欧州ローカル列車の旅 > 2012年 > ポルトガル > ポルト〜ポシーニョ (1)
目次 | (1) | ドウロ線 Linha do Douro |
ポルト Porto | ||
ポルト〜リヴラサン Porto - Livração | ||
リヴラサン〜レグア Livração - Régua | ||
(2) | レグア〜トゥア Régua - Tua | |
トゥア〜ポシーニョ Tua - Pocinho | ||
ポシーニョ Pocinho |
人それぞれ好みの差があるのは承知の上だが、今回紹介するポルトガル北部のドウロ線は、ヨーロッパでもトップクラスの車窓景観を有する路線だと思う。この線に初めて乗って景色に感動一つしない人がいるならば、その人はもう旅行などやめた方がいい。そう思えるぐらいに素晴らしい。鉄道路線としての魅力だけでなく、沿線の観光要素も強いと思うのだが、ポルトガルのガイドブックを見ると、このエリアを詳しく紹介していない本がほとんどである。
まあ、有名になりすぎて下品な団体客がわんさかと押し寄せるようになってもろくなことがないので、こういう「知る人ぞ知る」地域は、現状のままひっそりと存在し続けてくれる方がいい。地元の観光業者は、何とかしてもっと有名になって大勢の人に来てもらいたいと思っているだろうが。
確かに、素晴らしい素晴らしいとは言ったものの、これぞという著名なスポットがあるわけではない。ただひたすら、滔々と流れる大河、ドウロ川があるだけである。沿岸は、深山幽谷というほどではないが、耕地が広がるような平地でもない。畑作をするにも家畜を飼うにもあまり適さない環境と思われる。よって、あるものと言えば葡萄畑。そして点在する醸造所。そう、この沿岸は、名物ポルトワインの産地なのである。ポルトワインと言えば、ズバリ、都市であるポルト市の産物であると思われがちだし、現にポルト市内にもいくつもの醸造所があり、立地条件の良さもあって、しっかりと観光客も集めている。けれどもポルトワインの産地はこのドウロ川沿いの奥地にまで及ぶ。ポルト市の醸造所が作るワインの原料となる葡萄も、この沿線の奥地で採れたものが多いはずである。
ドウロ線は、その大半を、ドウロ川にひたすらとへばりつくように走る、単線のローカル線である。ローカル線ではあるが、距離はかなり長い。ポルトのカンパーニャ駅から、終点ポシーニョまで、172キロもある。距離を考えれば十分に特急列車が走ってもおかしくないが、ポルトガル国鉄が誇る新型特急アルファ・ペンドゥラール(Alfa Pendular・略称AP)はもとより、IC特急も走らない。快速にあたるIRと、各駅停車のローカル列車のみの、非電化単線のローカル線である。但しポルト側の47キロは複線電化となっており、モダンな電車がポルト市の近郊輸送を担っている。
1984年までは、現在の終点ポシーニョよりさらに先へと伸びており、国境を越えてスペインへつながる国際列車が走る路線であった。そのような路線をローカル線と呼んでいいのかという気もするが、現在の姿は紛れもないローカル線で、基本的に3輌編成のディーゼルカーがわずかな乗客を運んでいるというのが実態である。
私がこの線に乗るのは二度目である。数年前の前回は全線には乗らずに途中駅で降りたりして沿線のドウロ川の風景を楽しんだりした。今回はまず、全線に乗車し、寂しそうな終着駅ポシーニョまで行ってみたい。そう思ってポルトガル第二の都市ポルトへとやってきた。
ドウロ線の起点は、ポルトのカンパーニャ(Campanhã)駅である。ポルトにはもう一つ、サン・ベント(São Bento)駅がある。サン・ベントは行き止まりの終着駅で、ポルトの旧市街にも近く、魅力的なポルトの街歩きをするにも便利な駅である。対するカンパーニャは、ポルトガルを西海岸沿いに縦断する幹線上の駅であり、南北を通り抜ける列車もある。リスボン方面からの列車がサン・ベント駅まで行こうとすると、カンパーニャでスイッチバックしなければならない。よって今はリスボン方面からサン・ベントまで行く列車はない。しかしドウロ線など、北側からの線は、カンパーニャを経てサン・ベントまで、そのまま直行できる。実際、ドウロ線の列車はかつてはサン・ベントが始発であった。けれどもどういう理由か、今はほぼ全ての長距離列車がカンパーニャ始発になっている。
