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リベレツ〜リブニシュチェ 目次


目次 (1) チェコ・ドイツ・ポーランド 三国国境の旅
リベレツ Liberec
リベレツ〜ツィッタウ Liberec - Zittau
ツィッタウ〜リブニシュチェ Zittau - Rybniště
(2) リブニシュチェ Rybniště
ツィッタウ Zittau
クシェヴィナ・ズゴゼレカ Krzewina Zgorzelecka
訪問を終えて

リブニシュチェ Rybniště


リブニシュチェは、新雪で真っ白の寂しげな終着駅であった。線路が分岐しているだけの小さな集落のようである。しかし乗り換え駅だから駅舎は大きい。

 終着駅リブニシュチェに到着した列車  屋根の下で乗換え列車を待つ人たち

列車を降りた客の何人かは駅を出て、雪の中を歩いていく。迎えの車に乗る人もいる。10人ぐらいは、駅舎のある屋根の下で乗り換え列車を待っているようである。駅前に出てみたが、商店もホテルもなく、食堂が1軒あるほかは、若干の民家があるだけの寂しい所であった。その食堂も、今は営業していないようであった。パブを兼ねて夜のみ開くのかもしれない。

 寒村の駅だが駅舎は立派  雪の舞う寂しい駅前風景

駅に戻ると、接続列車が到着している。さっき屋根の下で待っていた客は、これに乗り込んだに違いない。これは実に味のある列車であった。ディーゼル機関車に、旧式の客車2輌。日本のローカル線にも、国鉄末期ぐらいまではこんな鈍行列車が走っていた。国こそ違え、それを思い出させるような、懐かしい「汽車」である。チェコではこういう列車がまだまだ健在、とはいえ、着実に減っているのだと思う。数年後には消え去るかもしれない。そう思うと乗りたくてたまらなくなった。


この客車列車は、ルンブルク(Rumburk)発ジェチーン(Děčín)行である。ジェチーンはこのあたりの中心都市で、そこまで行くと、プラハ・ドレスデン間の高速列車が通っている。後からシェンゲン協定前の時刻表を調べてみると、列車はヴァルンスドルフで運転系統が分かれていて、ヴァルンスドルフからジェチーンまでの直通列車があったようだ。シェンゲン後、運転系統が再編成され、本数自体は増えたようだが、まだまだ使いやすいダイヤとは言えないようである。どちらの線も基本的に2時間に1本の運転なのだが、ヴァルンスドルフ方面からジェチーン方面へは、このように接続が良いが、帰りはここリブニシュチェで1時間ほど待たされるダイヤなのである。難しいところだとは思うが、これでは列車でジェチーンへという選択肢がはずされてしまいそうで、先行き気になるところである。

とにかく、味わい深い客車列車の発車を見届けて、私は乗ってきたばかりの新型気動車の、折り返しリベレツ行きに再び乗り込む。

 狭いホームの両側に新旧車輌のローカル列車が並ぶ  ヴァルンスドルフも雪が降り始めていた

発車すると、さっきの体格の良い女性車掌が検札にくる。行きも乗っていた人間が、10分で折り返す列車にまた乗っているのはわかっているようだが、特に不思議がるでもなく、今度は「リベレツまでか」と聞いてくる。チェコを列車で旅していて思うのは、鉄道面でもなかなか面白い国だと思うが、鉄道マニアをほとんど見かけないことである。しかし、いる所にはちゃんといるのだろう。こうやって列車を乗り回し、写真を撮っていても、特に不思議がられることがない。昨年も数日訪問したが、どこでもそうであった。

同じ車輌の列車で、車掌まで同じで、今通ってきたばかりの所を戻るわけだし、列車の空き具合も似ている。間もなく風景から雪が消えていく。しかし行きは降っていなかったヴァルンスドルフにも小雪が舞い始めていた。再びドイツに入り、行きは通過したリクエスト・ストップの分岐駅にも停車して客を拾い、再度のツィッタウ。今度はここで下車する。

ツィッタウ Zittau


ツィッタウは、ホームは2面だけで、それほど大きな駅ではない。駅舎は大きく立派だが、お客は少なく、ガランとしている。駅構内には、小さなカフェのスペースを兼ねた小さなお店があるだけだ。

 乗ってきたリベレツ行きが発車していく  ドレスデン行きも2輌の新型気動車

駅前にはもう1つの駅がある。これは、保存鉄道の駅で、蒸気機関車を運転しているのだ。ツィッタウの観光資源の一つになっているに違いない。あとは小綺麗なバスやタクシーの乗り場となっている。これはごく近年に整備されたと思われるが、人は少ない。

