欧州ローカル列車の旅 > 2016年 > クロアチア・ボスニア > ザグレブ〜トゥズラ (1)
目次 | (1) | ザグレブ Zagreb |
ザグレブ〜ドブルリン Zagreb - Dobrljin | ||
ドブルリン〜ドボイ Dobrljin - Doboj | ||
(2) | ドボイ〜トゥズラ Doboj - Tuzla | |
トゥズラ Tuzla | ||
ボスニア・ヘルツェゴヴィナと鉄道 Bosnia Herzegovina and Railway |
ユーゴスラヴィア連邦の解体に伴い、ほぼ同じ頃に独立を宣言したにもかかわらず、その過程で相対的にはいくぶん軽い紛争で独立を果たしたクロアチア。それに対してかなり大きな内戦が尾を引いて20万にも及ぶ犠牲者を出したと言われるボスニア・ヘルツェゴビナ(以下特記する必要がなければボスニアと略す)。表向きはとうに落ち着きを取り戻しているが、今も両国の関係は複雑であるし、戦後処理も完了してはいない。クロアチアはEUにも加盟できたし、それより前から比較的治安も安定していたため、私は1993年以来、数回訪問してきたが、ボスニアに入るのには、ためらいがあって、今日まで行く機会がなかった。
ボスニアに行かなかった理由は、治安だけではない。確かに2000年頃までは、それが一番の理由であった。だが今はもはやそうではない。にもかかわらず、なかなか足が向かなかったのは、交通が不便だからである。限られた時間で訪れようとすれば、飛行機を使わざるを得ないが、これが簡単ではない。同じ東欧でもチェコやハンガリーあたりならば、今日ではあちこちから格安航空会社が飛んでいて、一昔前に比べると非常に行きやすくなった。しかしボスニアあたりはまだそういったものも限られており、西欧的感覚で気が向いた時に安く気軽に行ける所にはなっていない。
鉄道はどうか。ヨーロピアン・タイムテーブルは、例えばドイツに83ページを割いている。それが、スロヴェニアとクロアチアを合わせて4ページ、ボスニアが1ページ、一部、国外区間にかかる国際列車も含んでいるが、とにかくそういうボリュームである。それでいてボスニアのページはけっこうスカスカである。この時刻表、もとより全路線全列車が掲載されているわけではないが、実際はドイツにはかなりの省略があるのに対して、ボスニアは、調べた限り、ほぼ全列車が載っているようなのである。要するに鉄道は本当に僅かしか走っていないのである。
そのページを見ると、いやでも目を引く、ほぼ唯一と言える長距離列車、そして国際列車が、クロアチアの首都ザグレブ(Zagreb)から、ボスニアの首都サラエヴォ(Sarajevo)までを、朝から晩まで9時間余りかけて走る列車である。最初はこれに全区間乗ることを考えたのだが、色々考えた結果、今回は途中のドボイ(Doboj)で支線に乗り換えて、トゥズラ(Tuzla)という所まで行くことにした。その方がローカル支線と両方味わえて、単調そうな長距離列車だけより変化がついて面白そうだし、サラエヴォはいずれゆっくり行ってみたい街だからである。それに、限られた日数の中で丸一日かけてサラエヴォまで行ってしまうと、それ以外の余裕がかなり減ってしまう。
加えてもう一つ、理由がある。とにかく情報が少ないので、この列車が果たしてどんな列車で、どのぐらい混むのか見当がつかない。もとよりインターネットでの事前予約なども不可能である。多分大丈夫ではあろうが、もし満員だったら、9時間は辛い。とりあえず半分ぐらいにしておこう。そういった気持ちも加わり、このスケジュールが出来上がった。
ある程度旅慣れてきても、そしてインターネットで情報が得やすくなっても、やはり初めての、それもボスニアのような国に行くのは多少の緊張感がある。その点、何度も来ているザグレブには安心感がある。そのザグレブに空路着いて、中央駅の駅前ホテルにチェックインした私は、早速駅に翌日の切符を買いに行った。天候はあいにく小雨模様である。
駅前をトラムが頻繁に発着するザグレブ中央駅は、古き良き時代そのままの欧州主要駅らしい貫禄のある駅である。列車の方は新車も徐々に入っているが、駅自体は古めかしいままで、未だに自動券売機もない。窓口はガランとしていて、列もできていない。一つだけ開いていた国際線の窓口に行く。おばさんの職員だったが、英語も問題なく通じる。実際、ザグレブは割と英語が通じる街という印象がある。
