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ブレシア〜エドロ 目次


目次 ブレシア Brescia
ブレシア〜ピゾーニェ Brescia - Pisogne
ピゾーニェ〜エドロ Pisogne - Edolo
エドロ Edolo

ブレシア Brescia


 イタリア半島の南端に近い パオラ〜シバリのローカル線 に乗った翌日、今度はスイス国境に近い、北イタリアのローカル線に乗ることにした。九州の翌日が北海道、みたいな対比の贅沢さがある、というのは単なる自己満足だろうか。それでも自然地理的にも社会的にも大きな違いのあるこの国の南と北を続けて体験することで、イタリアの多様性を感じ取れるのではないか。そんな意識もないわけではなかったが、実際のところは、短い休暇を利用して夜行列車も活用しながらあちこち乗り回すスケジュールを組んだ一つの結果である。

 その対象として選んだのは、ミラノ(Milano)とヴェローナ(Verona)の間にあるブレシア(Brescia)という街から、北へ長く伸びる盲腸線である。トーマス・クックの鉄道路線図を見ると、ブレシアから真北へ、かなり長い路線がひょろひょろと伸びているので、前から気になっていた。その大半に景勝路線を示す黄緑がついているし、湖畔を走るところもある。そして終点のエドロ(Edolo)は、スイス国境に近い行き止まりの終着駅なので、きっと山に囲まれた風情ある所に違いない。路線図で見つけるまで聞いたこともない名前だったので、鄙びた穴場ではという期待も持てる。

 イタリア国鉄のブレシア駅舎  ブレシアの駅前風景

 その起点となるブレシアは、ミラノをかかえるロンバルディア州に属する、ブレシア県の県庁所在地で、人口19万人はイタリア弟17位、ロンバルディア州ではミラノに次ぐ第2位となる主要都市である。工業や金融が盛んで、イタリア経済を支える大事な都市の一つらしいが、観光面ではあまり脚光を浴びない街である。立地上当然ながら、イタリア第2の大都市、ミラノとの結びつきが強い。

 ブレシア駅ホーム  イタリア国鉄の旧型気動車

 イタリア国鉄のブレシア駅は、高速列車も停まる活気ある駅である。高速新線は通っておらず、在来線を利用したFBと略される追加料金の必要な特急が概ね1時間に1本あり、もちろんその他のローカル列車もある。FBはミラノ・チェントラーレからここまでノンストップで、その後いくつかの駅に停まってヴェネツィアまで行く。ミラノまで46分であるから、利便性が高く、利用者も多い。

  ブレシアの駅舎内にある発車案内掲示

 エドロへのローカル線は、かつてはイタリア国鉄の運営だったようだが、今は民営化され、トレノルド(Trenord) というミラノ地区のローカル事業者による運行となっている。駅構内のあちこちに貼られているポスター型の発車時刻表は、国鉄限定らしく、掲載されていない。しかし駅舎内の発車案内の電光掲示板にはきちんと出ていた。民営鉄道なので、イタリア国鉄が対象の乗り放題の切符は通用しない。

 トレノルドの乗り場は国鉄ホームとは別とのことなので、確認を兼ねて早めに見に行ってみた。しかし駅自体が別なのではなく、1番ホームの西側に切り欠き式の専用ホームが2つあった。その手前にトレノルドの事務所と小さな待合室があり、中に切符売り場もあった。何となく日本の地方にあるJR駅と第三セクター鉄道の関係に似ている。発車まで30分以上あるが、既に3輌連接の新しい気動車がホームに入っていた。

 乗車するのはブレシア11時07分発のエドロ行き。全線を走る列車は2時間に1本の運転で、基本的に小駅通過の快速運転である。終点まで103キロを、ちょうど2時間かけて走る。途中停車駅が11駅に対して通過駅は18駅、表定速度は51.5キロである。

