欧州ローカル列車の旅 > 2015年 > イタリア > ミラノ〜シラクーザ
目次 | イタリアの夜行列車 Overnight Trains in Italy |
ミラノ中央駅 Milano Centrale | |
ミラノ〜メッシーナ Milano - Messina | |
メッシーナ〜シラクーザ Messina - Siracusa |
日本はついに夜行列車が絶滅寸前である。新幹線網が広がり、主要な在来幹線も昼行特急が主体となる。それでも少し前までは、新幹線と並行する山陽本線などは、かなりの夜行列車が走っていた。東北にしても、新幹線が盛岡までの頃は、上野発の寝台特急が何本もあり、自由席主体の急行八甲田なども定期列車で残っていた。そこまで大昔の話でもない、と思っているうちに時間が経ち、こちらも歳を取り、段々と若い人に話が通じなくなっていく。まあ、時代の流れとは、そういうものであろう。
ブルートレインが花形特急だった時代、それをローカル列車などと言えば怒られたかもしれない。しかし、例えば関西発九州行き寝台特急の末期などは、特急という名称はともかく、実態はうらぶれたローカル急行以外の何ものでもなかった。そして二度と華やぐこともなく、次々と姿を消していった。
欧州も少し前まで、日本以上に多くの夜行列車があり、各地と各地を結んで走っていた。しかし今、それらが担っていた役割の多くは、高速鉄道よりは、むしろ格安航空会社に取って代わったのではないかと思う。EUの自由競争政策によって、自国のフラッグキャリアを保護するといった国策的理由で格安航空の乗り入れを拒否できなくなり、連られてフラッグキャリアも運賃が随分下がった。となれば、もはや夜行列車の出る幕もなさそうではあるが、ひところより減ったとはいえ、まだそれなりに残っている。
国鉄がJRに分割されてから、夜行列車に対する積極策が取れなかったのは、会社間にまたがる列車運行の調整が困難だったのも一因とされる。けれども、欧州の鉄道を見ている目からは、その程度のことで何だ、と思わなくもない。国も言葉もシステムも違う欧州で国際列車を走らせる努力は、それ以上に大変に違いない。だが、欧州で夜行需要が見込める所となると、国内線よりは断然、国際線である。
その中にあって、面積ではフランスやドイツに及ばなくても、国土が細長いイタリアは、北欧とともに、国内完結の夜行列車需要がそこそこ見られる国である。北部こそ、スイスやフランスなどとの国際列車が多く、思いなしか鉄道職員も国際化している感があるが、南部に行くと、鄙びて素朴な、イタリアン・ローカルといった風情になり、英語も俄然、通じにくくなる。そんなイタリアの南北を結ぶ長距離夜行列車が今も毎日何本も走っている。北側も高速新線は通らず、在来線を経由し、夜は沿線の町から丹念に客を拾い、朝は次々と客を降ろしていく。
とりわけ興味深いのが、本土とシチリア島を結ぶ列車で、途中、メッシーナ海峡を列車ごとフェリーに乗り込むという芸当をやってのける。メッシーナ海峡には、古くから架橋の計画がある。数年前に調べた際の、2016年に完成という情報は、私の頭の隅にずっと残っていた。瀬戸大橋同様、道路と鉄道の併用橋であり、完成すれば、本土とシチリアとの所要時間は大幅な短縮が見込める。その代わり、列車ごとフェリーに乗り込むという珍しい旅ができなくなる。
実は私は昔、その旅を一度実行してはいるのだが、その時は夜行列車で、メッシーナ海峡は深夜、寝ている間に通り過ぎてしまった。味わうならここを昼間に通る列車にしなければならない。橋ができる前に一度やろう、と思って調べ始めたところ、折からのイタリアの財政危機で、架橋計画自体が無期延期になっているのであった。
