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トリエステ~イェセニツェ 目次


目次 (1) トリエステ Trieste
トリエステ~ゴリツィア Trieste - Gorizia
ゴリツィア/ノヴァ・ゴリツァ Gorizia / Nova Gorica
(2) ノヴァ・ゴリツァ~グラホヴォ Nova Gorica - Grahovo
グラホヴォ~イェセニツェ Grahovo - Jesenice

ノヴァ・ゴリツァ~グラホヴォ Nova Gorica - Grahovo


 ノヴァ・ゴリツァ始発11時20分のイェセニツェ(Jesenice)行きは、一番線に停まっていた古びた2輌の気動車である。車体は落書きだらけで外見はひどいが、その割と中は綺麗であった。発車時間が近づくと、ホームやカフェにいた人が三々五々、乗り込むが、その数は少ない。鉄道を利用せずに駅のカフェに来ている人がはるかに多いようであった。

 ところでこの線は、ノヴァ・ゴリツァ以南もある。それはさきほどの踏切から見たトンネルの方角で、セジャーナ(Sežana)という所まで行っている。セジャーナは、この線の南の終点であると共に、トリエステとリュブリャーナを結ぶ路線の途中駅で、スロヴェニア側の国境駅になる。セジャーナから西へ行くと、すぐ国境で、越えた次の駅がヴィラ・オピチナである。

 セジャーナからノヴァ・ゴリツァまでの41キロの方が、平坦で人口も多そうな所を走るのに、この区間は本数が少なく、平日で3.5往復、土日はさらに減る。対してこれから乗るセジャーナからイェセニツェまで89キロの方が、人家も少ない山間部を行くのに、本数は平日で8往復、土日でも5.5往復ある。この11時20分発も、平日だとセジャーナが始発で全線を走る列車なのだが、土日はセジャーナ~ノヴァ・ゴリツァ間が運休で、ノヴァ・ゴリツァ始発なのである。これはきっと、平野部の方が他の交通機関にスピードその他で負けてしまい、対する山間部は道路事情が悪いなどの理由で、鉄道の存在意義が相対的に高いのであろう。

 そういう列車であるが、駅の賑わいに比して乗客は少なく、私が乗った2輌目の乗客は10人弱であろうか。ボックス席が余裕で取れて、通路の反対側ボックスにも客がいないので、これなら写真も撮りやすい。しかも旧型気動車なので、窓を大きく開けられるのが嬉しい。

 列車は見事に空いていた  町外れの小駅ソウカン

 発車してすぐ単線になり、とりとめのない町外れを走り出す。まだ景色は平凡だが、車輌が古いこともあり、本物のローカル線の旅に出てきたなあと感じる瞬間である。

 さっそく、さきほどホームにいた車掌が切符を売りに回ってきた。リュブリャーナと言うと、発券機を操作して出そうとするのだが、しばらくやっても駄目らしく、イェセニツェまで売るからそこで買い直して、というようなことを、スロヴェニア語混じりの英語で言う。数字はちゃんと英語なのだが、値段を聞いてびっくり、2.10ユーロ(約311円)。JRどころか、安い小田急でも、ここより若干距離が短い新宿~小田原で900円だから、その3分1といったところだ。あり得ない安さだと思って後で調べると、週末割引らしく、平日だと7ユーロ(約1,036円)だそうだ。それにしても大きな割引率に驚く。イタリアも週末割引があったが、2割引だった。常識的にはその程度だと思うが、スロヴェニア特有の事情があるのだろうか。それでも列車は空いている。

 ちょこっと走ると、ほどなく最初の停車駅、ソウカン(Solkan)に着き、男性が1名乗車する。平坦な景色はこの駅までで、ここを出るとほどなく、ソウカン橋梁を渡る。これまでの長閑な平地の風景が嘘のようで、この橋を境に風景が深山幽谷の趣になる。この橋は歴史的にも建築的にも重要で、並行する国道から眺められるちょっとした観光名所でもあるらしい。