 事前に地図と時刻表を調べた限り、全線を四等分すると、それぞれごとに区間の特徴が異なるように思えた。最初はブレシアからイゼオ(Iseo)までの平野部で、どちらかと言うと都市近郊区間である。エドロ行きの快速列車はこの区間はノンストップで一気に走る。二番目がイゼオからピゾーニェ(Pisogne)で、イタリアで6番目に大きな湖、イゼオ湖に沿って走る、景色のいい区間だ。第三の区間が、ピゾーニェからブレノ(Breno)までで、ここはイゼオ湖へと流れ落ちるオーリオ(Oglio)川に沿い段々と山間部に分け入っていく。そして最後のブレノから終着エドロまでは、列車本数も減り、山が迫ってきて、奥地を実感できそうな区間である。

 まだ時間があるのでブレシアの駅周辺を一回りして、10分前に戻ってきた。しかし相変わらず閑散としていて、客は少ないようである。今日はクリスマス前最後の日曜日。カトリックの人達が観光に行くような日ではなく、いかにも乗客が少なそうな日と時間帯である。これが夏の日曜なら、日帰り観光客などで賑わっているに違いない。

 発車の少し前に、隣のホームにこれと同じ色のトレノードの列車が入ってきた。時刻表によれば11時03分着のブレノからの各駅停車である。そこそこの客が乗っていた。沿線住民が都市へ出かける時間帯である。

 ブレシアで発車を待つエドロ行きART220型気動車  ブレノ発各駅停車ATR115型気動車

 色やデザインが一緒ということもあり、一見した感じは同じ車輌だが、これから乗るエドロ行きは、ART220という形式で、それに対してあちらに入ってきたのはART115と、異なる形式である。これは後で調べたのだが、何故か番号の若いART115の方が2011年の新車で、2輌連接の旅客車の間に機械室があるタイプだ。ART220の方は、2007年から製造されている3輌連接車である。どちらにしても、民営化してイメージアップを図ったのか、国鉄旧型車のイメージを一掃したモダンな車輌群である。



ブレシア〜ピゾーニェ Brescia - Pisogne


  発車直前に駆け込んでくるような客もいないようで、列車は定刻にガラガラで出発した。もっとも私は先頭車に乗ったからであって、駅本屋に近い後ろにはある程度の客がいるようである。

 国鉄の路線とはすぐにあっさりと分かれ、最初はブレシアの雑然とした街を行く。住宅、工場、倉庫などが混在しているが、そんなに大きな街ではないし、空き地も沢山ある。そしてすぐに郊外の農村風景になった。

 小さい駅をいくつも通過しながら淡々と快走し、最初の停車駅イゼオに着く。ここまでは平凡な車窓であった。この列車はノンストップで、途中の駅を通過してきたが、ブレシア〜イゼオ間は各駅停車が概ね1時間に1本走っている。朝の上りと夕方の下りに追加の列車もあることから、通勤通学需要のある、いくぶん都市型の区間であると察せられるし、車窓風景もそれを裏付けるものであった。

 しかし、乗車時には気づかなかったのだが、この通過区間の途中駅からは、短い支線が出ているのであった。ボルナト・カリノ(Bornato Calino)という駅からロヴァト・ボルゴ(Rovato Borgo)まで、3駅6キロ9分の線である。トーマス・クックの鉄道路線図にも出ていないので、こんな路線があるとは予想もしなかったのだが、帰ってから調べると、2010年6月に開通したばかりなのであった。開通と言っても復活で、1911年から1975年まで運行されて、その後廃線状態になっていた路線を一部区間だけ再開業したらしい。朝夕は1時間に1本の運転で本線列車に接続しているが、昼間は4時間も空く時間帯がある。イゼオ・エドロ方面からミラノ方面へ、ブレシアを通らず短絡線の役割を果たしうる連絡線だが、今のところ、ブレシアでミラノまでノンストップの特急に乗り継ぐ方がミラノへ早く着ける。

