欧州ローカル列車の旅 > 2013年 > ポーランド > ポズナン〜ヴォルシュティン
目次 | 蒸気機関車 Steam Locomotive |
ポズナン Poznań | |
ポズナン〜ヴォルシュティン Poznań - Wolsztyn | |
ヴォルシュティン Wolsztyn |
ポーランド国鉄のウェブサイトによると、ポーランドには、保存鉄道でも観光鉄道でもない一般営業路線として、蒸気機関車牽引の普通列車が運行されている所があるという。今やヨーロッパでもここだけらしい。21世紀の今日まで残るべくして残ったのではなく、意図的に残してきたのではあろうが、ともあれ興味をそそられる存在である。何しろ、やらせイヴェント列車が蔓延する今の時代にあって、普通乗車券だけで乗れて、地元の短距離客が普通に乗り降りする客車鈍行列車なのだというではないか。
少し私の個人的な話をすると、日本から一般営業の蒸気機関車が消えたのが、私が中学生の頃である。その後は、西武山口線を含む保存目的の蒸機列車には多少乗ったが、それらはやはり、保存鉄道であり、本来の移動目的・輸送目的の鉄道ではない。一般営業列車で最後に蒸機列車に乗ったのは、恐らく1980年代終わり頃の中国だと思う。その当時の中国でも、北京や上海などの都市部ではもう動く蒸気機関車は見られなかった。
案外本格的なウェールズの狭軌鉄道(Tan-y-Bwlch駅) |
鉄道は、というより、バスも自動車も飛行機も一緒だが、そもそも輸送機関というのは、用務客や通勤通学客など、必要あって移動する人を運ぶのが第一の使命である。しかし、自家用車の普及に連れ、必要性だけでは鉄道経営が成り立たない所が増えている。だから観光列車を走らせて観光客を集める。それ自体は結構だと思う。また、廃線などを使ってボランティアの人達が動態保存をする。そうやって運行されている保存鉄道は、ヨーロッパには結構ある。むしろ日本より熱心な人が多いような気がする。しかも関わっている人達に、医者や弁護士など、地位の高い人が多いという。無論、趣味というには金がかかるので、裕福な人でないと手が出ないという現実はあろう。ともあれそれも大いに結構だと思うし、好きな人は楽しめばいいと思う。楽しむだけでなく、産業遺産を保存し、後世に伝えるという大事な役割も果たしている。尊敬すべき立派なことである。
だが私個人に関しては、鉄道趣味は昔も今も、日常的な輸送機関としての鉄道が対象なのである。決めたわけでも何でもないが、自覚した頃には既に、そういう方面に強く興味が湧くようになっていた。だからこれまで、観光目的の保存鉄道にはさほど関心もなく、従って乗る機会もあまりなかった。
それが最近になって、縁があって2度ほどSL列車に乗った。一度目は2011年、イギリスのウェールズであった。保存鉄道ではあるが、本格的な狭軌鉄道で、途中駅もいくつもあり、列車交換もあった。地元の人は並行する道路を車で走ってしまうものの、用事があって乗る人もゼロとは言えない鉄道であった。思ったより自然な感じで、保存鉄道も悪くないなと目覚めたものだ。蒸気機関車を保存して走らせようという力がなければ、路線自体、廃線になっていたに違いない。それが立派な現役路線として22キロにも及ぶ営業区間を有している。
日本人にはおなじみのSLやまぐち号(山口駅) |
その次に偶然乗ることになったのが、2012年、小郡から山口までである。手持ちの小型時刻表では、不定期列車は巻頭の別ページに掲載されていたのでうっかり見過ごしており、新幹線から乗り換えて山口へ行くのに、普通の気動車列車に乗るつもりでいた。そうしたら、新幹線の車内放送の乗り換え案内で、今度の山口線の接続列車は「快速津和野行き」だと言うではないか。そんな列車があるのかと思ってホームに行ってみると、SLやまぐち号だった。それが先発で、山口にも一番早く着くので乗った。乗ってみれば、カメラを持った家族連れなどが始終車内をうろうろしていて、やはり保存観光鉄道の雰囲気ではあったが、湯田温泉や山口までの短距離乗車の人も結構いた。わざわざ乗ってみた風な人もいたが、山口に用事があってたまたま乗り合わせた人も、私以外にも数名いたように思えた。
