欧州ローカル列車の旅 > 2012年 > ポルトガル > ポルト〜ポシーニョ (2)
目次 | (1) | ドウロ線 Linha do Douro |
ポルト Porto | ||
ポルト〜リヴラサン Porto - Livração | ||
リヴラサン〜レグア Livração - Régua | ||
(2) | レグア〜トゥア Régua - Tua | |
トゥア〜ポシーニョ Tua - Pocinho | ||
ポシーニョ Pocinho |
レグアでは、改札前の1番ホームに到着した。隣のホームから入れ違いにポルト行きが、こちらと同じ気動車3輌編成で発車していく。駅は下車客や送迎客などで、なかなかの賑わいである。駅前広場に出てみると、タクシーや車が次々と発着しており、活気がある。
レグアで降りた乗客 | 入れ違いに発車していくポルト行き |
この駅のポシーニョ寄りには、本線とは別の切り欠け式のホームがある。そこにある線路は本線とは明らかに異なる、ナローゲージである。これは、2009年に廃止された、ヴィラ・レアル(Vila Real)までの軽便鉄道跡である。線路は錆びており、車輌もいない。廃線後の寂寥感が漂う一角である。
乗降客で賑わうレグア駅 | 廃線となった狭軌鉄道のホーム |
この軽便鉄道は、ポシーニョに向かって左側に分岐する。しかしレグアのホームは進行右側にある。ということは、広軌の本線と狭軌の支線が交差しなくてはならない。だが実際は、レグアの先しばらくは、線路を共用しているのである。共用しなければならないのは、この先に谷の深い鉄橋があるからで、その鉄橋を渡り終えてから、狭軌鉄道は左側に分岐している。よって、レグアから鉄橋を渡り終えるまでの区間は、世界でも珍しい4線軌条となっているのである。鉄橋の先の分岐点には、かなり複雑なポイントがある。そういう面白い区間であったのだが、残念ながら狭軌の支線は廃止になってしまった。廃線後しばらく、ポルトガル国鉄が代行バスを走らせていたそうだが、それも2011年末で廃止となったそうだ。
駅裏に保存されている狭軌鉄道のSL | 一旦ポシーニョ寄りに引き上げた列車 |
ところで、私が乗ってきたレグア止まりの気動車は、ポシーニョ寄りに少し移動して、そこに停留している。それはいいとして、私がこれから乗るポシーニョ行きがいない。ポシーニョからの列車はとっくに着いている筈で、それ以外に留置車輌も見当たらない。どこから現れるのだろうと思っていると、前方に引き上げた車輌がまた引き返してきて、同じホームに停まった。ホームで待っている人が乗り込むのだが、既に先客がいる。何のことはない。ポルトからの車輌がそのままポシーニョまで行くのだ。アナウンスも何もないが、勝手知った乗客は、そのまま車内で待っているのであった。しかし、一旦引き上げる理由は何であろう。この間、1番ホームに他の列車の進入など何もなかった。そのまま停留させておいても、さらには同じ1本の列車として案内しても、差し支えないように思うのだが。
だから実際は同じ列車であるが、レグアでだいぶ降りたせいか、乗り込んでみると空いていて、今度は楽に窓側の席が確保できた。レグアから先は、もう大きな町もないのであろう。いよいよ辺境に入る感じがする。レグア〜ポシーニョ間は、一日5往復の普通列車が設定されているだけで、通過駅もない。駅間距離も長くなる。もっとも前回来た時は、もっと沢山駅があったのを覚えている。その頃は、列車によって通過駅がいくつもあった。中には一日一往復しか列車の停車しない駅もあったが、それでいて、そういう列車に乗ってみても、全く乗降客がなかった。過疎化で殆ど利用されなくなった駅を廃駅にして整理したのであろう。よって今のダイヤはすっきりはしている。
コルゴ川鉄橋からの上流側の眺め(翌日撮影) | 分岐点にあるコルゴ廃駅(翌日撮影) |
レグアを出ると、見上げるような高い道路橋の下をくぐり、1キロほど行くと、ドウロ川の支流、コルゴ川鉄橋を渡る。この鉄橋を渡り終えると、左手に狭軌のコルゴ線が分岐し、分岐し終えた所にコルゴ(Corgo)駅が見える。レグアからこの分岐点までが、四線軌条区間であった。といっても上述の通り、2009年で廃線になってしまったのだが、まだ廃止から日が浅いせいか、線路は錆びているものの、列車が走っていてもおかしくない気がする。コルゴ線は、約1時間かけて、この地方の中心都市ヴィア・レアルまで、レールバスが数往復していた。
右手にひたすらドウロ川を眺めながら、列車は先へ先へと進む。ここまで来ても川幅も大して狭くならない。つくづく、大河だと思う。
フェラン付近のドウロ川(翌日撮影) | ポルトワイン醸造所が多い(翌日撮影) |
寂しい小集落のコヴェリニャス(Covelinhas)、人家もほとんどないフェラン(Ferrão)と、駅間距離は長くなったが、各駅に停まっていく。どこも古い立派な駅舎があるが、だいぶ荒れ果てている。時々廃駅を通過する。
