欧州ローカル列車の旅 > 2023年 > オーストリア・イタリア > インスブルック~ブレンネロ/ブレナー
目次 | ブレナー峠越えの鉄道 Railway over Brenner Pass |
インスブルック Innsbruck | |
インスブルック~ブレンネロ/ブレナー Innsbruck - Brennero/Brenner | |
ブレンネロ/ブレナー Brennero/Brenner |
時は1992年夏に遡る。私はイタリアのヴェローナ(Verona)からミュンヘン(München)行き国際特急列車に乗車し、インスブルック(Innsbruck)へ向かった。暑い平地から北上し、徐々に高原らしい風景に変わっていく車窓を眺めながらの、快適な旅であった。乗ること3時間、列車はイタリア最北駅でありオーストリアとの国境駅である、ブレンネロ/ブレナー(Brennero/Brenner)に停車。イタリア語とドイツ語のバイリンガル駅名である。まだシェンゲン協定施行前のこと、列車はここで長時間停車し、車内でイタリア出国審査とオーストリア入国審査があった。貨物も通関があった時代なので、側線を多数抱えた構内の広い駅で、貨車が沢山滞留していた。並行道路も駅付近を通っており、車は頻繁に行き交っているようであった。しかし、周囲はとても寂しい所で、何一つない、渺茫たる高原のサミット、そんな印象であった。発車すれば今度は谷を下り、ほどなく高原都市、インスブルックへと至る。
以上はもう大昔の話で、細かいことは忘れてしまったが、峠の国境駅の寂しさは、記憶の隅にずっと残っていた。以来、このブレンネロ/ブレナーという場所を訪れてみたい、漠然とそう思いつつも実行する機会がなく、今日に至っていた。
当時の時刻表を調べると、乗った列車はEC84列車ミケランジェロ号だったことがわかる。ローマ7時25分発、ミュンヘン18時30分着という、11時間05分をかけて走破する長距離昼行特急であった。当時のヨーロッパではこの程度の長距離列車はさほど珍しくなかったし、今もある程度は走っている。日本だってまだ大阪~青森の特急白鳥があった。
今はどうなっているか、調べると、始発がボローニャ(Bologna)になっているものの、列車番号EC84も同じで、行先のミュンヘンも同じである。ローマ~ボローニャ間を切られたのは、この区間は高速新線が開通したからであろう。時刻表検索をすると、ローマ発9時10分発のミラノ行き高速列車フレッチャで出て、ボローニャ19分の接続時間で乗り換えと出て来る。そして、ボローニャ~ヴェローナ間こそ大幅な時間短縮が実現しているが、それ以北はミュンヘン着時刻に至るまで、当時とほとんど変わっていない事に驚かされる。
ブレンネロ/ブレナー駅を訪れるのは、さほど大変ではない。近くに大都市こそないものの、2~3時間に1本の国際特急列車の他、イタリア側、オーストリア側の双方で普通列車が1時間毎に走っており、ブレンネロ/ブレナーで折り返しているので、普通列車乗り継ぎの旅も問題ない。その気になればいつでも行けそうなこともあって、今日まで行かずにいた。今回、半分仕事の旅行の寄り道で、インスブルックを通るスケジュールを組んだ。晩の宿はミュンヘンだが、時間の余裕はたっぷりある。やっとチャンスが訪れた。
とはいえ、ブレンネロ/ブレナーは、できることなら距離の長いイタリア側から時間をかけて峠を上って到達したかった。そして峠で一服した後、オーストリア側へ下っていく。個人的に、逆方向よりも、そのイメージなのである。イタリア側だと、東西の幹線が交わるヴェローナからブレンネロ/ブレナーまでは237キロあり、ブレンネロ/ブレナーが属するボルツァーノ(Bolzano)自治県の県都ボルツァーノからでも90キロある。ボルツァーノまで主要駅停車でそこから各駅停車となるブレンネロ/ブレナー行きローカル列車もある。
他方、オーストリア側は、インスブルックからブレンネロ/ブレナーまで37キロしかない。距離の問題だけではない。ヴェローナは海抜60メートルの平地であり、ボルツァーノで260メートル。標高1100メートルのブレンネロ/ブレナーまで、時間をかけて峠を上る旅がたっぷり味わえる。対するインスブルックは、既に標高580メートルの高原都市なのである。
しかし、ここで贅沢を言って断念しては、次がいつになるかわからない。日の短い季節でもあるし、インスブルックでの数時間の自由時間を活かし、今回はここからブレンネロ/ブレナーを往復してみることにした。
