欧州ローカル列車の旅 > 2013年 > セルビア > スボティツァ〜ベーケーシュチャバ (1)
目次 | (1) | スボティツァ Subotica |
パリチ Palić | ||
スボティツァ〜ホルゴシュ Subotica - Horgoš | ||
(2) | ホルゴシュ〜レースケ Horgoš - Röszke | |
レースケ〜セゲド Röszke - Szeged | ||
セゲド〜ベーケーシュチャバ Szeged - Békéscsaba |
セルビア第5の都市スボティツァは、ハンガリーまで10キロ弱の所にある国境都市である。ユーゴスラヴィア時代から、国境都市としての歴史も長い。だが、第一次大戦までは、オーストリア・ハンガリー帝国に属していた。一旦はユーゴスラヴィア王国となったものの、第二次大戦中、ハンガリーに割譲され、戦後、ユーゴスラヴィアに戻っている。そして1990年代にセルビア共和国になった。こういった地理的・歴史的な経緯から、今もこの都市はハンガリー系住民が一番多く、セルビア人を凌駕している。また、少数民族であるブニェヴァツ人も人口の1割を占め、市内のあちこちにブニェヴァツ人居住地があるという。スボティツァはそのように、民族構成が複雑な、多民族都市である。
鉄道路線で言うと、両国の首都である、ブダペストとベオグラードを結ぶ幹線上の、ほぼ中間地点にある。ブダペストを出た国際列車が、国境を越え、セルビアに入って最初に停車する駅である。セルビアはまだEU加盟が果たせていないので、出入国審査もしっかりある。シェンゲンエリアの拡大により、最近はこういった鉄道での出入国審査経験がめっきり減ってしまった。
私は前日晩にハンガリーから列車でスボティツァに着き、駅近くのホテルに1泊した。朝早い列車に是非乗りたい場合は、初めての場所でも街歩きを諦める場合もあるが、今日は乗る予定の列車が11時なので、ちょうど良い。前日の疲れもあって早寝早起きができたので、早朝の町を歩き回ってみた。駅と市街地も近く、コンパクトにまとまった街は、1時間も歩き回ればひとまず十分である。
駅近くの街並み | 社会主義時代に建てられたと思われるアパート群 |
セルビアの他の都市を知らないので何とも言えないが、スボティツァ市街地の建物の多くは、アール・ヌヴォー・スタイルで、これはセルビアでは珍しいそうだ。さらに多民族都市だけあって、様々な宗派の教会がある。驚くような大規模な建物はないが、一つ一つ、歴史をたどれば面白いに違いない。そんな知的な旅もしてみたいが、時間ができればすぐ汽車に乗りに行ってしまう私には無理そうだ。
モダン・アート・ギャラリー | フランシスコ派の教会 |
日曜の朝のひっそりした市街地は、歩いている人も少ない。雪はないが、気温は氷点下だろう。1時間ほどかけて一回りするうちに、体がすっかり冷え切ってきた。
市街地の光景 | 市庁舎 |
まだ9時すぎで、時間はある。そこで私はバスでパリチ(Palić)へ行けないかと考えた。パリチはスボティツァの郊外にある、パリチ湖という湖に沿った小さな町で、パリチ湖はローカルな観光地として知られているらしい。これから乗る予定のローカル線が、そのパリチを通る。スボティツァのホテルを調べていた時に、スボティツァの市街地の他、パリチにもホテルがいくつもあることがわかったので、どんな所だろうと気になっていた。
そこでバスターミナルへ行ってみる。ヨーロッパでは、バスターミナルが市街地にあって鉄道駅が少し外れている街が多いが、ここは逆で、駅は市街地に近く、周囲も割と賑わっているのに対して、バスターミナルは市街地から5分程度だが、歩かなければならない。ターミナルは結構大きく、長距離国際バスの路線も結構あって、本数と行先の限られる鉄道よりも多く利用されているようであった。しかし正月明けの日曜の朝だからか、ガランとしていて人は少ない。色々な時刻表があちこちに貼られており、しばらく探しているうちに、パリチへの市バスの時刻表もあった。30分に1本、走っているので、次のバスに乗れば大丈夫そうだ。
ガランとしたスボティツァのバスターミナル |
