欧州ローカル列車の旅 > 2018年 > フランス > ベジエ〜クレルモン・フェラン
目次 | ベジエとコース線 Béziers and Ligne des Causses |
ベジエ〜ミヨー Béziers - Millau | |
ミヨー〜ヌッサルグ Millau - Neussargues | |
ヌッサルグ〜クレルモン・フェラン Neussargues - Clermont-Ferrand |
フランス南西部の地中海沿いには、北東から順に、モンペリエ(Montpellier)、ナルボンヌ(Narbonne)、ペルピニャン(Perpignan)といった都市がある。さらに南下すればスペインに入り、バルセロナ(Barcelona)に至る。そのあたりから鉄道でパリへ行く場合、通常は高速列車TGVであり、ルートはリヨン(Lyon)の方を通る高速新線ということになる。直線に近いルートに比べて遠回りに見えるが、所要時間では比較にならない。高速鉄道の威力である。内陸に目を向け、トゥールーズ(Toulouse)あたりになれば、パリへのルートはボルドー(Bordeaux)経由になる。その境目は、ナルボンヌとトゥールーズの中間のカルカッソンヌ(Carcassonne)あたりである。カルカッソンヌからパリへ、フランス国鉄SNCFのサイトで検索すると、どちら回りでも乗り換えを伴う5時間台で、出発時刻によって、ナルボンヌ経由になったりボルドー経由になったりする。
地図を見れば、そのあたりの南部からパリへ、より直線距離に近そうな路線もいくつか存在する。その多くが19世紀に開通した路線で、幹線輸送の一端を担った歴史がある。しかし今、その一部は存廃論議になるほどに寂れてしまっている。簡単に廃止しないような気はするが、後悔する前に乗っておきたい。以前から漠然と気になっており、目を付けていたのだが、今回、その一つに乗るスケジュールが組めた。地中海沿いの中都市ベジエ(Béziers)から、内陸を北上し、クレルモン・フェラン(Clermont-Ferrand)という内陸都市まで行く列車がある。クレルモン・フェランで幹線特急に乗り継げば、一日がかりでパリまで行ける。無論、ベジエからパリまで、このルートで時間をかけて行く人は、物好きしかいない。運賃の面でも、ネット早割などを使えばTGVの方が安いこともあるし、所要時間では比較にならない。
もう一つ、モンペリエから少し東へ行った、ニーム(Nîmes)という所からも、北上してクレルモン・フェラン経由でパリへ行くルートがある。両ルートはクレルモン・フェランの少し手前で合流する。そちらも同じく寂れた元幹線である。今回、そのどちらかに乗ろうと思い、どちら方向から乗るかも含めて検討したのだが、日の短いこの季節に明るいうちに全線乗車ができるのは、このベジエからクレルモン・フェランしか選択肢がなかった。逆方向も、ニーム〜クレルモン・フェラン間にも、列車はあるが、この季節だとどの列車も一部が夜明け前か日没後にかかってしまう。厳密に言うと、微妙なのがもう1本ある。ニーム発朝8時10分のクレルモン・フェラン行きである。調べると、当日のこの地方の日の出時刻は8時17分。真っ暗ではないだろうが、いかにも薄暗そうなので、朝がゆっくりできて、すっかり夜が明けてから出発できるベジエ発を選んだという若干怠惰な事情もある。だが、今回選んだベジエからの路線の方が寂れ方が顕著で、廃止の可能性があるのもこちらである。だから、仮に出発時刻などの条件が同じだったとしても、ベジエ発を選んでいただろう。あちらも乗りたいが、順序としては、というわけである。
クリスマスの飾りが残るベジエの町 | 人のいない日曜の朝のベジエ中心部 |
そのような次第で、ベジエのホテルに1泊し、朝食後、町を一回りしてみる。正月明けの日曜ということもあって、市街地はひっそりしており、人もほとんど歩いていない。ベジエは人口7万余り。この界隈ではモンペリエが最大都市であるが、ベジエも小さな町ではない。市内にも郊外にも観光名所もある。
ベジエ駅舎 | 乗車客で賑わうベジエ駅 |
町はゴーストタウンのようにひっそりしていたのに、駅へ来れば列車に乗る人で賑わっている。9時25分発のアヴィニョン(Avignon)行きなど、各方面への列車があり、それらに乗る人が集まってきていた。