保存鉄道もイヴェント列車も悪くはない。だがそれでも、限られた時間を使って積極的にそれらを追いかけようとまでは、今も思わない。けれどもこのポーランドの場合は、そういった保存鉄道とは大いに違うようで、調べるほどに興味が増してきた。
ポーランドで5番目に大きな都市、ポズナンは、ポズナニとも発音される。国際空港もあり、ポーランドのEU加盟以来、順調に発展を遂げているようである。
ポーランド人なら誰でも知っている主要都市だが、普通の日本人にとって、首都以外の東欧の都市はまだまだ馴染みがないであろう。欧州在住で旅行好きの私ですら、最近まで、ポズナンなどと言われてもどこだかさっぱりわからなかった。地図でおわかりのように、ポーランドの中では比較的ドイツに近い都市である。具体的には、ベルリンから遠くない。首都ワルシャワより距離的にも若干近い。
蒸機列車はここから発車する。前の晩に空路ポズナン入りして1泊した私は、朝8時半すぎに、ポズナン・グロウニー(Poznań Główny)駅へ行ってみた。グロウニーとはポーランド語で中央駅の意味である。ポズナンも東欧の主要都市の例に漏れず、トラムがかなり走っている。新旧様々な車輌があり、朝の通勤時間だからか、利用者も多い。
ポズナン駅近くの橋を渡るトラム | ポズナン駅前のトラム |
駅はモダンな新駅舎の建設工事中であった。しかし横へ行くと、昔ながらの古い駅舎がある。小さな駅舎で、大都市の中央駅とは思えないが、表口ではなさそうだ。人も少ない。とりあえずそこからホームへ入ってみる。
ポズナン・グロウニーの小さな駅舎 | コストシン行きと同じホームの先に蒸機列車 |
駅の時刻表で、目指す9時06分発ヴォルシュティン行きの乗り場が6番線であることを確認し、行ってみる。しかしホームに上がると2輌の新型軽快気動車が入っている。行先は、コストシン(Kostrzyn)とある。コストシンは少しばかり方角が違っていて、ドイツ国境に接した、ポズナンの真西にある都市である。
ヴォルシュティンと一部、似た綴りなので、一瞬、変わってしまったかと思ったが、同じホームの先の方に古い客車が停まっており、煙も見える。それは紛れもない、蒸気機関車であった。そのあたりは人だかりがしている。冬の閑散期でも、見物人は多いようだ。しかし良く見ると、鉄道職員などが多いようで、一般の人はさほどでもない。カメラを向けている人が数名いる程度だ。
機関車の回りはそれなりに人だかりがしていた | ごく普通の客車側面の行先表示板 |
客車は2輌である。今もポーランド各地に残っている昔ながらの客車で、コンパートメントではなく、四人掛けのボックス席であった。特別の列車であることを表すような表示は何もない。客車側面の行先表示板(いわゆるサボ)も、ポーランドの他の線区で普通に見かけるのと同じで、日本のように、わざとレトロにしたりもしていないのが好ましい。これはなかなか「普通」であり「自然」な列車だぞと、嬉しくなってくる。
機関車に乗っている一般の人 | 同乗者物色中?の機関士 |
機関車に私服で乗って機関士と話している人がいる。眺めていると、その人は降りてきて、今度は機関士が私に向かって手招きする。遠慮なく上がらせてもらい、機関室内を見せてもらう。なかなかサービス精神旺盛だなと思っていると、機関士が片言の英語で「マネー、ハンドレッド」と言う。100ズオティ(約2,800円)を払えということなのか、それにしても公務員たる国鉄職員が、あからさまにこんなことをしていいのか、と思う。これは、100ズオティ払えばずっと機関室に乗せてやるということのようだ。そういう意味のようなことを身振り手振りを交えて私に説明する。しかし私はたとえ無料でも、機関室に乗る気はない。興味がないわけではないが、当然ススだらけになるだろう。その後の着替えのこともあるし、第一、体力も要りそうだ。そもそも私は普通の乗客として客車に座って汽車旅を楽しみに来たのだ。断って降りれば別にそれ以上のこともなかった。しかし彼はいつもあのようにして、機関室への同乗者を100ズオティで探しているのだろうか。もし本当に機関室に乗りたい人がいるなら、この値段は安いのではないだろうか。他の機関士も同じようにやっているのかはわからないが、今後行く人で興味のある人は、是非ともそのつもりで準備を・・・!?
