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ダーリントン〜ウィットビー 目次


目次 ダーリントン Darlington
ダーリントン〜ソーナビー Darlington - Thornaby
ストックトン〜ミドルスブラ Stockton - Middlesbrough
ミドルスブラ〜ウィットビー Middlesbrough - Whitby
ウィットビー Whitby

ダーリントン Darlington


 ダーリントン(Darlington)に行ったことがある人やダーリントンに詳しい日本人はあまりいないかもしれないが、このサイトの読者なら、少なくとも名前ぐらいは聞いたことがあるだろう。ロンドン〜エディンバラの特急に乗れば大半の列車が停車するから、降りたことはないが、通って知っている、という人もいると思う。けれどもそういう実感がない人でも、世界で最初の鉄道が開通した所として頭に入っている人は多いのではないか。私も小学生の頃に持っていた、何かの鉄道豆知識本に載っていたので、海外など全く現実感のないその当時にして、ダーリントン、ストックトン(Stockton)という名前はしっかりと覚えていた。

 駅から10分ほどのダーリントン市街地  時計台のようなダーリントン駅

 今日のダーリントンは、これといった見所も特徴もない普通の中都市である。世界初の鉄道が開通したと言っても、駅を中心に街が発展してきたわけではなく、現に駅は中心から徒歩10分ほど離れた寂しい場末にある。それでも駅自体は古く重厚な趣で、長い英国鉄道史を背負ってきた貫録を感じる。

 場末感漂うダーリントン駅前通り  歴史の重みを感じる駅通路

 今回はそのダーリントンを出発点とし、イングランド有数の閑散ローカル線に乗って、ウィットビー(Whitby)というヨークシャー北東部の港町まで行くことにした。そのため、前の晩にダーリントン入りし、駅近くのホテルに泊まった。ウィットビーはそれなりに観光客で賑わう人気の町らしいが、人口は1万ちょっとに過ぎず、鉄道でのアクセスは便利とは言えない。

 ウィットビーまで行く列車は一日5往復(日曜は4往復)。ダーリントンからは、朝一番の6時34分発のみ、乗り換えなしの直通で、ウィットビー着は8時37分。その後の4本は、ミドルスブラ(Middlesbrough)で乗り換えを要する。6時34分はさすがに早すぎるので、その次のダーリントン9時40分発、ミドルスブラ乗り換えで、ウィットビー11時51分着に狙いを定めた。

ダーリントン〜ウィットビー地区鉄道路線図

 だが折角ここまで来たので、世界初の鉄道に敬意を表して、ダーリントンからストックトンまでの区間をたどり、ストックトンにも寄ってみたい。地図を見る限り、ほんのちょっとの寄り道で済みそうだし、このあたりはウィットビーと違い、列車本数も多い。だがそれでも、ちょこっと一駅、ストックトンに寄るだけのために、2時間も早起きしなければならないことがわかった。だから、朝起きるのがしんどければ、これは省略してもいいという気持ちでいたのだが、普段は朝に弱い私も、間に合う時間にしっかり目が醒めてしまった。


ダーリントン〜ソーナビー Darlington - Thonaby


 そんな次第で、本日最初に乗るのは、ダーリントン7時36分発ソルトバーン(Saltburn)行きである。これでソーナビー(Thonaby)という所まで行き、42分待つ。そして、ハートルプール(Hartlepool)、ニューキャッスル(Newcastle)方面へ行く列車で僅か1駅5分を乗れば、ストックトンである。つまり、ダーリントンからストックトンへは、線路はつながっているのに、直通列車はない。時刻表を熟読していってわかったことは、ダーリントン〜ストックトンを乗り換えなしで乗れる列車は日曜日に2往復だけあり、他の曜日はゼロである。何故なのかはわからないが、ともかく、日曜のその直通列車に乗らない限り、乗り換えを要するだけでなく、一旦ソーナビーという所へ外れ、スイッチバックをしてストックトンへ向かう方法しか取れない。だから厳密に言うと、直通ルートの線路のごく一部を乗り残してしまうことになる。とは言っても、ダーリントン〜ストックトンの全区間が開通当時と同じ場所を走っているわけではなく、今のストックトン駅も開通時の駅とは場所も異なる。だから細かいことにこだわっても仕方ないし、それ以上の探求をしに来たわけでもないので、とりあえず訪れてみよう、という程度の気軽な寄り道と割り切った。あくまで主目的はウィットビーである。