私が乗る列車は、9時37分発クレルモン・フェラン行きである。この路線を乗り潰すなら、どのみちこれ以外に選択肢はない。というのも、今、この線の途中一部区間は、一日1往復、つまりこの列車と、逆方向の姉妹列車しか走っていない。過去にはもう少し本数があったが、段々と減らされ、全線を走る列車がこれ1本になってしまった。途中までなら本数があるのかというと、それも少ない。ほぼ毎日の運転は、ベジエ発で3本で、他に日曜だけ夜に途中止まりの列車が走る。右の時刻表にそれらを掲載したが、その他、一部に短距離の区間列車がある。フランスは曜日によって走る列車があるなど、時刻表が複雑になるので、それらは省き、状況に応じ、本文で触れていく。
だが、直前にSNCFサイトで時刻表を検索した際にも、クレルモン・フェラン行きの直通列車となっていたにもかかわらず、駅へ来てみれば、行先はヌッサルグ(Neussargues)となっている。運用の都合による一時的なものなのだろうか。当たり前のようにヌッサルグと出ていて、特に注釈もなさそうである。ヌッサルグは無名な町であるが、クレルモン・フェランへのルート上にあり、他の線が合流してくる駅である。そして、今日のメインテーマである超ローカル幹線の終点でもある。ヌッサルグから先は本数も増えるので、ヌッサルグまで行ってくれれば問題はないのだが、私としては長距離・長時間のスローな汽車旅を期待していたので、それが途中で分断されるのは、少し残念ではある。
それでもヌッサルグは路線の区切りの駅でもある。ベジエ〜ヌッサルグ線は、通称コース線(Ligne des Causses)と呼ばれる。このあたりの内陸部はコース地方と呼ばれる。石灰岩台地が連なる独特の景観が広がり、羊の放牧などが盛んな土地だということである。
発車案内がヌッサルグ行き | 右がアヴィニョン行き、左がヌッサルグ行き |
この列車の種別は、何とIC、つまりインターシティー、フランス語ではアンテルシテであり、しいて言えば特急なのである。歴史をたどれば2007年12月まで、パリ〜ベジエ間を1日かけて走る長距離列車であった。その名残りで今もインターシティーなのだろう。それだけに、さらに途中乗り換えにされていることに意外感がある。
地下道をくぐって発車ホームのC番線に行ってみれば、車輌は4輌編成の電車であった。私は客車列車ではと期待していたのだが、これも運用の都合なのだろうか。というのも、ヌッサルグから先は非電化区間なのである。ヌッサルグまでの方が運転本数が少ないのに、電化されている。これぞまさに、過去に栄えた路線が寂れていることの証左なのだが、ともかく4輌編成の電車をホームから一通り眺める。ガラガラで、ざっと見ると、乗客は4輌で30人弱であろうか。本屋前のA番線に似たような電車4輌のアヴィニョン行きが入ってきた。あちらは乗降客も多く、賑わっていた。
発車前の車内 | 反対ホームにトゥールーズ行きTGVが入線 |
アヴィニョン行きからの乗り換え客が若干はいたのかどうか、こちらのB・C番ホームも人は多いのだが、ヌッサルグ行き車内は空いている。ホームにいる人達は、B番線のTGVを待っているのだ。その9時36分着、9時38分発のリヨン発トゥールーズ行きTGVがほぼ定刻に入ってきた。こちらは9時37分発なので、1分の接続と際どいが、同じホームの反対側であるから、乗り換えはできると思う。しかし、TGVのドアが開くと同時に、こちらのドアが閉まった。これでは乗り換えられない。1日1本しかない区間を行くローカル線のインターシティーなど、TGVにも見捨てられているかのようだ。
列車はモンペリエ方向に出発した。左手に本線が沿うが、ほどなくやや離れたかと思うと上がっていき、カーヴを描きながら本線を跨ぎ、内陸へと向きを進める。平面交差ではない点も、超ローカル線とは違う貫禄であり、幹線に近い考え方で設計された路線であることを思わせる。ほどなくベジエの町が途絶え、荒涼たる冬景色が展開する中、列車はまあまあのスピードで快走する。ベテランそうな中年の男性車掌が回ってくるが、検札はしない。