切符売場と案内の窓口が2つ開いていたので、パリチへ行くバスについて英語で質問する。二人とも女性で、やや若い方は英語をほとんど解さない。隣の中年のおばさんが、一応の英語を話した。それによれば、パリチへのバスはこのバスターミナルからではなく、町の中から出るということである。ホテルでもらった地図を見せたので、それでここだと教えてくれれば簡単なのだが、何故か丁寧に、しかし長々と言葉で説明しようとする。いずれにしても、概ね理解できたのは、駅の近く、泊まっているホテルのすぐそばにバス停があるということだった。
やってきたバスは、連接車で、時間帯のせいか空いてはいたが、それでもパラパラと客が乗っていた。前のドアから乗って運転手から切符を買おうとすると、後ろへ行け、という仕草をする。見れば後部車輌には何と車掌が乗っている。若い男性の車掌で、彼も英語を多少は解したので、難なく切符を買うことができた上、地図を見せて、私が降りたい所を教えてもらうように頼むことにも成功した。
二輌連接でスボティツァ近郊を走るバス |
バスは相当に古い車で、音も大きく、モダンで快適な乗り物とは言えなかったが、ほどなく市街地を出て、一本道を快走した。道は良い。所々のバス停で一人、二人と降りてゆき、段々空いてきた。私は20年前の中国のバスを思い出した。
畑の中に集落が現れ、パリチに入ったことは何となくわかった。スボティツァのホテルでもらった簡易な地図だが、パリチの拡大図もあって、結構役に立つ。これなら車掌に頼まなくても自分で降りる場所を判断できたが、次かなと思った瞬間に車掌の彼と目が合った。
降りたバス停の目の前に、公園入口のゲートがあった。そこを5分も歩けば湖に突き当たる。あっけらかんとした雰囲気の湖で、湖畔にある休憩施設も含めて、私にはどうしても、昔の中国のイメージが重なって抜けない。車掌の乗った連接車のバスの印象と併せて、どことなく作られた健全な観光地、という感じの、社会主義的なイメージがあり、それが昔の中国の印象と重なり合うのだと思う。小ざっぱりした所ではあるが、長くゆっくり滞在したいような絶景ではない。ここにもホテルがいくつかあるのだが、スボティツァのホテルにして正解だったなと思った。それにしても、パリチのホテルに観光で泊まる人がどれだけいるのだろうか。
パリチの湖へ行く入口ゲート | 小ざっぱりした湖畔 |
3分もたたずめば十分の湖畔を後に、来た方へ戻り、バスを降りた道路を横断して反対側に歩く。その先にパリチ駅があるはずであった。実際、あった。私は難なく見つけることができたが、駅を表わす標識も駅前広場も何もない。駅舎はあるが、木々に隠れている。この辺に駅があるはずだという予備知識がなければ、容易には行きつけない所である。
木に覆われてわかりづらいパリチ駅舎 | 地元の人で賑わっている駅横の市場 |
駅は誰一人、待つ人もおらず、ガランとしている。しかし構内に線路を横断する踏切があって、そこを歩行者や自転車がひっきりなしに通る。駅のすぐ横にマーケットがあり、地元の買い物客で賑わっている。踏切を通る人は、線路の反対側からこのマーケットにやってくる人なのである。駅や鉄道には誰も用はないらしい。
駅の東の踏切から見たパリチ駅 | パリチ駅構内 |
間もなくスボティツァ行きの列車がやってくる筈である。線路は錆びていないし、駅には手書きの時刻表も貼ってあるから大丈夫だと思うが、本当に来るのだろうか。ちなみにこの時刻表、手書きではあるが、ヨーロッパの多くの国で使われている標準に合わせ、到着時刻表を白い紙に、出発時刻表を黄色い紙にと、ちゃんと書いていて、律儀な感じが伝わってくる。しかし見れば全ての列車が1分停車である。到着時刻表など、実際には必要ないだろう。
かわいらしく味のある駅名標 | 駅に掲示してある手書きの時刻表 |
駅前のマーケットを見学していると、何とまだ4分も早いのに、小型のレールバスがやってきたではないか。もっと遠くにいるうちから、向かってくる様子を写真に収めたかったのだが、こんなに早く来るとは思わず、うっかりしてしまった。それにしても何という可愛らしい車輌であることか。鉄道好きな日本人なら、きっと見た瞬間、南部縦貫のレールバスを思い浮かべるであろう。色や材質こそ違うものの、形や雰囲気は良く似た、古いレールバスである。
