欧州ローカル列車の旅 > 2017年 > フランス > ペルピニャン〜ラトゥール・ドゥ・キャロル (1)
< 駅 名 の 短 縮 省 略 表 示 一 覧 表 > | |
フル(一応正式な)駅名 | 短縮省略駅名(本稿での通常表記) |
Villefranche-Vernet-les-Bains ヴィルフランシュ・ヴェルネ・レ・バン |
Villefranche ヴィルフランシュ |
Olette-Canaveilles-les-Bains オレット・カナヴェイユ・レ・バン |
Olette オレット |
Fontpédrouse-Saint-Thomas フォンペドルーズ・サン・トマ |
Fontpédrouse フォンペドルーズ |
Mont-Louis-la-Cabanasse モン・ルイ・ラ・カバナス |
Mont-Louis モン・ルイ |
Font-Romeu-Odeillo-Via フォン・ロム・オデイヨ・ヴィア |
Font-Romeu フォン・ロム |
Latour-de-Carol-Enveitg ラトゥール・ドゥ・キャロル・アンヴェツ |
Latour-de-Carol ラトゥール・ドゥ・キャロル |
フランス本土最南部、スペインと国境を接する地域のうち、地中海岸を含む東側が、ピレネー・オリアンタル県(Pyrénées-Orientales)。スペインに接する東西に細長い県で、端から端まで最長部分の直線距離で123キロ程度である。そこをほぼ縦断しつつ2本の列車を乗り継ぐ山岳ローカル線がある。全長109キロ。起点は同県唯一の都市らしい都市である、ペルピニャン(Perpignan)で、終点は、バルセロナ(Barcelona)とトゥールーズ(Toulouse)を結ぶ線に接し、アンドラ公国にも近い、ラトゥール・ドゥ・キャロル・アンヴェツ(Latour-de-Carol-Anveitg)。
調べていくうちに、列車本数が極端に少ない山岳路線であること、山間部は狭軌路線であること、そしてフランス最高所にある駅があることなど、色々とわかってくる。もう完全な観光路線になっているような記述もあるが、列車は年間通じて毎日運行されているので、良くあるように、細々とした地元の足としても存続しているのではないか、地元ローカル利用だけでは到底持たないので観光客を誘致して存続を図っているのではないか、と想像がついてくる。前々からいずれ乗りたいと目を付けていた線の一つだが、ようやくその機会がやってきた。
実際に乗ろうとして調べれば、最も本数の少ない区間は1日2往復しかない。そうなれば、その区間を基準に時刻表を逆引きしながらスケジュールを決めるのが常套手段だ。しかし今回はただ乗り通すだけでなく、2往復区間の途中で1泊というスケジュールを組むことにした。列車に乗る以外にも、立ち寄ってみたい所があるからである。
ペルピニャン駅とTGV | ペルピニャン駅舎 |
まずはスペイン側から北上。開通してまだ日が浅い、標準軌の高速新線を走る朝のTGVで、ペルピニャンに着いた。今回、切符はバラ買いである。国が広いフランスは、国内乗り放題のパスも値段が高い。だから、広い国の一部地域しか乗らない場合はなかなか元が取れない。しかもTGVなどは列車単位でネット前売りで探せばかなり安いものもあり、レールパスでTGVの追加料金を払うのと変わらない値段で、日本でいう乗車券込みのチケットを買えることもしばしばある。他方、ローカル列車の切符はネット前売りでも安くならないものの、ローカル線は長時間乗る割に進む距離が短いので、運賃はそこまで高くならない。とりわけ今回乗る狭軌路線は、鈍足である。
というわけで、ペルピニャンに着いた私はまず切符売場へ行き、これから乗りたい列車と買いたい区間を説明する。明日、最終的にはトゥールーズへ行く。そこまでがローカル列車区間で、明後日のトゥールーズから先のTGVはネット前売りの激安で購入済みである。