地名表記に関しては、ブレンネロ/ブレナーのあるイタリアのこの地方は、イタリアとはいえドイツ語とのバイリンガルである。今回は、全域がドイツ語圏の旅と言っていいのだが、駅名としては、基本はブレンネロ/ブレナーと書くことにした。実際はイタリアのバイリンガル地域でも、言語の分布には地域差があり、最北部の国境エリアは、ドイツ語を第一言語とする住民が圧倒的に多いそうだ。それでもイタリア領土なので、国の第一言語のブレンネロを省くのは若干失礼かなと思い、長くなるので迷ったけれど、こう書くことにした。
インスブルックは、細長いオーストリア西部の中心都市の一つである。訪れた11月上旬は、街はまだ秋だが、山はすっかり雪化粧、というタイミングであった。幸い爽やかに晴れた日、少し街を歩いてみる。土曜午前中の街は静かで、高原リゾート都市というに相応しい、清楚な雰囲気であった。多くの人がご存じの通り、ここは冬季オリンピックが2度も行われた、ウィンタースポーツの街でもある。
インスブルック中央駅 | インスブルックのトラム |
都市圏人口は20万程度で、通りも広いし、さして渋滞もなさそうであるが、ここでもトラム路線が整備されている。歴史は古く、19世紀末に蒸気機関車による狭軌軽便鉄道として開業したのに遡る。現在もその区間へ乗り入れる急勾配を伴う山岳区間があるそうで、これはこれで日を改めて探索してみたいトラムである。そういった経緯もあり、トラムも軽便鉄道と同じ、メーターゲージが採用されている。オフシーズンの土曜日午前ということもあり、街中で見る限り、どのトラムもガラガラであった。
インスブルックを東西に貫通するのは、オーストリアを横断する、東はザルツブルクを経てウィーンへ至り、西はリヒテンシュタインを通ってスイスへと通じる幹線である。しかし線路はインスブルック中央駅のあたりでカーヴを描いていて、駅のあたりは線路が南北に通っている。駅出口は西側で、東側の出口はない。構内はかなり広く、駅前から駅裏へ歩いて行くと、北側の陸橋を大回りして15分もかかるそうだ。
なかなかお洒落な駅構内 | 41番線で発車を待つブレンネロ/ブレナー行き |
そのインスブルックから乗車するのは11時49分発の普通列車で、4番線の南端にある切り欠きホームである41番線から南へ発車する。4輌編成の綺麗な電車で、時間帯のせいもあり、空いていて、3割程度の乗車率であった。それでも、終点まで町らしい町もなく、すぐ山へ分け入る路線にしては、思ったよりは利用者がいる。
発車すると列車は沢山の線路の中を進むが、ほどなく線路の多くが右側にカーヴしていく。こちらはほぼ直線で南下し、さっそく短いトンネルもある。そして2分も走れば市街地を完全に外れてしまう。地図で見ればわかるように、インスブルック中央駅は、東西と北側に市街地が開けているが、南はすぐ山なのである。
そんな山岳ローカル線のようではあるが、列車は綺麗に1時間に1本の等時隔運転をしており、ブレンネロ/ブレナーまでの区間はS3という路線番号のSバーン区間に指定されている。しかしさらに驚くのは、途中のシュタイナッハ・イン・チロル(Steinach in Tirol)までの区間列車が間に入り、そこまでは30分間隔の運転になっていることである。そして、インスブルック寄りに2つの通過駅がある。だから私は当初、シュタイナッハ・イン・チロルまでの区間列車がそれら2つの駅にも停車するのだろう、と思っていた。しかしそれは間違いで、この2つの駅は、朝夕の数本以外は停車せず、日中は列車が全く停まらない。こういった細かいことも、時刻表マニアならばきっと真っ先に気づくのだろうが、私はそこまで徹底しておらず、実際に乗る段階で気づく程度である。特に今回のこの路線は、乗って駅を通過したのに気づいて、それから調べ始めてここまでわかった。Sバーンと名づけられた短距離路線なので、まさか通過駅があるとは思わず、きちんと調べずに来てしまったわけだ。
清潔で静かな列車内 | 発車4分後は完全な山の中 |
列車はカーヴを繰り返しながら、短いトンネルをいくつもくぐり、ぐんぐんと勾配を稼いでいく。それでもこの路線自体が欧州を縦断する複線電化の幹線であるから、新型電車の鈍行といえどもなかなかの快速である。
インスブルックから遠くないのに寂しい山の中の駅を確かに2つ通過し、なお進むと、ちょっとした山峡集落に入り、最初の停車駅、マトライ・アム・ブレナー(Matrei am Brenner)に着いた。石造りの立派な駅舎があり、数名が下車、ここからの乗車客もあった。
マトライ駅ホームと駅舎 | シュタイナッハ駅と駅前 |