パリチ10時17分発の列車は、構わず早発した。パリチで乗ったのは私だけで、下車客もいなかった。当然無人駅かと思っていたが、気が付くとホームに女性の駅員がきちんと制服を着て立っている。車内には10人ほどの客がいた。車掌もしっかり乗っている。
パリチからスボティツァまでは、途中1駅。バスで通ってきた道路とは少し離れた所を淡々と走るが、単調な草原を貫く風景は、どちらも大差ない。途中駅というのは、スボティツァ寄りにあって、スボティツァ郊外の産業地帯っぽい、やや殺伐とした所にある駅であった。よって日曜の今日は乗降ゼロ。後で調べると、この駅名は日本語にすればスボティツァ倉庫前といった感じで、工場ではなく倉庫の脇にあるような駅である。貨物の積み下ろし駅としての機能がメインなのかもしれない。
スボティツァでは、構内踏切もあるが、降りた客は平気で線路を横切って駅舎へと向かっている。私は急いで泊まっていたホテルへ戻り、荷物を取りまとめてチェックアウトし、再び駅へ戻ってきた。駅に近いホテルにしておいたから、こういう事ができたのは、結果論だが良かったと思う。
終着スボティツァで下車して駅舎へ向かう客 | スボティツァ駅舎 |
次の乗るのは、今乗ってきたレールバスの折り返しである、10時57分発レースケ(Röszke)行きである。もともと今日は、この列車に乗る予定で、それまでの間、スボティツァの街歩きだけで過ごす予定であった。それがうまいことバスでパリチへ行けたため、先に一部区間を乗ってしまう結果になった。とはいえこんなに面白いレールバスとは予想していなかった。これなら何度でも乗ってみたいと思う。
そんなわけで、順序は逆になってしまったが、この路線に乗ることになった動機をちょっと述べておく。それは、トーマス・クックの時刻表の所々に見られる「マイナー・ボーダー・クロッシング」の路線の一つとして掲載されていることである。IC特急などで超える国際列車ではなく、ローカル列車が細々とつないでいる国境越えの路線のことを、トーマス・クックの時刻表ではこう表現している。その多くが運転本数も非常に少ない。個人的に強い興味をそそられる部分であり、時刻表を眺めていると、ついそこで目が止まる。
もっともハンガリーとセルビアに関して言えば、ブダペスト〜ベオグラードの幹線ですら、国境を越える国際列車は一日2往復しかないので、これから乗るこのマイナーなルートの方が4往復と、本数だけは多いのである。但し輸送量は比較にならないだろう。昨日、ハンガリー側からスボティツァまで乗ってきたベオグラード行きは、大型客車7輌編成で、乗車率も高かった。
上の時刻表は、インターネットで調べて作った私の手製である。このあたりまで来ると、ヨーロッパ中の列車をほぼ網羅しているかと思われる、使い勝手の良いドイツ国鉄(DB)のサイトでも、全列車は出てこない。複数のサイトを参照しながら、ようやく作り上げたのがこれである。それによると、スボティツァからは片道5本が出ており、全ての列車が国境手前のホルゴシュ(Horgoš)までは行く。5本のうち、ホルゴシュ止まりが1本、支線に入ってセルビア国内のカニジャ(Kanjiža)までが2本、そして国境を越えてハンガリーのレースケまでが2本である。他方、ハンガリーのセゲド(Szeged)からは、レースケまでの1駅だけの列車が2本、国境を越えてホルゴシュまでの列車が2本、来ている。ホルゴシュ〜レースケ間の国境越え区間は4往復あって、セルビア国鉄とハンガリー国鉄が2往復ずつ、相互乗り入れをしている恰好になっている。4往復中2.5往復は、ホルゴシュまたはレースケで30分以内の接続が取られており、スボティツァ〜セゲドの都市間連絡に利用できるダイヤになっている。他は待ち時間が長すぎて使えそうもなく、セゲド発ホルゴシュ行き最終の折り返しである、ホルゴシュ発セゲド行きには、スボティツァ方面からの接続列車は無い。