となれば、慌ててやる必要もなくなったわけだが、思い立ったが吉日である。第一、廃止になるとわかって初めて出かけて行くという心がけ自体、よろしくない。そして今回、諸事情により他の仕事の旅行とうまく組み合わせることができたので、北部ミラノから、シチリア島南部のシラクーザ(Siracusa)までの長距離夜行列車に全区間乗ることにした。
今回の旅の第一目的は、メッシーナ海峡を昼間に渡ることであった。だから最初はもう少し自然に、ローマまで飛行機で行って、ローマからの列車に乗るつもりで考え始めた。ところが調べていくうちに、ミラノ発のお得な値段を見つけたのである。イタリアでもどこでも、駅の窓口で普通に切符を買えば、距離に応じて運賃が上がる。だからミラノ発よりローマ発の方がだいぶ安い。だが今はネット早割の時代で、鉄道にも格安航空会社的な売り方がかなり浸透している。日本は、何日前までに買えばという早割が多いようだが、欧州では席数で値段を割り当て、さらに売れ残りそうだと安くしたり、埋まりそうだと高くしたりという値段調整をする所が増えているようである。だから安い切符を上手に手に入れるには、何度となくネットで値段をチェックすることと、ある程度のコツをつかむという経験の積み重ねも大事になってくる。
メッシーナ海峡 Michelin Tourist and Motering Atlas Italy 2013 より引用
今回は、乗車の3週間前ぐらいに飛行機や列車の手配をしたのだが、その時点で、通常料金だと200ユーロ以上という、一番高い一等個室寝台が、ミラノ発のこの日のこの列車は、89ユーロという破格の値段で売られていた。同じ日も、その前後数日も、ローマ発で同じ一等個室寝台の値段を見ると、どれも100ユーロ以上する。前後の日で調べると、ミラノ発でも89ユーロの日はほとんどない。
ついでに、これもびっくりするような値段だが、ミラノからシラクーザまで、6人1室の簡易寝台クシェットなら、最安値は39ユーロ。寝台料金だけではなく、運賃込みなのである。東京〜鹿児島に相当する長距離列車を、こんな値段で売って席を埋めて維持しているのかと思うと、複雑な思いもあるが、硬直化した値段でしか売らずに客を減らし、空気を運んだ挙句に廃止に追い込んだ日本に比べれば、涙ぐましい努力をして維持しようとしていると言えるのではないだろうか。
12月上旬という閑散期だからかもしれないが、こんなに安く汽車でイタリア南端まで行けるとは、夢のようである。39ユーロの激安にも惹かれたが、ここは贅沢に、一等個室寝台89ユーロに決めた。
イタリア国鉄トレニタリアのウェブサイトからのチケット予約は、少し前までは、英語での作業中もイタリア語に変わってしまったりと不安定で、正直、不安な感じであった。しかし今回はスムーズで、英語だけで問題なくできた。こういった点は日々進歩している感じだ。プリントアウトしたチケットはイタリア語ではなく、英語だけの表示なので、果たしてこのチケットでそのまま乗って大丈夫なのか、逆に心配になるぐらいである。
ミラノよりローマからの方が値段が高いのは、需要の多寡により起きた現象であろう。ローマならば、シチリアとの間にビジネスも含む夜行需要がそれなりにあるのだろう。それに対してミラノとシチリアはより遠く、交流も薄そうだし、必要あって行き来するとしても、もはや列車という選択肢が思い浮かばない距離なのではないだろうか。夜行が最も有用なのは、最終の飛行機や特急が出た後に出発し、翌朝の始発で行くより早く着ける区間である。もっともローマからシチリアであっても、フェリーを介することもあって時間はかかり、この条件は満たさない。だから実際はメッシーナ海峡の手前のイタリア半島南端部で降りる人の方が多いのかもしれない。日本のブルートレイン末期も、東京発九州行き寝台特急の客の大半は山陽本線内で降りてしまっていた。