 本線の特急が発車していくダーリントン  2輌のレールバスが着き乗客が入れ替わる

 ダーリントン駅は歴史の重みを漂わせた、幹線上の主要駅である。だから鉄道を中心に見れば、まず本線があり、分岐する支線があって、という風に見てしまうが、ローカル列車の運転系統は、必ずしもダーリントンが中心にはなっていない。ウィットビーへの線も、本線と離れた所にあるミドルスブラが起点である。そして今日最初に乗るソルトバーン行きも、ダーリントン始発ではなく、盲腸駅のビショップ・オークランド(Bishop Auckland)という所からやってきて、ここダーリントンは僅か2分停車ですぐ発車する。それがロンドンへの特急が出た後、同じホームに入ってきた。本線を横切る運転系統だからであろう。

 車輌はこのあたりのローカル線で時たま見かけるレールバスの2輌編成で、それが本線の長いホームにちょこんと停まり、数名の客を乗降させてすぐ発車。土曜の朝だからか、乗客は少ない。2輌で10名ぐらいだろうか。

 南北に走る本線に背を向けて、左カーヴで東へ向かう。本線よりこちらの方が開通が古いはずなのに、どうしてこちらが急カーヴなのか、その時はわからなかったが、この部分は後から付け替えられた線路で、開通時は今の駅の少し北側を、今の本線と直角方向に、東へ出ていたそうだ。とにかくその後は複線非電化で、すぐに家並みも途切れ、広々とした平原をレールバスなりのスピードで快走する。

 最初の駅は停車するが乗降無し、そして少し走ると右手前方にティーサイド空港の管制塔が見えてくる。そして、ティーサイド・エアポート(Tees-side Airport)駅を一瞬で通過。この空港駅は、知る人ぞ知る謎の駅で、停車列車は1週間に片道1本しかなく、利用者もゼロに近いらしい。空港駅を名乗りながらも、ターミナルまで歩くと10分ちょっとかかり、それ以外に人家も何もない所なので、利用のしようがない駅らしい。加えてこの空港自体がわずかなフライトしか就航していないので、余計にいけない。それでもシャトルバスを走らせるなり何なりで空港連絡駅として活用できる可能性がゼロではないことから、駅を完全廃止せずに残し、システムやデータベースでも検索できるように、週に1本だけ列車を停車させているのだそうだ。参考までに、その停車列車というのは、日曜日のハートルプール14時24分発ダーリントン行きで、ここを14時54分に発車する。上述した、日曜だけ存在する、ストックトンとダーリントンを乗り換えなしで乗れる2往復のうち1本である。もしも物好きにも、ストックトンとダーリントンを乗り換えなしの列車にこだわって乗ろうという人がいるなら、どのみち日曜の2往復4本しかないので、それに合わせて訪問するなら、4本のうち1本のこの列車に乗って、ティーサイド・エアポート駅停車も合わせて味わうと、一石二鳥の超オタクな満足感が得られるであろう。