これを作っていてもう一つ興味を覚えたのが、セルビア国内のカニジャである。何しろ列車は2往復しかなく、しかもそのうち朝の列車は、スボティツァ発が早朝3時38分発と、異様に早い。3時台のローカル列車といえば、かつて日本にあった行商列車を思い出すが、これもそういった特殊な列車なのだろうか、それとも実質はカニジャへの送り込みの回送のようなものなのだろうか。考えていくうちに、これは夜行列車に接続しているのだろうと思えてきた。ブダペスト〜ベオグラードの1日2往復のうち1往復は夜行で、上下とも深夜2時台にスボティツァに停まる。
だがそれにしても、と思わざるを得ない。最初はこの不思議な列車ダイヤゆえ、カニジャというのはどんな所かと興味を覚えたが、多分ごく普通の町なのだろう。後で調べた限り、このあたりでは中規模な町のようだ。きっと普段の市民生活はバスと車で用が足りているのであろう。スボティツァの深夜の夜行接続列車など、もう時代遅れのような気もする。どれほどの利用者がいるのか、見てみたいが、それだけのために深夜3時に乗り換えるような旅行をする気もしない。
駅舎前の1番線からブダペスト行きEC特急が出て行く | 3番ホームに停車中のレースケ行きレールバス |
さて、スボティツァ駅では、一日2本のブダペスト行きのうち、昼行の方が、ちょうど駅舎と接した1番ホームに停まっていた。そのため、駅は乗降客や送迎客でそこそこ賑わっていた。その発車を見送ってから、線路を横切って、3番ホームの列車に乗る。さきほど乗ってきたレールバスが、そのまま停まっている。3番ホームと言えば聞こえは良いが、スボティツァのような主要駅でも、長距離列車が発着する1番ホームを除けば、群小の駅と同じ、低くて狭い島式ホームなのである。一応、構内踏切もあるが、乗客も駅員も当たり前のように線路をそのまま横切っている。
発車直前に乗り込んでみると、客は他に7名いた。地元のローカル客ばかりである。さっきは気づかなかったが、座席は古くてだいぶ痛んでいるものの、バタンと向きが変えられるのであった。固定シートで向きが変えられない座席が多い欧州にあって、これは素晴らしいし有難い。
さきほど来た道をまた進む。本線と分かれ、ほどなく郊外に出ると、倉庫駅。やはり乗降客はいない。運転士の横でだべってばかりいる中年男性の車掌は、一体仕事をしているのかと思ったが、倉庫駅を出ると一応車内を回り、検札をする。済むとまた運転士横に戻り、雑談を続ける。
パリチで1名乗ってきた。さきほどのおばさん駅員がまた駅舎に出て列車を見送っている。スボティツァは定刻に出発したはずだが、ダイヤに余裕があるのか、2駅目にして早くも早発しているようである。
パリチの先で、上を立派な高速道路が横切った。この高速道路はこの後しばらく、車窓左手に線路と並行することになるのだが、遠目にも、見るからに立派で近代的である。しかし高速ではローカル輸送には使えず、鉄道の代替にはならないだろう。ゆえにその影響を受けず、この鉄路も辛くも生き残っているのだろう。
一番前で運転手と雑談している車掌が、何と煙草を吸い始めた。今や日本やEUではほぼあり得なくなった列車内での喫煙だが、少し前まではそうではなかった。EUに入っていないセルビアは、まだこういう所で煙草が吸えるとしても不思議ではない。だが、その車掌がいる前のドアのすぐ上には、真新しい禁煙マークのシールが貼ってある。古い車輌の中で、これだけは新しいとわかるシールであるから、最近、禁煙になったのだろう。しかし勤務中の車掌が率先して破るとは・・・ちなみに乗客は誰も吸っていない。
ハジュドゥコヴォ(Hajdukovo)は単線の小さな駅であったが、ここで子供6名を引率した大人が乗ってきた。前の一角に分かれて座ったが、マナーも良くおとなしい子供たちであった。風景は代わり映えせず、平原ばかりで、車窓風景は特徴が薄い。しかしこのレールバス独特の乗り心地は何とも楽しい、というか、これぞまさに非日常体験だ。
バチュキ・ヴィノグラディ駅 | 左手に並行する高速道路 |