しかしこれがフランスの融通のきかない妙な所で、ローカル列車でも乗る列車を指定しないと買えない。実際は通しの切符で途中下車して別の列車に乗ってもいいらしいのだが、ペルピニャンの駅では、乗る列車の時刻まで決めないと売ってくれない上、ペルピニャンからヴィルフランシュ・ヴェルネ・レ・バン(Villefranche-Vernet-les-Bains)までの最初の区間は、券売機で買えるからという理由で窓口で一緒に売ってくれないのである。あまり予定を立てていなければ、ここで困惑する所であるが、本数の少ないローカル線ゆえ、大体のプランは立ててきた。2往復しかない区間は、昼前の列車は既に間に合わないから夕方の列車に乗る。すると、それに接続する列車は、ペルピニャン発16時46分である。それまでの5時間余りをペルピニャンで過ごすというのが一番最初の考えだったが、途中までなら本数もあるので、とりあえず、行ける所まで行き、場合によっては気まぐれに途中下車して行ったり戻ったりしたらいいし、そこはまた別に切符を買えばいいと思っていた。
結局買った切符は、ペルピニャン12時26分発ヴィルフランシュまで、これは券売機、そしてヴィルフランシュ33分待ちで、狭軌区間の区間列車で5往復区間の終着フォン・ロム・オデイロ・ヴィア(Font-Romeu-Odeillo-Via)まで。ここで夕方の列車まで4時間余り待ち、今日の宿泊地の最寄り駅、ブール・マダム(Bourg-Madame)まで。そして明日、ブール・マダムからラトゥール・ドゥ・キャロルで乗り換えてトゥールーズまで。一筆書きどころかまっすぐ行くだけの順然たる片道切符なのに、今日と明日は別の切符になる。合計で52.20ユーロ(6,525円@125円計算)となった。距離は272キロなので、日本のJR本州3社の幹線なら4,750円、JRで一番高い北海道の地方交通線なら5,400円。ちなみにペルピニャンからトゥールーズまで、普通に鉄道で行く場合は、ナルボンヌ(Narbonne)経由である。距離も213キロと、だいぶ短いし、ましてや所要時間は比較にならない。
と、スムーズに買ったように書いたが、実際はそうではなかった。窓口の女性係員は英語もあまり通じなかったし、親切ではあっても頑固で、駄目なものは駄目であった。極めつけは自動券売機である。ヴィルフランシュで始まる駅は、フランス全土に10駅ぐらいある。この自動券売機は、フランス全土のどの駅まででも買えるのである。ヴィルフランシュというスペルの途中まで入れると、ヴィルフランシュで始まる駅がずらりと出てくるのだが、どれだかわからない。試しに一番最初のを押すと、とんでもなく遠い所で、何本も乗り継いで到着は翌日という時刻が出てきた。結局、ヴィルフランシュの次に1マス空けて、次に「v」を入力したところで、これから行く、ヴィルフランシュ・ヴェルネ・レ・バンという駅名がフルで出てきた。長い駅名でもしっかり覚えておかないと、切符一つ買うのも大変である。もちろん駅の窓口では、ヴィルフランシュだけで十分で、どこのヴィルフランシュだ、などと聞かれることはない。この点は人間より機械の方が融通が利かない。
ペルピニャン駅前通り | ペルピニャン旧市街 |
そんなこんなで切符の購入に結構な時間を使ったが、その後、ペルピニャンの町を1時間ほど歩き回る。確かに南仏らしい明るく美しい街であり、文句のつけようもない。しかも夏晴れである。ただ、かなりの暑さだし、特段の目的がない私にとっては、1時間で十分で、早く列車に乗って奥地へ行きたい気持ちが勝った。切符の方は恐らく後の列車に乗っても問題ないとは思うが、次に出る列車に乗ることにして、駅へと戻る。
12時26分発の列車は既にあちらのホームに入っているが、見た所空いている。昼食のことが若干気になったが、ヴィルフランシュで30分以上あるので、そこで何とかなるだろうと考え、列車に乗り込む。
ペルピニャン駅 | ペルピニャンで発車を待つ2輌の電車 |
2輌編成の電車で、外見は古びた旧型車だが、中はまあまあ綺麗で、冷房もしっかりきいている。乗客は2輌で40人弱であろうか。2時間に1本のローカル線の日曜の昼下がりとあれば、日本のローカル線よりは多少利用者が多い気もする。観光客風の人はほとんど見かけない。
定刻に発車すると、スペイン方向にしばらく本線と並行して走り、それからやおら右カーヴで内陸に入っていく。この感じはいつもながらいい。単線電化で、スピードもまあまあ出る。
2駅目まではペルピニャン郊外で、住宅などもパラパラとある。各駅とも古くて大きな駅舎があるが、民家になっている駅舎が多い。乗客が減り、運転も営業も自動化が進み、大きな駅舎が必要なくなり、駅員もいらなくなった。その駅舎を民間に売るのか貸すのか知らないが、そういう利用の仕方をしている所が増えている。