 レールバス車内  車窓にティーサイド空港が見える

 空港の滑走路を右手に見ながら少し走り、次のアレンズ・ウェスト(Allens West)では3名ほど乗降。その先は徐々に家が増えてきて、スーパーなども見え、右から別の路線が合流してくると、イーグルズクリフ(Eaglescliffe)に着く。やはり乗降客が数名。そして走ること2分、左へストックトン方面への線路が分かれていく。ここもイギリスに数多い三角地帯で、続いてストックトン方面からの線が急カーヴで合流してきて、しばらく併走する。この三角地帯のうち、世界最初の鉄道区間である、イーグルスクリフ〜ストックトン間だけが、旅客列車は日曜に2往復しか走らず、イーグルズクリフ〜ソーナビー間も、ストックトン〜ソーナビー間も、毎時片道1〜2本が走っているのである。と、乗車時は思っていたのだが、実は世界初云々に関してはこれは正しくなく、開通当初に列車が走った線路は今のソーナビーへ進む線路であり、ソーナビーの手前から左へそれて、今のストックトン駅よりもやや東に、開通当初のストックトン駅はあった、ということを、後日調べて知った。

 アレンズ・ウェスト駅  道路の両側に線路とホームがあるソーナビー

 ソーナビーは、線路は何本もあるが、基本は2つの片面ホームがあり、その真ん中に駅舎と道路がある、変わった構造の駅であった。駅自体、繁華な場所ではないが、周囲にはそれなりに建物や人家も見られ。鉄道利用者も結構いた。何もない所での42分待ちかもと覚悟してきたが、何かはありそうな所である。


 駅と列車を少し撮った後、線路の上を越える道路へ上がり、とりあえず川の方まで行ってみることにした。この川はティーズ川で、このあたりは既に河口に近く、大型船舶も入港できる。その昔、ストックトンは、ダーリントン周辺で採れる石炭などの積み出し港であり、世界最初の鉄道が開通した理由の一つもそれである。橋の手前に行くと、「ストックトン・タウン・センター」という歩行ルート用の標識があった。改めてスマートフォンを出して地図を調べると、ストックトンの中心部まで、10分ちょっとで歩けそうなことがわかったので、行ってみることにした。

 ソーナビーからストックトン市街も徒歩圏内  ソーナビーからティーズ川を渡る橋

 朝日の中で見るティーズ川からの風景は、絶景ではないものの、ゆったり流れる広い川に沿って近代都市が開けている感じで、なかなかのものであった。英国ではかつて重工業で栄えた都市の多くが衰退後の活路を学園都市化に見出しているが、このあたりもそうなのか、学生向けの施設が多く、中国語の表示がある学生向けアパートメントすらあった。


ストックトン〜ミドルスブラ Stockton - Middlesbrough


 橋を渡り、少し行けば、意外と大きな町、ストックトン、正式には、ストックトン・オン・ティーズ(Stockton-on-Tees)の中心市街地に着いた。まだ朝なので店はあまり開いていないが、土曜は青空市場が開かれるらしく、その準備に結構な人が繰り出していて、活気がある。どうしても旅行が幹線鉄道中心になりがちな自分の場合、ダーリントンは馴染みがあっても、ストックトンはどんな所か想像もついていなかったが、町としてはむしろこちらの方が大きいのだ。しかも案外寂れておらず、貸店舗の看板もほとんどなく、お馴染みのスターバックスやコスタコーヒーなどのチェーン店もあり、一部はもう営業している。私は、しばらく飲食にありつけないかもと思って、ダーリントンの構内売店でサンドイッチとコーヒーを買って、列車内で朝食を済ませてきたのだが、どうせ時間が余るのだし、こんな大きな町なのならば、その必要はなかったわけだ。

 ストックトン・オン・ティーズ中心部  ストックトンはバスの方が多く利用されていそう

 当然ながら、ここまで来ると、歩いてソーナビーへ戻るよりも、ストックトン駅の方が近い。乗る予定だった区間も、ストックトンからミドルスブラへの列車で、帰りに乗れるのだから、ソーナビーへ戻るのはやめて、ストックトンの町をぶらぶらしてみる。とはいえ見所満載の町ではなく、どちらかといえば平凡な商店街なので、時間は余る。