 小綺麗に整備されたツィッタウ駅前  駅前にはもう一つの保存鉄道の駅がある

次に乗る列車までの時間を利用して、中心部まで行ってみる。速足で歩けば10分弱である。閑散とした駅前通りをまっすぐ歩くと、建物が高くなり、それなりの風格がある中心部の広場へと難なくたどりついた。

 重厚なビルが並ぶが人通りもない駅付近  広場に近づくと多少の人通りが見られる

日曜日の閉店が徹底しているドイツだが、今日は土曜である。しかし人が少ない。店はある程度開いている。モダンなカフェもあり、お客も入っている。ちゃんと人の息吹と生活を感じる街なのだが、しかし、この広場の規模からすれば、もっと人が多くてもいいと思う。旧東ドイツは、西側への人口流出傾向が今も続いているという知識はあったが、この寂れようは予想以上である。恐らく、チェコとポーランドという物価や人件費の安い国がすぐそこにあるので、西ドイツと一緒になった時点から、色々な面で徐々に競争力を失ってしまったのだろう。

 石畳が美しい広場  広場で一番目立っていたおしゃれなカフェ

この街の現在の人口は3万を切るそうで、もともとそこまで大きな都市ではない。歴史上のピークは1950年代の47,000人程度だそうだ。日本の同規模の地方都市にはもっと減少率の高い所がいくつもある。しかしツィッタウの場合、ドイツ統一以後に減少率が加速し、今後ますますの減少が予測されているらしく、その面での将来性は明るくないという。

クシェヴィナ・ズゴゼレカ Krzewina Zgorzelecka


ドイツのツィッタウは、街の中心からポーランドが、さらにそこを抜けてチェコまでもが徒歩圏内、と言えるぐらい、国境に近い。それでも、それなりに歩かなければならないので、それはやめにしておく。しかし、そんな国境の街をチェコの旅として訪れたので、ついでにポーランドにも足を踏み入れてみたい。それに恰好の駅がある。ツィッタウから僅か2駅の、クシェヴィナ・ズゴゼレカ(Krzewina Zgorzelecka)だ。駅自体はポーランドにあり、歩いてドイツへ行けるようである。


現地の駅配布の時刻表 Zug OE65 Fahrplan より引用

ツィッタウからナイセ川に沿って北上し、コットブス(Cottbus)まで、127キロの割と長大なドイツ国鉄の路線がある。1時間に1本の普通列車が運行されているので、そこまでローカル線とは言えないが、さりとて幹線でもない。とにかく乗ってみた。これも新型気動車の2輌編成であった。乗車率は3割というところだろうか。

 14時02分発コットブス行き  駅舎のないヒルシュフェルデ

ツィッタウを出ると、しばらくは田舎とも町はずれともつかない格別ではない所を走り、最初の駅ヒルシュフェルデ(Hirschfelde)に着く。ここを出るとほどなくナイセ川の鉄橋を渡る。ナイセ川は、戦後定められたドイツとポーランドの国境である。ここで線路はナイセ川の右岸、つまりポーランドへと越境する。1分ほどポーランドを走ると、また鉄橋を渡りドイツへ戻るが、このドイツ区間はわずかで、三たび鉄橋を渡り、またポーランドへ入る。

 ← 列車の進行方向 ←
 一つ目の鉄橋(右車窓)
 右:ドイツ 左:ポーランド
 → 列車の進行方向 →
 二つ目の鉄橋(左車窓)
 左:ポーランド 右:ドイツ
 → 列車の進行方向 →
 三つ目の鉄橋(左車窓)
 左:ドイツ 右:ポーランド

そこからしばらくは、ほぼナイセ川に沿い、対岸にドイツの家並みを見ながらポーランド領内を走る。一旦、川が離れてドイツが見えなくなるが、また川が寄り添ってきて、対岸にドイツの村が現れ、列車はツィッタウから2駅目のクシェヴィナ・ズゴゼレカに着いた。ここで下車してみる。時刻表にも駅名標にも、クシェヴィナ・スゴルゼレカ(オストリッツ)と、括弧書きがあるので、これが正式な駅名かもしれない。

 クシェヴィナに着いたコットブス行き  大きなクシェヴィナの駅舎

下車したのは私一人で、乗車する人もいない。古くて立派な駅舎があるが、無人駅となっており、荒れつつある。今やどこにでも見られる光景である。

駅前広場と言えるほどの広場もなく、普通の道路が通っている。目の前がすぐナイセ川で、ポーランド側は人家も見当たらない。歩行者専用の橋があり、これを渡ると対岸はドイツで、オストリッツ(Ostritz)という村である。この歩行者専用の橋のたもとのポーランド側には小さな小屋があり、ポーランド産品を売る土産物屋兼雑貨屋のようになっていた。これは、シェンゲン協定加盟以前は出入国管理事務所であったこと、間違いないだろう。