ミラノ発になれば一層で、メッシーナ海峡を渡るともう昼である。そしてシラクーザに着くのは夕方近い。東京を前夜に出た寝台特急はやぶさが、鹿児島本線南部を翌日の午後にのんびり走っていたのを思い出す。だが驚くのは、日本と違ってこの列車は、昼間区間だけの区間乗車を基本的に認めていないようなのである。時刻表の朝以後の区間には、到着時刻だけが記載され、発車時刻が書かれていないのが、その理由であるし、実際、ネットで昼間区間だけの予約ができるか試してみたのだが、できなかった。
ミラノ発をローマ発より安売りして席を埋めているようであれば、ミラノ発シチリア行きの夜行列車などは、近い将来、なくなってしまうかもしれない。フェリーを介するコストの問題もあるだろう。いずれにしても、今回、贅沢にも最高級の一等個室寝台の旅を格安で手配できて良かった。19時間38分。こんな長時間の列車に乗るのも久しぶりである。
気になる走行距離だが、市販の時刻表だけから正確に割り出すのは難しいが、一応計算すると、1482キロ。うち9キロはフェリー区間で、鉄道として走る区間は1473キロである。算出が難しい理由は、深夜に通過するローマとナポリの両都市では、頭端式の中央駅(ローマはテルミニ駅)に寄らず、短絡線を通るためである。昼間の列車は特急や高速列車も、この両都市では中央駅に立ち寄って、スイッチバックをしている。だが深夜通過の夜行は、中央駅に寄らない。その部分を地図で測定し、時刻表に掲載された中央駅経由に比べて、ローマは12キロ、ナポリは4キロ、短いであろうと仮定した。東京〜西鹿児島の在来線実キロは1515キロなので、やや短いが、概ね同じだ。1997年の時刻表を見ると、寝台特急はやぶさが、東京発18時12分、西鹿児島着15時10分で、所要時間20時間58分をかけて走っていた。フェリーを介さない割に遅いのは、狭軌在来線の宿命ではあろうが、ともあれ、何となく似たイメージがあるではないか。
飛行機と空港バスを乗り継いで、ミラノ中央駅(Milano Centrale)へと着いたのは、既に日没後であった。とはいえ夜もまだ序の口。駅は通勤客や旅行者で賑わっていた。天気は曇りのようで、薄い霧がかかっている。雨こそ降っていないが、路面は湿っぽい。アルプスに近い北イタリアの初冬は、どことなしに陰鬱である。
夜のミラノ中央駅駅舎 | 重厚なミラノ中央駅構内 |
駅前のトラム乗り場では、古典的な味わいの旧式トラムが今も走っている。私とミラノとのかかわりはさほど強くない。モダンでファッショナブルな街として知られる国際都市なので、前回来た時も、まだこんな古いトラムが残っていたのか、と思ったものであった。それが相変わらず走っているのだが、それがこの近代都市になかなか似合っている。
ミラノ中央駅駅前のトラム電停 | 今も第一線で活躍する古典的なトラム |
夜行列車の出発まではだいぶ余裕があるが、やはり駅の中へと足が向いてしまう。この駅は巨大だ。その巨大な駅の中を探検するだけでも楽しいという印象があったし、以前は自由にホームに入れたのだが、セキュリティーの強化なのか、今回は切符を見せないとホームの中には入れないようになっていた。自動改札機はないが、入口にガラスのドアが設置されており、そこに係員がいて、入ろうとする人の切符を一人一人チェックしている。主要駅だけではあろうが、自由にホームに入れるのが当たり前の欧州で、こういう動きがあるのは、ちょっと残念ではある。
ミラノ中央駅 | 乗車する一等寝台車の外観 |
食事と買い物を済ませ、発車30分前に再び駅へ戻ってきた。発車は夕方のラッシュもとうに過ぎた20時10分発だから、沢山のホームがあるミラノ中央駅なら、30分前ぐらいには列車に乗れるのではないかと期待していたが、現実は大いに違った。入線していないどころか、発車番線すらなかなか表示されない。