勾配を上りながらさらに南下し、4分ほどで、次のシュタイナッハ・イン・チロルに着く。ここまでの区間列車があり、インスブルックとここの間は30分毎という高頻度運転区間である。駅前にちょっとしたアパートなどもあり、それなりに人が住んでいる所とは見受けられたが、特に乗降客が多いわけでもないし、ここまでの区間運転列車をよく維持しているなと感じる。
ザンクト・ヨドク手前の眺め | ザンクト・ヨドク手前の眺め |
シュタイナッハを出ると、地形も険しくなり、進むにつれて地肌にも雪が見られるようになる。また4分ほど走ると次のザンクト・ヨドク・アム・ブレナー(St. Jodok am Brenner)。高台にある相対ホームの駅で、ホーム隅にも雪があり、ホームからの雪化粧した村の眺めが素晴らしい。乗降客はほとんどいなかったようだ。
ザンクト・ヨドクの先は、この区間のハイライトで、線路は大きくオメガ・カーヴを描き、右へほぼ180度、旋回する。右側の車窓を眺めていると、発車後1分、さきほどホームから見えた教会とその後ろにある駅と線路が右車窓のやや下方に見える。といっても、大した勾配ではない。蒸気機関車時代に開通しているから、できるだけ緩やかな勾配で済むように線路を敷いたのだろう。
ザンクト・ヨドク駅ホームと村の眺め | 発車後ザンクト・ヨドクの駅と教会を下方に望む |
最後の途中駅、グリース・アム・ブレナー(Gries am Brenner)は、やはり高台にある相対ホームの駅だが、木々が茂っており、ザンクト・ヨドクのような眺望はない。ここも小さな村で、乗降客もほとんどなかったが、オーストリアの出入口に位置するので、関所のような役割の村であり、古くからのホテルがいくつもあるそうだ。1963年に高速道路が開通してから、交通量が減り静かさを取り戻した、という記述があるから、かなり古くからここが重要な交通路であり、この村が宿場のような役割を果たしていたらしい。
グリース駅南行きホーム | 一般道と高速道もブレナー峠を目指す |
いよいよ人家もなくなり、寂しい谷を、ブレナー峠へ向かう。同じく一般道と高速道も、やはり峠へ向かって集まってくる。ブレナー峠はアルプス越えの数ある峠の中でも標高が最も低く、古代から重要な交通路だったのである。
道路がなければ神秘的であろうブレナー湖 | 駅構内に差し掛かるがまだここはオーストリア |
列車がスピードを落とし始めるあたりで、右手にブレナー湖が見える。小さな神秘的な湖ではあるが、線路と湖の間を一般道と高速道が両方通っており、湖畔への道はあるものの、静謐な雰囲気は望めそうもない。それら道路ともつれ合うように進み、線路の幅が広がってくると、駅構内。イタリアの駅だから、イタリア語でブレンネロと大きく書いた信号施設の脇を通るが、ここはまだオーストリアなのである。
列車は定刻に、ブレンネロ/ブレナー駅に到着した。ここは、バイリンガルで、ドイツ語を第一言語とする住民が圧倒的に多い土地である。それでもれっきとしたイタリア国鉄の駅だから、イタリアタイプの駅名標がある。ブレンネロが先で、ブレナーが後の二ヶ国語表記である。「出口」などの標識も二ヶ国語表記だが、イタリア語が上に大きく、ドイツ語は下に小さく書いてある。
私の乗っていたあたりは空いていたが、4輌の列車からはそれなりに大勢の乗客が降りてきた。また、この列車は5分で折り返してインスブルック行きになるので、乗る客も結構いて、ホームはなかなか賑わっている。一歩降りたホームは屋根のない所で、インスブルックよりずっと寒く、粉雪が舞っている。降っているのではなく、積もった雪が風で舞うのである。
インスブルック行きローカル列車専用ホーム | 伊独2ヶ国語の出口の標識 |
インスブルック方面からの客の殆どは、ホームを前方に進み、10分で連絡しているイタリアの普通列車に乗り換える。12時38分発ここ始発のメラノ(Merano)行き。本線をボルツァーノまで行き、そこから支線に入る列車である。オーストリア側より長い6輌編成の綺麗な電車であった。
多くの客は前方のイタリアの列車に乗り換え | 発車を待つイタリア側の普通列車 |
乗り換え客の多さに対し、ここで下車して駅を出る客は少ない。31年前の何もない寂しい国境駅の印象からすれば当然である。しかも当時はまだシェンゲン協定前で、出入国審査官から税関職員から、国境ならではの労働者が大勢いた筈である。今はその機能もない。一層寂れていて、下車する人はほとんどいない・・・という文章を書くことになるのかな、との先入観を持ってやってきた。しかし、古びた地下道を通って駅出口へ向かう人が、思ったより多い。
