欧州ローカル列車の旅 > 2019年 > アイルランド > アイルランド中部のローカル線 (1)
アイルランドはよく北海道と比較される。アイルランド島と北海道島の人口、面積、人口密度が概ね一緒だからである。ただ一応注意しておくと、そうして安易に情報をコピーした記述の中には、数字が大きく違っているものが良くある。勘違いの原因は北アイルランドで、人口も面積も、国単位で調べて、アイルランド共和国のものを使ってしまうからである。北海道と大体一緒になるのは、英領北アイルランドも含めたアイルランド島である。
あくまで大体であるし、北海道の面積データにしても、北方領土を入れるかどうかによってかなり変わるわけではあるが、とにかく近いことは近い。加えて言えば、十数年前は、北海道の方が人口と人口密度が若干高かったのだが、今では逆転している。日本、特に北海道は人口減が顕著であり、他方、アイルランドは南北とも人口の微増状態が続いているからである。このままいくと、人口と人口密度が大体一緒、という説明も、近い将来、使えなくだろう。
アイルランドは都市圏を中心に1990年代以降、新線開通や廃線の復活が若干あった。もっともそれ以前について言うと、アイルランドは、まだ車社会になりきっていなかったと思われる1950年代がローカル線廃止のピークで、その時期に末端路線や地方軽便鉄道がほぼ廃止されてしまい、幹線だけが残った格好になっている。それから1980年代に日本の国鉄再建法によるローカル線廃止が始まるまでは、アイルランドより北海道の方が稠密な鉄道網を有していた。
現状を見てみる。JR北海道の旅客営業キロに道南いさりびを足すと、新幹線を除き2,425キロ、これに札幌と函館の地下鉄と路面電車が68キロある。対するアイルランド島は、南北アイルランド国鉄が合計で2,371キロ、加えてダブリンの新型路面電車が43キロある。なかなか良く似ていると言っていいだろう。アイルランドの鉄道も赤字は赤字らしいから、JR北海道の経営改善の参考になるようなヒントが潜んでいるかどうかは何とも言えないが、運賃その他の施策の中には、北海道にはないであろう、大胆で驚くようなものが見られる。
アイルランドの鉄道は、一極集中の首都ダブリン(Dublin)と、島内第二の都市ベルファースト(Belfast)、そして共和国第二の都市コーク(Cork)の僅かばかりの郊外路線を除くと、市内短距離輸送は実質行われていない。北海道でも札幌都市圏を除くと、函館、旭川、室蘭、帯広、釧路、北見あたりで見られる程度であるから、あまり変わらないと言えるが、アイルランドの方が徹底している。つまり、上に書いた3都市以外は、都市圏内輸送はゼロに近く、鉄道はある程度の中距離輸送が基本になっている。そして、共和国に関してはダブリンと各地を、北に関してはベルファーストと各地を、それぞれ放射状に結ぶ路線がほとんどである。これら首都を通らない横の輸送は、鉄道で運ぶほどのボリュームがないからであろう、ほとんどバスであり、鉄道で残っている所は少ない。北海道もだいぶそうなってきたが、釧網本線や富良野線みたいな地方都市間の路線が、まだアイルランドよりは多い感じがする。
鉄道の今後については、北海道はまだ廃線が少し続きそうな気配だが、アイルランドは上述のように、むしろ路線は増えている。国としての人口増も追い風であろう。しからば全ての現存路線が将来も安泰かというと、やはりそうではない。どの国にもローカル線問題は存在するものである。
今回はそのアイルランドの鉄道のうち、中部にあり、ダブリンと直結しない2つの超ローカル線に乗ることにした。いずれも平日の運転本数が1日2往復という閑散路線で、何度となく存廃論議にもあがっている路線である。どちらも盲腸線ではなく、両端で別の路線に連絡しているのが特徴である。両方とも共和国第三の都市リムリック(Limerick)につながっているので、今日のルートはリムリック発着の日帰りと決めた。日の長い5月だから、明るいうちに一日で両方乗れるが、たった2路線とはいえ、冬では不可能である。運転本数が極端に少ないからだが、路線自体も意外と長く、どちらも片道1時間半以上かかる。同じ区間を往復するだけで半日が潰れてしまうのである。しかし折角両端で他の線につながっているのだから、なるべく色々な所を通りつつ、両方に乗ろうと思って時刻表を調べていくうちに、一筆書きルート、つまり同じところを二度通らずに、ぐるりと一周する行程が見つかった。第二案もあって、そちらの方が朝寝坊ができるのだが、同じところを二度通る逆8の字型になってしまうので、今日は一筆書きルートでアイルランドの真ん中あたりを一周することにした。