やっと表示が出たのが、発車11分前の19時59分であった。17番線。続いてほどなく、発車が10分遅れるという表示も出た。営業列車が折り返すわけでもないのに、始発駅から遅れとはどういうことであろう。
20時02分、17番ホームに推進運転で、ゆっくりと列車が入線してきた。ある意味、昔から世界中でありふれた光景かもしれないが、日本は2016年、北海道新幹線が開通すると、定期列車ではこういう風景が見られなくなる。
遅れているとはいえ、時間はあるし、席も個室が確保できているので、列車の先頭まで行き、一通り眺めてみた。自分にはもともとこういう習慣はなかったが、鉄道作家の故・宮脇俊三氏がいつも実行していたのを読んでから、自分もしばしばするようになった。
トレノ・ノッテ(Treno Notte)という一等車は、確かに一等ではあるが、だいぶくたびれた車輌であった。一輌全部が一人用個室なのか、一部なのか、と思ってみると、隣の部屋は老夫婦が二人で乗っている。そして私の部屋も、上のベッドを下ろせば二人用になるのであった。つまりどの個室も二人用にも一人用にもなるわけで、予約状況に応じて数と値段を調整しているのだろう。古い車輌だからあるかどうか心配だったコンセントも、ちゃんとついていた。暖房温度は部屋単位で調整できる。そして戸棚のようなものを開けると洗面台まで付いていたのだが、残念ながら、水は出ない。本来は給水して出るようにすべきところ、経費節減で手が回らなくなっているのだろうか。ネットで安売りするようになった弊害なのかはわからないが、せっかくある設備がフルに使えないのはイメージが悪い。それでも広さも十分だし、昔、座席夜行で貧乏旅行をした頃を思えば、この上ない贅沢な鉄道旅行には違いない。
期待した筋書き通りには進まなかったものの、もとより遅れを気にするような旅ではないのだし、こうして乗ってしまえば、純粋にこれから先が楽しみである。
発車は20時22分、しばらくはミラノの町を眺めながら走る。イタリア人らしい明るくフレンドリーな中年男性の車掌さんが検札に来る。国内線だからパスポート提示は不要だが、チケットは持っていかれてしまった。
ミラノの街を抜けて外が暗くなれば、早くも深夜の趣だが、まだ夜は序の口。ちょこちょこと薄暗い小駅に停車して、僅かな乗車客を拾っていく。個室は快適な自由空間で、やっぱりこれにして良かったと思う。夕食はミラノで済ませてきたが、買っておいたビールとつまみでささやかに晩酌をし、その後はパソコンを開いて少し仕事をする。列車の中で、誰にも気兼ねすることなく、好きに過ごせることが、最上の贅沢だと思う。
今晩の最後の停車駅は、かの斜塔で有名なピサ(Pisa)のちょっと先にある、リヴォルノ(Livorno)という所である。そこから先、深夜区間は、ローマもナポリも客扱いをしない。そして、朝の最初の停車駅は、ナポリから50キロあまり南東のサレルノ(Salerno)で、6時前の到着となる。
列車が停まり、物音がしなくなって、ふと目が覚める。朝かと思って時計を見たが、まだ深夜である。ブラインドを少し開けて外をのぞけば、ローマ・ティブルティナ(Roma Tiburtina)であった。かの大都市の主要駅も、当たり前だが、人の姿もなく静まり返っている。再び眠りにつく。
朝に弱い私は、6時前のサレルノどころか、8時過ぎまで熟睡していた。そしておもむろにブラインドを開けると、昨晩とは別世界の南国らしい青空の下、青い海に沿って列車は快走している。起きれば前の晩と全く違う世界にいる、この演出こそが、夜行列車の醍醐味である。そして、3年前に来た、パオラ(Paola)に停まる。あれも12月であったが、今日はあの時よりも海が青い。
