北上してきた、インランド線の北の終着駅である。インランド線は、スウェーデン内陸部の開発や木材輸送などのために、20世紀前半に全通したものの、もとより人口希薄な地域なので、とても鉄道として維持できるような条件ではない。それが今日まで残っているのは大したものだが、実態は、夏の間だけ、1日1往復、ほとんど観光鉄道のような形で列車が走っている。その他、一部区間で貨物輸送も行っているという。今年の旅客列車の運転は8月18日で終わっており、もう乗れないが、ある意味、世界最強の僻地を行くローカル線かもしれない。一度乗ってみたい気はするが、季節運行の観光鉄道に徹している点で、やや興味が薄れる。もちろん乗ってみれば延々と未開の僻地を行く楽しみはありそうだ。他方、今私が乗っているこの線も、見る限り大半が観光客やハイキング客で、用事があって乗っていそうな地元風の人は割合としては少なそうだ。主要な町には空港もあるので、所用での中長距離移動は、飛行機が主なのであろう。


 駅舎の隣の売店ではコーヒーや軽食も売っていたので、ホームや駅前をうろうろして写真を撮り、最後に買い物をして車内へ戻った。それを見た他の乗客が、どこで買えるのかと尋ね、走って買いに行っていた。時刻表では列車にも軽食サービスがあると書いてあり、実際、2輌目中ほどに売店のようなスペースがあるのだが、残念ながら営業していない。もとより多くの人はあらかじめ飲食の準備をして乗っているし、私もボーデンでサンドイッチは買っておいたが、ここでの長時間停車は貴重だし、ちょうど昼食時、ちゃんとしたホットコーヒーが買えたのは有難かった。

 イェリヴァレを定刻に発車。次の停車駅はキルナで、ちょうど100キロあり、72分で走る。途中に駅が3つあるのだが、これらに停車するのは朝の上りと夜の下りだけで、他の2往復は通過、この列車も停車しない。こういう駅には興味をそそられるのだが、車窓を眺めているだけでは全くわからなかった。しかし時代は便利になったもので、帰路にスマートフォンのグーグルマップを見ながら乗ってみた。グーグルマップもどんどん進化しており、今はこんな駅もきちんと掲載されている。それによって帰りに3駅中2駅は通過の車中から観察できた。

 通過駅フェーローセンの駅舎(翌日撮影)  湖も時おり車窓に現れる

 フェーローセン(Fjällåsen)は交換設備があり大きな駅舎もあるちゃんとした駅だったが、印象的だったのがシュイシュカ(Sjisjka)で、見る限り建物も皆無の原野の中に、北海道の乗降場を思わせるような短い板切れホームがポツンとあるだけの駅であった。一般にこちらは日本より思い切って利用者の少ない駅を廃止してしまっているから、こんな駅でも残っているということは、利用者があるからなのだろう。さすがにここで乗降するのは無理そうだが、次回はこのあたりをレンタカーで回って、列車の時間に合わせて行ってみたい、なんて考えてしまった。だが帰ってから調べると、ここは車の入れない場所で、最寄りの道路から10キロ離れているそうだ。そんなところに駅がある理由が、ウォーキングの人のためのほか、ここに先住民族であるサーミ人アーティストが住んでいたことによるらしい。といってもそのアーティストも1951年に亡くなっている。彼のために開設した駅という記述もあるのだが、今日、果たしてたまにでも住人の利用者がいるのだろうか。

 風景はあまり変わらないが、イェリヴァレまでは緑の針葉樹が多かったのに、その先は落葉樹なのか、早くも葉が黄色くなりかけている所が多い。時々湖があるが、人家は滅多に見かけず、農地も牧草地もない。荒涼そのものである。冬など本当に寂しいであろう。

 行き違いのため停車した信号場  姉妹列車が走り去った

 14時16分、信号場に停車。何もない所で、車で来る職員用なのか、未舗装の道路が来ている。ここで2分停車し、姉妹列車であるIC95列車、ナルヴィク発ルーレオ行きと行き違う。あちらはさっと走り去ったので、もとより車内の様子は窺い知れなかったが、こちらと同じ、電気機関車牽引の3輌編成であった。


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