 イゼオ駅の側線に留置中の機関車  観光列車っぽい客車列車

 イゼオは、町名と同名のイゼオ湖の南岸にある小さな町である。駅周辺はこざっぱりした印象で、ちょっと観光地らしさも感じられるが、時期が時期だけに、観光客らしき人は見られない。駅としてもこの路線の一つの中核駅のようで、構内には引込み線もあり、古い電車や機関車などが停留している。オレンジ色の客車も留置されている。これは結構綺麗なので、廃車ではなさそうだ。もしかすると夏に観光列車などに使われるのかもしれない。

 イゼオを出るとほどなく左側に、待望のイゼオ湖が現れる。ここからピゾーニュまでの22キロが、この湖をたっぷりと眺めさせてくれる絶景区間となる。

 イゼオを出ると左手車窓にイゼオ湖が開ける  明るいオレンジ色の駅舎があるスルツァノ

 この間は約半数の駅に停車する。通過駅へは、日中は概ね2時間に1本の普通列車がブレノまで運転されている。どの駅も、降りればすぐに湖岸に出られる所にあり、気ままにぶらりと途中下車という旅も良さそうな所だ。

 スルツァノから見るモンテ・イゾラ  遠く雪山の見えるサレ・マラジノ付近

 スルツァノ(Sulzano)の手前あたりから、湖に浮かぶ島、モンテ・イゾラ(Monte Isola)が見えてくる。面積が約4.5平方キロメートルの小島だが、1,800人もの人口があるという。ここスルツァノの他、いくつかの地点からフェリーで渡れるそうだ。湖に浮かぶ有人島というのは、世界的にもそんなに多くないらしく、日本だと琵琶湖の沖島ぐらいしかない。モンテ・イゾラは面積も人口も沖島の3倍ぐらいある。ちなみに、日本の島との面積比較で言うと、無人島も含めれば、北海道の屈斜路湖に浮かぶ日本最大の湖中島である中島が、ここよりやや大きい。

 サレ・マラジノ(Sale-Marasino)でモンテ・イゾラの眺めも終わり、湖の北半分に沿って列車は順調に北上する。停車する各駅で少しずつ客を降ろして、ますます空いてきた。暖房の効いた車内は長閑でけだるい。湖畔の小集落マロネ・ゾーネ(Marone-Zone)でも、軽装のおばさんが降りていった。

 マロネ・ゾーネ付近のイゼオ湖  マロネ・ゾーネを出ると先頭車はガラガラに

 マロネ・ゾーネから先は沿岸の人家も減り、湖にへばりつくように道路と線路が走る区間となる。短いトンネルもいくつかあった。そんな湖を堪能できる車窓風景も、ピゾーニェの駅の直前で終わる。



ピゾーニェ〜エドロ Pisogne - Edolo


 イゼオ湖の北東端にあたるピゾーニェは、距離的にも時間的にも全線のほぼ中間地点に当たる。ここも若干の下車客があったが、乗ってくる人もいた。

 駅自体は普通の途中駅の一つであるが、引込み線もある、構内のやや広い駅であった。ちょっとした拠点駅と言ってよいかもしれない。1日1本だけだが、この駅始発と終着の列車も設定されている。ここではブレノ発の上り各駅停車と交換する。さっきブレシアで見た列車の2時間後の列車である。

 ここから先、終着エドロまで、線路はオーリオ川の谷を北へ向けて遡っていく。

 オーリオ川は、全長280キロの、ポー川の支流の一つである。スイス国境に近いアルプスの山中を源とし、エドロからイゼオまで、ほぼこの路線に沿って流れ下っている。イゼオ湖から下流は一転して肥沃な平野部になり、ブレシアを避けて回り込むようにぐるりと回って、ブレシア南東のマントヴァ(Mantove)付近でポー川に合流する。そのポー川は最後、アドリア海に注いでいる。