フェランは駅付近には人家一軒と見られないが、対岸には家があり、前後や山の上には人家やワイン醸造所らしき建物がある。そんな駅だが、駅に車でも置いてあるのか迎えが来るのか、おばさんが一人降りた。
ピニャンはホテルなどもある集落(翌日撮影) | 上りホームでポルト行きを待つ人もいるピニャン |
次のピニャン(Pinhão)は、少しばかりまとまった規模の集落で、観光客も来るらしく、駅付近にホテルやレストランがいくつか固まってある。駅としても中規模で、交換設備があり、駅員もいる。反対ホームには上り列車を待っているらしき人が数名いる。まだ30分もあるのに、気の早いことである。
車掌と顔馴染みの乗客も多そう(翌日撮影) | 適度な変化もあり見飽きないドウロ川(翌日撮影) |
ピニャンからトゥアは1駅13キロで14分。かつては途中に小さな駅が2つぐらいあったが、最近廃駅になったようだ。廃止されたのはいずれも単線のホームだけの駅で、ホームがそのままに残っているのが車窓から確認できた。復活しようと思えばいつでもできそうだが、恐らく二度と列車が停まることはないのであろう。
トゥアは、ミランデラ(Mirandela)への狭軌鉄道が分岐していた、この線では主要駅の一つである。しかし、レグアのように、駅が近づくと町が現れるわけではない。駅前に狭い道路が通っているが、その向こうはドウロ川で、駅の反対側は山である。駅舎は山側にあり、狭軌鉄道の線路がある。しかし、駅舎に行ってもどこへも行けないという変な構造の駅である。駅前の道路へ出るには、ホームの端から構内踏切を渡り、道路と線路の間の柵が切れている所から出入りする。
トゥアでは上り列車と行き違う | 駅前がすぐ川という小さな集落(翌日撮影) |
運転上は主要駅なので、駅員がいる。しかし、分岐する狭軌鉄道も廃線となってしまったし、本線の方も一日5往復だけである。乗降客も少ない。そもそも切符を売っているのだろうか。運転関係だけの駅員かもしれない。通票こそ使われていないが、運転上、完全無人にできない信号操作などがあるのかもしれない。そんな所ではあるが、数名の下車客があった。ここで上り列車と行き違う。
最終列車同士の列車交換(後刻撮影) | トゥア発車時の車内 |
最終区間のトゥアからポシーニョは32キロで、途中に駅が5つある。全て単線の無人駅である。風景はこれまでと大差なく、ドウロ川は相変わらず悠々と水量豊かに流れているが、上流に来て川幅が多少狭くなった感じはある。沿岸は荒れたままの山もあれば、綺麗に葡萄が栽培されて畑となっている所もある。そして醸造所が点在している。
ファラドザ駅の手前でドウロ川を渡る(翌日撮影) | だいぶ上流だがまだ水量も多い大河だ(後刻撮影) |
トゥアから2つ目の、ファラドザ(Farradosa)という駅の手前で、線路がドウロ川の本流を渡る。この線がドウロ川を渡るのはここ1ヶ所だけである。立派なトラス橋である。ずっと進行右側に見えていたドウロ川がここから左側に移る。ファラドサは人家もなく、乗降客もない小さな駅であったが、ホームは新しく整備されていた。最小限の設備だけきちんと提供して、駅として残していこうということの表れであろう。再び訪れる機会があれば、次はこの駅で降りて川と鉄橋を見に行ってみたいものである。
対岸にしばしば見える醸造所の中には、キンタ(Quinta)という名称をつけた所が多い。ものの本によれば、キンタとは日本語に訳しづらい言葉だが、荘園に近いということである。だから特にワイン醸造所のことを指すわけではない。実際、この単語で検索すると、ポルトガル各地の豪華リゾートホテルやゴルフ場などがトップにヒットする。恐らく中世貴族の荘園では、その中で自家栽培の葡萄からワインを醸造していたのであろう。しかし現在、少なくともこのドウロ川沿岸でキンタと言えば、ワイン醸造所のことを指すようで、この地域のキンタを集約した同業者組合があり、品質チェックなども行い、ポルトワインの名声を保っているということである。だから、キンタを英語のワイナリーに相当する言葉と理解しても間違いではなさそうだ。
対岸の随所にワイン醸造所が見える(翌日撮影) | 駅しかなく利用者もいないヴェスヴィオ(翌日撮影) |
どこも寂しい無人駅、という最終区間だが、終着ポシーニョの一つ手前のフレイショ・ド・ヌマン(Freixo do Numão)は、駅前広場があり、駅に接してレストランがあった。それ以外には何もない所であったが、下車する人がいる。そして最後の区間。ドウロ川が一旦蛇行して去ってしまう。ひたすらこの川に沿ってきたので名残り惜しく思っていたが、心配するほどのこともなく、左手前方に小さな町と、ドウロ川に架かる廃鉄橋が見えてきた。ポシーニョである。