とは言っても、日本のような一筆書きルートの片道乗車券が一枚で買えるわけではない。もしかするとできるのかもしれないが、窓口駅員にも発券システムにも対応能力はなさそうな気がする。それよりも、そうすると運賃がべらぼうに高くなるだろう。アイルランドもイギリス同様で、通常の普通運賃はかなり高く、ネットでの事前購入がずっと安い。そのため、今回も乗る順番に切符は4枚に分けて購入し、クレジットカードで支払った。ちなみに乗り放題切符のようなものは、アイルランドの場合、連続4日共和国全線乗り放題で110ユーロというのはあるが、1日だけのものは存在しない。
アイルランド国鉄のサイトでは、路線別に普通運賃がいくらかを調べることができる。普通運賃は、駅の窓口や券売機で買う場合の値段で、かなり高い。他方、ネット事前購入は主要幹線は指定席つきで、混んでくると段々高くなるシステムだが、それでも直前でも駅購入よりは安く、発車2〜3時間前までは買えるようである。今回の私は3日ほど前に買ったのだが、それでも普通運賃で乗るのがいかに馬鹿らしいか、この表でおわかりいただけると思う。旅行者でも、スマホとクレジットカードさえあれば簡単に利用できる。但し、今回対象とした1日2往復区間の途中駅は、自動券売機がないので、発券ができない。ネット予約した切符はどの駅でも発券できるので、事前に別の大きな駅で発券しておかないと使えないという欠点はあるが、本線であれば、例えば今回のバリーブロフィー(Ballybrophy)のように、何も無く乗降客も僅かの駅でも、自動券売機はあり、発券可能である。
なお、この日は主要路線が大々的に工事を行っており、そのため、一日限定の変則ダイヤが組まれていた。掲載した時刻表は、乗車当日の列車予約の際にウェブサイトから取ったこともあり、この当日だけの時刻であり、アイルランド国鉄のサイトからダウンロードできる時刻表とは異なっている点、ご了承願いたい。
本日の第一ランナーは、リムリック8時50分発の、リムリック・ジャンクション(Limerick Junction)行きである。リムリック・ジャンクションというのは、ダブリン〜コークという二大都市を結ぶ本線の途中駅であり、名前の通り、リムリックへ分岐する支線の接続点である。と言ってもこの間は35キロもの距離があり、ノンストップで30分前後かかる。途中駅はない。朝夕に数本、リムリックとダブリンを乗り換え無しで結ぶ列車があり、それはリムリック・ジャンクション手前の短絡線を通るので、リムリック・ジャンクションには停車しない。リムリック・ジャンクションでは、逆方向のコーク方面への乗り換えもできるし、これから行く1日2往復のウォーターフォード(Waterford)方面へも乗り換えができる。しかしダイヤを見ると、ダブリン方面との接続を主眼に考えられており、例えばリムリックからコークへ列車で行こうとしても、リムリック・ジャンクションで待たされることが多い。
リムリック駅前 | 昔懐かしい駅員による改札風景 |
土曜朝8時半。幸い、青空が広がる気持ちの良い日である。人口9万で共和国第三の都市、リムリックの駅前は閑散としていた。場末風の商店が並んではいるが、ほぼ閉まっており、駅付近に人の気配もまばらである。しかし駅舎に入ってみれば、結構人がいて、改札口に向けて短い列もできている。ほとんどがダブリンへの客と思われる。発車10分前、改札が開き、駅員が一人一人の切符をチェックする。日本でも英国でも少なくなった、駅員による有人改札が、ここではまだ行われている。
リムリック駅は小規模ながら終着駅の風格ある頭端式のターミナルである。ホームには2輌ユニットを2編成つないだ、4輌の気動車が停まっている。これがリムリック・ジャンクションまでを行ったり来たりする列車であろう。ほとんどの客は改札に近い車輌に収まったようで、先頭まで行けばガラガラであった。
リムリック駅 | 支線が分岐していくキローナン信号場 |