ティレニア海沿いのアマンテア駅 | 空港もあるラメツィア・テルメ |
ドアがノックされ、昨晩の車掌さんがチケットと朝食を持ってきた。というと、何とも豪華に聞こえるが、この上なく最低限で、パンとジュースだけ。温かいコーヒーもない。それでも、私はそもそもこういったサービスがあるかどうかもわからなかったので、昨晩のミラノで食料を色々買い込んではあった。この朝食サービスとて、ファーストクラスだけなのかもしれない。いずれにしても、食堂車も車内販売もないのは、日本の末期の多くの寝台特急と同じである。駅で停車中の買い物も日本より不便だから、食料は十分持って乗ることをお勧めする。
ラメツィア・テルメ(Lamezia Terme)を出てしばらくすると、右手に単線が分かれるが、しばらく寄り添い、やがて分岐していく。海岸線に沿って迂回するトロペア(Tropea)経由の線で、この区間は本線はしばし内陸を走り、やや山深い感じの所も通る。山陽本線と呉線の関係と同じである。あちらの海回りの線は、本数も少ないので、まだ乗ったことがない。未乗の線路が分かれて行くのを見ると、次回は乗らなくてはと思うのは、日本で乗り潰しをしていた頃の癖ではあるが、一種の鉄道病かもしれない。
停車駅ごとに少しずつ人が降りてゆく | 北イタリアとは異なる素朴で温暖な車窓風景 |
その線がまた合流してくると、その先はずっと、ティレニア海に沿って走ってくれる。イタリア南部は北部と違い、高速新線ができる見込みもなく、在来幹線の風格たっぷりに、海沿いを快走する。そこを延々と乗り通す旅は、理屈抜きに素晴らしい。次は鈍行でゆっくり行ってもいい、と思うぐらいである。こういう所を高速鉄道が新規開通すると、便利さの代償として一気に車窓の魅力がなくなってしまう。それは日本同様、イタリアも北部では現実のものとなっている。
右手前方にシチリア島が見えてくる | フェリー接続点のヴィラ・サン・ジョヴァンニ |
そういった長閑な路線ではあるが、標準軌の幹線だから、それなりのスピードで走る。汽車はこれぐらいの速度で走るのがちょうどいい、と思わせる適度な走りっぷりである。そうして中小の町々に停車しては、少しずつ客を降ろしていく。それが何度も繰り返されながら、右手の湾越しにシチリア島が段々と近づいてくる。そしていよいよ、フェリーの接点駅、ヴィラ・サン・ジョバンニ(Villa San Giovanni)に着く。本土の駅としては途中駅で、線路はさらに南へ、このあたりで最大の街、レッジオ・ディ・カラブリア(Reggio Di Calabria)へと続いており、ローマからレッジオ行きの夜行列車もある。
駅から海とフェリーと対岸のシチリアが見える | 一旦先へ進んでから右後ろにスイッチバックする |
ここヴィラ・サン・ジョヴァンニは、シチリア島との海峡が最も狭まった場所にあり、ここから鉄道連絡船が出る。対岸のメッシーナ(Messina)の方がずっと大きな街である。日本で言うと、宇野と高松の関係に似ている。町としては小さいので、下車客は少ない。既に昼近いが、まだそれなりに乗客が乗っている。先へ行く乗客は誰もホームに降りないし、時刻表には到着時刻しか書かれていないので、発車時刻もわからない。だから私も降りるわけにいかない。少し停車した後、列車はさらに前方へとゆっくり動き出した。右手に海が、その向こうにシチリア島が見える。
ホームのすぐ右手に船が留まっていたのだが、列車は横には走れないから、一旦前に進み、しばらく停車すると、今度は推進運転でゆっくりとバックする。何度も停まったり動いたりするのかと思ったが、そんなことはなく、一定速度で後退し、そのまま船底へと入ってしまった。9輌もの長い編成がそのまま全部一度に船に乗り込めるわけではない。私の乗っていた車輌は後方だったので、恐らく一度で済んだのだろうが、前方の車輌はもう一度どこかで前進と後退があったか、あるいは後方車輌を切り離した後、また前進したのか、いずれかであろう。