 駅舎のあたりから見る国境の橋。左がドイツ  橋のポーランド側にある土産物屋

さっそく国境の橋を渡ってドイツ側へ行ってみる。改めて橋の前後を眺めてみると、両岸にそれぞれの国旗の色を配した柱が立っていることに気付く。

 ドイツ側から見た橋  ポーランド側から見た橋

クシェヴィナ・ズゴゼレカの駅があるポーランド側は、駅以外に何もない所だが、ドイツ側のオストリッツは、一応の村になっていた。この駅の主な利用者も、ドイツのオストリッツの人と思われる。寒村には違いないが、ポーランド側に比べると綺麗にさっぱりしており、豊かな印象は与える。そして何とホテルまである。国境を自由に通行できない時代には、ここで宿泊するような旅行需要があったのだろうか。駐車スペースと思われる路側帯に、ポーランド国旗の色の看板立てがある。その時はポーランド国民用の駐車スペースなのだろうかと思ったが、これはドイツなどで一般的に使われている駐車禁止を表す立て看板である。

 ドイツ側のオストリッツは小綺麗な村  オストリッツにあるポーランド国旗色の看板立て

ポーランド側は駅以外に何もない。クシェヴィナという集落は小さいようで、しかも駅はその中心からも離れている。駅前を北へ少し歩くと踏切がある。その先には、数軒の民家がある。冬の雨の夕方だけあって、いかにも寂しげな眺めである。農家だろうか、家々は大きく立派だが、かなり古いと思われる。

 踏切から駅を望む  踏切の先に見えるポーランドの人家

駅へ戻り、改めて駅舎を見るが、中は閉鎖されていて入ることができない。この駅舎にもかつては出入国管理事務所が入っていたのかもしれない。何しろこの駅、両隣の駅ともドイツであり、ドイツ国鉄の路線だけの駅なのである。出入国管理が必要ならどうなるかというと、どちら方向から来ても、この駅に降りるということは、ドイツの出国審査を受けてポーランドの入国審査を受けなければならなかったはずである。しかし、ポーランドに用事がなく、駅前の橋を渡ってドイツのオステリッツが目的地という人は、ポーランドに降り立ったと思ったら、すぐに出国してドイツへ戻ることになる。ドイツ出国、ポーランド入国、ポーランド出国、ドイツ入国と、4度も出入国手続きをする理屈になる。駅の目の前に橋があるのだから、ポーランドの出入国審査は省略しても良さそうにも思える。審査官が見張っていれば、十分に監視の目が行き届きそうな気がする。逆に、駅構内と駅から橋までの部分だけを便宜上ドイツという扱いにして、実際にポーランドに行く人だけがドイツを出国し、ポーランドの入国審査を受けるという仕組みでも良さそうに思う。だが、橋の手前にかつての検問施設としか思えない土産物があるということは、そうなってはいなかったに違いない。ポーランドがシェンゲン協定に入る前、この駅のシステムはどうだったのであろう。ほんの4年ちょっと前まで、そうだったのだ。その頃に来てみたかったと思う。今は駅員も警官も出入国管理官も誰もいない。誰でも自由に行き来ができる。しかし、20分ほどの間、見事に人の気配がなかった。唯一、ポーランド側の住人と思われる少年2人が遊んでいるのに出会っただけである。雨が強くなってきたので余計に人がいなかったのかもしれない。

 待合室は閉鎖しており立ち入ることができない  ツィッタウ行き列車が到着

こんな面白い国境の両岸の様子をもっと歩きまわって見てみれば、1時間ぐらいは退屈せずにつぶせそうな場所であったが、あいにく雨がどんどん強くなってきたので、19分後のツィッタウ行きで引き返すことにした。同じ形式の新型気動車で、定刻にやってきた。今度も乗降客は私以外に誰もいない。乗車率も似たようなものであった。またナイセ川の国境を3度も越えて、ドイツのツィッタウに戻った。それにしても今日は朝から一体何度国境を越えたことだろう。

訪問を終えて


ツィッタウからは、次のコットブス行き列車でまた同じ区間を戻って、今度はクシェヴィナ・ズゴゼレカを通りすぎ、ゲルリッツ(Görlitz)まで行く。ゲルリッツはドイツで最も東にある都市で、ツィッタウ同様、ナイセ川対岸のポーランドまで、徒歩でも行けるほど近い。ツィッタウより大きな街だが、ツィッタウ同様、人口流出が続いているらしい。今日は、朝11時のチェコ・リベレツから夕方4時前のドイツ・ゲルリッツまで、5時間弱の間に国境を16回越えたことになる。

