欧州ローカル列車の旅 > 2022年 > イタリア・スロヴェニア > トリエステ~イェセニツェ (1)
目次 | (1) | トリエステ Trieste |
トリエステ~ゴリツィア Trieste - Gorizia | ||
ゴリツィア/ノヴァ・ゴリツァ Gorizia / Nova Gorica | ||
(2) | ノヴァ・ゴリツァ~グラホヴォ Nova Gorica - Grahovo | |
グラホヴォ~イェセニツェ Grahovo - Jesenice |
土曜の晩、イタリア北東の国境都市トリエステ(Trieste)に着いて、駅付近のホテルにチェックイン。この都市は、昔歩き回ったことがあるが、海と山に挟まれた情緒豊かな街で、また来たいと思っていた。国境都市かつ海浜都市ゆえ、古くから文化の接点であり、食文化も豊富らしい。意外な点では、一人当たりコーヒーの消費量がイタリア平均の倍近いそうで、おいしいコーヒーが飲めるカフェも多いという。しかし今回は、ここでゆっくり過ごす時間を取らない。今日は素通りでいいから次回ゆっくり来よう、と思った理由がある。それはトラムである。
トリエステから、丘の上にある隣町、オピチナ(Opicina)まで、5.2キロほどの単線のトラム路線がある。オピチナへは普通鉄道も通じているが、ぐるりと回って勾配を稼ぐため、列車だとトリエステから29キロほどあり、25~30分もかかる。そのため運行本数も極端に少ない。旅客列車が全く走らなかった時期もある。その両都市を最短距離で結ぶのが、1902年開業の古典的なケーブルカー式トラムで、途中、トリエステ側の急勾配区間はラック式のケーブルカーを連結して走る。しかし2016年に衝突事故を起こして以来、運休している。それが遅れに遅れながら、2023年の春か夏までには復旧するらしい。最近、市内区間で試運転されたニュースが報道されていた。これに是非乗りたい。そのためにトリエステは再度訪れたいのである。なお、オピチナは、ヴィラ・オピチナ(Villa Opicina)とも呼ばれ、駅名は普通鉄道もトラムの終点もいずれも、ヴィラ・オピチナである。
トリエステの町の中心にトラムの線路 | 線路は車の駐車スペースになっている |
トリエステ中央駅(Trieste Centrale)から徒歩5分程度の町の中心の広場が、そのトラムの起点である。行ってみれば確かに線路があった。出るとさっそく道路に沿って勾配を登っていくのだが、そのあたりの線路上には車がずらりと駐車していた。こうなると廃線跡に見えるが、来年こそはトラムが約7年ぶりの復活を果たす筈である。
トリエステは、山と国境が迫った地形ゆえに、鉄道路線網とその変遷がかなり複雑である。もしトリエステとオピチナが、普通鉄道でまっすぐ5~6キロ程度で結べるならば、もっとシンプルな路線網と運行形態だっただろうと思われる。
今回はここトリエステから、スロヴェニアの首都、リュブリャーナ(Ljubljana)まで行く。現在、両駅間を走る乗り換えなしの直通列車が1日3往復あり、3時間弱で走る。それはまさにそのオピチナを通る。トリエステの次にヴィラ・オピチナに停まり、その先で国境を越えてスロヴェニアに入り、あとはスロヴェニア国内を2時間以上走ってリュブリャーナに至る。十分にローカル線であるが、ほぼ全線乗ったことがあるし、まっすぐ早く着きすぎてしまうので、どこか違う寄り道ルートを探したい。