 この広いタウンセンターはバスの発着も多く、ダーリントンの中心部へも、15分に1本のバスが走っている。ダーリントンもストックトンも、鉄道駅は町外れだから、中心同士を結ぶバスの方が便利で、需要があるのだろう。かくして世界初の鉄道開通区間の直通列車がなくなってしまっているわけだ。但し終バスは20時台と早く、夜間に関しては遅くまで走っている鉄道に分がある。

 ストックトンはティーズ川沿いの近代都市  知らずに訪れても意味不明なフライヤー

 鉄道発祥の町とはいえ、それに関するものは見当たらない。一つだけ、ザ・ストックトン・フライヤーというのを見つけた。といっても何の変哲もない大きな石の台座で、説明を読まないと、鉄道発祥の地との関連はわからない。いや、読んでもなかなかピンとこなかった。そもそも英語のフライヤーとは商業宣伝の紙のチラシという知識しかないのだが、ストックトンが鉄道発祥の地であることを周知させるためのこの台座のことも、フライヤーと呼ぶのであった。そして、毎日午後1時になると、この台座の上から蒸気機関が出現して、15分ほどシュシュポッポと動いて見せてくれるものだということを、帰って調べて初めて知った。だから、鉄道発祥の地にこだわってこの町を訪問するならば、午後1時に居るようなスケジュールを組むのがお勧めである。

 町を一通りぶらつけば、まだ早いけれど、やはり気になるので、ストックトン駅へ行ってみる。商店街に出ていた地図によると、細長い商店街の一方の端から、ソーナビー駅が1100メートル、他方の端からストックトン駅が600メートル、とある。実際、そこからちょっと横に入るとすぐストックトン駅というブリティッシュレールのおなじみの看板があった。そちらへ進んでいくと、いかにも重厚な、古い駅舎としか見えない建物があるのだが、民間のアパートか何かになっている。きっと見た目で駅と思い込む人が絶えないのだろう、これは駅ではない、駅はあっちだ、と言わんばかりのサインがあり、それに沿っていくと、簡易なゲートがあり、あっけらかんとした駅前広場に出た。駅舎もなく、そこらの平凡な中間駅と変わらない相対ホーム1面の駅であった。手前1番線がミドルスブラ方面で、橋を渡った2番線がニューキャッスル方面である。重厚なダーリントンとは比較にもならず、歴史を感じさせるものもほとんどない、普通の無人駅である。まだ列車の時間までだいぶあるから、誰もいない。

 ストックトン市街地の外れにある駅入口  元駅舎と思われる立派な赤レンガは今はアパート

 せめて列車の写真でも撮れればいいが、ここに発着する列車は、ミドルスブラとニューキャッスル方面とを結ぶ1時間に1本の普通列車のみで、私が乗るミドルスブラ行きが9時44分、反対方向のニューキャッスル方面行きは9時46分と、ほぼ同時刻なのである。複線区間だから、列車交換ではなく、たまたまだが、とにかく反対方向へ行く列車の写真も撮れない。

 時間があるので、もう一度ストックトンのタウンセンターへ戻り、また一回り歩いてから、戻ってきた。すると今度はニューキャッスル方面のホームに10名余りの客が待っていたが、私が乗るミドルスブラ方面は誰もいない。続けて数名がやってきたが、皆、跨線橋を渡ってニューキャッスル方面へ行くようだ。確かにニューキャッスルは北東イングランド最大の都市ではあるが、ストックトンの人が皆、ニューキャッスルにばかり出かけるわけではなく、少し距離のあるニューキャッスルへは鉄道が便利で、ミドルスブラなど他の町へはバスの方が便利、といった事情だろうと思われる。