列車は定刻に少し遅れて発車した。リムリックの市街地は駅の反対側なので、出ればパラパラと左右に住宅地などが見えるものの、都市らしさは感じない。間もなく左に単線の線路が緩やかなカーヴを描いて分かれていく。これは西部の町エニス(Ennis)を経て、ゴールウェイ(Galway)に近いアセンライ(Athenry)までの路線で、アイルランドに3本ある、ダブリン直結でない地方都市間路線のうち、今日は対象外とした路線である。そのあたりからスピードを上げ、複線非電化を一直線に快走するが、5分ほど走るとスピードが落ちて、ポイントを渡る音がする。キローナン(Killonan)信号場で、1963年までは駅だったそうだ。ここでまた左に単線の線路が分かれていく。これが本日の最後にリムリックへと戻ってくる予定の、いわくつきのローカル線である。そこからはこちらも単線になる。
再びスピードを上げて、すっかり人家も途切れた緑まばゆい牧草地帯を、単線でも複線と変わらないスピードで快走する。右手を国道が並行しており、国道に沿って時たま人家などがあるので、そこまで寂しい感じでもない。淡々と走ること10分、またスピードが落ち、ポイントを渡ると停車した。信号場である。アイルランドの鉄道も左側通行だが、一線スルー化しているのだろう、右側に停まり、3分ほどすると、左側を反対列車が高速で走り去った。それから1分で発車。発車後、右手に廃ホームが見え、踏切があり、その踏切が手動なのか、係員がいて列車を見送っていた。ここも昔は駅だったようだ。
交換列車が一瞬の間に高速で過ぎ去った | リムリック・ジャンクションが近づいてくる |
また10分ほど快走し、スピードが落ちてきて、リムリック・ジャンクションに着くという肉声の案内放送も入る。まず左手に単線の線路が分かれていく。これはリムリック・ジャンクションに停車しない、リムリックとダブリンの直通列車が使っている。そして留置線が現れ、列車が1本停車している。その横を通ると、まっすぐ突き進む線路と分かれ、ゆるやかに右カーヴを描き、左手から寄ってくる本線に並ぶようになると、ホームが現れる。ここがリムリック・ジャンクションである。
リムリック・ジャンクションは、ダブリン〜コーク間の本線列車とリムリックへの接続列車の乗り換え駅である。時刻表を見ると、リムリックからの列車が着いて数分後にコーク発ダブリン行きが来るのがパターンの駅だが、今日が工事のための変則ダイヤだからか、先ほど信号場で停車時間が結構長かったのが、反対列車の遅れのためなのか、理由はわからないが、とにかく乗ってきた列車が着くと、反対ホームには既にコーク発ダブリン行き列車が停車していた。リムリックからの客のほとんどが、ダブリン行きへ乗り換える。見ていると誰一人急ぐ様子もなく、のんびりと乗り込んでいる。駅員もそれをゆっくりと眺めている。
ダブリン行き(右)が先に到着していた | リムリック・ジャンクションを出るダブリン行き |
それでも数分後、ダブリン行きが発車していく。駅には人影がほとんどなくなるのではと思っていたが、まだ人が結構いる。この後、20分ほどで、ダブリン発コーク行きが来る。その乗り換え客を待って、今、乗ってきた列車がリムリックへと折り返す。日中のダブリン〜コーク間はほぼ1時間ヘッドであり、1時間サイクルで大体それが繰り返される。というダイヤでわかるように、リムリックとコークの行き来は不便で、ここでの待ち時間がかなり生じるケースが多い。
今日の私は、ここでダブリン方面へもコーク方面へも乗り換えず、ウォーターフォード行きに乗る。これはここでも既に忘れられた存在に近くて、1日2本しかない、究極のローカル線である。そのウォーターフォード行きの接続はさらに悪くて、コーク行きが出たそのまた後なのである。
リムリック・ジャンクションは、寂しい所にある、ほぼ乗り換え専用と言っていい駅である。普通の乗客にとっては退屈この上ない所だろうが、鉄道趣味的に眺めると、色々と面白い。ダブリン行きを見送った後、駅と駅前を観察する。駅前は普通の民家が少しあるだけで、店などは全くない。ただ、広い駐車場があり、土曜の今日でもそれなりに車が停まっている。パーク・アンド・ライドでこの駅を利用する人がそこそこいるようだ。だから、乗降客のほとんどいない乗り換え専用駅、とまでは言えない。
リムリック・ジャンクション駅前 | 同じホームに今度はコーク行きが到着 |