発車8分前の様子 | 発車前の客車内 |
ホームでの見物人や関係者の多さの割に、車内は空いている。最初に見た時は、たった2輌では混まないのだろうかと思ったが、これなら急いで乗る必要もなさそうだ。それでも一通りホームで写真などを撮り、機関車を眺め、機関室にまで入ったので、今度は客車内に入る。空きボックスもあったのでそこに座った。
ポーランドの鉄道ダイヤは、結構いい加減という印象があったが、ポズナンの出発は1分遅れただけ。つまりほぼ定刻であった。
とにかく動き始めがいい。電車や気動車はもとより、電気機関車牽引の客車列車ともまた違う。蒸気機関車ならではの独特の重々しいスタートである。
実際にこうして乗ってみると、確かに加速は遅い。しかも各駅停車だから当然、各駅の加減速の時間が気動車より余分にかかり、その結果、この列車のポズナン〜ヴォルシュティン間81キロの所要時間は1時間50分となっている。同じ区間を、気動車列車は1時間30分前後で走っているので、所要時間は2割も長い。表定速度は、蒸機列車が時速44キロ、気動車だと54キロである。
それでも運転本数の少ないローカル線である。この列車を逃がすと次は昼過ぎまで無い。多少の所要時間差があっても、次を待つまでもないので、この時間帯が便利な一般の乗客は、もちろんこの列車に乗っている。実際、発車して落ち着いてみると、乗客像の全貌が見えてきた。2つのボックスに分かれて乗っている4人の中年男性と私を除くと、ほぼ地元の一般乗客と言って良さそうであった。この4人組のおじさんたちにしても、最初は地元の人にしか見えなかったが、どこか遠くから乗りにきているのだろうか。寒いし煙も吹き込むのに、しょっちゅう窓を開けては写真や動画を撮ったりしている。
列車はポズナンから2駅目のルボン・コウォ・ポズナニア(Luboń koło Poznania)までは、複線電化の幹線を南下する。この路線は、南西部の主要都市でポズナンより少し大きなポーランド第4の都市ヴロツワフ(Wrocław)へとつながっている。幹線だからか、加速こそ遅いものの、一旦走り出せばそれなりのスピードで快走する。車掌が検札に来た。
窓を開けて乗り出す鉄道マニアのおじさん | 車掌が検札に来る |
ルボンは、ポズナンの南にあるベッドタウンのような町らしい。駅は結構大きい。ここからヴォルシュティンへの支線へ入るのだが、ヴォルシュティンから来るポズナン行きと行き違うため、少し停車時間がある。その列車が遅れているらしく、なかなか発車しない。発車時刻を4分ほど過ぎた頃、直線の向こうから列車のライトが見えてきた。あちらは新型の軽快気動車であった。
遅れを待って6分遅れでルボンを発車。しばらく本線と並行した後、ゆるやかなカーヴで本線を立体交差で跨ぎ、単線非電化のローカル支線へと入った。ほどなくポズナン都市圏の雰囲気も消え、単調な平原の続く農村風景になった。乗車率3割程度の車内もすっかり落ち着いており、SLマニアのおじさんたちも窓を開けなくなった。それ以外の一般乗客は、本を読んだり携帯電話をいじったりしている。世界的にも珍しい蒸機列車なのに、そんな事はどうでもよい、目的地に着ければいい、という普段着の人たちばかりである。
乗客には若い女性が案外多い | 小さな駅で地元客が数名降りてゆく |