 下を流れるのはソチャ川(Soča)で、線路はこの先、この川に沿って遡っていく。ソチャ川の下流側はすぐイタリアに入り、イゾンツォ川(Isonzo)と名前を変え、モンファルコーネの西でアドリア海へ注いでいる。川が国境になることは多いが、この川は全く国境にならず、イタリア・スロヴェニアの国境とも、それに並行するこの線路とも、ほぼ直角に交わっている。

 ソウカン橋梁でソチャ川を渡る  すっかり山峡に入ったプラーヴ駅

 そこからはずっと右手にソチャ川の谷を見ながら、山峡を快走する。対岸を国道が並行するが、両岸ともほとんど人家のない寂しい所である。次の駅にはなかなか着かず、鉄橋から8分でようやく次のプラーヴ(Plave)に着く。駅の前後に住宅が散在するが、小さな山峡集落であった。

 今度はパラパラと人家を見ながら、アンホヴォ(Anhovo)に近づくと、貨物駅が現れる。木材が積んであるので、その積み出しのためだろうか、旅客駅のアンホヴォは、その先で、駅舎前に駅員が立っている。アンホヴォはセメント工場で知られるらしいから、貨物駅はそれにも利用されているのかもしれない。

 プラーヴの町並み  アンホヴォ駅手前の貨物積み出し施設

 駅間距離が短くなり、続いてすぐカナル(Kanal)に停まる。石造りの立派な駅舎が印象的で、乗降客も数名あった。発車後の右手、ソチ川対岸に見えるカナルの集落は、一枚の絵であった。

 立派な石造りのカナル駅舎  カナルの町並み

 カナルを過ぎるとまた寂しくなり、渓流に沿ってなおも遡る。そして再びソチャ川を渡る。ソウカンあたりよりだいぶ川幅が狭いが、上流にはダムがあり、その先はダム湖になっている。この橋はアイバ橋といって、難工事の末、20世紀に初頭に完成したが、第一次大戦でも第二次大戦でも破壊され、今の橋は1954年に完成したそうだ。写真で見ると、確かに古さはないが、6連の美しいアーチ石橋であり、そういうことを知ると、鉄道に乗っていては見られないことがちょっと残念になってくる。

 アイバ橋から見るソチャ川  構内の広いモスト・ナ・ソチ

 左手にソチャ川を見ながら二駅目のモスト・ナ・ソチ(Most na Soči)に着く。標高が上がったせいか、雲が厚くなってきた。構内がやや広い駅で、その理由は、ここで自動車の積み下ろしをするかららしい。線路はここでソチャ川本流と分かれ、支流をさらに分水嶺に向かっていく。峠越え区間は道路事情が悪いらしく、そこだけ車を列車に載せて運ぶ、モトレールというサービスがある。といっても大々的な設備でもなさそうで、そうと知らずに通り過ぎれば気づかない、構内がやや広い程度の駅に過ぎない。乗客の方は、各駅とも下車が1~2名に対して、乗車の方がやや多く、ボックスの大半が埋まってきた。

 いよいよソチャ川支流に沿って分水嶺へ向かう区間になったが、予想外に開けた風景も見られる。しかしそれもつかの間、知らなくても源流に近い上流部であることがわかる眺めになり、細い渓流を何度となく鉄橋で渡っていく。

 ソチャ川支流沿いの明るい眺め  山峡の寂しいグラホヴォに到着

 列車の運転時刻は正確で、12時10分、グラホヴォ(Grahovo)に着いた。本列車唯一の長時間停車で、列車行き違いのため8分も停まる。山間の小集落のようで、実際、乗降客は下車1名だけであった。駅員もいないようである。こういう場合、煙草や気分転換のためにホームに降りる乗客は珍しくない。しかしここは誰も降りてこなかった。気にせず降りてみると、車掌が駅舎の前で煙草を吸っていた。駅から見る限り、山が迫った寂しい所であった。冬の空気が冷たい。

 待つこと6分、行き違うノヴァ・ゴリツァ行きが、新型車輌でやってきた。ノヴァ・ゴリツァのもう一つのホームに停泊していたのと同型の、窓が開かないタイプだ。きっと近い将来、全部あれに置き換わってしまうのだろうが、今回、窓の開く旧型車に乗れて良かったと思う。