少しくたびれた印象もある中規模な駅舎 | レトロさも残る切符売場 |
カンパーニャ駅は、ポルトガル第二の都市の玄関駅として、それなりの規模を誇ってはいる。しかし駅前は田舎町か都市の場末といった風情で、食堂や安ホテルなどが並んでいる程度のところである。
田舎町らしい風情の駅前道路 | 場末感も漂う下町風の駅前 |
今回の私は、リスボンからIC特急でここカンパーニャへ着き、1時間ほどの待ち時間でドウロ線に乗る。昼食もしたので、ポルトの街を歩く時間はない。ポルトは前回歩いてみたが、ドウロ川の河口に開けた美しい都市で、街歩きの魅力も十分にある。再訪してみたい気持ちも十分あったが、時間の関係もあるし、とにかく早くドウロ線に乗って奥地へ行きたいという誘惑の方が強い。
リスボンへの列車などが出るホーム | レグア行きは切欠き式の13番ホームから出る |
乗るのは金曜の午後、15時30分発のレグア(Régua)行きである。発車15分前にホームへ行ってみると、既に3輌編成の気動車が入っており、乗客もそれなりに乗っている。前回の記憶で、大体ガラガラという印象があったので油断したが、確かに金曜の午後というのは、混む時間帯である。この沿線に住んでいる人でも、ポルトなどの大都市で働いたり学校に行ったりしている人が多いに違いない。そういう人が週末は実家に帰省する。一般にヨーロッパの人は、日本人に比べると週末はこまめに帰省して、家族と過ごす傾向が強い。だから金曜の午後に都市から田舎へ向かう列車は結構混む。実際、乗り込んでみると、大学生ぐらいと思われる若い人も結構多い。ポルトやコインブラなどの大学に通い、週末だけ帰省する人なのではないかと思う。
そうは言っても3輌編成の座席の半分ちょっとが埋まる程度だから、実数としては知れている。基本的に人口希薄なエリアであるには違いない。ただ、私としては、川の見える進行右側の窓側の席に座りたかったのだが、それが全て埋まっていたのが残念であった。もう少し早く来るべきであった。
気動車独特の唸りとともに定刻に発車。最初の停車駅エルメジンデ(Ermesinde)までは10分で、この間はポルトガル最北部ヴァレンサ(Valença)へと向かう路線を走る。複線電化の近郊区間で、途中通過する2駅も、都市近郊のような駅である。ここで若干の乗客を加え、乗車率は70%ぐらいになった。
エルメジンデを出ると、まっすぐ北上するヴァレンサへの路線から分岐し、右へ90度のカーヴをして、ドウロ線に入る。エルメジンデが厳密な意味でのドウロ線の起点と思われる。このあたりは近郊電車線用の小駅は全て通過し、主要駅のみ停車する。都市近郊とは言っても、東京などとは比ぶべくもなく、長閑に畑や荒れ地が広がっており、その中に点々と住宅が散在している。徐々に葡萄畑も増えてくる。20分ほどノンストップで走り、パレデス(Paredes)に停車。続いて3分でペナフィエル(Penafiel)、8分でカイーデ(Caíde)と、停まっていくが、ここまでは近郊電車の本数があるせいか、この列車から降りる人は殆どいない。
モダンな電車も走るペナフィエル(翌日撮影) | 複線電化区間の終点カイーデ(翌日撮影) |
カイーデから単線となる。ポルトの近郊区間という雰囲気も完全に失せて、いよいよローカル色が濃くなってくる。しかし、まだドウロ川は現れない。冒頭で、ずっとドウロ川に沿う路線と紹介したが、厳密に言うと、下流域はそうではない。ドウロ川はポルトからほぼ真西に流れているが、鉄道路線は、北へ行く線を走り、エミルジンデから西へ分岐するものの、さらに少し大回りする感じで、ドウロ川水系とは違う谷を走り、小さな峠を越えてまた違う水系に沿う。
ヴィラ・メアン付近の眺め(翌日撮影) | リヴラサンの狭軌鉄道廃線跡(翌日撮影) |
カイーデから小駅を3駅ほど飛ばして、リヴラサン(Livração)に停まる。ポルトから50分。ここで初めて、まとまった数の客が下車した。
Thomas Cook Rail Map Europe 18th Edition より引用