グラノヴォ・ノヴォトミスキ(Granowo Nowotomyskie)という駅がある。ここで数名降り、それ以上の客が乗ってきた。こういう観光地でもない駅の乗降客は、100%、地元のローカル客である。乗客は手でドアを押し開けてホームに降り、出口へ向かう。乗降が済むと車掌が手を挙げて機関士に発車合図をする。昔の日本と多少雰囲気は違うものの、何という昔懐かしい普段着の汽車旅の風景だろう。もっともそういう私も、実は懐かしいというほど、日常的な蒸機列車の経験があるわけではない。それでも懐かしいという言葉が出てくるのは、昔らしさを感じるからかもしれない。
グロジスクという町がある。このローカル線の途中区間では一番大きな町らしく、その中心駅、グロジスク・ヴィエルコボルスキ(Grodzisk Wielkopolski)は、分岐駅でもないのにホームが3面もある立派な駅であった。けれども線路の多くは錆びているようであった。
乗降とも多い主要駅グロジスク | 古い大きな駅舎と降りた乗客と煙 |
駅を出ると、左にマーケットがあり、地元の人が集まっている。その脇の線路際に子供を抱いたお母さんがいて、汽車を見ている。その先で廃線跡が分岐していった。かつてはもっと稠密な鉄道網があったらしい。その時はきっと駅ももっと賑わっていたことだろう。
その先は小さな駅が多い。ジュマトヴォ(Drzymatowo)という林の中にある無人駅は、駅周辺に人家も見えない寂しい所であった。ここは乗降客もいなかった。
列車はルボンでの遅れをそのまま引きずり、今は8分遅れている。一度遅れると回復は難しいのかもしれないし、必死で回復させる必要もその気持ちもないのかもしれない。風景は至って単調で、概ね平坦な平原を行く。時々林がある程度で、川も湖もない。蒸気機関車を走らせるには無難な地形だとは言えるだろう。それでもゆるやかな勾配はあるらしく、時々濃い煙を吐く。白かったり黒かったりする。どこか煙をモクモクと吐いてくれる有名な撮影地でもあるのだろうか。だが、沿線にカメラを構えた人の姿は全く見なかった。
終着が近づくと、別の路線をまた立体交差で跨ぎ、操車場の脇を通り、8分遅れのまま、中規模なターミナル駅という風情のヴォルシュティンに着いた。
ヴォルシュティンとは、来てみるまでどんな所か想像もつかなかったが、平原の中にある小さな町である。鉄道の町でもあったのだろう。駅の手前に見えた大きな操車場がそれを象徴している。そして石炭とも関係が深い町に違いない。だからこそ、この路線に蒸気機関車が残っているのだろう。
終着ヴォルシュティンに到着 | 無関心な一般客が蒸気機関車の脇を通る |
停まったホームの機関車の前方に構内踏切があり、乗客はそれを渡って駅舎へと向かう。マニアの4人組のおじさんと私を除くと、汽車にカメラを向ける人もいない。皆、地元の人か用事があってここへやってきた一般の乗客である。
その人たちが概ね駅を出てしまう頃、列車はさらに前へと動き出した。入れ替えをするらしい。駅の先へ行って停まると、推進運転で別のホームへと戻ってきた。しかし、なぜ最初からこのホームに着かなかったのだろう。まさかマニアへのサービスで入れ替えをしているわけでもないだろう。
入換のため先へと進む | 踏切の先まで行ってバックで戻ってくる |
そのホームに停まると客車2輌を切り離す。そして機関車だけになって、また前進し、ホームのない引き込み線を戻り、駅の先の操車場の方へと引き上げていった。客車は夕方までここに留め置かれるのだろうか。ちなみにポズナンとヴォルシュティンの間には、平日7往復の列車があり、そのうち朝夕の2往復が蒸機列車である。
