欧州ローカル列車の旅 > 2016年 > フランス > コルシカ島の鉄道 (3)
列車は今度も空いてはいたが、日曜の中途半端な時間の区間列車の割には、そこそこの客がいた。2輌で30名ぐらいはいただろうか。今まででは一番多いかもしれない。列車ダイヤからもわかるが、バスティアはコルシカ鉄道の中では一番、というよりも唯一、都市圏輸送が成り立っている印象である。
問題はどこで降りるかだが、さきほど車窓から見た限り、駅から波打ち際まで歩いて行けそうな、バスティアから4つ目のモンテゾロ(montesoro)の前後が良さそうである。今歩いたバスティア市街地は、アジャクシオと違い、海辺の波打ち際に出られる所がなかった。そのモンテゾロの次のエルバジョロ(Erbajolo)も、時刻表上では気になる駅である。通過列車が一番多い駅だからである。とりわけ本数の少ない日曜ダイヤの場合は、ここ以外は基本的に、リクエスト・ストップながら、時刻表に時刻が掲載されている。エルバジョロがこの区間で唯一の完全通過駅なのである。車窓から観察していくつか見られた、ホームすらない駅ではないか、という妙な期待もある。
発車してほどなく車掌が検札に来る。パス・リベルタを見せると、どこまで行くのかと尋ねる。どの車掌も必ず訊くが、その理由は恐らく、大多数の駅がリクエスト・ストップだからであろう。ここはもう反射的に、エルバジョロと答える。車掌はさして不思議がる風もなく、うなずいて、次へと進んでいった。
モンテゾロに停車し、2名の客を降ろす。そして発車。次がエルバジョロで、駅間距離も短い筈である。列車がスピードを上げるので、ドアへ向かうと、そこに車掌がいて、ああ降りるんだったな、という顔をして、下車知らせボタンを押す。本来は自分で押すべきだったのだろうが、私は今になって初めて、これの存在を認識した。すぐにブレーキかかり、ホームも何もない所に停車した。車掌がドア開きボタンを押し、降りる私に「アタンシオン」(気をつけて)と言う。それもその筈で、ホームも何もない普通の路上である。知らせるのが遅くて行き過ぎたわけでもない。ここがエルバジョロ駅なのである。こういう妙なことで、やったー、と思ってしまう私は、鉄道病院行き有資格者かもしれないが。
私一人が下車しただけのエルバジョロ駅 | ここが駅だとは絶対わからないエルバジョロ |
これまで長年の鉄道旅行体験の中で、事故などで駅間で降りる羽目になったことはあるが、正規の駅でありながら、ここまで徹底して駅としての設備が何もない駅で降りるのは初めてである。ホームも駅名標も待合室もない。よそからやってきて乗ろうとして駅を探したのでは、ここが駅だとは絶対にわからない。駅を示す表示や標識の類も、本当に全く何もないのである。
列車は私が降りるや否やドアが閉まり、すぐに発車していった。駅とは思えない所でドアが開いて停車している様子が面白いのだが、それを撮る余裕すらなかったのは心残りである。そのための心構えをしておくべきであったのに、振り返ってカメラを構えた時にはもうドアが閉まっていた。
駅のホームの代わりをする道路は、ここで行き止まりで、目の前の建物は倉庫か何かである。その建物に沿って線路に背を向けて行けば、すぐ国道に出た。車がそれなりに通っていて、道路の向かいの方が開けている。商業地ではない郊外だが、国道沿いということで車の利用者向けなのか、ホテルまである。という風に、決して寂れた秘境ではない。ちゃんとした駅にして列車を停めれば、もっと利用されそうな所に見える。そんな物好きな人はいないと思うが、もし車で旅行したついでにこの駅の場所へ行ってみたければ、国道に出ているBUTという家具屋の赤い看板が目印である。そのBUTの建物の裏手がエルバジョロ駅になる。
エルバジョロ駅の山側の国道沿い | 海辺からバスティアを遠望 |
国道から見る限り、近くに線路の海側へ行く道はなさそうなので、エルバジョロ駅の場所へ戻り、線路を跨いで、その下の道路へと下りる。線路と海の間は、国道沿いとは違う荒れ地で、所々に農地や住宅がある。車も滅多に通らない。そこを歩いて、列車から見下ろすことのできたビーチへと行ってみた。夏は賑わいそうな所で、海辺からバスティアの中心部と、港に泊まる大型フェリーも見え、悪くない眺めであった。
