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ヴェンティミリア〜クネオ 目次


目次 (1) ヴェンティミリア〜ブレイユ・シュル・ロワイヤ Ventimiglia - Breil-sur-Roya
ブレイユ・シュル・ロワイヤ〜タンド Breil-sur-Roya - Tende
タンド〜クネオ Tende - Cuneo
(2) クネオ Cuneo
リモーネ Limone
ヴェンティミリア Ventimiglia

ヴェンティミリア〜ブレイユ・シュル・ロワイヤ
Ventimiglia - Breil-sur-Roya


 10時20分すぎ、フランスに接するイタリアの国境駅、ヴェンティミリア(Ventimiglia)駅の一番山側にある、6・7番ホームに行く。6番線には一日1本だけある、この駅始発10時39分発のパリ行きTGVが、ガラガラで停まっている。ホームには意外に多くの人がいる。ざっと見て50人は下らない。この人たちは、7番線から発車するローカル線を待っているのだ。一日2往復という究極のローカル線であり、今日はイタリアもフランスも、祝日でもその前後でもない普通の月曜日。正直、こんなに人がいるとは思わなかった。客層も幅広く、バックパック旅行風の若者も、ネクタイを締めたビジネスマンも、近所への所用と思われる軽装のおばさんもいる。

 ヴェンティミリア駅で列車を待つ人々  ヴェンティミリア折り返しの列車が到着

 ホームには到着と出発の両方の時刻表が掲げてある。到着時刻表を見ると、10時20分着のクネオ(Cuneo)からの列車があるから、これの折り返しが10時30分発に違いない。到着が遅れているようだ。

 心配するほどのこともなく、10時33分、白い気動車列車がやってきて、7番線に停まり、客を降ろす。編成が意外に長い。1日に2往復しか走らない、風前の灯のような超ローカル線ゆえ、1輌かもしれないと思っていたのだが、待つ人の多さも意外ならば、この編成の長さも予想外であった。実に6輌編成。それだけの需要があるなら、本数を増やしてもいいのでは、と思える。

 いずれにしても、人が少ない先頭車まで行ったら問題なくボックス席が取れた。混み具合としては、各ボックスが全て埋まる程度であった。

 遅れているのですぐに発車するかと思ったが、運転士が降りて来て、携帯電話で連絡を取っている。やがて車掌もやってきて、色々とやりとりをしている。車輌の調子が悪いらしい。到着が遅れたのもそのせいかもしれない。エンジンを吹かしたり色々やっている。このまま運休にならなければいいが、と気を揉む。結局13分遅れの10時43分に発車した。

 フランス方向へ発車し、間もなく複線電化の本線と分かれてやおら右へカーヴし、さっそく単線非電化のローカル線の雰囲気になる。まだ人家は多いが、やってきたなとわくわくする瞬間である。車輌の調子が悪くていつもよりスピードが遅いのか、最初の駅、ベヴェラ(Bevera)まで、時刻表では6分のところ、10分ほどかかって到着。古いが立派な駅舎がある、単線の無人駅である。既に田舎の風情だが、まだ人家も多いし、車窓にスーパーも見える。ヴェンティミリアの郊外なのだろう。そういう所にあって、毎日4回しか列車の来ないこの駅は、もう地域にも顧みられない存在なのだろうか。乗降客もいない。

 どんどんと山に入り、トンネルもいくつも現れる。次のアイローレ(Airole)は、そんなトンネルとトンネルの間にある小駅で、ホームも短く、全ての車輛がホームにかからない。

 アイローレ駅  国境を越えたあたりで下に見える渓流と道路

 ゆくほどに険しくなって、本格的な山峡地帯に入り、3つ目のオリヴェッタ・サン・ミケーレ(Olivetta San Michele)という長い名前の駅に着く。駅はサン・ミケーレという小さな集落にあり、少し離れてもう少し大きなオリヴェッタという集落があるので、駅名は両方の地名が取られているらしい。きっと開通当時は地元の集落にとって、駅名に採用されるかどうかが重要だったのであろう。またここはイタリア最後の駅なので、国境駅でもある。