 自動信号だから、反対列車がホームに停車すれば、こちらはすぐ発車。余裕あるローカル線のダイヤだからだが、12時18分、見事に定刻である。後で反対列車の時刻表を調べると、あちらは12時15分着、16分発の1分停車とわかる。あちらが2分ほど遅れていたようである。


グラホヴォ~イェセニツェ Grahovo - Jesenice


 支流の流れはさらに細まり、グラホヴォからもう2駅北上すると、これまた寂しい所の割に大きな駅、ポドゥブルド(Podbrdo)に着く。ここがアドリア海側最後の駅で、この駅を出ると間もなく、列車は長いトンネルに入る。全長6327メートルで、スロヴェニア最長のボヒーニ・トンネルである。開通は1906年で、6年の歳月と55名の殉職者を出して完成したという。また、第一次大戦と第二次大戦の間は国境トンネルであり、トンネルの南はイタリアであった。

 アドリア海側最後の駅ポドゥブルド  スロヴェニア最長トンネルの入口

 トンネルを出ればすぐに、ボヒンスカ・ビストリツァ(Bohinjska Bistrica)の構内で、うっすらと雪をかぶった材木が並んでいる。この一駅間はほとんどトンネルであった。完全に曇っており、山にも雪が積もっている。上越の清水トンネル越えほどではないが、分水嶺を越え、明らかに気候の違うエリアに入ったことがわかる。トンネルのこちら側は、黒海に注ぐポー川の支流であるサバ川のまた支流であり、ここの水は、リュブリャーナ、ザグレブ、ベオグラードといった首都を流れていく。

 分水嶺のトンネルを出ると気候が変わる  下車客が目立ったボヒンスカ・ビストリツァ

 ボヒンスカ・ビストリツァは、峠の南の寂しいポドゥブルドと違い、それなりの町で、かなりの乗客が下車した。対する乗車は少なく、列車はまた空いてしまった。分水嶺の長いトンネルの南北では、自治体も違うし、日本だったら大概はこういった分水嶺の県境区間が一番乗客が少ないのだが、ここは違うのだろうか。一度だけの見聞では確たることは言えないが、峠を越える道路交通の不備ゆえに、鉄道需要が残っているような気もする。またこの駅は、車を運ぶモトレールサービスの、北側の積み下ろし駅である。

 ところでこの駅名を見た時、私はとっさに、8年前に通ったスロヴァキアのバンスカ・ビストリツァ(Banska Bystricá)を思い出した。スロヴェニアとスロヴァキアを間違えるような人はともかく、知っての通り、それなりに離れた別の国である。しかしこれは偶然ではなく、スラブ系言語の共通点があるそうで、ビストリツァの語源は、川や泉、入江などの、水が勢いよく流れ出る所だそうだ。スロヴェニアには、ここと全く離れた所に、その名ものずばりのビストリツァという村があるし、他にもビストリツァの入った地名がいくつもあるという。

 ボヒンスカ・ビストリツァから、川は列車の進行方向に流れている。さきほどまでの深山幽谷ではなく、谷も広く、そこを流れる細い小川といった、平凡な眺めである。青空も見えず、うっすらと雪が積もった寒々しい風景を見ながら列車はそれなりのスピードで進み、小駅に停まっていく。

 うっすらした雪景色のボヒンスカ・ベラ  著名な観光地ブレッド湖が見える

 ブレッド・イェゼロ(Bled Jezero)が近づくと、右手にブレッド湖が見えてくる。間に木々が茂っている所が多いので、列車からのシャッターチャンスは僅かで、撮るならきちんとカメラを構えて準備しておかないといけない。しかし、そんな風に列車の窓から撮るだけではなく、ブレッド湖は本当はここで下車してゆっくり探索したい、スロヴェニアを代表する景観の一つである。

 列車は立派な駅舎を持つブレッド・イェゼロに停まる。イェゼロはスロヴェニア語で湖という意味で、そのものずばりの駅名であり、観光客に利用される駅である。ブレッド湖の最寄り駅としては、対岸の側に本線のレッツェ・ブレッド(Lesce-Bled)駅もあるが、あちらは湖まで徒歩圏内ではない。バスも連絡しているが、駅から徒歩でブレッド湖観光をするなら、本数の少ないこのローカル線のこの駅を利用しなければならない。