12分ほどで最初の通過駅、マガラ(Magalas)。交換設備も現役のちゃんとした駅であった。線路から少し離れて古びた住宅が固まっている。そこから5分ほどで、ロラン(Laurens)という廃駅を通過。ホームは草ぼうぼうで、大きな駅舎も廃墟と化している。さらに5分走れば、右手から廃線が合流してくる。その合流駅だったフォゲール(Faugères)も廃駅で、やはり駅舎が残っている。周囲はまだ平地だが、徐々に起伏が出てきて、やや長いトンネルも一つあった。
通過駅マガラ付近の車窓 | 大きく風格あるベダリウ駅 |
最初の停車駅は、ベダリウ(Bédarieux)で、ベジエから43キロをちょうど30分で走ってきた。屋根で覆われた、風格たっぷりの駅であった。ホームも4番線まであったが、一部は線路が剥がされている。乗降とも数名いる。作成した時刻表では省略したが、ベジエとここの間には、朝夕の通勤時間に1往復ずつ、区間列車がある。それなりに大きな町のようで、発車後、右手に見えた市街地には、古い町の中に近代的なドイツ系スーパーが見えた。当たり前だが、現代生活が営まれているのを感じる。鉄道は時代とともに衰退しているが、その割に町は寂れていないのかもしれない。
ベダリウから約10分で、2つ目の停車駅、ル・ブスケ・ドルブ(Le Bousquet d'Orb)に着く。元交換駅だが、草むした構内に錆びた線路という、典型的な寂れ方である。車窓から見る限り、特徴の薄い渋い小集落で、乗降客もなかった。
ラ・ブスケ・ドルブを出ると、少しずつ標高が上がっているのはわかるが、まだ平原という感じで、本格的な山にはならない。時々小さな川を渡る橋があり、トンネルもある。通過駅が2つ。最初はルナ(Lunas)で、山峡の単線の小駅、次はレ・カブリユ(Les Cabrils)で、こちらはホームもきちんと舗装され、駅舎もあった。そして交換設備もあるセイユ・ロケルドンド(Ceilhes Roqueredonde)に停車する。砂利ホームの簡素な駅で、乗降客はいないし、周囲も寂しく、インターシティーの停車駅らしくはない。
乗降ゼロのラ・ブスケ・ドルブ駅 | 人家も僅かの寂しいセイユ・ロケルドンド駅 |
そこから6分で、今日4つ目の通過駅、モンパオン(Montpaon)を通過。インターシティーとは言っても、ヌッサルグまでの途中通過駅はこの4つだけで、加えて先の方に全列車通過のような駅が2つあるが、あとは各駅停車である。小駅が多数廃止された結果、昔からのインターシティー停車駅以外がおおかた無くなってしまったということだろう。それでも伝統あるインターシティーは普通列車に格下げされず、頑張って走っている。だが残った停車駅も、乗降ゼロが多い。
また風景が開けてきて、牧草地が広がる。冬の朝だからか、家畜は殆ど見ない。そんな長閑な所にある次の停車駅が、トゥルヌミル・ロックフォール(Tournemire Roquefort)。駅ホームと牧草地がそのままつながっている。やはり乗降客も無く、もはや駅の存在意義があるのかも疑問だが、駅名後半のロックフォール、どこかで聞いたことがあると思ったら、有名なブルーチーズ、ロックフォールの産地であった。駅周辺の小集落は、トゥルヌミルで、ロックフォールの村は、駅から2キロほど先になる。チーズは有名でも小さな村だし、線路も村を通っているとはいえ、集落とは離れているので、ロックフォール村の中には昔も今も駅はない。チーズを訪ねて観光客も来るらしいが、本数の少ない鉄道を使って駅から2キロを歩いて訪れる人は、恐らくゼロに近いだろう。
ホームの横が牧草地のトゥルヌミル・ロックフォール | サン・ロム・ドゥ・セルノン駅 |
次のサン・ロム・ドゥ・セルノン(Saint-Rome-de-Cernon)も、乗降ゼロ。似たような寂れた駅が続く。駅は寂しい所だが、駅の先にまとまった集落が見える。だが、大きな町がなく、農村集落が点在しているので、鉄道利用に結びつくような需要が僅少なのだろう。
サン・ロム・ドゥ・セルノン付近の家並み | サン・ジョルジュ・ドゥ・リュザンソン駅 |