船底の雰囲気自体は、車でフェリーに乗った時に何度か味わっていて、それと大差ないが、 そこに線路があり、数輌の客車が並んで2編成、停まっている風景は、やはり珍しい。もう四半世紀前にトンネルになってしまったが、ふと、それ以前の青函連絡船は、どうしてこういう方法を取らなかったのかと思った。長い汽車旅、乗り換えが気分転換になることもあるだろうが、実際に経験してみると、荷物を持って乗り換えなくて良いこの方法は、楽でいい。
一旦車輌が船底に落ち着けば、ドアが開き、乗客は降りて船室に行くことができる。といってもホームやそれに代わる台などは何もないので、手すりにつかまりながらの乗降になる。ミラノから乗っている隣室の老夫婦もまだいるが、彼らは客室にとどまったままである。地元の人なのか、通いなれているのか、わざわざ降りて海を見たいと思わない人達なのだろう。
船底に積み込まれた列車 | 12月とは思えない青い海を堪能 |
そうして船のデッキへ出た時には、もう船は出港していた。やや風は冷たいが、見事な晴天で、とても気持ちが良い。あの薄暗い船底の列車内にとどまっている人が信じられないという気持ちになる。
フェリーはこの列車専用のようで、他の列車も車も積んでいない。よって船内はがらがらであった。特に船室にはほとんど人がいない。天気の良い日に列車から気分転換に降りてきた人だから、デッキなどに集中するのは当然である。結構大きな船なので、売店などの設備もあるが、全て閉まっていて、コーヒー1杯と買えないのは残念である。
海峡から見る、本土側のヴィラ・サン・ジョヴァンニと、対岸のメッシーナでは、やはりメッシーナの方が断然大きい。ただ、本土側はもっと寂しいところかと思っていたので、思ったほどでもないなと思う。瀬戸大橋など、海に架かる長い橋に慣れてしまった日本人からすれば、ここに橋を架けることは理にかなっているように思うし、技術的にも可能であろう。あとは資金の問題だけなのだろうか。無期延期と読んだ通り、架橋に関わる工事がどこかで行われている形跡は全く見られなかった。
船はがらがらで船室にはほとんど人がいない | シチリア側のメッシーナ中央駅 |
メッシーナ入港が近づくと、徐々に皆、列車へと戻っていく。置いていかれては大変だから、私もまた戻る。入れ替わりに、隣の老夫婦が荷物をかかえて通路へ出てきた。メッシーナで降りる人達であった。メッシーナに住んでいるか、縁があるのだろう。なるほどそれならわざわざ船室に出てこなかったのも納得である。
船底の列車内では船が動いているかどうかはわからないが、数分後には、列車がゆっくりと動き出した。そしてメッシーナ中央駅にと停まる。ごく普通の駅で、さっきまで船底にいたのも不思議な感じだが、ともあれシチリア島へ入った。しばらく停車時間があるようだが、ミラノからずっと10分前後遅れているので、すぐ発車するかもしれない。それでもなかなか動かないので、ちょうど目の前のホームにあった自動販売機でコーヒーだけ買う。昨晩の乗車以来、ようやく温かいものにありつけた。
長く停まったメッシーナ中央駅のホーム | メッシーナを出ると今度は左手が海になる |
本土では進行右側が海だったので、コンパートメント内から眺められたが、シチリア島は進行左側が海になる。海を見たければ、通路に出るか、通路側のドアを開けなければならない。既に乗客の大半は下車したと思われるが、それでも思ったよりは乗客がいて、通路に立って海を眺めている人も何人もいる。どちらにしても、この上なく長閑な昼下がりのひとときで、時間を忘れた優雅な旅の実感が湧いてくる。