そのあたりから海に沿って北へとしばらく歩いていくと、上を線路が通っている築堤へとぶち当たった。そこに線路へ登るちゃんとした階段があるので登っていけば、とてもホームには見えないが、エルバジョロよりは乗降が容易そうなコンクリート製の短い台のようなものがある。さて果たしてこれが駅なのであろうか。400メートルほど先に、モンテゾロの駅が見えている。モンテゾロは、これもここ数年で整備されたのであろうが、新しいきちんとしたホームがある、駅らしい駅である。今いる場所も駅だとすれば、ラリネーラ(L'arinella)なのであるが、違うかもしれない。ラリネーラなのであれば、今度はここから乗りたいが、そうでなければ通過されてしまうだろう。ここはリスクを避け、線路沿いの小径ともつかない所を歩いてモンテゾロまで行く。モンテゾロは国道へ上がる階段も整備された、きちんとした駅である。
国道への階段も備わったモンテゾロ駅 | 階段の上から見下ろすモンテゾロ駅 |
駅から階段を上がり、国道まで上がってみると、さきほどのエルバジョロの国道の延長だから、同じく交通量がかなりあり、沿道は建物も多い。ちょっと観察して階段を戻ってホームへ降りる。そのホームから階段を数段上がったあたりが、エルバジョロ方面からやってくる、乗るべき列車を撮影するのに最適なアングルである。しかし、この駅もリクエスト・ストップなので、列車に乗るならちゃんとホームに立っていなければ、通過されてしまうかもしれない。そう思っていると、有難いことに列車に乗るらしい女の子が二人、国道から階段を下りてきて、ホーム待合所の椅子へと座った。彼女らがホームにいてくれれば、列車は間違いなく停まるであろう。
そうしてほぼ定刻に、乗ってきた列車がカザモッツァから戻ってきた。2人の女の子とともに、この駅から乗り込み、バスティアへと戻った。
バスティアでさらに2時間を潰す。今度はさらに南の海側へ行ったら、風情のある路地や建物、有名な聖堂、そして漁港もあり、この街も大いに見直した。やはりちゃんと歩いてみないと駄目だなと思う。
かくして15時35分発アジャクシオ行きの客となる。コルシカ島2泊目の宿は、コルテに取ってある。実は最初はポンテ・レクシアで検索したのだが、見つからなかった。日曜の午後だからか、これまでよりは乗客が多く、2輌で40名ぐらいは乗っていただろうか。バスティア近郊の短距離客もいて、いくつかの駅に停まり、客を降ろす。そうしてカザモッツァを過ぎ、来る時と逆に山へ段々と入っていく景色を楽しみ、ポンテ・レクシアではカルヴィ発バスティア行きと行き違う。今度はあちらからこの列車へ乗り換えてきたと思われる客も数名いた。
バルケッタ手前の崩れた石橋 | 薄暮のフランカルド駅 |
最後はほぼ暗くなり、ほぼ定刻にコルテへ着いた。コルテはやはり乗降とも多い駅である。外へ出れば西の空はまだほのかに明るい。ここでバスティア行きと行き違うので、その光景を撮影した後、予約してあった宿へと向かった。
コルテで1泊し、明けた月曜日。今日は夕方にアジャクシオ空港からパリへ戻る日なので、一応早めにアジャクシオに戻っておきたい。事前にネットで調べた情報には、列車はしばしば遅れて時間は当てにならないので十分な余裕を見るように、という記述がある。だが、この2日間の経験ではどの列車も遅れは10分以内で、ほぼ時間通りに動いていた。だから、アジャクシオ着が15時05分の列車なら、多少遅れても、17時10分に駅前を出る空港行きのバスには余裕であろう。その列車のコルテ発は13時10分。それまでの半日たっぷりをコルテ見物にしてもいいのだが、ここは山間部の途中駅探訪に当てたい。そこで、それより一本前の、コルテ9時50分発アジャクシオ行きに乗ることにする。
コルテ市街地遠望 | コルテ駅舎 |
コルテもまた風情満点の町であった。列車を一本遅らせてこの町をゆっくり歩いてみたい誘惑にもかられたが、予定通りの列車に乗るべく、駅へと向かう。
あちこちの駅に古い給水塔が残る | 10分遅れでコルテに入線するアジャクシオ行き |
列車は10分ほど遅れてきた。コルテでの乗車は私の他に3名。やはり空いてはいたが、土日に乗った列車の大半が2輌で10数名程度だったのと比べれば、いくらか乗車率が良い。