 オーリオ川の中〜上流部はカモニカ渓谷(Val Camonica)として知られている。この山中には、古代ローマ時代からの岩に刻まれた数々の絵が残されており、世界遺産に指定されている。この鉄道は、それらを見学する観光客にも多く利用されているという。というよりも、この鉄道を利用する観光客は、鉄道ファンを除けば、イゼオ湖沿岸かカモニカ渓谷を目的地とする人が大半だろう。そういった観光需要と、車社会が進んだ中での細々ながらの地元の足、それがこの鉄道の主たる機能かと思われる。

 数分停車したピゾーニェ駅  ダルフォ・コルナ駅はピゾーニェと良く似た駅舎

 ピゾーニェを出れば山深くなるのかと思うと、そうでもなかった。思ったより平地が開けており、人家も多いし、倉庫や工場などがいくつも現れる。各駅の乗降客も数名ではあるが、きちんとあって、湖岸の駅よりもむしろ利用されているような気がした。湖岸は景観維持のため工場などが作れず、その分、このあたりに産業の立地が見られるのかもしれない。ダルフォ・コルナ(Darfo-Corna)と次のボアリオ・テルメ(Boario Terme)は、駅間距離も短く、同じ村の中にある2駅という感じであったが、どちらも数名ずつの下車客があった。

 地元の利用者が多いボアリオ・テルメ  ボアリオ・テルメ駅前

 ボアリオ・テルメからしばらくも、そんな開けた谷間を走り、小さな駅をいくつか通過する。次の停車駅はブレノである。


 ブレノでエドロからの上り列車と交換することは、調べてきてわかっている。上り列車はまだ入っていないので、ホームに立った車掌さんに、降りてもいいかと断って降りる。何しろホームがすごく狭い。東欧にはこの手の狭いホームが多いが、イタリアのこのあたりにも時々存在する。こういう駅では乗客は本屋の広いホームなどで列車を待って、列車が入ってきてから線路を渡って狭いホームから列車に乗る、というルールになっていることが多い。しかし、いかにもイタリア人らしい中年の明るいこの車掌さんは、気さくにOKしてくれた。

 ブレノ駅に入ってくるエドロ発ブレシア行き  狭いホームの両側に上下列車が並ぶ

 少し遅れて、エドロ方面から列車が入ってきた。狭いホームの両側に列車が並ぶので、これでは危なすぎるのではと思うが、上り列車は線路の両側にホームがあって、こちら側のドアは開かない。車掌さんがまだホームに立って悠然としているので、こちらもそんな様子を写真に収める。

 ブレノからの最終区間は、1駅ごとに綺麗に停車駅と通過駅が繰り返される。ブレノ以南は快速列車の通過駅にもブレノまでの区間列車があり、2時間に1本は停車列車がある。しかしブレノから先は、日中はこの2時間に1本の快速列車のみとなる。通過となる4つの駅への停車列車はどうなっているかと時刻表で調べると、下りは朝と晩に1本ずつ、ブレシア発エドロ行きの各駅停車がある。しかし上りは朝に、エドロ発ブレノ行きのバスが1本あるだけで、列車としては1本も停車しない。バスではあるが、列車の時刻表に、バスによる運転として記載されている。よってこれらは列車での乗降は非常に困難な駅で、果たしてどれほどの利用者がいるのだろうかと思う。

 カポ・ディ・ポンテ駅のホーム  カポ・ディ・ポンテ駅からの眺め

 ブレノの次の停車駅は、カポ・ディ・ポンテ(Capo di Ponte)。ここはカモニカ渓谷の世界遺産壁画見物の下車駅として知られている。世界遺産巡りは日本人には特に人気があるから、インターネットで検索すれば、この駅で降りて遺跡見学に行ったという旅行記がいくつもヒットする。私もいずれ行ってみたいが、今日はひたすら鉄道旅行に終始する。