 とりたてて歴史を感じないストックトン駅  ミドルスブラ行きがストックトンに到着

 ミドルスブラ行きはほぼ定刻に現れた。今度もレールバスの2輌編成である。跨線橋の上から到着シーンを撮り、急ぎ足でホームへ降りる。やはりここでの乗車は私だけだったが、下車は数名あった。乗車率は3割ぐらいか、さっきよりは混んでいるが、余裕で二人掛けの席に座れる。発車してすぐ反対列車とすれ違うとほどなく、まっすぐダーリントンへ向かう線路と分かれて左へ急カーヴをする。そして、さっき乗ったダーリントンからの線路が右から合流してくると、少し走ってさきほどのソーナビーである。そしてまた多くの線路をかきわけて走り、産業地帯からちょっと商業地帯に入ってきたかなと思えば、もう終着ミドルスブラ、あっという間であった。

 風格あるミドルスブラ駅舎内  ミドルスブラ駅前

 ミドルスブラは、鉄道の東海岸本線からは外れるが、このあたりの中心となる中核都市で、ダーリントンなどよりも大きな町である。駅も立派で、大きな石造りの駅舎内は風格がたっぷりであった。駅前も古くから栄えた風な貫禄がある。

 あまり時間がないので、駅から程近い商店街を途中まで歩いてみた。土曜の朝にしては、まあまあ活気があり、思ったほど寂れていなかった。このあたりは英国の中でも景気が悪い地域という先入観があったが、ストックトンともども、そうでもなさそうで、印象が修正された。 

 それなりに発着の多いミドルスブラ  折り返しウィットビー行きの到着

 駅へ戻れば、1日5本のローカル線、ウィットビー行きを待っているらしい人が意外と多い。電光掲示板では2輌と出ている。あのレールバスだったら座れないかもしれない。駅自体は相対ホーム1面だけで、他に引込み線などはあるが、多くの列車が一度には発着できない。その割に始発か終着の列車が多いせいか、両方のホームを器用に使いこなしている感じである。


ミドルスブラ〜ウィットビー Middlesbrough - Whitby


 10時19分、ウィットビー発当駅どまりの列車が定刻4分遅れで入ってきた。レールバスではなく大型の気動車であった。これがすぐ折り返してウィットビー行きとなる。ここまでの客も多く、それらが下車すれば、乗る人が扉に群がってくる。きちんとした整列乗車はない。私も適当なところで乗り込んで、何とか窓側の席を確保した。

 ミドルスブラからウィットビーは、56キロを1時間27分で走るので、表定速度は38.6キロと、実に遅い。駅間平均距離は3.3キロ。

 この線には、エスク・ヴァレー線(Esk Valley Line)という名称がついている。その名の通り、途中から終点のウィットビーまで、概ねエスク川(River Esk)の渓流に沿って下る線である。エスク川は、本流45キロほどの短い川で、北ヨークシャーの山中が源で、ウィットビーで北海に注いでいる。海からさほど遠くないこの地域にあって、意外と谷の深い景観を見せてくれる川であり、ミドルスブラからウィットビーまで、海沿いを行くより何倍も風景を楽しめるという。

 列車は10時22分、2分遅れで、8割という高乗車率で発車した。客層はざっと見た限り、土曜ならではの行楽客が多そうだ。多分平日はずっと空いているのではないだろうか。

 早速単線となり、最初の停車駅は、駅名標と印刷の時刻表では、ジェイムズ・クックとだけあるが、車内の自動アナウンスでは、ジェイムズ・クック・ユニヴァーシティー・ホスピタル(James Cook University Hospital)とある。改称されたのか、今はこちらが正式名らしい。ここでも数名乗ってくる。ジェイムズ・クックは、18世紀の探検家、海図制作者で、キャプテン・クックとしてより知られている著名人で、ミドルスブラ近郊の生まれである。彼に関する博物館も、生家のある村とウィットビーの二ヶ所にあるそうだ。

 駅ごとに乗る人がいて、さらに混んできて、4つ目のナンソープ(Nunthorpe)に着く。ここまでは本数が多い近郊区間で、ここから先が平日5往復区間である。よってここでも乗車が多く、ついに完全満席になり、若干の立ち客も出た。