次なる行先は、ヴィッツァヴォーナに定めた。コルシカ鉄道の最高地点にある駅で、標高906メートル。山国日本でも、これを上回る標高の駅は、普通鉄道では、山梨県と長野県に17駅だけしかない。
雨のヴェナコで列車交換 | ボタンを押して下車を知らせるシステム |
ヴェナコで反対列車と行き違う。あちらも同じ程度の乗車率であった。あいにく雨脚が強くなってきている。10分遅れを引きずったまま、ヴィッツァヴォーナの一つ手前の駅、タットーヌをゆっくり通過した。通過して列車が十分に速度を上げた頃、ドア付近にあるボタンを押しに行く。私は、エルバジョロ下車時にこのボタンの存在を知るまでは、リクエスト・ストップの駅で降りる場合は、車掌か運転士に事前に知らせるのかと思っていた。
まさに季節外れもいいところの12月上旬の平日とあって、乗降客は私一人であった。そもそも住んでいる人は僅かで、観光客やハイカーが主な利用者と思われる。この季節はこんなだが、シーズンには観光客の利用もそれなりにあるのだろう。若い男性駅員が一人いたが、カメラを構える私には全く無関心で、列車を見送るとすぐ事務室に入ってしまった。幸い、雨が止んでいる。
列車は駅を出るとすぐ、ヴィッツァヴォーナ・トンネルへと消えていった。このトンネルは、長さが3,916メートルあり、コルシカ鉄道では破格に長い。標高1,163メートルのヴィッツァヴォーナ峠の下を貫いているが、水平なトンネルではなく、アジャクシオ方面からはヴィッツァヴォーナに向けて20パーミルの連続登り勾配だという。反対側出口は標高828メートル。1880年に工事開始したが、出水が相次いで困難を極めた末、1889年に開通したという。そんな時代だから蒸気機関車も通ったに違いないが、登る列車での煤煙はさぞかしだったと思われる。長いトンネルを出たこの駅は、乗務員や旅客にとって、山間のオアシスだったに違いない。
ヴィッツァヴォーナ駅舎 | ヴィッツァヴォーナ駅を見下ろす |
森閑とした所で、人の姿は全くない。だが駅前にはホテルや山荘などへの道を示す道標や、観光案内版などが結構多い。駅舎に併設したバー・レストランもあるが、営業していない。シーズンにはそこそこ賑わう場所であろうと想像される。今はひたすら静かで、飲食できる場所などもありそうもない。さあ1時間半をどうやって潰そうかと悩む所だが、とりあえず山道を上へと歩いてみる。
駅前には色々な看板や道標がある | 山道の途中にあった小さなチャペル |
ほどなく、駅前に看板が出ていたホテル前に着いたが、完全に閉まっていた。夏だけの営業なのか、廃業したのかもわからない。壮絶な心霊スポットのような廃墟もあったが、人が住んでいると思われる家も若干あった。なおも登っていくと、石の小さな祠があり、歴史を解説した真新しい説明板もある。そして上がること10分、国道に出た。交通量は少ないが、それでも1分に3〜4台の車は通る。そのあたりに1軒だけ、小さなホテルがあり、営業していた。この時期でも道路沿いならかろうじて商売が成り立つということだろうか。フレンドリーなご婦人がいて、英語もある程度通じる。コーヒー1杯でも問題ないと歓迎してくれたので、有難くお茶休憩にする。ティールームには誰もいないが、駐車場には数台の車がいる。この程度の台数だと、客ではなく従業員のものかもしれない。いずれにしても、とても田舎ホテルとは思えない、おしゃれな内装の素敵なブティーク・ホテルで、優雅なひとときを過ごさせてもらった。次はこういう所に泊まってみたいと思わせるものがあった。
国道の駅入口地点 | 唯一営業していた国道沿いのホテル |
少し早めに駅へ戻る。トンネルと反対側には、今はほぼ更地となっているが、引込み線跡の広いスペースがある。本線は駅を出ると急勾配で下っている。ということは、ここは野辺山とは違い、駅自体が路線の標高最高地点なのだろう。駅自体はほぼ水平に見えるから、この更地は列車を止めるためのスイッチバック目的の場所ではないだろう。そうすると貨物用の側線か、あるいは機関車の時代に補機を留置した場所かもしれない。
タットーヌ寄りにあるスイッチバック施設跡 | バスティア行きがトンネルから出て到着 |
ホームへ戻って列車を待つ。ほぼ定刻にバスティア行き列車がトンネルから出てきた。今度も乗降客は私一人だけ。駅員も出てこなかった。