 険しい山道を行く  ブレイユ・シュル・ロワイヤの街並み

 その先もどんどんと山が深まるのが実感できる険しい所を走る。そういう地形だからか、道路も並行している。その道路標識に、ここからフランス、というのが現れたので、国境を越えていることを知る。もしそれがなくて鉄道だけだと、どこが国境なのかはなかなかわからない。

 車窓の方は、国が変わったからといって何ら変化もない。ひたすらロワイヤ川に沿って遡り、行くほどに地形が険しくなっていくだけである。それでも左から別の単線が合流してきて、一息つく、といった風情となり、列車はフランスの町、ブレイユ・シュル・ロワイヤ(Breil-sur-Roya)駅に到着した。


ブレイユ・シュル・ロワイヤ〜タンド Breil-sur-Roya - Tende


 ブレイユ・シュル・ロワイヤは、フランスにある、フランス国鉄SNCFの駅で、ニース(Nice)からの路線が交わる主要駅である。駅名標もSNCF仕様であった。ホームにいた女性の駅員もSNCFの制服と制帽を身に付けた、れっきとしたフランス国鉄の職員であり、多分フランス人であろう。しかし、運転士と二言三言、会話をしているのが、イタリア語のようであった。ここの鉄道関係者は当たり前のように、日々イタリア語を話しているのだろうか。

 ここは駅も大きければ、町も相応の規模らしい。しかし思ったより寂しい所にあり、乗降客も案外少ない。

 そもそも今回の旅では、私はニースからここまでの線に乗るつもりで計画を立て始めた。ニースから出て、ここブレイユ・シュル・ロワイヤまで上がってくる路線もこれまた、フランスのトップリゾートとして名高い地中海岸の都市から、いきなり山を急勾配で上っていくという、面白そうな路線である。

 あちらの路線にも複雑な歴史があるが、全線がフランス領内を走るため、フランス国鉄SNCFによる運行である。しかし本日は災害で一部区間がバス代行になっていることから、今回は諦めて、ヴェンティミリアから乗ることにした次第である。

 ヴェンティミリアから私が乗っている列車は、ここからしばらくフランスを走り、またイタリアへと抜ける。イタリア発フランス経由イタリア行きの列車である。車輌も全てイタリア国鉄トレニタリアで、運転士も車掌もトレニタリアの職員が通しで常務する。EU統合の進んだ今でこそ、国境すら感じさせずに乗っていられるが、歴史的には非常に複雑で、このあたりの国境も何度か変わっているそうだ。そして先の大戦ではフランスとイタリアは交戦したので、その時はこの路線も徹底的に破壊されたらしい。

 一つ面白いことに気づいていた。ローカル線とはいえ、新型車輌なので、車内にはスクロール型の電光表示があり、イタリア語で、次の駅はどこそこ、と流れるのである。フランス国内に入れば、これがフランス語になるのか、それともイタリア語のままなのか、と思って見ていたが、フランスに入ると次の駅は表示されなくなり、温度とか天気などが表示されるようになった。その表記もイタリア語ではあるが、フランス国内を走る時も、その程度は許される、だが駅名表示がイタリア語だけはまずい、と、そういう事であろうか。もとより全区間に渡って二か国語で交互に流せば問題ない筈だし、最近はヨーロッパ各地でそういう表示も良く見かける。日本だって日本語と英語で交互に出るのは普通になってきた。しかしこの車輛にはその機能がないらしい。

 ブレイユ・シュル・ロワイヤを出ると、左手に転車台があり、その周りにいかにも古い車輌が留置してあった。現役とは思えないが、後で調べると、小さな鉄道博物館のようになっているらしい。今度来る機会があれば、今回乗れなかったニースからの線に乗り、この駅で降りて寄ってみたいと思う。