明日の朝の列車で、ドボイ経由でトゥズラまで行きたいと伝えると、ちょっと怪訝な顔をして、業務用の冊子を調べ始めた。そして「トゥズラまでの切符は売れないので、ドボイまで買って、ドボイから先はドボイで改めて買うように」と流暢な英語で答える。次に「座席指定はあるのか」聞くと、一切無いということであった。切符は手書きであった。ドボイまでは324キロあるが、112.90クナ(約1,917円)であった。日本のJR本州三社の幹線運賃で5,460円、北海道の地方交通線運賃で6,090円に相当する距離である。最後に「混むのか」と聞いてみたら、即座に「空いているよ」との答えが返ってきた。
早くも、どうやらこのあたりでも鉄道が時代に取り残されつつあるのでは、との予感が当たってきた。というのも、今回の旅に際してインターネットで調べた限り、都市間の移動は大概、バスの方が速くて本数もあって便利そうなのである。この反応からして、こういう切符を買う人自体、珍しく、しかも列車も空いている感じである。
ザグレブ中央駅の切符売場 | ザグレブ中央駅1番ホーム |
いずれにせよ、思ったより簡単に切符も買えて、準備完了である。一日1本の国際列車もちゃんと動いているようだ。実はそちらの心配もあった。というのも、折からの難民殺到問題で、クロアチアとハンガリーの国境がこの数日前に閉鎖されたというニュースを見たからである。国境閉鎖はそれ以外のあちこちに及んでいるという話もあった。ボスニアは無関係かとは思うが、こういうニュースを聞くとどうしても不安になる。だから先ほどザグレブの空港に着いた時、空港内の観光案内所で、ボスニアとの国境は開いているか、と質問した。若い女性の係員は、そんな質問をされるのが心外、という表情で、イエスと答えたので、大丈夫だろうとは思ったのだが、切符を買うまでは、多少不安であった。
春爛漫のザグレブ駅前(後刻撮影) | トラムが頻繁に行き交うザグレブ中心部 |
その日はザグレブとその近郊で過ごした。ザグレブは、特別な思い入れがあるわけではないのだが、私の場合、たまたま旧ユーゴスラヴィアの中では断トツで訪れた回数が多い都市になっている。宿泊もこれが3度目である。初訪問は1993年で、まだ内戦中。先に落ち着きを取り戻したスロヴェニアのリュブリャーナ(Ljubljana)に滞在しつつ、危ないと思えばすぐ引き返せる態勢で、恐る恐る日帰りで様子を見に来た。というのもザグレブというのはスロヴェニア国境には近いのである。ところが来てみれば一見、全くもって平和で、治安も良い。夏の爽やかな気候の元、公園で、レストランで、休暇を楽しむ市民の姿は、西側の他の国と何ら変わりなかった。それ以来、何度か立ち寄っている街、とはいえ、あちこち行ったことがあるわけではない。たまたま通りかかって日程の都合で宿泊した程度の寄り方が多い。そもそも著名な見所に欠ける都市でもある。それでも自分にとっては愛着もある街。変わったといえば、トラムに新型車輌がめっきり増えた。そして、過去に2度ほど食事をした、いかにも構内食堂という感じの中央駅の駅舎内にある時代がかった庶民的なレストランが閉鎖されていたことが、今回の印象的な発見であった。というのも、こういう食堂は一人旅での食事に便利であるし、そもそもザグレブ中央駅は市街地と離れていて、駅付近には食事のできる店がほとんどないのである。
8時59分発サラエヴォ行き列車の出る3番ホームはひっそりしていた。列車は電気機関車牽引の3輌の客車列車。中間車輌は一等車で、二等車は2輌しかない。いずれも古めかしいコンパートメント車である。ヨーロピアン・タイムテーブルでも、ドイツ国鉄のサイトでも、二等のみとなっているのに、実際には一等も連結されている。
発車15分前に着いた時点ではガラガラで、空きコンパートメントもいくつもあったので、その一つを選んで座ったが、発車5分前ぐらいに結構お客が増えて、私のコンパートメントにも3人連れの初老の男女が入ってきた。