次はヴィッツァヴォーナから3駅11キロ15分をバスティア方向へ戻り、ヴィヴァリオで降りてみる。そのアジャクシオ寄りに大カーヴがある駅である。それだけではなく、事前に地図を眺めた限りでも、この駅周辺が、線路が最も右往左往している。ループ線こそないが、大カーヴを繰り返しながら山を登る、そのさなかにある駅である。
しかし、こちら方向からヴィヴァリオを訪れて折り返すのは残念ではある。逆方向からであれば、ヴィヴァリオで降りた後、自分が乗ってきた列車がぐるりとカーヴを描いて向こうの線路を走り去る様子が撮れるし、次に乗る列車がやってくるところも遠望できる。しかし、本数の少ない列車ダイヤを駆使して面白そうな所を最大限訪問しようとした結果であり、仕方ない。
ヴィヴァリオでの乗降も私一人であった。直前に検札にやってきた若い男性車掌は、ここで降りるのかと驚いたような顔をした。実際、ヴィッツァヴォーナに比べても、駅前に何も無い所である。しかも運悪く雨が降り始めている。ヴィッツァヴォーナの1時間40分は退屈せず過ごせたが、ヴィヴァリオの1時間06分はどうであろうか。
何も無いが小綺麗なヴィヴァリオ駅 | ヴィヴァリオ構内から大カーヴの先の線路を見る |
そんなヴィヴァリオであるが、森に囲まれたヴィッツァヴォーナと比べると、視界が開けていて、山々の風景は素晴らしい。はるかなる下界も見下ろせるし、高い山も見える。さっそく歩き回ってみると、何と、下方の線路とトンネルが見下ろせる場所を発見した。これは紛れもなく、今乗ってきた列車がこれから通る筈の線路である。心躍ってカメラを構えて待つ。しかしなかなか現れない。何かの間違いかと諦めかけた頃、列車の音が聞こえ、まさに私が今乗ってきた列車がトンネルへと向かってゆっくりと走って行った。雨も忘れて夢中でシャッターを切る。ということは、次に私が乗る列車も、駅到着の数分前にあそこを通り、ここまで登ってくるはずである。
その間は小雨ということもあり、駅の屋根のある所で過ごしていたが、乗る列車が早着する可能性も考え、早めに撮影できる場所へと移動する。13時42分発なので、13時32分にそこへ行った。幸い雨は霧雨程度になっていたが、それでもあまりに長く待てば濡れてくる。列車はなかなか現れなかったが、13時43分、まずはかすかな列車の音が聞こえ、写真には撮れないものの、トンネルの向こうを走ってくる列車の屋根だけがチラッと見えることも発見。そしてトンネルを出てくる列車を連写して満足する。それから列車が駅のホームに滑り込んでくるまで、4分ちょっとかかった。結果論だが、下車駅にヴィヴァリオを選んで良かったと思わずにいられない。
ヴィヴァリオ駅のヴェナコ側線路と山腹の家々 | はるか下方に見えた列車が4分後に到着 |
ヴィヴァリオ滞在中、人の姿を見ることは全くなかった。そして今度の列車も乗降客は私一人である。列車の乗客は20人弱であろうか。観光客らしい人の姿もなく、ごく僅かな地元の用務客を運んでいる。これがコルシカ島の閑散期の鉄道の素顔であろう。ものの本やネットの情報では、夏の観光シーズンは長時間の立ちんぼも覚悟という混雑を呈するらしい。そんな時期とは対極にある超閑散期に、のんびりまったりと鉄道の旅を楽しむことができて、最後まで大満足しながら、またヴィッツァヴォーナのサミットを越える。長大なヴィッツァヴォーナ・トンネルをくぐって出れば雨が止んでおり、進むに連れて路面も乾いてきて、薄日さえ差してきた。最初から雨が降らなかった地域へと入ったらしい。そしてアジャクシオへと戻ってきた。アジャクシオも薄日で、地面は乾いていた。険しい山にはばまれた島ゆえ、場所によって気候もかなり異なるようである。
アジャクシオの駅横に大型船が入っていた | たそがれの駅前から出る空港行きバス |
アジャクシオでは、空港行きのバスまでの2時間を、再度歩き回り、コルシカ島の短い旅の最後の余韻に浸った。欲を言えば、カルヴィ方面をもう少し堪能したかったし、さらに言えば鉄道のない地域も興味は尽きないが、まずは大満足の旅であった。もう一度来たいと言いながらも、実際はなかなか来られないし、もしかするともう一生訪れないかもしれないが、次回、機会があれば、大混雑の夏は避けるにしても、もう少し気候の良い春か秋に来てみたいものである。