 ブレイユ・シュル・ロワイヤ駅  ブレイユ・シュル・ロワイヤの転車台

 ブレイユ・シュル・ロワイヤの町を見下ろしつつ高度をあげ、列車は険しい山道をロワイヤ川にほぼ沿って遡ってゆく。道路もほぼ並行している。片側一車線のごく普通の道路で、日本でもこんな感じの山道は珍しくないだろう。交通量は少ない。

 10分ほど走ると、崖にへばりつくようなサオルジュの集落が見え、次のフォンタン・サオルジュ(Fontan Saorge)に着いた。交換設備が残り、大きな駅舎もある重厚な駅だ。この駅名も駅付近の二つの集落名を取った複合駅名である。どちらの集落へもちょっと歩かないといけないようで、そのせいか、利用者も少なそうで、限られた地元の人しか利用しなさそうな駅である。それでも駅の「出口」という標識は、フランス語の下に、小さく英語とイタリア語でも書いてあった。

 サオルジュの神秘的な集落  フォンタン・サオルジュ駅

 フォンタン・サオルジュを出ると、今度はフォンタンの集落を見下ろしながら、なおも上り勾配が続く。そして気を付けていると左上にこれから進むループ線が見える。トンネルの出口も見える。

 フォンタンの村を見下ろす ループ線の上を走る線路が見える

 列車は左へカーヴを切りつつ、トンネルに入る。ループ線を上っているのであろう。トンネルを出ると今度は今通ってきたはずの線路が下にはっきりと見える。窓が汚れていて写真が撮りづらいのは残念だが、車窓から様子がしっかり眺められるループ線であった。

 今度は通ってきた下の線路を見下ろす  川と道路と線路の大パノラマ

 ループの次は、ヘアピンカーブが続く。まず左へほぼ180度回り、次に右へ180度回り、高度を稼いでいく。勾配に弱い鉄道ならではで、地図を見ると、道路の方は、もちろんカーヴは多いものの、もっと真っ直ぐに北上している。その二度目のカーヴが終わるとサン・ダルマという小さな山間集落に入り、サン・ダルマ・ドゥ・タンド(Saint Dalmas de Tende)という駅に着く。ここも立派で豪壮な駅舎がある。舗装もされていない草むしたホームに数名の客が降りた。

 サン・ダルマ・ドゥ・タンドから、次のラ・ブリーグ(La Brigue)までは、地図で見ると直線距離は2キロ程度しかない。道路もあって、30分もあれば歩けるのではと思う。しかし線路の方はここにもループ線があるので、この一駅も7分かかる。こちらはトンネルに隠れてあまり眺望がきかなかった。

 ラ・ブリークは小さな駅で、駅前には家が1軒しか見えなかった。乗降客もなかったようである。同名の集落は少し東にあるが、車窓からは見えず、列車は左へカーヴしてトンネルに入ってしまう。

 タンド駅の手前で見えるタンドの町  タンドで下車してホームで写真を撮る人

 5分あまり山の中を進むと、少し大きな集落が現れ、線名にもなっている、タンド(Tende)に着いた。山深い集落である。数名の下車客があった。今はフランスの村だが、イタリア語ではテンダ(Tenda)となるのでややこしい。ブレイユ・シュル・ロワイヤからここまでは、このトレニタリアの2往復の他、ニースからブレイユ・シュル・ロワイヤまでのフランス国鉄が、一部の列車をここまで延長して走らせている。ニースからタンドまでの列車は全線フランス国内を走り、国境を全く越えないので、当然、列車も乗務員も全てSNCFによる運行だそうだ。だから時間によってはここタンドで折り返すSNCFの列車が見られるはずだが、時間帯のせいか、災害不通のせいか、全く見かけなかった。