 まだ近郊区間らしい風情のジプシー・レーン駅  ここから本数が激減するナンソープ駅

 ナンソープまでも田舎の景色は結構あったが、やはりその先は変わった。つまり、純農村地帯に入り、車窓からは都会的、近代的なものがほぼ消えた。牛や羊も現れて、まさに絵に描いたようなイングランドの農村風景が展開する。地図で見ても、この沿線は国道とも離れ、大きな集落もない。その分、鉄道の他に公共交通機関が乏しい所なのだろう、次のグレート・エイトン(Great Ayton)という昔ながらのひなびた駅でも、数名の乗降客があった。

 ナンソープを出ると純農村地帯になる  スイッチバック駅だが何も無く寂しいバターズビー

 バタースビー(Battersby)はスイッチバックである。近づくと左から単線の線路が寄り添ってきて、ほどなく何もない所にある島式ホーム一面の駅に着く。ここは乗降客もいない。運転手と車掌がホーム上をキャリーバックを転がしながら入れ替わっている。それにしても、何故こんな所がスイッチバックなのだろう。車窓から見る限り、さしたる勾配でもなく、バターズビー駅を廃止か移設して、スイッチバックしないように線路を敷き直すことは容易に思われる。

 バターズビーを出ると通ってきた線路が離れていく  沿線は羊がパラパラと見られる

 次のキルデール(Kildale)で10人以上が下車。皆、軽装ながらハイキング姿だ。天気もいいし、土曜の軽い健康的ウォーキングに手頃なところなのだろう。その先も駅によって乗降ゼロだったり、下車が多かったりするが、乗車は少なく、段々空いてきた。町らしい町のない所だから、多くの人がウィットビーまでかと思ったが、そうではなかった。実際、ミドルスブラやそれ以遠の主な町からウィットビーへは、鉄道ルートより少し海沿いの国道を行くバスの方が本数も多く、所要時間も短い。だからこそ、取り残された鉄道は、細々と山の中の村を結ぶ形で残っているのだろう。旅行者としては、国道を突っ走るバスより何倍も楽しめるいい路線である。多くの駅に、立派な石造りの古い駅舎が残っているのもいい。

 山中のダンビーは利用者が割と多い  味のある駅名入りベンチのあるリールホルム

 ダンビー(Danby)という駅も、車内から見る限りはパラパラと人家があるだけの山村だったが、ここで10名以上乗ってきた。このあたりから、買い物その他の用事はミドルスブラよりウィットビーが近くなるからかもしれない。乗っているだけではわからないが、地図によれば、路線はこのあたりからエスク川の本流に沿って下っていく。


 グレイスデール(Glaisdale)は時刻表では3分停車。といって交換待ちがあるわけでもないし、そもそも少し遅れているので、車内にいたが、運転手がホームにある業務用電話で何やら通信している。なかなか発車しそうもないので、ちょこっとホームに出てみた。風情のあるいい駅であった。特に問題があったわけではなさそうで、発車したが、この時点で時刻表より9分遅れていた。

 いい雰囲気のグレイスデール駅  ラスワープ駅からのエスク川

 グロスモント(Grosmont)は、SL観光鉄道の乗換駅である。普通鉄道としての機能はなく、SL観光列車だけの路線ながら、結構本格的で、ここから南へ29キロもの路線を有している。1965年までは普通鉄道で、廃止後8年にして、その大半が保存鉄道としてよみがえり、以後今日まで40年以上続いているという。運転日も、夏の7ヶ月は毎日である。しかし当列車からここで降りて乗り換えると思われる客は数えるほどで、こんなのでやっていけるのだろうかと心配になる。

 終点の一つ手前、ラスワープ(Ruswarp)までくると、エスク川の幅がだいぶ広くなるが、まだ山峡の村という風情が濃い。河口まで直線距離では3キロしかないが、知らない人に、まだ海は遠いと言えば、そう信じてしまうような、平野や河口部とはほど遠い風景である。