サン・ジョルジュ・ドゥ・リュザンソン(Sant-Georges-de-Luzançon)は、駅前の雰囲気が今ひとつの荒れた感じの単線の駅であった。またも乗降ゼロ。駅間距離こそ長いが、ほぼ各駅停車なので感覚的にはローカル線の鈍行であり、インターシティーらしくない。ただ、乗客の出入りが少ない。ということは、比較的長距離の客が多いのだろう。それだけがインターシティーらしいといえば、そうかもしれない。
ミヨー(Millau)はこの沿線では大きな町で、人口2万2千、この路線の中核駅の一つである。夜の最終列車がここ止まりで、この先は1日2往復区間となるので、まだ午前中なのに、ここからはこの列車が最終ということになる。但し今日は日曜なので、日曜だけ走る夜の列車がある。少ない乗客の4分の1ぐらいがここで入れ替わっただろうか。隣の線路に旧型2輌編成の電車が回送で止まっている。ここ止まりの区間列車は夜に到着で朝に発車だから、この時間にいる筈はないのだが、予備車なのだろうか。
さほど変わらぬ乗車率で発車。しばらくはミヨーの町中を走る。アパートなどもあり、平屋の住宅はしばらく続く。ミヨーは古くから農産物の集散地と軽工業で栄えた町である。前後の沿線風景の寂しさから、過疎化も進んでいるのだろうとの予想に反して、調べてみると、ここ数年の人口は微増であった。
短いトンネルと橋梁がいくつも繰り返し現れ、30分ばかり走る。見ていると、トンネルはいずれも複線の大きさがある。もちろん路線は単線だ。そこを片側に寄って線路が敷かれているところもあれば、真ん中を走るところもある。設計時には複線化を見越して掘られたか、あるいはかつて実際に複線だった所もあるのかもしれない。
そうして次の駅、セヴェラク・ル・シャトー(Sévérac-le-Château)に着く。立派な駅舎が閉鎖されず使われていた。乗降客も数名あり、駅前に飲食店もある。SNCFのサイトからプリントしてきた時刻表では、セヴェラク・ダヴェイロン(Sévérac d'Aveyron)となっていたので、最初は面食らったが、最近駅名が変わった様子もなく、駅舎に刻まれているいかにも古い駅名の表示も、セヴェラク・ル・シャトーである。
分岐駅のセヴェラク・ル・シャトー | ローデスへの単線が分かれていく |
セヴェラク・ル・シャトーを出るとほどなく左に単線非電化の線路が分かれていく。ローデス(Rodez)への路線である。ローデスはこの辺では大きな町で、人口ではミヨーより若干多く、小さな空港もある。だが時刻表ではこの支線は全てバスになっている。 その分岐して行く線路を見ると、あまり使われていそうもないものの、完全に錆びてもいない。まだ廃線という決断ができず、とりあえず通常はバスで運んでいて、たまに臨時か貨物か何かが走るのかもしれない。だがバス輸送が定着しているのであれば、もう二度と乗れない線かもしれない。
次のカンパニャク・サン・ジェニ(Campagnac Saint-Geniez)は、使われていない古い駅舎の横に馬がいる。やはり駅周囲は閑散としているが、大きな荷物を持った乗車客と、家族っぽい見送りの人がいた。駅まで車で送ってきたのだろう。
馬がいるカンパニャク・サン・ジェニ駅 | 沿線はだいぶ起伏が出てきた |
スピードも遅くなり、丘陵地帯を右往左往という感じでのんびり走り、次のバナサック・ラ・カヌルグ(Banassac La Canourgue)に停まる。大きな荷物を持った数名の乗車客があった。元は3線ぐらいあったらしい交換駅だが、他の線路は錆びて草むしており、現役の未舗装のホームと閉鎖された古い駅舎がある。どこも駅名が長いが、フランスのこういう駅名は、二つぐらいの集落の名前を合体している。開通当時は駅名に集落の名前を入れて欲しいという要望が多かったのだろうか。このあたりの駅には、古い駅名標が残っている所が多い。昔の駅名標は統一規格がなかったらしく、駅によってデザインが違うのが面白い。ここのは白地に黒めの文字だったが、文字が半分かすれていた。
バナサック・ラ・カヌルグの古い駅名標 | こんな渓流をいくつも渡る |