私はホーム南端に行き、12時38分発メラノ行きの発車を見送った。その頃にはホームには人影がほとんどいなくなっていた。1時間に1本の南北の列車の接続時だけ賑わう駅と言っていいだろう。
それから駅を出てみる。乗降客は少なくても、大昔からの国境駅であり、拠点駅であるから、駅舎は立派で大きい。駅前は狭く、出てすぐ国道だが、北行きだけの一方通行になっている。
左がブレンネロ駅舎 | 駅前の道を国境方向へ歩いてみる |
そこまで寂しい所でもなく、道路の向かいにはレストランやカフェが並んでいて、昼食時だからか、お客もそれなりに入っている。時折歩行者もある。それ以上に車が頻繁に通る。
線路に沿って北へ、つまり国境方向に歩いてみる。間もなく左手に真新しいガラス張りの近代的なビルがある。これは「アウトレット・センター・ブレナー(Outlet Center Brenner)」で、英語のようにも見えるが、ドイツ語である。日本語ならば、ブレナー・ショッピング・モールぐらいのイメージだろうか。イオンのようなロードサイドの郊外型ショッピングセンターと思えば良い。何でもアルプス最大のショッピングモールだそうで、これを目当てに人がこの峠の小さな国境の村に集まってくるのだ。もとより車で来る人が大多数だが、駅から近いので、列車で来る人もいる。
左がアウトレットセンターで道路の右に線路がある | 入口はオーストリアだがその左はイタリア |
このアウトレットセンターは、シェンゲン協定によりオーストリアとイタリアの国境審査が完全に廃止されたその年、2007年にオープンした。それによって国境管理機能を失うブレンネロ/ブレナーが一気に寂れるのを防ぐための政策的なものでもあったらしい。そのあたりは駐車場に入る車で渋滞もできている。
面白いことに、アウトレットセンターのビル自体が、イタリアとオーストリアの両国にまたがっている。ショッピングセンターのメインの入口はギリギリでオーストリアにあるが、センターのほとんどはイタリアである。オーストリアに属する店も少しある。同じアウトレットセンター内の店舗でも、属する国によって消費税率が違ったりもするのだろう。大部分をイタリアにしているのは、税率や賃金の違いのためだろうか、半々にしなかった何らかの理由がありそうである。
アウトレットセンター内の国境あたりに立つ | オーストリア側から見たアウトレットセンター |
そこを抜けてさらにオーストリア方向へ歩いてみると、他にも少し店があり、国境検問所跡なのか、道路に屋根がかかっている所があった。標識以外で国境らしい唯一の建造物である。その少し北に大きなガソリンスタンドもある。その先は間もなく寂しくなり、小さな村ブレナーが終わってしまう。さらに行けば歩いて10分程度で列車から見えたブレナー湖に行ける筈だが、車窓に見た通り、高速道路の脇であり、この寒い中を歩いて行きたいとは思わない。
上述のアウトレットセンターの建設経緯などは、帰ってから調べて具体的に知った次第である。やはり31年という年月はとてつもなく長い。31年前の寂しくて何もなかった車窓風景から想像して、憧れてようやくやってきたブレンネロ/ブレナー。期待したイメージとはだいぶ違ったが、訪問したことで、ブレンネロ/ブレナーの現状を知ることができた。一見した限り、シェンゲン協定により寂れるのを防いで余りある程度に繁栄しているようだから、地元としてはきっと成功なのだろう。
オーストリア側にかろうじて残る国境施設 | オーストリア側のブレナーの外れ |
アルプスを低い標高で越えるこのルートは、古代から欧州の南北を往来する重要な交通路であり、鉄道も道路も利用者はかなり多い。時間短縮と高速化のため、さらにはアルプスの自然保護のため、現在、55キロもの長大鉄道トンネルを掘削中である。完成すれば、スイスのゴッタルド・ベース・トンネルに次ぐ世界で二番目に長いトンネルになるそうだ。現時点での開通予定は2032年。複線標準軌で高速鉄道に対応したトンネルであり、この区間を通る特急の所要時間は1時間以上短縮されるという。その時には31年間ほとんど変わっていないEC特急のダイヤも激変するだろうし、ブレンネロ/ブレナーには特急自体が来なくなる筈である。他方、それより本数の多い普通列車のこの駅での乗り継ぎダイヤは、その後も基本は大きく変わらないだろうと思われる。
この駅で下車することは二度となさそうな気がするが、路線そのものは魅力的で、まだまだ乗り足りない。次回はイタリア側を普通列車でゆっくりと、できれば途中下車をしながら、イタリアのドイツ語圏の様子を垣間見てみたいと思う。