 チェデゴロ駅で時計を見る車掌さん  最後の途中駅マロンノで下車する人

 徐々に谷が深まり、さきほどまで見られなかった線路際にも雪が見られるようになった。しかし人家も稀な険しい山峡ではなく、道路も並行しているし、人家もパラパラと見られる。通過する駅のあたりも、人家もないような寂しい所とは言えない。車社会になって、鉄道を日常的に利用する人がほとんどいなくなってしまったのだろう。それでもチェデゴロ(Cedegolo)、マロンノ(Malonno)と、停車する各駅では、一人二人の利用者がしっかりと存在した。


エドロ Edolo


 エドロは山峡に開けた小ぢんまりとした終着駅であった。下車した客は10名はいなかったと思う。他の途中駅と同じような駅舎があり、駅員もしっかりいた。駅を出ると、左側にはバス乗り場がある。駅の裏手がバスの車庫らしく、バスが沢山停まっていたので、この駅は列車とバスとの結節点になっているようだが、どの路線も本数は少ないようであった。タクシーはいなかった。

 駅前も、雑貨屋とバーがあるぐらいで、町という感じはしない。歩いて一回りしてみたが、駅前以外のどこかに村の中心と言えるような広場とか商店が集まった場所があるわけでもなかった。それでも住んでいる人はそれなりにいるようだ。ざっと歩き回った限りだが、廃墟らしき家も見当たらず、人がしっかり住んでいる家、それも大きな立派な家が多かった。平和そうな山峡の村という印象で、過疎化が進行しているようにも見えない。店もないが、立派な校舎を持つ学校があったから、地域のコミュニティーはしっかり成り立っているのだろう。しかしこの村の人は買い物はどうしているのだろう。こういう所でも今の時代だから、車で数分の郊外に意外と大きなショッピングセンターぐらいあるのかもしれないが。

 エドロは静かな村だが立派な家が多い  特に見所はないが気持ちの良い村だった

 鉄道はここまで、という地形にも納得がいく。地図で見ると、ここより奥地のオーリオ川上流の渓谷沿いに、いくつもの小さな集落があるようだ。そして道路は国境を越えてスイスへと通じている。他方で川沿いルートではないが、西へ行けば、15キロ弱の距離に、スイス国境の町ティラノ(Tirano)がある。ティラノへはミラノとスイス側から鉄道路線が通じている。今ならエドロから長いトンネルを掘って鉄道を先へ延ばすぐらい、技術的には容易だろう。しかしこの鉄道がエドロまで開通したのが1909年なので、その時代の技術では、ここまでが限界だったに違いない。車社会になる以前のこの終着駅は、きっと賑わっていたことであろう。そして今の時代、これからどこか先へと鉄道を延伸するほどの交通需要はないのも一目瞭然である。よってこの鄙びた山峡の静かな駅は、これからも末永く終着駅として存在し続けるに違いない。

 北国の終着駅情緒たっぷりのエドロ駅前通り  駅舎内の風情ある切符売場

 現在、この路線のエドロまでの列車は綺麗に2時間の運転間隔で、ブレノが交換駅である関係で、エドロでの折り返し停車時間が47分ある。洋の東西を問わず、ローカル盲腸線には、終着駅に着くとすぐ折り返してしまうケースも多いが、ここでは散歩するのに長すぎず短すぎずの時間が取れる。鉄道旅行も大好きだけれど、ただ乗り潰すだけの旅はしたくない、という方も多いであろう。その点、この線なら、エドロまで全線乗って景色を楽しんだ後、帰途に途中下車して世界遺産の岩絵を見に行ったり、イゼオ湖畔でくつろいだりという色々な選択肢が取れる。なかなか魅力的な、長大盲腸ローカル線だなと感じた次第である。私もまた季節を変えてゆっくり再訪してみたい。



欧州ローカル列車の旅:ブレシア〜エドロ *完* 訪問日:2012年12月23日(日)


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