 そういう駅であるから、観光客の乗降、特に乗車が見られる。ボヒンスカ・ビストリツァでも、地元の利用者ではなさそうな人も降りていったが、ここで乗って来るのは、それとも明らかに違う外国人観光客である。中東系の若い男性4人組もいる。どこの国でもそうだが、国内や近場の人が保養やウォーキングで訪れる所でも、一般的なガイドブックには載らない所がある。ボヒンスカ・ビストリツァがそれで、対するブレッド湖は、スロヴェニアのガイドブックには必ず登場する。私も降りてみたいのだが、今日は素通りである。

 観光客の乗降が見られるブレッド・イェゼロ  構内の広いヴィントガル駅

 ブレッド・イェゼロから終着イェセニツェまでは、駅間距離も短くなり、途中には3つの駅がある。これまでより人家も増え、景色は平凡になる。人家が目立つのに、途中駅での乗降客はほとんどいない。もっと寂しかった峠の南の方が、どの駅でも1~2名は必ず乗降客がいた。そんな所でも車窓に関心を示しているのは私だけで、ブレッド湖観光帰りの男性4人組は、皆、居眠りをしている。

 線路はブレッド湖のあたりでは東側6キロほど離れて通っていた本線に、徐々に近づいていく。2つ目の構内の広いヴィントガル(Vintgar)まで来ると、右手の川の対岸、本線の線路まで、直線距離では1キロちょっとしかない。その次、最後の途中駅であるコチュナ(Kočna)で降りて橋を渡って対岸に行けば、本線のスロヴェンスキ・ヤヴォルニク(Slovenski Javornik)という小駅があり、地図で調べると徒歩20分弱で到達できる。本線の線路の場所はここからではわかりづらいが、列車が走っていれば見える所もあるだろう。

 谷の向こうに本線が通っている筈である  寂しげで乗降客もない最後の途中駅コチュナ

 このあたりは谷に沿って人家だけでなく、工場や引き込み線があり、雑然とした風景である。最後はそんな所を走り、川を渡ってから右カーヴで本線と合流し、列車は定刻に終着駅イェセニツェに到着した。

 終着イェセニツェに到着  地下通路の壁画が鉄道の歴史を語る

 イェセニツェは人口1万ちょっとの山峡の町で、鉄を中心とした鉱工業の町である。同時に交通の要衝であり、駅は本線の国境駅である。イェセニツェとリュブリャーナの間は、スロヴェニアの国内列車がそれなりに運転されているが、それ以外に国際列車が日に数往復、ここに停車する。西側は長い国境トンネルで、出るとオーストリアのフィラッハになる。フィラッハ側は、オーストリアの国境駅とフィラッハ中央駅との間に数駅あって、オーストリアのローカル列車があるが、イェセニツェ側はこの先にスロヴェニアの駅はない。その本線を行く国際特急列車は、遠くは西はスイスのチューリッヒ、東はリュブリャーナからザグレブを経てベオグラードまで走っている。私も過去に何度か国際列車でこの駅を通り過ぎているが、乗降するのは今日が初めてである。

 どことなく寒々しいイェセニツェ駅舎  イェセニツェ駅前通り

 国境都市かつ産業都市のイェセニツェは、天候のせいもあってか、駅も駅前もどことなく寒々しく、殺伐感があった。駅舎に入っているカフェとファーストフードの店は、どちらも廃業していた。コロナの間になくなったのかもしれない。さきほどのブレッド観光帰りの男性4人組が、その前まで来て諦めたように別の所へ向かっていった。ガイドブックか何かで駅で食事ができると読んできたのかもしれない。

 昼食に入りたいような店もなく、時間を潰せそうな見どころもなさそうなので、私はドイツ国鉄サイトで検索した通りの次の列車でリュブリャーナへ向かうことにし、係員のいる駅の切符売場へ行き、またしても激安週末運賃の切符を買った。



欧州ローカル列車の旅:トリエステ~イェセニツェ *完* 訪問日:2022年12月18日(日)


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