ドイツ国鉄のサイトは、欧州全般の列車時刻検索に最も役に立つものの一つである。ドイツに全く行かない時でも、例えばイタリア国内の移動でも、イタリア国鉄のサイトで調べるより使い勝手が良い場合もある。それでもどのサイトも完璧ではない。ドイツ国鉄のサイトは、二点間の最速列車のみ表示されるので、途中で特急に追い越される普通列車などが検索結果から漏れてしまう。日本に当てはめて例えれば、東京から名古屋という検索だと、こだま号や、のぞみ号の通過待ちがあるひかり号が出てこない。ローカル列車好きとしては、ここはかなり難点である。しかし逆に、列車本数の少ない区間で検索すると、想像もしなかった迂回ルートが出てくることがある。こんな大回りルートで旅行する人などいないだろう、と思える所でも、それが最速、つまりその後の列車より1分でも目的地に早く着くルートであれば、機械的に出てくるのである。
トリエステ発リュブリャーナ着で、ドイツ国鉄のサイトで検索をかける。すると、直通列車の間に、乗り換えを2度ぐらい要するルートでの結果がいくつか出てくる。直通列車はトリエステ発が、朝は9時03分発、昼は12時52分発なのだが、その間に、トリエステ9時28分発、リュブリャーナ14時31分着という選択肢が出てくる。どこを通ってどこで乗り換えるのか、さらにクリックして見ていくと、途中はバスまたはタクシー連絡と出てくる。そこは国境を越えるところで、イタリア側はゴリツィア(Gorizia)、スロヴェニア側はノヴァ・ゴリツァ(Nova Gorica)という、国境を挟んだツイン・タウンなのである。国境の両側それぞれに全く別の国内路線の駅があり、グーグル・マップによれば、徒歩での距離は3.5キロ。乗り換え時間、つまりイタリア側の駅に着いてから、スロヴェニア側の駅を発車するまで、1時間01分ある。
イタリア国鉄とスロヴェニア国鉄の両方のサイトを駆使して調べたとしても、このルートは出てこないし、地図や路線図だけ眺めていても、こんな行き方があるとは気づかなかったかもしれない。3.5キロは同じ所を毎日歩くのはしんどい距離だが、初めての町ならば、雨でもない限り、楽しみながら気持ち良く歩ける。時間的には、お茶を飲むほどの余裕はないが、写真を撮りながら速足で歩けば、若干の余裕は持てそうである。バスもあるらしいから、悪天候ならバスに乗ればいいだろう。よし、このルートにしてみよう、と決めた。
日曜朝のトリエステ中央駅は閑散としていた。ピリリと寒いが、青空が広がっていて、絶好の徒歩日和である。だだっ広い構内もガランとしていたが、駅構内のコンビニは営業しており、出発前の買い物をしている感じの客がパラパラといた。
ドイツ国鉄のサイトでこのルートが出たからといって、窓口で直通の切符が買えるとは思えないので、自動券売機でトリエステからゴリツィアまでの切符を買う。イタリアの券売機は3ヶ月前にアオスタ線で何度か操作した記憶が残っていたので、簡単であった。運賃は通常5ユーロだが、週末割引で4ユーロというのがあるらしい。割引運賃は何か利用制限があるかもしれないので、5ユーロの方を押してもそこで止まってしまい、前に進めなかった。また、購入時には列車を指定しなければならなかったが、出て来た切符は列車指定なしで、当日ならどの列車でも乗れる切符であった。前回も同じ経験があるが、どういう場合に列車指定をされた切符が出てくるのかの規則がわからない。ゴリツィアまでは50キロなので、JR本州3社幹線なら860円のところ、こちらは日本のカードで買ったら592円で決済されていた。但し小田急なら550円区間なので、激安というほどではない。しかも平日だと1.25倍である。
乗るのは9時28分発タルヴィジオ・ボスコヴェルデ(Tarvisio Boscoverde)行き。向かって右側の7番線に、白い新型電車5輌編成で停車して客を待っていた。一つ隣のホームには、客車列車のヴェネツィア・サンタ・ルチア(Venezia Santa Lucia)行きが停まっており、そちらの方が客が多いようである。タルヴィジオはイタリア北東端の国境の町で、オーストリアとスロヴェニアとの三国国境に近い山峡にあり、冬はスキーで賑わう所だそうだ。線路はその先、オーストリアのフィラッハ(Villach)へつながっており、数は少ないが国境を超える列車もある。