構内は広く、引込み線もいくつもある駅だが、ホームは一つしかない。だが、もう一つのホームを新設工事中であった。略図のように、基本的に、本線には上下線ともホームがない。通過列車が高速で走り抜けられる構造である。この駅は、リムリックへの接続列車が無ければ列車を停車させる必要もないし、実際、朝夕にはそういう列車もある。その補完として、この駅に停車しない、リムリックとダブリンの直通列車が、短絡線経由で朝夕に何本か設定されている。日中は1時間に1本の本線上下列車が全て停車してリムリック行きに接続するので、特に下りコーク行き列車の場合、下り本線から上り本線を越えて、一つしかないホームへと入ってくるのである。だから本線は上下列車とも同じホームに停まり、ホーム反対側のリムリック行きに数歩で乗り換えができる。その代わり、上下本線の同時発着ができない。だからダブリン方面との接続優先ダイヤにすると、リムリック〜コーク間は、ここで待ち時間が生じてしまう。これは長年、この駅の構造であり、変わらなかったようだが、今、下り本線にホーム新設の工事をしている。これが完成すれば、ダイヤを修正して、上下本線列車を同じぐらいの時間に発着するようにすれば、リムリック〜コークの接続も良くなって、バスに対する競争力が出てくるかもしれない。その代わり、ダブリンからリムリックへ行く場合、今までは同じホームで数歩で乗り換えられたのが、橋を渡らなければならなくなってしまう。
コーク行きがポイントを渡って出ていく | ほぼ同時発車の折り返しリムリック行きが去って行く |
さて、そのダブリン発コーク行きが遅れてやってきた。結構な客が降りてきて、ほとんどリムリック行きに乗り換えた。リムリック行きは、定刻を過ぎていても、本線が遅れれば発車しない。よって今日は10時02分、ほぼ同時に、逆方向に発車していった。
下り本線ホーム新設工事中 | ウォーターフォード行きが回送入線 |
私が乗る10時ちょうど発ウォーターフォード行きは、どこからやってくるのだろう。さきほど駅員に聞いたところ、リムリック行きが出た後、そのホームに入るということだった。ウォーターフォードからやってきてすぐ折り返すのかと思ったが、時刻表を見るとウォーターフォードからの朝の列車は50分前に着いている。そこでピンときた。さきほど着く手前に留置線にいたのがそれだろう。果たせるかな、リムリック方面のカーヴから、3輌編成の綺麗な列車が回送で入ってきた。さきほどの気動車4輌編成のうち2輌ぐらいかなと予想していたので、意外である。そして、乗客も思ったよりはいる。といっても3輌で20人ほどであろうか。だからやはりガラガラではある。
リムリック・ジャンクションからウォーターフォードは、89キロを所要1時間49分だから、表定速度は49.0キロと、鈍足である。途中駅は4駅なので、平均駅間距離は22.5キロ。運転本数は、月〜土が2往復で、日曜祝日は走らない。列車ダイヤだけを見れば、どんな凄いところを走るのだろうというローカル線である。ダブリンからリムリック・ジャンクションやウォーターフォードへの本線格の路線に対して、三角形の底辺を行くような、地方都市間連絡路線に見える。リムリック・ジャンクションは都市ではないから、実質はリムリックとウォーターフォードを結ぶ線とも言える。
けれどもこの路線は実は、かつてフェリーを介した愛英連絡の国際路線だったのである。つまり、もともと短距離ローカル輸送目的の路線ではなく、リムリックやウォーターフォードを始めとしたアイルランド南部の人が、ロンドンなどイギリス南部へ出かけるのに利用された、歴史ある長距離路線の一部なのである。だから、夜行フェリーの時刻に合わせた、リムリックとロスレア・ユーロポート(Rosslare Europort)を結ぶ直通列車が長いこと運行されていた。ロスレアからはフェリーを介して、ウェールズのフィッシュガード・ハーバー(Fishguard Harbour)へ、そこから列車に乗り継いでロンドンへ、という長距離輸送を担ってきた。しかし時代と共に列車とフェリーを乗り継いで英愛間を行き来する人が減り、2010年、ついにアイルランド国鉄は、末端のウォーターフォードとロスレア・ストランド(Rosslare Strand)の間を廃止してしまった。ロスレア・ストランドは、フェリーの出るロスレア・ユーロポートの一つ手前の駅で、ダブリン〜ロスレア・ユーロポートの東海岸の路線に合流する駅である。
この海峡の英国側は、1年半前に乗って、その様子を南西ウェールズの盲腸線でお伝えしているので、ご参照されたい。そして参考までに、1999年の時刻表の一部を掲げておく。この時代の方がさらに本数が少なく、この区間はフェリー連絡の1往復だけしか走っていなかったのだ。英愛連絡という役割に特化した路線として機能していたことがわかる。念の為、右は全部バスである。