18時58分着。何もない寂しい終着駅、と聞いていたポシーニョだが、ここまで線路が残っているには、それなりの理由はあるようで、思ったより利用者がいる。狭い駅前には車やタクシーが何台かいて、列車で降りた客を出迎えている。一日5往復の列車が発着する時だけこうして賑わい、それ以外はひっそりとしているのであろう。
終着駅ポシーニョへ到着した | かつて栄えていた様子を偲ばせる佇まい |
さて、この列車は7分の停留ですぐに折り返す。下りポシーニョ行きは、この後もう1本あるが、それはここで翌朝まで乗務員ともども停泊するらしい。よって戻る列車は、乗ってきた列車の折り返し19時05分発が最終列車である。今回、私はできればポシーニョに泊まりたいと思って調べたのだが、ポシーニョにはホテルなどは全く無さそうであった。レグアまで戻ればホテルもいくつもあるのだが、それより上流の鉄道沿線となると、ピニャンに数軒と、トゥアに1軒、ホテルがあることがわかった。そのトゥアのホテルは本当の駅前なので、今晩はそこを予約してある。
壁の絵にポルトガルを感じる | 7分の停留で折り返しの発車を待つ |
いずれにしても、7分しかないし、乗り遅れるわけにいかないので、駅前より遠くへは行かないでおく。そして乗ってきた同じ車輌でポシーニョを後にする。ガラガラの列車で夕暮れのドウロ川を眺め、トゥアに戻り、1泊した。英語はほとんど通じなかったが、静かで気持ちの良いホテルであった。
そして翌朝、再びポシーニョへやってきた。朝の下り一番列車は、ポシーニョで41分滞留して上り二番列車となって折り返す。41分はポシーニョを散策するのに手頃であるし、この区間の景色は素晴らしく、2往復ぐらいしても退屈しない。
朝のポシーニョ行きは、土曜日のせいもあるのか、ハイキング姿の人もそこそこ乗っており、思ったより活気があった。若い人もいるが、中高年ハイカーが多い。今やこれは先進国に共通の現象かもしれない。夕方とはまた違う雰囲気の賑わい方である。
ポシーニョの駅を出た私は、線路に沿ってさらに先の方向へと歩いてみた。かつてはスペインまでつながっていた線路だが、駅の先から、もう錆びている。列車があった頃はこの先もドウロ川に沿って、さらに上流の川の姿をたっぷりと眺めさせてくれたに違いない。こんな時は、レンタカーでも借りて先をたどってみたくなるが、そんなもののありそうなポシーニョではない。しかし、単に鉄道の廃線跡をたどるだけでなく、鉄道と無関係に、このドウロ川を遡ってみたい。立派な川を見ると、いつもそんな気持ちが湧いてくる。一体この堂々たる大河の源流は、その近くは、どんな所なのだろう、と、自然に興味が湧いてくる。そういう旅は残念ながら列車だけでは無理で、車が必要だ。鉄道旅行は楽しいが、限界もあることは率直に認めなければならない。
駅から先へ5分ほど歩くと踏切がある | 踏切の先に放置されている貨車 |
それでもポシーニョの駅付近の散策は、徒歩で十分に楽しめた。錆びた線路に沿って5分も歩くと、貨物か荷物を扱っていたもう一つの駅の跡がある。そのあたりまでレールは残っており、錆びてはいるものの、20年以上前の廃線とは思えない。今も不定期でこのあたりまで貨物列車などが入るのかもしれない。
踏切を渡れば軽便鉄道の鉄橋の手前に出る | 廃線の鉄橋は危険なので立入禁止になっている |
その手前の踏切を渡ってちょっと歩くと、今度は左へカーヴしてドウロ川の鉄橋へとつながる軽便鉄道の廃線跡が近づいてくる。鉄橋入口には立入禁止の柵がしてあったが、その手前までは行くことができた。上流にはダムがあり、下流側は長閑な耕地が広がっている。ただ、鉄橋のすぐ横にある工場か焼却場から出る煙がすごく、川の上流に、まるで天然の靄のような風景を作りだしている。
長く立派な鉄橋で廃線がもったいない | 鉄橋の少し上流にはダムがある |
この廃鉄橋は、ポシーニョのはるか手前からも見えた巨大な橋で、軽便鉄道のものとしては実に長くて立派だ。ここを列車が通っていれば、さぞかし絵になるだろう。もっとも、軽便とはいえ、線路幅は日本のJR在来線の1067ミリよりちょっと狭いだけの、1000ミリゲージである。ポルトガルの標準軌は、世界的に見れば広軌の1668ミリで、スペインと同じである。
軽便鉄道の鉄橋の近くからドウロ川下流を望む | 民家から犬が出てきた |
それにしても何という長閑な所であろう。昔に比べれば寂れているのだろうが、それでも少ない住民はこの長閑な村で生活を営んでいる。今は誰もが車を持っているから、一日5往復の鉄道しかなくても困ることはないのであろう。そんな素晴らしいポシーニョだが、発車の時間が迫ってきた。急ぎ足で駅へ戻る。折り返しの列車は適度に客が乗っていたが、空きボックスも多少はあり、そこへ腰を下ろす。そうしてトゥアまでは、昨日来二往復目の復路となる、戻りの旅が始まった。
これといって何もない終着駅だが、何年か後に季節を変えてまた訪れてみたいものである。