立派な構えのトリエステ中央駅 | 駅付近の風景 |
列車も空いていた。出入口に近い最後尾車輌こそパラパラと人が乗っていたが、前の方に行くと、1輌に数名で、好きな席が選べる。イタリアの鉄道は日本と同じ左側通行なので、習慣的に右側に座ったが、トリエステを出てしばらくは左側に海が見えることを思い出し、左側に座り直す。もっとも進行中の席の移動もこれだけ空いていれば問題ない。
7番線に停車中のタルヴィジオ行き電車 | 進行方向には山とトンネルが見える |
イタリアは時間に大雑把で列車がよく遅れるというのは、一昔前の話なのだろうか。3ヶ月前のアオスタの旅でも列車はどこもほぼ定刻だったし、今日も9時28分、時間ピッタリに静かに動き始めた。
列車はトリエステからモンファルコーネ(Monfalcone)までは、ヴェネツィア、ミラノ方面への幹線を行く。よってローカル線の旅の起点はモンファルコーネかもしれないが、この列車はモンファルコーネまでも各駅に停車してくれる。これまでトリエステを訪れた時は、記憶の限り、全て快速や特急で、この区間はノンストップの列車ばかりであった。遠方からトリエステを訪れる人の多くも同様であろう。
ヴェネツィア方面からトリエステへ向かうと、内陸の単調な景色が続くが、トリエステが近づくと海が見えてきて、カーヴが増え、列車はカーヴ独特のきしみ音をたてる。その感じが実に良い。海に山が迫ってきて、トリエステがどん詰まりの街らしいことが、体感で感じられるのである。例えると、岡山から単調な平地を走ってきた山陽本線が尾道に近づいた時の、あの感じ、と言えば、きっと分かる人は分かるだろう。
そこを今日は、トリエステ側から普通列車で眺めている。12月だが、青空が広がり、青い海が見える。
そうして最初に停まる駅、ミラマレ(Miramare)が、これまた良い。狭い相対ホームで、こちらホームからはるか下方に海が見える。反対側には古い大きな駅舎がある。天気のいい日にこんな駅にぶらりと気ままに途中下車して海まで歩いて行く旅なんぞ、最高に違いない。そして、トリエステへ出かける地元の人だろうか、若い女性が一人、駅舎の脇に腰かけて本を読んで列車を待っている。まさに一枚の絵であった。しかし、調べるとミラマレに停まる列車は2時間に1本ぐらいしかなく、次のトリエステ行きは10時22分で、まだ40分以上もある。もしかすると列車を待っているのではなく、陽だまりに読書をしに来ているのだろうか。
トリエステ付近は海の眺めが良い | 雰囲気ある最初の駅ミラマレ |
ミラマレの次の駅、ビヴィオ・ダウリシナ(Bivio d'Aurisina)の手前で、右に複線の線路が分岐していく。トリエステを出て15分も経っているが、これがこの場所から内陸へ入り、ぐるりと回ってヴィラ・オピチナを経てスロヴェニアへと続く線路である。ここは三角地帯で、続いてヴィラ・オピチナからモンファルコーネ方面へ直行するための、やはり複線の線路が合流してくる。いずれもレールはしっかり光っていて、使われていることがわかる。現在、トリエステを通らずに、スロヴェニアやヴィラ・オピチナ方面とモンファルコーネ方面を結ぶ定期旅客列車はないが、私は15年前に、ここを通っている。その当時は、リュブリャーナ発ヴェネツィア・サンタ・ルチア行きというEC特急が1日1本だけあり、それに乗ったのである。それはトリエステには寄らず、ヴィラ・オピチナの次の停車駅がモンファルコーネであった。それなりの乗車率だったのに、その後ほどなく列車は廃止され、一時はスロヴェニアとイタリアの直通列車が全くなくなっていた。