各駅で僅かな客を下ろしつつ、3つ目のミラ(Millas)まで来ると、だいぶ農村風景になり、山も段々迫ってくる。その先でネフィアク(Néfiach)という廃駅を通過した。パラパラと人家も見られる所だが、日本より大胆に駅を廃止してしまう所が多いようだ。後で調べると人口800人ほどの集落であるが、駅が集落と離れているため、利用者が少なくて廃止されたものと思われる。
最初の停車駅は郊外の住宅地駅 | 古い駅舎に人が住んでいる風な2つ目の駅 |
途中では4つ目のイル・シュル・テ(Ille-sur-Têt)と、7つ目のプラデ・モリトゥ・レ・バン(Prades-Molitg-les-Bains)が主要駅で、駅舎も使われており、駅員がいたし、下車客も多かった。途中からの乗車は僅かで、すっかりガラガラになり、線路は山峡へと入っていく。リア(Ria)の手前の山村集落はなかなか美しい眺めであった。最後の途中駅、リアは、大きな駅舎があるものの廃墟となって使われておらず、乗降客もいなかった。
下車客が多いプラデ・モリトゥ・レ・バン駅 | 小駅リア手前の車窓 |
カーヴは多いものの、電車はモーターの唸りも高らかに快走し、定刻ピッタリにいかにも山峡の鉄道拠点という感じの駅、ヴィルフランシュに着いた。表定速度54.1キロである。
ヴィルフランシュは、低いホーム3面があり、構内踏切で結ばれた駅であった。軌間の異なる路線の乗り継ぎ駅でもあり、構内は広い。駅舎の側は谷が広がっているが、反対側は険しい山である。その一番山側の一線だけが、これから乗る狭軌のセルダーニュ線、通称トラン・ジョーヌ(黄色い列車)である。ペルピニャンからの列車はそれと同じホームの向かい側に着いた。ここで降りた人は十数名であろうか。所用で列車を使っている地元のローカル客と、トラン・ジョーヌに乗り換える観光客が半々という感じである。その他、ここまで車など別の手段で来たのだろうか、トラン・ジョーヌを待っている観光客風の家族連れなどが何名かいる。その黄色い列車が既に停まっているが、まだ乗ってはいけないらしく、皆ホームで待っている。いずれにしても、混むほどではなさそうなので、まず駅舎を出てみた。
ヴィルフランシュに到着 | こざっぱりした駅舎内 |
駅舎内にはジュースからパン、スナックまでを売る多機能販売機があるが、故障中であった。そして駅前も閑散としており、家すら見当たらない。右手に一つだけ駅前観光食堂のようなものがあったが、そこも廃業なのか、閉まっており、中は荒れ果てていた。
ヴィルフランシュ駅舎 | 観光客でない乗客が駅を去っていく |
これはしまった、一応多少の軽食と水だけは持っているが、昼食には不十分である。ペルピニャンでちゃんと買い物をしておくべきであった。何しろ暑いので普段より体力の消耗が激しい。こういう時はちゃんと食べて水分を採るべきなのだが。これから乗る列車は終点のフォン・ロムまで1時間35分かかり、着くと3時半である。とりあえずホームのベンチに座り、手持ちの軽食で腹ごしらえをしておく。
廃業していた駅前のカフェ | 乗ってきた列車がペルピニャンへ折り返し発車 |
そうしているうちに車掌がやってきて、改札を始めた。通常は改札など存在しないフランスだが、この列車に関しては、ホームの入口で切符のチェックをするシステムらしい。走行中に車輌間を移動できないからであろう。初夏の日曜だから観光客で混むかと思っていたが、パラパラという感じで、席も十分ある。いかにも軽便鉄道風で、しいて言うと黒部峡谷鉄道を思わせる、小さな4輌編成である。車輌は黄色に塗られている。これがここの伝統で、それゆえ「黄色い列車」が、単なる愛称以上に定着しているようである。
後で調べたところ、ヴィルフランシュの集落は駅から歩いて5分程度で、そこまで行けば店もあって、恐らく食料も仕入れることができたと思われる。その集落の名前は、ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフラン(Villefranche-de-Conflent)と言う。駅名の後半になっている、ヴェルネ・レ・バン(Vernet-les-Bains)というのは別の集落の名前で、駅から南へ4キロ以上離れている。この辺では大きな集落のようだが、徒歩圏とは言えない。