とにかくそうして、英国連絡の役割がなくなると同時に、リムリック・ジャンクション〜ウォーターフォードも、一緒に廃止して良さそうにも思えるが、こちらは生き残り、フェリー連絡とは縁を切り、国内ローカル客に使いやすい時間帯の運行に改められた。しかし依然、予断は許さないらしい。廃止したウォーターフォード以東に比べてまだ条件がいいのは、リムリックとウォーターフォードの両端が都市であること、そしてリムリック・ジャンクション以外は途中各駅がどこも一応の町であることである。
さらに、これら途中の町から、リムリック・ジャンクションかウォーターフォードで乗り換えてダブリンへ、という需要も取り込もうとして、安売り切符などを出して需要喚起しているらしい。それでも大赤字には違いないが、とりあえず今の所まだ、こうして綺麗な列車が走っている。本当にピカピカの新車で、電源コンセントはもとより、USBソケットまで付いているし、Wi-fiもつながる。座席も革張りで座り心地も良い。
スイッチバック停車で運転手が移動してきた | リムリック・ジャンクションを右手に本線を横切る |
本線列車遅れの影響で、10分遅れの10時10分に発車。さきほど乗ってきたリムリックの方角へと向かう。しかし、のろのろと1分ほど走って停車。私は最後尾の3輌目に乗ったつもりだったが、最後尾なのはこの1分だけで、ほどなく運転士が鞄をかかえて車内を移動してきた。それから信号待ちなのか、さらに3分ほど停まると、逆方向へと走り出す。そして、右手にリムリック・ジャンクションの駅を見ながら、本線の線路を斜めに横切る。つまり、リムリック・ジャンクションと次のティペラリー(Tipperary)の間は、直行できず、スイッチバックなのである。土地はいくらでもありそうだし、需要があれば短絡線を敷くぐらいはできそうだが、とにかく大昔からこういう運行形態だったのだろう。ふと、リムリック・ジャンクションに停車しない、リムリックからの直行列車もあったのだろうかと思う。しかし、フェリー全盛時代はリムリック・ジャンクションでコークなど南部の他の地域からも客を集めたに違いない。だからやはり、こういうスイッチバック運転がずっと続いていたのだと思う。所要時間増にはなるが、飛行機が競争相手でなかった時代なら、それで良かったのだろう。ともあれ、リムリックからウォーターフォードへまっすぐという線形こそ、もともとリムリックとロンドンを最短距離で結ぶルートとして設計された経緯を感じさせる、そういう路線である。
本線を横切って少しすると、ややスピードを上げるが、それも続かず、ほどなく前方に町が見えてきて、ティペラリーに到着。この一駅は5キロしかないのに、時刻表上で14分もかかっているのは、スイッチバックのためである。ここで数名の客が乗ってきた。地元の荷物も身軽な人で、若い人も多い。土曜なのでちょっと近くの町へ遊びに行くという感じに見える。古びた駅舎と片面ホームが使われているだけだが、かつては貨物を含む広い構内だった遺構が見られる。今も閉塞区間の区切りらしく、駅員がいて通票交換をしている。腕木信号機も現役である。
かつての広い構内の残骸が残るティペラリー | 腕木信号機があった |
ティペラリーを出ると、これまでより緑まばゆい綺麗な農村風景が続き、上り勾配で小さな峠を越える。ちょっとした丘陵地、といっても、険しい感じではないが、右手には結構高い山が続いている。途中の小集落には廃ホームがある。調べれば、バンシャ(Bansha)駅の跡で、廃止は1963年だそうだ。そこからは下り勾配となり、シュア川の谷へと降りてゆく。シュア川はこのあたりの農村地帯から流れ出て、ウォーターフォードで海へ注ぐ中規模の河川で、ここから先はほぼこの川に沿って下っていく。
そのシュア川上流を小さな鉄橋で渡ると、また中規模の町になり、ケア(Cahir)に着いた。ここでもティペラリーと同じように数名の地元の人が乗ってきて、活気が出てきた。ケアは単線でホームだけの無人駅だが、相対ホームの交換駅だった名残があり、古い跨線橋も残っていた。
ケア到着手前の車窓 | 単線化された小駅ケア |