このエリアとしては主要な国際列車の筈だが、今回は停車駅や時刻などの時刻表の下調べに苦労した。インターネットで調べても、列車単位の時刻表が見当たらなかったのである。正確に言うと、クロアチア国内はある。一般にヨーロッパの時刻検索に最も便利なのは、ドイツ国鉄DBのサイトで、ドイツにとどまらず使い勝手が良く、少なくとも欧州大陸の西側諸国は大体どこでも、途中停車駅まで全て正確に出てくる。だが、DBのサイトでこの列車も出てはくるが、主要駅しか出ないのである。このあたりの小駅はデータベースに入っていないらしい。ボスニアの鉄道のサイトでは、駅の時刻表は検索できるが、列車の検索は全くできないようである。最終的には乗って確かめてみないと、完璧なものはできないかと思って、とりあえずドイツ国鉄サイトの列車時刻表だけプリントして持ってきた。右の時刻表は戻ってから、駅単位で検索して作り上げたものである。少々手間はかかったが、通過駅も含め、一応完璧を期したつもりである。
※ ザグレブ駅とそこからしばらくは、当方のミスにより写真が残っていません。ご了承下さい。
8時59分、時刻表通り正確に発車した。行先は南東方向だが、まずはスロヴェニアのある西へ向けて出る。ほどなく左へカーヴして、スロヴェニアへ向かう幹線と分かれると、新旧の街並みが交じり合うザグレブ郊外を走る。最初の通過駅、クララ(Klara)は古びた駅だったが、その次の2つは新しい駅なのか、リニューアルされたのか、都会風の都市郊外駅であった。そして最初の停車駅、ヴェリカ・ゴリツァ(Velika Gorica)に停まる。乗降客は無さそうである。
そこを出れば早くも郊外というか、田舎の景色となり、ザグレブ都市圏を出てしまったようだ。天気のせいもあり、単調で寒々しい田舎の風景が続き、潅木と畑が交互に現れる。次の停車駅レケニク(Lekenik)も、乗降ゼロのようであった。この区間は1時間に1本程度の各駅停車が走っているが、それ用の切符や定期券で、この列車にも乗れるはずである。だが誰も降りない。そもそも、土曜の朝にザグレブの中心からこのあたりの郊外へ行く需要が無いということであろう。
3つ目の停車駅、シサク(Sisak)は、それらと違って少し大きな町である。サヴァ川を挟んで両側に市街地が開けている。この列車だとザグレブから44分だが、各駅停車だと1時間かかるらしい。ここでかなりの客が降りた。私のコンパートメントの3人連れはまだ降りないが、他のコンパートメントがいくつも空いたようなので、身軽で一人客の私が失礼して席を移動させてもらう。別に悪い気はしないであろう。
古い給水塔が残るスニャ駅構内 |
ザグレブから75分、スニャ(Sunja)に着く。ここまではある程度の本数があり、鉄道として機能していそうな区間で、ザグレブからの列車のほとんどはここが終着である。ここはまた分岐駅で、まっすぐ行くと、ザグレブから東へベオグラードへ向かう幹線に合流する。だがその線も本数は少ない。そしてこの列車はここで南へと方向を変える。ここから先は、このサラエヴォ行きと、午後のザグレブ発ヴォリニャ(Volinja)行きの、一日2往復だけという、超閑散区間となる。
寂しい分岐駅スニャ |
そういった節目のようなスニャだが、シサクと違って町は小さく、乗降客も殆どいなかった。駅構内は広いので、鉄道の要衝として、以前はきっともう少し活気があったのだろう。
この乗客数では、ここから先は輸送密度で言うと、多く見積もってもせいぜい1日200人程度ではないだろうか。そういう細道を、列車はこれまでよりややゆっくりとたどる。ここから先、国境駅のヴォリニャまでは、下調べ段階では停車駅や時刻がわからなかったのだが、この列車も各駅停車になるようで、5分で次のフラストヴァツ(Hrastovac)という単線の無人駅に停車した。駅舎は壮絶に朽ち果てた完全な廃墟であり、乗降客もいない。
廃駅同然のフラストヴァツ駅 |
次のグラボシュタニ(Grabostani)も似たように廃墟同然の駅で、乗降客もなかったが、駅名標だけは新しいものが付けられていた。ということは、当面廃止予定はなく、駅として使い続けていく予定なのだろう。
駅名標だけ新しいグラボシュタニ駅 | 少し開けたマジュル駅 |
次のマジュル(Majur)という駅は構内も広く、駅周辺に人家がパラパラと見られる。特徴の薄い、ヨーロッパの田舎でどこにでもあるような、平凡な景色である。そんな単調な車窓だが、その先、少しずつ起伏とカーヴが出てきた。そしてフルヴァツカ・コスタイニツァ(Hrvatska Kostajnica)という少し大きな駅舎の残る駅を過ぎると、前方右手下方に川が見えてくる。これがサヴァ川の支流であるウナ川で、このあたりでクロアチアとボスニアの国境をなしている川である。あいにく雨模様の天気ではあるが、ちょっと感動の瞬間であった。