このリヴラサンからは、数年前まで支線が分岐していた。この支線は、ドウロ線やその他のポルトガル国鉄の路線と異なる、狭軌の軽便鉄道であった。しかし赤字がかさみ、安全性を保つための線路の補修費用が捻出できないことから、数年前に廃止されたようである。この路線だけでなく、ドウロ線からは、数年前まで3路線ほど、こういった軽便線が分岐していたし、それよりさらに古い時代には、終着ポシーニョからも軽便線が出ていた。実は数年前に来た時はそのうち1線に乗ってみたのだが、確かに風前の灯という印象は受けた。けれどもそれからまたたく間に全部が廃止されてしまうとは思わなかった。誠に残念である。リヴラサンの左手には、まだ使えそうな軽便鉄道の駅や線路がそのまま残り、廃車となった気動車も色あせて放置されていた。リヴラサンでの下車客が多かったのは、この軽便鉄道の代行バスへの乗り換え客がいたからかと思ったのだが、後から調べると、その代行バスも、昨年末で廃止されたそうである。日本でも、ローカル線が廃止され、代行バス路線ができ、それも乗客減で廃止、という順序で寂れていく区間がいくつもあるが、ポルトガルも事情は同じのようである。
リヴラサンの次は、マルコ・デ・カナヴェゼス(Marco de Canaveses)という長い名前の駅である。ここでもまとまった数の下車があった。しかしまだ窓側の席は空かない。ここもこの路線で一つの節目になる駅のようで、ポルトからここまでの区間列車が何本かある。ここから本数が一段と減ってローカル色が一層濃くなっていく。
マルコ・デ・カナヴェゼス駅(翌日撮影) | 快速通過でも立派な駅舎のジュンカル(翌日撮影) |
マルコ・デ・カナヴェゼスを出ると、ほどなくジュンカル(Juncal)という小駅を通過し、そのあたりから気動車のスピードが落ちる。峠越えに差し掛かったことがわかる唸り方である。そして小さな峠をトンネルで抜ける。トンネルの途中から下り坂になり、エンジン音が静かになる。気動車ならではのお馴染みの峠越えである。トンネルを出るとほどなく右手はるか下方に、待ちに待ったドウロ川の堂々たる眺めが見えてくる。感動の一瞬である。
峠を越えるとドウロ川に出合う(翌日撮影) | ドウロ川沿いの最初の駅パラ(翌日撮影) |
そしてパラ(Pala)という駅を通過し、徐々に川に近づいていく。以後は右手下方に川がある。線路は高い所を通っているので、ドウロ川を見下ろす感じで進む。絶景である。
ドウロ川を見下ろす絶景(翌日撮影) | 川の眺めの素晴らしいモステイロ駅(翌日撮影) |
ドウロ川を渡る道路橋があり、その少し先、モステイロ(Mosteirô)が次の停車駅である。高いところにあるので、上りホームからのドウロ川の谷の眺めが素晴らしい駅だ。反対側を見ると、土地は狭く、僅かな人家が集まっているだけで、その先は山である。険しい地形の中に小さな山村集落が作られている。
モステイロを出ると、線路の方が下りているのであろうが、徐々に川との高低差が縮まり、やがて川沿いを同じ高さで走るようになる。ほぼ水ぎわを走る所もある。時々樹々が景色を遮る程度で、右手にはほぼずっと、ドウロ川と対岸の山々が見える。山々は自然のなすがままに草地だったり森だったりする所もあり、岩場もある。他方で多くが葡萄畑になっている。そして葡萄栽培の農家の家なのか、ポツンと一軒家があったり、時にまとまった集落がある。山のかなり高い所にだけ集落が見えることもある。
エルミダ(Ermida)に停車した。特に快速停車駅というほどの集落でもないが、二面三線の交換駅で、立派な駅舎があり、駅員がいる。駅周辺にパラパラと民家がある。若干の客が降りるが、窓側の席はまだ空かない。レグアまでの客が多いようだ。
ドウロ沿いにはポルトワインの宣伝も(翌日撮影) | 右手前方にレグアの町が見えてくる(翌日撮影) |
そうして右手のドウロ川の風景を、窓側の隣の客ごしにちらちらと眺めながら走ると、やがて右手前方に街が見えてくる。5〜10階建て程度の中高層のアパートやビルもいくつもあり、寂しい山の中を走ってきただけに、それなりの都会に見える。レグアである。他の途中駅との集落規模の差は歴然としており、多くの列車がレグア止まりなのも納得がいく。