バナサック・ラ・カヌルグの次がマルヴジョル(Marvejols)で、乗る前に地図や時刻表を調べたときには、途中の駅は全て廃駅だと思っていた。調べても停車する列車がないからである。だが、右から合流してくる単線の線路はしっかり光っている。その合流地点にあるル・モナスティエ(Le Monastier)は、通過だが、綺麗な駅名標や案内表示もあり、廃駅らしくない。後から調べてわかったのだが、ここと次のシラク(Chirac)の2駅は、合流してきた支線の列車だけが停車する駅なのであった。しかしどちらの駅も、利用者はほとんどいないらしいし、第一このローカル幹線以上に寂れた支線である。その列車は、マンド(Mende)という少し大きな町と、マルヴジョルとの間をル・モナスティエ経由で走っている。時刻表検索すると、平日に1往復だけで、あとの数往復はバスと出てくる。これまた究極の凄そうなローカル線だ。ところで余談だが、その通過したシラクという駅名は、元フランス大統領の苗字とスペルまで同じである。だが元大統領とは無関係そうであった。
マルヴジョルは、そのローカル支線の列車がここまで、という意味でやや主要駅であり、今までのいくつかの駅より町も大きい。駅前にホテルまであって、見た目は寂れていない。ここもまた若干の乗車客があった。
マルヴジョル駅 | 駅前が栄えていそうなマルヴジョル |
こうして乗っていて徐々に気づいてきたのだが、今日が日曜ということもあるのか、ミヨーを出た後は、降りる人より乗ってくる人が多く、少しずつ乗車率が上がってきている。しかもその多くはキャリーバックなどを転がした長距離客で、手ぶらで隣の町まで買い物、という感じではない。ベジエから見れば、ヌッサルグまで、先へ行くほど本数が減る先細りの線なのだが、利用実態としては、このあたりの閑散区間から遠距離の利用者が徐々に乗ってきているのだろう。多分今日は日曜なので、帰省帰りで都会に戻る人が多いのだと思う。このまま乗り継いでパリまで行く人もいるだろう。かつてパリまで直通列車だったインターシティーのスジだけに、そういう利用が細々ながら生きている。他方、それ以外の利用者はほとんどいない。それゆえ最後まで残った1本の列車がこれなのだろう。1日1本ではいかにも不便ではあるが、実家で早めの昼食を食べた後に出かけて、少し遅いが夕飯時にパリに着ける列車なのである。1時間に1本ぐらいあれば別だが、1日1本ではなく3本か4本でも、結局時刻表を調べて列車に合わせて駅へ向かえば、多くの人にとって、この列車の時間帯が一番使いやすい。そういう人に細々ながら利用されている列車として残存しているのかと思う。
車窓からのマルヴジョルの町並み | 貨車も見かけたサン・シェリ・ダプシェ駅 |
これまで何とか天気は持っていたのに、突如大雨が降ってきた。その大雨のさなかに停車したのが、次のオモン・オブラク(Aumont-Augrac)で、沿線最高所にある。寂しいところではあるが、ここからも数名の乗車がある。その次がサン・シェリ・ダプシェ(Saint-Chély-d'Apcher)。構内の広い、主要駅の風格がある。ここでベジエを出てから初めて、貨車が数輌停留しているのを見た。貨物輸送はまだ細々と健在らしい。町もそこそこ大きい方と思われるが、乗降とも僅かであった。
いよいよ1日1往復区間に入った。廃駅を一つ通過。その回りの人家が意外と多い。発車後10分余り、線路はやや高い所を走り、国道は下の結構離れたところを通っているのだが、大きな道路標識があり、いくつかの単語がはっきり読み取れた。ガラビ橋(Viaduc de Garabit)とエッフェル(Eiffel)という語である。観光名所になっているらしい。そこから10分ほどして、そのガラビ橋を渡る。この路線最大の見所である、完成1884年、長さ565メートル、地上からの高さ80メートルという、巨大な鉄道橋である。別名エッフェル橋。パリのエッフェル塔で有名な建築家エッフェル氏が設計したので、そうも呼ばれる。1年ちょっと前にコルシカ島の鉄道に乗った時にも、やはり通称エッフェル橋を渡ったが、由来は一緒である。渡るよりは下からこの橋を眺めてみたいが、橋からの眺めも素晴らしかった。橋と渓流を眺めるのに良さそうな場所にホテル兼レストランもあった。かつては橋のほんの数百メートル手前にガラビ駅があったそうだが、廃駅になっているので、外からの橋の見学は車かタクシーしかなさそうだ。もしこの線が廃線になったら、このガラビ橋はどうなってしまうのだろうか。(参考までに、日本で有名な山陰本線の旧餘部鉄橋は、長さ311メートル、高さ41メートルに過ぎない。)