スロヴェニア方面への線路が分岐する | 続いてスロヴェニア方面からの線路が合流 |
合流点のビヴィオ・ダウリシナは、運転上の主要駅なのだろう、構内は広く、この時も貨物列車が停まっていた。しかし旅客列車は普通しか停まらず、利用者も少なそうな駅であった。
構内の広いビヴィオ・ダウリシナ駅 | 分岐駅のモンファルコーネも乗降客は僅か |
この区間はトリエステに近い側が一番いい。段々と海が遠くなり、海と線路の間に雑多なものが増えてきて、景色の魅力が薄れてくる。そして分岐駅のモンファルコーネに着く。そこそこ大きな主要駅だが、時間帯のせいか、乗降客は僅かであった。停車も僅か1分で、すぐに発車する。発車後しばらくはヴェネツィア方面の本線を走り、そのあたりで左手にモンファルコーネの市街地が良く見える。そしてがたがたとポイントを渡ると分岐して、本線と分かれ、右カーヴで支線に入る。
発車後左手に見えるモンファルコーネの街 | 支線に入っても駅は結構大きい |
支線といっても、この先にはウディネ(Udine)という大きな街があり、そこまでは輸送量も多い。線路も複線である。海から離れた分、景色もつまらなくなる。最初に停まった、ロンチ・レイ・レギオナリ・ノルド(Ronchi dei Legionari Nord)という長い名前の駅も、立派な駅舎を構えていた。
ゴリツィア・チェントラーレには定刻10時19分に着いた。ここも一応の主要駅であろうが、分岐駅でもないし、1分停車ですぐに発車していく。私以外に数名の乗降客があった。
乗ってきた列車がウディネ方向へ去るのを写し、列車がいなくなったホームも撮っているうちに、駅舎のある1番ホームに警官が立っていて、私の方を見ているのに気づく。といっても悪い事はしていないし、あちらも一応見ている程度ではあった。なるほど、駅舎に鉄道警察が入っているのである。日本でも駅に鉄道公安が併設している所はあるが、欧州でこれがあるのは大体、国境駅である。ゴリツィア自体はそんなに大きな駅ではなく、普通なら駅舎に警察が常駐するような所ではない。シェンゲン協定以前は、この駅に何らかの国境審査機能があったのだろうか。
乗ってきた列車が去ってゆく | 駅名標の右のドアが警察 |
写真を撮るなとも何とも言われていないが、どちらにしても十分撮ったし、時間も急くので、駅を出る。普通の中規模な町の駅前風景で、バスもタクシーもいない。天気もいいし、バスがあっても歩くつもりではいたのだが、本当に連絡バスが走っているのだろうか。というより、バスだろうがタクシーだろうが、果たしてここでスロヴェニアの鉄道に乗り換える人なんて、いるのだろうか。そんな雰囲気は全く感じられない。
ゴリツィア・チェントラーレ駅舎と駅前 | 中央駅付近は市街地と外れた住宅地 |
ここからスロヴェニア国境までは、ほぼ一直線に近い一本道で、約3キロある。ゴリツィアはさほど大きな街ではないが、地図で調べてきた限り、畑の中を歩くような所はなく、家並みがいつまでも続く。うち市街地も、その一本道に沿って1キロ近く、だらだらと続いている。ここが断然賑やかな中心、というポイントがなく、商店なども分散して点々と存在する。そんな事まで、行く前からグーグル・マップで分かってしまうのは、便利というより、行く楽しみ、発見の楽しみを奪われているような気もするが、とにかくその通りで、中央駅とは名乗るものの、駅付近は閑散とした場末で、たまに人が歩いている程度で、主に住宅地のようであった。
午後は賑わうであろう中心部 | 国境が近づくとまた閑散としてくる |