ヴィルフランシュ13時50分発フォン・ロム行き小型4輌編成の電車は、定刻に颯爽と発車した。私は4輌のうち1輌目に乗ったのだが、その前半分は座席もあるものの、乗務員用で立入禁止になっている。後ろ半分にボックスシートが4つあり、私以外には子供を含む5名の家族グループがいる。よって定員16名に対して6名である。他の車輌も概ねそのぐらいの乗車率のようだ。
モーターの唸りが聞こえるが、架線はない。この鉄道は第三軌条方式なのである。日本では地下鉄の一部が採用している程度で、地上を大々的に走る路線はないが、例えばイギリスなどにはかなりの長距離路線もある。人がうっかり線路に入ると感電する恐れがあるから、そのあたりをしっかり管理しないといけないが、架線方式に比べてトンネルを小さくできるメリットもあり、山岳鉄道にも向いている方式だという。
これらの車輌の製造初年は実に戦前の1908年から1912年だそうで、つまり路線開通時の新造車輌である。何度か大規模更新をしながらも、未だ現役という優れもので、フランス国鉄最古の現役車輌でもあるらしい。狭軌山岳鉄道かつ第三軌条方式という、転用のきかない車輌でもあり、赤字ローカル線でもあることから、今日まで生き延びてきたらしい。
列車は発車するとさっそく勾配を登り始める。両側が森林なので、山へ分け入る森林鉄道のようで、これも黒部峡谷鉄道を連想させる。カーヴが多いし、もとよりスピードも出ない。ただ、遅いなりに精一杯走っている感じはある。単線でホームだけの停留所を2つ、通過する。これらも駅だが、リクエスト・ストップである。車窓から見る限り、駅周辺に人家も見えない。離れたところにあるのかもしれないが、こういった駅の利用者は非常に少なそうである。
ヴィルフランシュ発車時の車内 | 最初の交換駅オレットに到着 |
それでも順調に20分走り、いくらか景色が開け、オレット・カナヴェイユ・レ・バン(Olette-Canaveilles-les-Bains)に着く。ヴィルフランシュから標高が181メートルも上がっている。島式ホームの交換駅で、駅の上の方には小さな町が広がっており、教会もあり、カフェのテラスでお茶を飲む人が見える。ホームに観光客が数名いて、列車にカメラを向けている。
オレットを出ればまたすぐ山の中に入り、急勾配を登り始める。カーヴも多いし、トンネルも現れはじめた。駅だけが平坦で、それ以外は常に登り急勾配という山岳鉄道である。それでも時々、下方に谷の風景が開ける。綺麗な2車線道路があり、車もそれなりに通っているが、あちらもヘアピン・カーヴが連続している。それでもこの最高速度50キロの狭軌鉄道よりはずっと早く目的地に着けるであろう。そうしてまたリクエストストップの無人駅を2つ通過する。
ニエ〜トゥエス・レ・バン間の前方 | トゥエス・レ・バン駅を通過 |
トンネルを出てほどなく、急停車した。暑さのあまりか、上半身裸で運転していた運転手が、そのまま何も着ないで通路を伝って我々の横を通り、後ろのドアから降りて行く。車掌も駆け寄ってくる。動物でも撥ねたのかと思ったが、良くわからない。それでも数分して発車した。その次のトゥエス・カランサ(Thuès-Carença)も単線でリクエスト・ストップの停留場だが、珍しく停車し、ホームでカメラを構えていた若い男性4名が乗ってきた。今回2日間のこの線での旅行中、リクエスト・ストップの駅で列車が停まったのはこれが唯一である。
谷間に見える大きなビルは病院 | トゥエス・カランサに停車 |
その後も2度ほど、駅でもないところに停車し、そのたびに運転手と車掌が出てきて、トランシーバーでどこかと通話したりしている。それでも結局は動き出す。次の交換駅で、やはり島式ホーム1面のフォンペドルーズ・サン・トマ(Fontpédrouse-Saint-Thomas)には、定刻より13分遅れて到着した。オレットと違い、駅から見渡す限りは何もない所であった。ここでまた運転手と車掌がホームと反対側の車輪のあたりを何やらいじくっている。すぐ発車しないとみた乗客が三々五々、ホームに降りてきたので、私もホームへ降りてみる。前方は、駅を出ればいきなり急勾配である。もとより急ぐ客などいないのか、ホームで記念写真を撮ったりしていて長閑で平和な雰囲気だ。それと乗務員の真剣さとの対比が印象的である。私も急ぐ旅ではなく、この後どこでどう時間を潰そうかと思っていたぐらいだから、こういうのは構わないのだが、ただ空腹だし、ペットボトルの水も残り少なくなってきたので、早く食料が得られる所までたどりついて欲しい。