タンド〜クネオ Tende - Cuneo


 タンドからリモーネ(Limone)までの2駅間は、再び一日2往復のトレニタリアだけの区間である。途中駅はヴィエヴォラ(Vievola)のみ。フランス最後の国境駅である。フランスの駅なのに、イタリアの列車しか来ない駅ということになる。

 そのヴィエヴォラは、とても寂しいところであった。駅前には未舗装の細い道路が来ているだけで、人家もほとんどない。列車は一日4回しかやってこないが、来ても来なくても、乗降客などほとんどなさそうである。しかし国境駅だから、その昔、出入国審査官がいた時代もあるのだろうか。今は単線だが、相対ホームの交換駅だった跡が残っている。駅舎側の廃ホームは線路も撤去され、資材置場のようになっているのがかえって侘しい。

 ヴィエヴォラ駅の線路が撤去されたホーム  ヴィエヴォラ駅ホームとベンチ

 ヴィエヴォラを出るとほどなく、国境の長いトンネルに入る。この線で最長の、タンド峠トンネルで、長さは8キロちょっとある。このトンネルの中に標高で最高地点があるが、それは中間地点でも国境でもなく、出口側に寄っており、イタリアに入ってしばらくしてからである。そういった知識は事前に調べてきた情報に頼っているが、気動車だから、サミットを越えて下りになれば、走行音の変化で気づく。

 そうして下り始めると、ほどなくトンネルを出た。そしてリモーネ。ヴェンティミリアも入れると今日3つ目の、イタリアの国境駅である。駅としてはこの路線で一番標高が高く、唯一、1000メートルを越えている。車窓から見る限り、山間の小さな集落であったが、数名の下車客がいた。地図では、リモーネ・ピエモンテ(Limone Piemonte)という地名になっているが、駅名は単なるリモーネである。これまで複数の集落名から取った複合駅名がいくつかあったが、ここは逆なのだろうか。最初はそう思ったが、ここはトリノを州都とするピエモンテ州に属するので、イタリアに他にもあるリモーネという地名区別するためらしい。日本で例えれば、市名が大和郡山市で駅が単なる郡山駅である、といったようなケースであろう。ちなみにイタリア語で普通名詞としてのリモーネは、レモンのことである。

 リモーネで降りたおばさんと車掌さん  ヴェルナンテ駅の眺め

 海に面したヴェンティミリアから一気に標高1000メートルのリモーネまで登ってきたわけだが、ここから今度は標高500メートルあまりの終着クネオまで、徐々に高度を下げていく。列車もこれまでと人が変わったような高速になった。

 ヴェルナンテ駅ホームから  ヴェルナンテ駅前の家並み

 次のヴェルナンテ(Vernante)は、山あいに瀟洒な豪邸が並ぶ集落であった。5階建てぐらいのアパートも見える。山深かったリモーネに比べると、周囲が開けてきた感じがする。

 セメント貨車が止まっているロビランテ  ロビランテ駅ホームの使われなくなったトイレ

 駅間距離がやや短くなり、次がロビランテ(Robilante)。セメント車を連ねた貨物列車が停まっている。人家は少なそうな山峡の小さな村だが、車窓からセメント工場が見える。リモーネからずっと気にしていたのだが、このあたりで、車内のイタリア語のスクロール表示で、次の駅名がようやく復活した。

 だいぶ平地に下りた風情のロッカヴィオーネ  ロッカヴィオーネ駅から見える雪山

 さらに駅間距離が短くなり、近郊列車並みに、ロッカヴィオーネ(Roccavione)、ボルゴ・サン・ダルマッツォ(Borgo San Dalmazzo)と、停まっていく。どこも乗降客は少ないようである。このあたりも海辺から見れば十分高原の趣なのだろうが、これまで通ってきた険しい山間部からすれば、風景は平板だ。それでも遠くにはまだ雪をたっぷりと被った山々が、平地に下りてきた分、むしろ良く見えるようになった。



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