ガラビ橋からの眺望 | 意外と乗車が多いサン・フルール・ショード・ゼーグ |
ガラビ橋から15分をのんびり走り、14時02分、時刻表より2分早着で、サン・フルール・ショード・ゼーグ(Saint-Flour Chaudes-Aigues)に着いた。風格ある立派な駅で、交換設備も残り、町も結構大きい。そして、これまでで一番多いのではないかと思うぐらい客が乗ってきた。
この1日1往復区間は56キロの距離があり、途中駅はここサン・フルール・ショード・ゼーグ1つだけである。かつては他に7つほど駅があったらしいが、1日1本まで減れば、日常的な利用者には使いようがないから、長距離利用者がそこそこいそうな駅を残して廃止してしまったのだろう。確かに例えばガラビ駅を残したところで、1日1往復では観光客の利用も実質無理だろう。また、パリなどへ出る長距離客だと、家族等に駅まで送ってもらう人も多いだろうから、そんなに沢山の駅がなくても使えるわけだ。だから、利用感覚としては、飛行機に近い。ヨーロッパの地方航空路線の大半は、日に1便とかそれ以下である。だから皆、それに合わせて旅行プランを組むことになる。ただ、飛行機は軌道があるわけではないので、週1便であっても採算が取れれば飛ばせるが、鉄道はそういうわけにはいかない。ここが難しいところではあるが、ともあれこのあたりの鉄道利用は、ちょっとそこまでの通勤通院買い物などの需要はバスと車に譲り、中長距離の需要の一部をかろうじて取り込んで残っているのではと感じられた。
歴史と風格を感じるサン・フルール・ショード・ゼーグ | サン・フルール・ショード・ゼーグ発車後の車窓 |
最終区間はやや平凡な景色に戻った。草原と荒れ地が多く、時々林がある。起伏はあるので切通しを走る区間もある。最後にやや長いトンネルをくぐると、特に建物が増えるわけでもなく、長閑な風景のまま、右から他線が合流してきて、終着ヌッサルグにピッタリ定刻に到着した。幸い雨は止んでいる。
ヌッサルグでは、同じホームの反対側に、ほぼ同時に別のローカル列車が到着した。オリヤック(Aurillac)発で定刻14時24分着の列車である。両方ともここが終着で、乗り換えとなるため、狭いホームに大勢の客が吐き出され、これまでの超のんびりした旅の雰囲気が一変した。殆どの人がクレルモン・フェラン行きに乗り換えるのであろう。その乗り場は構内踏切を渡ったもう一つのホームである。
私は急いで駅舎を出て、駅前をざっと観察してみた。乗り換え客で賑わう駅だが、下車客はごく少なく、閑散としていた。どこかに町の中心の商店街などがあるのかもわからないが、駅から見る限り、閑静な山あいの山村である。
中規模駅といった感じのヌッサルグ駅舎 | ヌッサルグ駅前 |
クレルモン・フェラン行きは当駅始発で、どこかからか新型の気動車2輌で現れた。もともとベジエから直通列車だったスジの列車なので、やはりインターシティーであるが、これまでより客は多いのに、2輌のローカル線であり、インターシティーと呼べる外見ではない。
クレルモン・フェラン行きが入線 | 運転席も前方も見える先頭部の席 |
この列車に乗れば、クレルモン・フェランでさらにパリ行きIC特急に乗り継げるので、そちらへ向けての乗客の流れが段々と太くなっていることを、ここヌッサルグではっきり感じる。大きな荷物を持った人が多い。やはり週末帰省、ないしは年末年始帰省の最後で、パリなど都会へ戻る人達なのだろう。そうすると普通の平日はもっと閑散としているのだろうか。
それでも座れないほどは混まない。写真を撮っていて最後の方に乗った私は、結局一番前の運転室のすぐ後ろの席に座ることができた。ここは立ち上がれば運転席越しに前が見える、悪くない席である。混んでいる時に子供でもないのにそんな事をして、まして写真まで撮ったりすれば、気恥ずかしい、というのも多少はあるものの、最近あちこちで感じるに、それが昔ほど気にならなくなった。スマートフォンなどの普及により、老若男女問わず、皆がどこでも気軽に写真を撮るのが当たり前になったせいだろう。