ケアからはいくぶん地形が穏やかになったものの、やはり遠くに小高い山々を望みつつ、農牧地帯を行く。家畜は牛が圧倒的に多く、羊は僅かしか見かけない。幸いの晴天で、気持ち良い車窓だが、単調は単調である。かつての幹線とはいえ、スピードは遅い。その理由は、日本で言う第四種踏切が多いからのようだ。それもほとんどが、農家の私有地内で、踏切には柵がしてあるものの、手で開けて自由に通れる。きっと牛を移動させるのにも使うのだろう。柵は人間のためよりも、牛が線路に飛び出さないためのものかもしれない。
そんなところをしばらく行くと、また人家が増えてきて、クロンメル(Clonmel)に到着する。こちらは相対ホーム二面が現役のようで、一日2往復の今はここでの列車交換もないだろうが、何かの時のために設備は残してあるのだろう。クロンメルでは下車も数名いて、その何倍かの人が乗ってきた。
クロンメルはこの途中区間で最大の町だが、線路は市街地より一段山側を通っているので、中心部の賑やかさはわからない。しかし少し走ってもまとまった住宅地があったりするので、それなりの規模の町であることは察せられる。それもやがて果て、またこれまでと大差ない農牧風景に戻る。心持ち、下流部らしく開けた感じがする。時々右手にシュア川の流れが見え、その向こうにはやはり山が続いている。
キャリック・オン・シュア駅名標 | 通票交換のひととき |
次がキャリック・オン・シュア(Carrick-on-Suir)で、ここも交換設備が残っていた。人口も途中駅ではクロンメルに続く中規模な町である。10人ほどの客が乗車。通票を持った初老の駅員さんが運転台の方に向かうのが見えたので、最前部のドアまで行き、列車が遅れているのは知っているが、ホームへ降りてみた。愛想のいい人なので、その通票を撮らせてもらえないか聞いたら、俺ごと撮ればいいと言ってポーズまで取ってくれた。運転士も横で笑顔を見せている。何ともほのぼのしたひと時である。彼らより私の方が列車の遅れが気になるぐらいなので、さっと撮ってお礼をいい、すぐ乗り込んだが、それから1分以上は発車しなかった。
ダブリンからの路線との合流地点 | ウォーターフォードに到着 |
最後の一駅は、山も遠のき、下流部の平野部らしい風景が続いた。ウォーターフォードが近づくと、右手にすっかり川幅が広くなったシュア川が広がり、左手にはダブリンからの路線が合流してくる。そのあたりからしばらくは、昔はもっと沢山線路があったらしいが、すっかり整理されてしまったようで、線路が剥がされた跡地が多い。ロスレアまでの線があった頃でも、末期は風前の灯ではあったが、それも今はなくなり、ウォーターフォードは同じ方向からの2つの線の終着駅となり、通り抜ける列車がなくなった。今、ここへ来る列車は、ダブリンから2時間に1本程度、それに加えてこのリムリック・ジャンクションから1日2本。それだけである。
列車は行き止まり式のウォーターフォード駅にゆっくりと入線した。途中駅で客が増えたので、結構大勢、50人以上は降りてきた。土曜ならではの客なのか、わからないが、荷物を持った旅行者風の人もいれば、この沿線の途中から最大都市ウォーターフォードに土曜を利用して遊びに来た風の身軽な人まで、幅広い客層である。しかし家族連れはやはり車なのか、あまり見かけない。一日2往復では使いづらそうだが、時間に合わせて動けばいいわけだし、バスより快適で、何よりもバスより大幅に安いネット割引価格がある。これが土曜日の軽いお出かけ需要を喚起しているとみて間違いないだろう。
駅前の橋から見るウォーターフォード駅 | 駅前の橋から見るウォーターフォード市街地 |
ウォーターフォードは人口6万に過ぎないが、共和国第5の都市であり、南東部全体の中心性を備えた中核都市である。駅のすぐ南をシュア川が流れ、駅前の橋を渡った対岸が市街地になる。他方、駅のある左岸はすぐ岩が迫っており、いかにも土地が狭い。だから駅舎も小さく、駅前に店1軒とない。それでも駐車場だけは結構な台数分がある。これだけは作らなければ鉄道利用者が確保できない、といったところだろうか。駅の駐車場を使うのは、ウォーターフォード近郊の居住者がダブリンなどへ出かける時であろう。この列車の乗客の大部分は近郊から何かの用事や遊びでウォーターフォードへやってきた人と思われるので、ほとんどの人は駅前の信号を渡り、歩いて橋を渡って市街地の方へと向かったようである。駅にはバス乗り場もなく、ウォーターフォードのバスターミナルも対岸の市街地にある。遠くは無いが、駅だけが市街地から少し外れている。数年前に訪れたロンドンデリーも同じように駅は市街地やバスターミナルの対岸であった。