フォンペドルーズで裸の運転手が車輌点検中 | フォンペドルーズの先の上り勾配 |
結局ここで7分停車して、18分遅れで発車した。そして5分ほど走っただろうか。また同じように停車した。今度はトランシーバーでのやり取りも少し長い。そして結局、引き返すことになったと車掌が乗客に告げて回る。どうも、これ以上勾配を登るのが無理らしい。しかし逆方向は下る一方だから、走れるらしい。というような説明と、この後のことなども話されたのだが、もとよりフランス語なのでほとんど理解できない。幸い、同室の家族連れのうち母親の女性は英語が流暢な方だったので、私に英語で説明してくれた。
下り勾配を順調に戻り、フォンペドルーズへ15時10分に戻ってきて停車した。先へ行く人は、ここで次の列車を待っても良いということだが、何もない所なので、車掌もお勧めしていないようである。次の列車は16時39分発で、1時間半以上ある。フォンペドルーズでは12分ほど停まってから発車。下り勾配は何のトラブルもなく順調に進み、次の交換駅、オレットまで戻ってきたのが15時46分。当列車はここでしばらく待ち、ヴィルフランシュからの次の列車を待って行き違う。
快晴の午後、日差しが猛烈に強い。標高も下がったので、走っている時はそうでもなかったが、停車するとかなり暑い。しかしホームは屋根もないので、車内で待っている方がましで、ほとんどの人がそうしている。同室の家族連れはこのままヴィルフランシュへ戻るという。もともとこの鉄道に乗って往復するのが目的の日帰り旅行で、ヴィルフランシュに車を停めてあるのだそうだ。
ところで、こういったトラブルの時はダイヤが変則になるから駅から離れない方がいい、という考えが頭の中にあったのだが、しかし今は間違いなく、次の列車の到着までしばらく時間がある。少し考えたが、大丈夫だろうと思い立って、駅を出て、階段を上がり、上の道路まで行ってみた。2分もかからず、駅からカフェのテラスで飲食する人が見える所に着いた。そこは予想より大きな集落で、ホテルすらある。さすがにコンビニのような店は無かったが、そのカフェに入っていったら、飲み物やスナックは売ってくれた。また何があるかわからないので、少し余分に色々買い込んで列車に戻る。すると、それを見た他の乗客が、どこで買ったのかと尋ねる。教えると、直ちに走って買いに行っていた。私の方はとりあえず冷たいソフトドリンクを一気に飲み、元気を取り戻した。
なかなか賑やかなオレット駅の上 | 8分遅れでオレットに入線する次の列車 |
オレット16時05分着、07分発の列車は、約8分遅れで入ってきた。やはり途中のフォン・ロムまでの列車であるが、今度の方が乗客が多い。それでもグループ客が多いからか、満員の車輌もあれば空きボックスもあり、そこへ乗り込む。先にヴィルフランシュへ引き返す故障列車が発車。さきほどの家族連れと手を振って別れる。続いてこちらも16時18分、時刻表より11分遅れで発車した。
参考までに、この日の全列車のダイヤを、ダイヤグラム作成ソフト"OuDia"を使って描き、そこに車輌故障によって引き返した行程がわかるように黄線で入れてみたのが下図である。駅は交換可能駅のみ示してある。
2時間前と同じ行程を、今度は故障もせず順調に登り、やはりリクエスト・ストップの駅は全て通過し、3度目となるフォンペドルーズへは、時刻表より8分遅れで到着した。本来ならここで7分停車して反対列車と行き違うはずだが、その反対列車というのは、故障で引き返したあの列車の折り返しである。フォン・ロムに予備車輌があり、乗務員の手配もつくのならば、運休しないだろうが、それは恐らく無理であろう。実際、その通りで、反対列車は現れず、僅か2分停車で発車した。遅れは4分に縮まった。