ウィットビー Whitby


 最後の一駅間は、沿線も徐々に家が増えて、町へ向かう風情となった。教会の尖塔が現れると、構内がやや広くなり、終着ウィットビーには7分遅れの11時58分に着いた。2輌の気動車から大勢の客が吐き出され、駅は活気づく。

 終着ウィットビーに到着  ウィットビー駅舎

 隣のホームには蒸気機関車が止まっていた。さきほどグロスモントで見た保存鉄道は、れっきとした営業路線であるブリティッシュ・レールに堂々と乗り入れて、ここウィットビーで発着しているのであった。どうりでグロスモントでの下車客が少なかったわけで、多くの人はここウィットビーから乗るようである。それにしても英国というのは、廃線を使った保存観光鉄道が実に多い。逆に言うと、日本は山口線にしても大井川鉄道にしても、走っているのはほぼ一般の営業路線である。保存鉄道だけのために線路を維持するだけの資金があり、それを出す人が、そして乗りに来る人がいるわけで、大したものだと思う。


 ウィットビーは、人口1万3千に過ぎない小さな町で、主な産業は漁業、鉱業と観光だそうだ。7世紀に修道院が開かれて以来の歴史の長い町で、その修道院廃墟を始め、観光名所も多く、人気の高い町らしい。

 駅前は、明るく活気があった。駅前からエスク川最下流が湾となって海へと続いており、湾沿いの道を歩いていけば、色々なものがある。夏の終わりの好天の土曜日だからだろうが、観光客が多い。列車も混んではいたが、恐らくその何十倍もの人が車やバスでやってきているのだろう。こういう町にこういう日に来ると、冬の閑散期の平日あたりはどんなだろうというのがついつい気になる。

 ウィットビーの構内に掲げてあった古い鉄道地図  なかなか活気ある土曜のウィットビー駅前

 駅構内には古い地図が掲げてあった。ダーリントンなども含む広域の細かな鉄道網が記載された鉄道路線図である。見る限り、相当に鉄道の密度が高い地域であることがわかる。今も人口の割にはそこそこの鉄道網があると感じられるが、これでもだいぶ整理されたのだろう。

 ウィットビーのエスク川河口付近

 私は1時間ほど町を歩き回った後、バスで南東のスカーブラ(Scarborough)へと抜けてみた。所要は約1時間で、バスは日中30分毎に走っている。イギリスは、スコットランド西部など例外はあるが、大半の地域で海岸線の地形はそれほど複雑ではないし、海沿いに点々と都市がある。にもかかわらず、海沿いを行く長い路線がなく、海沿いの鉄道が途絶えている所が結構多い。改めて、日本の山陰本線は偉大だと気づかされる。ウィットビーとスカーブラの間もそうで、もちろんこの間に大きな町はないものの、バスが30分毎に走っているぐらいの交通需要はあるわけだし、鉄道があってもおかしくない気がする。今さら建設することはありえないが、世界最古の鉄道を走らせたぐらいの国だから、その昔にできていても良さそうに思える。しかしウィットビーは昔も今も盲腸線の終着駅で、スカーブラも2路線あるものの、そこで線路が途絶えている。だからその間をバスでたどってみた次第である。スカーブラはウィットビーの何倍も大きな町で、ノース・ヨークシャー沿岸部を代表する都市である。ウィットビーも広域的にはスカーブラと同じバラ(日本の郡と県の中間ぐらいのイメージの自治体の単位)に属している。そのスカーブラも北のリゾート地としてそれなりに有名らしいが、ウィットビーに比べれば明らかに都会で、商店街には、ウィットビーには無かったような、全国チェーンの小売店などが沢山見られた。期待したバスからの車窓も、海は僅かしか見えず、乗ってきた鉄道に比べれば、さして魅力的な風景は見られなかった。やはり国道沿いは、田舎でも風景が現代化してしまうようだ。



欧州ローカル列車の旅:ダーリントン〜ウィットビー *完* 訪問日:2019年9月14日(土)


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