ベジエからの車掌がそのまま乗り継いで乗務していた。座席の7割ぐらいが埋まった状態で定刻発車。進行方向はベジエ方なので、直通列車でもここで方向変換することになる。すぐ右側に乗ってきた線が分岐していくが、あちらはみるみると標高を上げていく。他方のこちらは平地へ向けて下っていく。今までより線形も良く、列車は快走する。混んでいることを別にしても、景色もこれまでほどは面白くなくなる。車掌が車内を一巡するが、又しても検札はしない。
マシアク・ブラスル駅 | マシアク・ブラスル停車中の車窓 |
とは言ってもまだまだ田舎で、やはり廃駅をいくつか通過する。アルヴァン(Arvant)まで49キロの途中駅は、マシアク・ブラスル(Massiac Blesle)1つだけ。その駅付近はこれまでのコース線の駅に比べれば若干だが都市郊外風で、客も7〜8名が乗ってきた。
アルヴァンは、乗ってきた線の東側、さほど遠くない所を並行してきたもう一つの乗車候補だった、ニームからの路線との合流駅である。合流駅というだけで、閑散としたところで、乗降客も僅かだった。どうもヌッサルグといい、本線全列車通過のル・モナスティエといい、今回の乗車区間はどこも、他線との分岐駅が周囲より寂しくて利用者が少ないようだ。
合流駅のアルヴァン | クレルモン・フェランが近づく |
アルヴァンから最終区間も、まだ田舎は田舎だが、駅が増えて、列車はインターシティーらしく大半の駅を通過する。最後の停車駅イソワール(Issoire)は、これまでの全途中駅で一番賑やかな町で、駅前にホテルもあり、客も大勢乗ってきた。イソワールからが近郊区間という感じだろうか、この列車はクレルモン・フェランまでノンストップで、途中6駅を通過する。それら通過駅は住宅地駅もあれば産業地帯っぽいところもあるなど、違いはあったが、どこも中都市近郊にありそう感じで、日常的な利用者がしっかりありそうな駅であった。正直、クレルモン・フェランがそれほど大きい都市であるとは思っていなかった。
クレルモン・フェランに定刻に到着 | 向かいのホームに始発のパリ行き特急が停車中 |
そうして住宅密集地に差し掛かるとスピードを緩め、列車はピッタリ定刻16時02分、クレルモン・フェランに到着した。到着ホームの反対に長い編成の客車列車が停車している。これが接続する16時27分発、全車指定席のインターシティー特急パリ・ベルシー(Paris Bercy)行きである。降りた列車から乗り換えている人が結構いる。同じホームでの対面接続ゆえ、かつてベジエ〜パリの直通列車だったことに思いをはせる。しかし乗ってきたのが気動車2輌に対して、このパリ行きは客車14輌という長大編成である。直通列車だったとしても、ここで増結することになるだろうが、輸送量のギャップは歴然としており、これでは伝統ある直通列車でなくなっても仕方ない、と思わざるを得ない。クレルモン・フェラン〜パリは、所要3時間37分で、終点パリに、19時57分に着く。まだまだ遠いが、距離も420キロある。ベジエ〜クレルモン・フェランの方が距離は短くて387キロ、そこを所要6時間25分かけてやってきたわけだから、速度差も歴然としている。参考までに、ベジエからパリへの直通TGVは、ベジエ発13時28分、パリ・リヨン着17時53分というのがある。所要4時間25分で、このルートの半分以下。そして距離も、遠回りに見えても線形が良いので、高速新線経由の方が40キロほど短い。つまり直線に近く見えるこのルートも、実態はカーヴ続きで線形が悪いということであろう。
クレルモン・フェラン駅舎 | クレルモン・フェラン駅前通りの一つ |
クレルモン・フェランは人口14万を有する、この地域の中核をなす都市である。駅舎はさほど大きくない。駅前は市の中心とは離れているものの、飲食店やホテルなども多く、割と活気がある。駅の利用者が多いからこそ駅前が栄えている感じである。ただ、景気が悪いのか、治安が悪いのか、物乞いが結構いて、ヤンキー風の少年が固まっていたりもしている。鉄道駅周辺が市の中心から見れば場末で治安が悪い、というのは、欧州ではむしろ標準パターンかもしれないが、この駅前を見たら、早くも農村部の長閑な汽車旅が懐かしくなってしまった。