 妙に駅舎が大きなクシェヴィナの次駅  ゲルリッツに到着したコットブス行き

格別風光明媚な路線でもなく、珍しい列車が走っているわけでもない。著名な観光地もない。そんな場所であったが、一日に十数回も国境を越える経験は、そうそうない。そんな観察をし、過去に思いをはせながらの地味な旅だったが、なかなか面白かった。

それでも、シェンゲン協定以前の昔はどうだったのだろうと知りたくなる。そこで旅から戻って、古いトーマス・クックの時刻表を探してみた。トーマス・クックは全線全列車が掲載されている時刻表ではなく、特に東欧は西欧に比べて大ざっぱである。それでもある程度のことはわかる。


Thomas Cook European Rail Timetable September 2007 edition より引用

上の時刻表は、チェコとポーランドがシェンゲン協定に加盟する数ヶ月前のものである。本数も所要時間も今と大きく変わらないし、チェコ発ドイツ経由チェコ行きの列車も存在している。但し、今のようにリブニシュチェまで直通せず、ヴァルンスドルフで乗り換えるダイヤになっている。出入国審査は車内で行われていたのだろうが、チェコからチェコへ行く乗客は、ドイツの出入国スタンプを捺されたのだろうか。


Thomas Cook European Rail Timetable November 1991 edition より引用

次の時刻表は、今から遡ること20年前、まだ「チェコスロヴァキア」だった頃の1991年の時刻表である。ベルリンの壁こそ崩壊していたが、まだ、旧東ドイツを含むこの地域全体に、共産主義時代の香りがプンプンしていた頃である。この時代は今よりイミグレーションがずっと厳しく、日本人が観光でチェコスロヴァキアに行くにも、ヴィザが必要であった。

時刻表では今よりかなり本数が少ないが、他に掲載されていないローカル列車があったのかもしれない。所要時間も今より長いが、これは恐らく、国境駅での停車時間が長かったためと思われる。なお、リベレツからツィッタウまでの距離が15キロとなっているが、これは明らかな間違いである。直線距離でもそんなに近くない。天下のトーマス・クックといえども、東欧までは細かな調査が及ばない、あるいは東欧の鉄道に詳しいスタッフが十分ではない、そんな時代だったことをも感じさせる。

ここに一つ、面白い列車が見られる。リベレツ14時21分発のヴァルンスドルフ行きで、何と主要駅のツィッタウを通過している。これは、ドイツの駅を全て通過にすることによって、出入国審査を省略するためとしか思えない。だから、この時刻表に載っていない他のチェコ国内の駅には停車していたのかもしれない。少なくとも、チェコ側の国境駅、フラデツ・ナド・ニソウには停車していたような気がする。

  たそがれのゲルリッツ駅

ドイツは今の欧州経済危機において、もっぱら優等生という立場で報じられているが、それはマクロ的視点であり、ミクロに見ると、このエリアにおいては経済的なダメージが周辺国より大きいように見える。対するチェコのリベレツは、まだ活気を保っている感じがあった。ポーランドは、この国境エリアでは都市らしい都市を訪れておらず、寂しい所しか見ていないので、寂しい印象だけが残った。しかしドイツと比べれば物価や人件費が安いのは明らかで、きっとドイツからの買い物客で賑わうような場所があるに違いない。

歴史を振り返れば、何度となく国境の変更があったこの地域。現に第二次大戦終戦まで、このあたりの今のポーランドはドイツであった。鉄道が敷かれた頃、ルート決定に際して、こんなに沢山の国境を跨ぐことになるとは考えなかったのかもしれない。そんな経緯も含めて歴史を紐解いたら面白そうだが、とても一夜漬けで調べられることではない。

しかしいずれにせよ、2007年12月のチェコとポーランドのシェンゲン協定加盟により、今はまた、国境審査なしに自由に行き来できる鉄道になった。それによって地域間交流が活発になっていて、相互に経済効果をもたらしているのか、面白半分に鉄道に半日乗っただけの旅行でわかるはずもない。しかし、鉄道はどこも空いていたが、車窓から見た限り、車はそこそこ走っていた。車の方がより身近に、気軽に往来できるようになった恩恵を受けているのは間違いないと思われる。



欧州ローカル列車の旅:リベレツ〜リブニシュチェ *完* 訪問日:2012年1月7日(土)


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