メッシーナの次がタオルミナ(Taormina)。著名な観光都市で、日本人も大勢訪れるそうだが、列車から見る限り、そんな雰囲気も感じられない、田舎の小駅であった。駅の発車案内に、この列車の発車時刻と、10分遅れという表示が出ている。ここから乗車できない列車のはずだし、だからこれまでの駅でも、メッシーナなどでも、発車時刻が確認できなかったのだが、どうなっているのだろうか。
発車時刻が出ていたタオルミナ | ジアーレ・リポスト付近 |
海ばかり眺めたくなる線だが、次の停車駅、ジアーレ・リポスト(Giarre-Riposto)が近づくと、反対側も気になる。日本人ならシチリア富士とでも呼びたくなる、形の良いエトナ火山が見えてくるからだ。鉄道では、その山に沿って一周する不思議な狭軌ローカル私鉄が気になる。観光鉄道かと思えば日曜は全面運休という妙な鉄道なので、ここも予断を許さないのかもしれない。ジアーレ・リポストがその乗換駅なのだが、その狭軌鉄道の車輌は見かけなかった。
アチレアーレ駅 | 主要駅のカターニア・チェントラーレ |
左手に海を、右手にエトナ山を見ながら快走し、列車はシチリア南東部の中心都市、カターニア・チェントラーレ(Catania Centrale)に着く。大勢降りるかと思ったら、そうでもない。空港がある大都市は飛行機の方が便利だからかもしれない。
レンティニ付近からのエトナ山 | ホームにバーがあるレンティニ駅 |
カターニアからシラクーザまでの最終区間は87キロで、途中2駅に停まる。メッシーナからカターニアは、概ね海沿いにまっすぐ来たが、ここからは一旦内陸に入り込み、レンティニ(Lentini)という海から離れた駅に停まる。そして大きくカーヴをして東へ向かってまた海に出ると、少しの間、海側から湾越しにエトナ山が見える。
海越しにエトナが見える区間もある | アウグスタ付近 |
海越しのエトナ山の風景は長くは続かない。ぐるりと方向を変えると、最後の途中停車駅、アウグスタ(Augusta)である。いよいよ終わりかという名残り惜しさを感じる。最後の一駅間は、エトナも離れ、海も見えるものの、これまでほど格別の風景ではなくなり、また家が増えると、おもむろに終着駅、シラクーザのホームへ、列車はゆっくりと滑り込んだ。
最後の停車駅、アウグスタ | 長旅を終えて終着シラクーザへ到着 |
全ての客が前の晩から乗っている筈で、その数は40〜50名程度だろうか。もう夕方に近いこんな時間まで、夜行明けの旅をする人達が、思ったよりは多い。
前回来た時は、旧型車輌ばかりだったこのあたりにも、徐々に新型電車が入ってきている。普段の利用者には喜ばれているのかもしれないが、先入観もあるにせよ、この駅には、客車列車と旧型気動車の組み合わせが最も似合う。こんな時間に着くミラノからの夜行が今後も末永く残るかどうかわからないが、ローマとの夜行はまだしばらくは安泰かと思われる。
シラクーザ駅舎 | シラクーザ港 |
駅を出れば、12月の短い太陽はかなり傾き、赤く駅舎を照らしていた。街をぶらぶら歩き、海の方へ行くと、もう完全な夕景になった。前回はこのあたりまでゆっくり歩けなかったのだが、世界遺産指定からは漏れた街とはいえ、落ち着いた風格ある街である。普通の平日の夕方だが、さほど活気は感じられない。街の規模の割に歩行者が少ない気がする。南イタリアの経済は概してかなり悪いと言うが、実際のところはどうなのだろうか。いずれにしても、昨晩のミラノとは別世界だ。イタリアも広い。そんな対照的な南北を結ぶこの長距離列車には、今後もイタリアの南北をしっかりと結びつけてもらいたいものである。