少し行くと小売店や飲食店が道の両側に現れる。日曜の朝だから、活気には乏しいが、それなりに人は歩いていて、地元のおじさんが集まって外でコーヒーを飲んでいたりもする。雰囲気は長閑そのもので、自分一人が速足でさっさと通り過ぎるのが不自然なぐらいである。一部は歩行者天国になっていて、飲食店のテーブルが道の真ん中近くまで並べられていた。午後から夕方は賑わうのであろう。
そんなに急がなくても間に合うのはわかっているが、国境の観察とか切符を買う時間のこともあるので、どうしても速足になる。そして市街地を抜けるとまた段々と閑散としてきて、中央駅側よりも素朴で小さな家の多い住宅地になった。そしてかつて国境審査があったであろう屋根つき施設が、その向こうに踏切が、見えてきた。
国境のイタリア側からスロヴェニア側を望む | 国境のスロヴェニア側からイタリア側を望む |
かつてはここで両国の出入国審査があったのだろうが、それにしては粗末な施設で、屋根の中に小さな小屋があるだけである。もちろん今は無人で、犬を連れた地元の人が通り抜けたりしている。それでも国境施設を残す必要があるのは、今回のコロナによるロックダウンのような非常事態を考えてなのであろう。私はゴリツィア・チェントラーレの駅舎を出てからこの国境の屋根の下まで、時に写真を撮るために立ち止まったりしながら、36分で歩いてきた。
国境のすぐ先に踏切がある | 踏切の右手を見ると短いトンネル |
国境の先はすぐ踏切である。言い換えると、スロヴェニアの鉄道は、このあたりで国境線ギリギリの所を通っている。その踏切に立てば、右手は小さなトンネルが見える。左手にはノヴァ・ゴリツァの駅と開放的な広い構内が見える。駅舎寄りのホームに古い車輌が、隣のホームに新しい車輌が停泊しており、貨車も滞留している。踏切から線路に沿って砂利道というか、鉄道用地の一部なのだろうが、一応道があって、地元の人が散歩していたりして、錆びた引き込み線に入っている人もいる。この路線がローカル線だからではあろうが、私は一瞬、先進国から途上国へ入国したような錯覚を覚えた。
私もその砂利道を通ってそのままホームに上がる。ホームには意外と人が多い。しかし多くの人は列車を待っているのではなく、駅舎併設のカフェの客のようであった。まずは切符を買おうと思い、駅舎に入ってみる。しかし窓口は閉まっている。ホームに車掌らしき人がいるので、聞いてみると、車内で売るとのことであった。改めて駅舎を出て駅前広場へ行けば、閑散ローカル線とは思えない立派な駅舎である。イタリアのゴリツィア中央駅よりずっと大きい。そして駅前広場のすぐ先に線路と並行する道路があって、その先はもうイタリアである。
ノヴァ・ゴリツァの立派な駅舎 | ホームにカフェがあり賑わっていた |
ゴリツィアとゴリツァは、似ているというよりも、同じ地名で、イタリア語がゴリツィア、スロヴェニア語がゴリツァなのである。そして、スロヴェニア側には「新しい」を意味するノヴァがついている。このあたりの事情も今回の旅行に当たり、少し調べたが、複雑な経緯があり、また過去に国境線争いも色々あったようである。ごく簡単に言えば、終戦後、1947年のパリ条約によって、イタリアとユーゴスラヴィアの国境が画定した。その際、結果的には市街地の多くがイタリア側に属してしまい、ユーゴスラヴィア側には町外れだった所しかなかった。そこに新しい町を築いたので「新しい」がついているということだ。2007年、スロヴェニアがシェンゲン協定に加盟して以来、国境の往来が自由になり、一体化は進んでいるとのことだが、それから15年、確かに往来こそ自由で、標識がなければどこが国境かもわからないぐらいにはなっている。しかし、ゴリツィアは依然としてイタリアの都市らしいし、ノヴァ・ゴリツァは依然として、スロヴェニアの地方都市の雰囲気が濃いように思われる。そして、鉄道とその駅を見る限りは、全く別の国の別の鉄道である。