別のホームへ移動して停車した回送列車 | ヴォルシュティンの駅舎 |
駅を出てみる。ただ古びた中規模の駅舎で、格別の風情も風格もない。社会主義時代の鉄道全盛期に画一的に造られたのであろう。蒸気機関車が去った後のホームには、2編成ほどの新型軽快気動車が停まっている。
ガランとした広い駅の待合室 | 蒸機が去ればモダンな新型軽快気動車が並ぶ |
駅前にはバスターミナルがある。このあたりも鉄道よりバスが交通の主流になっているのかと思ったが、バスターミナルも広い割にガランとしていて、人もバスも少ない。そのあたりから町を歩いてみるが、何とも特徴の薄い小さな町である。それでも店はそこそこあって、人も多少は歩いている。日本だとこの規模の町の平日日中は、高齢者しか見かけなかったりするが、ここは若い人も結構歩いている。
駅前にあるバスターミナル | ヴォルシュティンの中心部 |
さきほど機関車が引き上げていった方へと歩いてみる。今も何台かの蒸気機関車をかかえて営業運転に使っている、その機関車の基地は、ポズナンではなくここヴォルシュティンなのだ。見れば、さきほどの蒸気機関車にクレーンで石炭を補給する作業の最中であった。昔は人間がスコップでくべていたのだろうが、もうそんな作業風景は見られない。
クレーンで石炭を補給中のさきほどの機関車 | 日本とは形状が違うが腕木式信号機が現役 |
しかしまたここには、動く機関車の何倍か、廃車となった機関車もいて、痛々しい姿を晒している。このまま放置されて朽ち果てるのを待っているのだろうか、それとも近々解体されるのだろうか。
廃車となった機関車が並ぶ姿は寂しい |
蒸気機関車が残っている一つの理由に、ポーランドが良質の石炭を産する点があげられるらしい。蒸気機関車の残存も、エネルギー政策とも関わっているのかもしれない。良質というのは確かに私も感じたことで、あのおじさんたちが窓を開けた際に、煙がある程度車内に入ってきたのに、別に煙たくもなかったし、目が痛くなることもなかったのである。確か日本の大井川鉄道も、かつてポーランドから無煙炭を輸入していたのではと思う。
この機関区は蒸気機関車の一大宝庫だ | 機関区から蒸機の煙があがる風景が現役 |
町自体は大きくないが、産炭地を控え、鉄道の要衝として栄えたところ・・・ここにいると、かつての室蘭本線の追分あたりとイメージがぴったり重なる。その追分は、日本の一般営業の蒸気機関車が最後を迎えた駅ではなかったか。
とにかく貴重な列車に乗ることができて満足したが、11時57分発のポズナン行きまでは、多少時間を持て余した。ここで合流した別の路線に乗り換えて、鉄道を乗り継いでどこかへ行けないかとも思って調べてきたのだが、それは無理そうだ。その路線はこの地域の最大都市ポズナンと無関係な方角に走っているため、さらに本数が少ないようで、しばらく列車はない。だからとりあえず同じ区間をポズナンへ戻るしかない。
そのポズナン行きは、さきほどからホームに停まっていた新型列車であった。最初は空いていたが、途中からポズナンへと向かう人で段々と混んできた。車内には次の停車駅などを表示する案内画面があり、自動放送が流れるという、行きとは正反対の最新型の車輌である。それに乗って、同じ鄙びた風景を眺めながらポズナンへと戻ってきた。