フルヴァツカ・コスタイニツァ駅 | 川と対岸のボスニアが見えてくる |
このあたりは大雑把な地図で見ると、アドリア海がさほど遠くない。だが、その間には山があり、ウナ川もそちらから流れ出ている。源流はクロアチアの山中だそうだ。ウナ川はこのあたりをしばらくボスニア・クロアチア国境を東の方へ流れ、サヴァ川と合流する。サヴァ川はベオグラードでドナウ川に合流し、最後は黒海に注いで旅を終える。だからこのあたりは河口から相当な距離のある上流部になるのに、悠然と流れている。
国境へ向けての細道を行く | 国境駅ヴォリニャ到着手前 |
最初は高い所からウナ川と対岸のボスニアを見下ろしていたが、徐々に高度を下げる。この一駅間の風景はちょっといい。そして岸辺の高さまで下りてくると、線路が分かれて広がってくるが、特に集落が現れるわけでもない。そこがクロアチアの国境駅、ヴォリニャである。ローカル線でマイナーな国境を越えると、こんな感じの所が多い。国境駅の中には構内がやたらと広いところもあるが、ここヴォリニャはそうではなく、ごく普通の交換可能な中間駅程度である。駅舎もそこまで大きくないが、国境駅らしく、横にクロアチアの国旗がたなびいている。反対の線路には貨物列車が停車していたが、それ以外に留置車輌などもない。きっと貨物の通関業務などもあるのだろうが、簡素な国境駅である。そして、クロアチアもEUに加盟した今日、ここはEUと非EUの国境でもある。
列車はここで30分間停車する。ほどなくクロアチアの税関検査員と出国審査官がほぼ同時に回ってくる。審査官はパスポート取るとをパラパラと見て、その場で出国スタンプを捺した。するともう何もやることがないが、国境駅で出国審査を終えたら、むやみに車外には出ない方がいい。もとより急ぐ旅ではなし、こういうのんびりした時間は退屈ながら、いいものである。
時間が来て発車。次のボスニア最初の駅、ドブルリン(Dobrljin)までは、6キロを8分かけて走る。そのほぼ中間でウナ川鉄橋を渡る。そこが線路の国境である。この一駅を走る旅客列車は、この一日1往復の国際列車だけ、という区間である。
国境のウナ川鉄橋に差し掛かる | ボスニアに入ったばかりの風景 |
列車は川にそってゆっくりと走る。そして国境の鉄橋に差し掛かった。鉄橋の脇に見張り小屋があり、銃を持ったクロアチアの兵士らしい若い男性が一人立って、列車の通過を見張っていた。渡ると今度は右手にウナ川と対岸のクロアチアを見ながら進んでゆく。
ボスニア側の国境駅ドブルリンは、ヴォリニャと大同小異で、駅周辺はあちらより人家が若干は多い程度であった。今度はボスニアの入国審査のための長時間停車で、25分停まる。たった3輌で乗客も少ないので、すぐに入国審査官がやってくる。今度はパスポートを取って一旦持っていってしまう。税関職員は来ない。
ボスニアの国境駅ドブルリン | ボスニアの国境駅ドブルリン |
かつては同じユーゴスラヴィア国内だったせいか、国が変わっても風景も鉄道設備も代わり映えはしないが、駅名標がキリル文字に変わったことに気づく。旧ユーゴスラヴィアの中では、スロヴェニアとクロアチアは完全にローマ字になり、キリル文字を見かけることはないが、他は微妙であり、ここボスニアは両方が使われている。この後もずっと見ていたが、主要駅は両方が併記されていて、優劣なく大きさなども一緒に書かれている。しかし小駅はキリル文字のみ表記の所が多い。
2つの国境駅合わせて55分という長時間停車を果たした列車は、今度は対岸にクロアチアを眺めつつ、ウナ川に沿ってボスニアを走る。すぐにボスニアの車掌が検札に来た。
クロアチア側では国境近くはこの列車も各駅停車になったが、ボスニア側は全区間が急行運転である。各駅に停まるローカル列車は、ドブルリン〜ノヴィ・グラード(Novi Grad)が2往復、ノヴィ・グラード〜バニャ・ルカ(Banja Luka)が3往復、バニャ・ルカ〜ドボイが4往復、走っている。それらはこの列車が通過する小駅の全てか大半に停車する鈍行列車である。そんな鈍行列車にも乗ってみたいなと思う。