フォンペドルーズから4駅先の最高所にあるボルケール・エーヌ(Bolquère-Eyne)までは、勾配もひときわ大きい。10.5キロで標高が542メートル上がるので、単純計算すると平均勾配51.6パーミルということになる。比較すれば、ヴィルフランシュからフォンぺドルーズの平均勾配は、31.7パーミルである。そういう険しい所を列車はカーヴを繰り返しながら登っていく。さきほど臨時停車し、ギヴ・アップして引き返した場所がどこだったかはわからなかったが、恐らくサウト(Sauto)の少し手前あたりだろう。そのサウトは何もなく、道路すら来てなさそうな秘境の駅であった。
勾配を登っていく列車 | カサーニュ橋を渡る |
いくつもの橋とトンネルを通過する。古い石橋もあるが、有名なのが、プラネ(Planès)の1キロ手前にあるカサーニュ橋で、フランスに現存する唯一の鉄道吊り橋だそうだ。1910年の開通以来、今日まで使われている。建設中に死傷者の出る事故があり、それが開通を遅らせる原因にもなったという橋らしい。
反対列車が待つモン・ルイ駅 | 大量に下車したモン・ルイ駅 |
島式ホームの他に引込み線もある駅、モン・ルイ・ラ・カバナス(Mont-Louis-la-Cabanasse)に着く。時刻表通りなら16時56分に着いて10分停車し、17時05分着のヴィルフランシュ行き対向列車を待って発車するダイヤだが、こちらが遅れているため、反対列車が先にホームに入っていた。その反対列車はラトゥール・ドゥ・キャロル発である。だからかどうか、車内はかなりの人で埋まっていた。他方、こちらの列車も、列車が停まるとお年寄りの団体などがおもむろに腰を上げ、のんびりだが次々と降りていく。それが思った以上に多く、ホームが賑やかに人で埋まり、車内はガラガラになってしまった。私の乗っていた車輌の客も全員降りてしまった。また何かのトラブルでここで運転打ち切りなのかと心配になるぐらいであったが、ホームに降りて見てみれば、最前部の車輌などに数名の乗客が残っている。この山峡の小さな駅付近に何があるのか知らないが、ここがこの鉄道での主要目的地になるのだとすれば、反対列車もここから乗り込んだ人たちが大半で混雑しているのかもしれない。駅前には観光バスもいたから、列車を組み入れたツアーのルートになっているのかもしれない。
なお参考までに、モン・ルイは、この路線が1910年に開通した時点では、ヴィルフランシュからの終着駅であった。その後、1911年にブール・マダムへ、1928年にラトゥール・ドゥ・キャロルへと延伸して全通し、現在の姿になっている。
モン・ルイの先は爽やかな高原地帯 | 通ってきた踏切をカーヴ越しに見る |
モン・ルイからこの列車の終点、フォン・ロムまでは、あと2駅、つまり途中駅は1つだけである。ボルケール・エーヌで、この駅こそ、フランスSNCFの最高地点にある駅である。標高1593メートル。この線は、ヴィルフランシュからボルケール・エーヌまで、平坦な駅部分を除いてほぼ全区間、一方的な登り勾配である。
車窓の方はしかし、それまでの森林が多い山深き険しい風景から一転し、長閑な高原が広がるようになり、牛や羊が放牧されていたりもする。視界が開けているからだろうが、人家も結構見える。そんな所をさらに登っていき、最高所のボルケール・エーヌ駅に達するわけだが、ここもリクエスト・ストップで、あっさり通過した。片側ホームの質素な駅で、長閑な高原の駅、と言いたい所だが、駅付近にクレーンが立っていて、建設会社の倉庫のようなものがあり、その看板がうるさい。それ以外には特に何もなく、店などもなさそうだし、最高所ならではの記念碑的なものも見られない。実はこの後2時間の待ち時間があり、その間にここを往復できるので、待ち時間の大半をこちらに振り分けることも考えていた。しかし車窓からこの駅の風景を見た限り、1時間余りを過ごしたいような場所ではなかった。
フランス最高所の駅ボルケール・エーヌを通過 | ボルケール・エーヌ駅の先から遠望 |
ボルケール・エーヌを過ぎれば確かに明らかに下り勾配になっているのがわかる。最後の一駅間も、広々とした高原地帯であった。この区間は特に予備を見込んでいるのか、モン・ルイからフォン・ロムまで、時刻表では21分を要するのだが、15分しかかからず、遅れをかなり縮め、終着フォン・ロムへは17時31分に到着した。