バチュキ・ヴィノグラディ(Bački Vinogradi)は閑散とした所にあるが、交換可能駅で、大きな駅舎もあった。ここでスボティツァからの乗客のうち3名が降り、新たに2名、乗ってきた。僅かとはいえ、かろうじて少数の人に利用されているようである。もっとも今日は正月明けの日曜日。普段の平日がどんな様子かはわからない。そんな日にまた来てみたいなと思う。
バチュキ・ヴィノグラディを出ると列車はスピードを出さなくなった。それまでは時速60キロぐらい出していたと思う。それが、ここから先は時速20キロの制限がかかっている。線路の整備状態が極度に悪いのであろう。そのため、大した距離でもないのに、ここと次のホルゴシュの間を、時刻表によれば、列車は27分もかけて走ることになっている。左に見える高速道路を、比べ物にならないスピードで車が行き交っているが、その数も多くはない。だが、これだけ徐行をしていてもダイヤには余裕があるようで、ホルゴシュには時刻表より7分早着した。
ホルゴシュ。ここまでがセルビアという国境駅である。ただの田舎駅であるが、その割と駅舎が大きく、そこに大きな国旗が掲げてあるのが国境駅らしい。乗っていた十数名の乗客が、次々と席を立って降りていく。やはり国境を越えてハンガリーまで行く「国際旅客」は少なそうである。そう思って見ているうちに、結局全員が降りてしまった。新たに乗ってくる客もいない。
ホルゴシュに着くと乗客が次々と席を立つ | セルビア国旗を掲げたホルゴシュ駅 |
代わって駅舎前に待機していた二人の男が車内に入ってきた。乗客ではなく、出国審査官である。私のパスポートを取ると、一旦列車から降りて、駅舎の中に引き上げてしまった。中にスタンプがあるのだろうか。心配するまでもなく、1分ほどで戻ってきて、私にパスポートを返す。しかしスタンプはどこにも押されていなかった。
いずれにしても、出国手続きも簡単に済んでしまった。所定ダイヤだと15分停車だが、早着したので、まだ20分近くある。運転士と車掌と審査官らがホームで雑談している、私は既にセルビアを出国したことになっているので、固く言えば車内に留まらないといけないのだろうが、ホームに降り、審査官らにカメラを指して、ちょっと写真を撮りたいというようなことを身振り手振りで伝える。こんなローカルな国境でも、審査官だけあって、ある程度の英語はわかるようで、我々を撮ってはいけない、と言う。そうではなく、駅の風景を撮るのだと伝えると、特に問題ないようであった。
ホルゴシュ駅舎 | ホルゴシュ駅前 |
駅前に出てみる。ローカル線の田舎駅としては大きく立派な駅舎であったが、駅前風景は寂しく、目の前の立派な建物には売り家の看板が出ていた。もう少し先まで行ってみたいが、平気で早発する体質である。乗務員も私が乗るのはわかっているはずだから、置いていかれることはないだろうが、やはり心配なので、駅前より遠くへは行かずに早めに列車へと戻った。
審査官と乗務員の雑談は終わっており、車掌が車内にいて、私に英語で話しかけてきた。この車輌はソヴィエト時代のロシアから輸入した車で50年も使っているということ、そしてもうすぐ廃車され新車に置き換えられるということを説明してくれた。無愛想で仕事も適当で禁煙車内で煙草を吸ったりする社会主義時代の残骸のような車掌かと思っていたが、話してみると、なかなかいいおじさんである。英語も割合に流暢だ。
車齢50年というレールバスの運転台 |
セルビア各地の他のローカル線がどんな事情かはわからないが、こういう老朽車輌の寿命を機会に、こんなに客も少なくてスピードも出ないローカル線は、バスに置き換えても問題ないだろう。しかし少なくともこの路線は、車掌の話によれば、車輌を更新して、走らせ続けるらしい。東欧各国でローカル線の廃止が相次いでいる話はあちこちで耳にするが、これはこれで嬉しい話である。しかしこの愛らしいレールバスの廃車が近いと聞けば、やはり残念だ。日本だったら間違いなく鉄道マニアが殺到するだろう。他にセルビアのどこで走っているのかもわからないが、私ももう一度ぐらい乗るチャンスがあるだろうか。せめてあと数年は走り続けてもらいたいと思うが、それ以上に細かい具体的なことまでは車掌からは聞き出せなかった。