そんなわけで小駅2つほど通過する。その一つ、ラヴニツェ(Ravnice)という駅には交換設備があり、駅員がいて、貨物列車と交換した。街が開けてくると、ノヴィ・グラードに停まる。ザグレブ以来、久しぶりに街らしい街に来た感じがする。ノヴィ・グラードはクロアチアとの国境にある、人口3万の都市で、地名の意味はニュー・タウン(新町)である。ボスニア紛争前の元々の名は、ボサンスキ・ノヴィ(Bosanski Novi)と言い、今も並行して使われている。
ノヴィ・グラード駅に到着 | ノヴィ・グラード発車後の風景 |
ノヴィ・グラードで南から東へと進路を変える。次の主要都市、バニャ・ルカまでは、102キロあり、途中2駅に停車して90分かかる。全般に平凡な車窓風景であり、退屈といえば退屈だが、乗客は相変わらず少なく、コンパートメント独占状態なので、のんびりした、ちょっと優雅な気分でいられる。雨も止んできた。それにしても、この列車本数なのに、多くの駅に駅員がいて、列車の通過を見守っている。運賃も安いし、乗客も少ないのだから、民間企業ならとっくに破綻という大赤字だろう。プリイェドル(Prijedor)が案外大きな駅で、乗客もかなり入れ替わった。聞いたことのない地名であったが、後で調べると、ノヴィ・グラードより人口の多い主要都市であった。
プリイェドル駅 | バニャ・ルカ駅 |
バニャ・ルカが近づいてくると、いかにも大きな都市に近づく雰囲気になってきた。バニャ・ルカは人口18.5万、ボスニア第二の都市であり、そしてスルプスカ(Srpska)共和国(後述)の事実上の首都とされている街である。鉄道面でも、分岐する支線こそないが、この一日1往復の長距離国際急行列車を除けば、ここを通り越す列車はない。といっても大した本数があるわけではないが、全ての普通列車はここが始発または終着となる。駅自体は町外れだが、隣接してバスターミナルもあり、町の交通拠点となっていた。駅舎は格別な風格もない機能本位のものであった。6分の停車中、大半の乗客が入れ替わったようだが、やはり空いており、私のいるコンパートメントにも誰も入ってこない。車輌検査で、係員が車輪をハンマーで叩いている音が聞こえてくる。
バニャ・ルカ駅のホーム | バニャ・ルカ郊外 |
バニャ・ルカからドボイは、110キロあり、途中4駅に停車して1時間35分かかる。風景は相変わらず平凡で、古き時代のヨーロッパの田舎という風情はとどめているが、目を見張るようなものはない。しかも曇天のパッとしない天気である。こんな退屈なところを一日中汽車に乗っていて、と思う向きもあろうが、ここまで徹底的にのんびりしながら、移り行く景色を眺める非日常の味わいは、たまにだからこそ、この上ない至福のひと時だと言える。駅もどこも似たりよったりで、古びたままであるが、多くの駅に交換設備があり、そこには必ず駅舎があり、駅員が立ってこの列車の通過を見守っている。踏切番がいる所もいくつもある。僅かな本数と乗客の鉄道を運行するのに、かなりの人間が働いている。日本では国鉄末期の北海道の準幹線あたりがそれに近かった。
静かなコンパートメント客車内 | チェリナツ駅 |
ウクリナ(Ukrina)という駅に停まる。列車交換のため、7分停車する。ホームが互い違いになっている。行き違う列車はこの列車の姉妹列車、サラエヴォ発ザグレブ行きである。それを眺めるべく、最後尾に行ってみる。しかしなかなかやってこない。こちらの発車時間が過ぎて3分ほどしてようやく発車して横を通り過ぎていった。乗客の多さまではわからなかったが、編成はこちらと同じで、電気機関車と客車3輌で、真ん中の客車が一等車であった。
ウクリナを3分ほど遅れて発車。列車は単線電化の線路を快適に走る。揺れも案外少ない。軌道の整備状況は悪くなさそうだ。
ウクリナ駅前に見えるスーパーマーケット | 3名ほど降りたスタナリ駅 |
次の停車駅、ドラガロヴチ(Dragalovci)では貨物列車と行き違った。続いて数分でスタナリ(Stanari)。3名が下車してホームから駅前へと出ていくのが見える。そこそこ開けた所である。そしてドボイが近づくと、右手に水量豊富な大河が寄り添ってきた。サラエヴォ郊外を源流とする、ボスナ川である。