欧州ローカル列車の旅 > 2017年 > フィンランド > ヘルシンキ〜コラリ (2)

ヘルシンキ〜コラリ 目次


目次 (1) フィンランドの鉄道 Railway in Finland
ヘルシンキ〜コウヴォラ Helsinki - Kouvola
コウヴォラ Kouvola
コウヴォラ〜コトカ Kouvola - Kotka
コトカ Kotka
(2) コウヴォラ〜ピエクサマキ Kouvola - Pieksämäki
ピエクサマキ〜タンペレ Pieksämäki - Tampere
タンペレ〜コラリ Tampere - Kolari

コウヴォラ〜ピエクサマキ Kouvola - Pieksämäki


 コウヴォラでは、一旦地下道をくぐって駅舎へ行き、売店でサンドイッチとコーヒーを買う。これはさきほど目星をつけておいた。それを持って次の列車のホームへと向かう。いつもながら、コーヒーはどこも、紙コップとプラスチックの蓋が主流であり、気をつけて運べばこぼれないとはいえ、日本の缶コーヒーやペットボトルコーヒーは便利だなと思う。やはり鞄にポイと放り込むわけにはいかないので、片手がふさがり、以後写真が撮りづらくなる。

 コウヴォラ15時45分発の次なるランナーは、ヘルシンキ始発で北部のオウル(Oulu)まで行く、いかにもという感じの長距離ローカル特急である。ヘルシンキからコウヴォラまでは、ラッペンランタ(Lappeenranta)行きを併結した12輌の長い編成でやってきて、ここで6輌ずつに分割される。ラッペンランタは、鉄道だとコウヴォラからヨエンスー方向へ行った次の駅であるが、次といっても駅間距離が86キロもある。

 ヘルシンキからオウルへは、681キロのタンペレ経由が最短距離・最短時間のメインルートである。この列車は迂回列車であり、距離も100キロ以上長い799キロあり、単線区間も多いローカル線である。それでも全線電化はされている。遠回りなので、ヘルシンキからオウルまで行く人は、物好き以外は利用しない列車である。実際、ヘルシンキからオウルへ、このルートを必然的に利用せざるを得ないケースはない。例えば、ヘルシンキをこの列車より1時間以上遅く出る本線タンペレ経由の列車が、オウルにはこの列車より2時間以上も早く着く。

 コウヴォラに到着したペンドリーノ

 この列車は"ペンドリーノ(Pendolino)"という種別である。フィンランドで急行より上の列車は、列車番号でいうと、ICとSがあり、しいて日本語で種別として定義するなら、どちらも「特急」に相当する。ICは欧州各国共通のインターシティーであり、ヘルシンキからコウヴォラまではこれであった。対するペンドリーノは、名前からもいかにもだが、イタリア語であり、イタリアのメーカーが開発した高速鉄道車輌なのである。イタリアで高速新線を走る前提で開発されたもののフィンランド向け仕様であり、フィンランドにおけるペンドリーノというのは、そういう車輌を用いた高速列車の種別でもあり、列車愛称でもある。ただ、イタリアと違い、フィンランドには基本的に高速専用の新線はほとんどないので、在来線をいかに高速で走るかを主眼において開発されたようで、そのため車体傾斜方式を採用しているという。フィンランドでの最高速度は220キロ。フィンランド人の間では、本当か嘘かは別として、南国イタリアの車輌だから、フィンランドの気候に適さず、冬は故障が多発すると言われているらしい。この手の話はどこにでもあるので、もしかするとそこまで頻度が高いわけでもなく、たまに故障があれば誇張して報道されてしまっているだけかもしれない。それに、フィンランド人にとって、イタリアは確かに南国のイメージではあろうが、イタリア北部の内陸部の冬は十分氷点下である。そこまで寒冷地対策のノウハウが無いわけでもないだろう。

 ともあれそのペンドリーノに初乗車である。ローカル列車とは対極の高速列車ではあるが、ここコウヴォラからピエクサマキまでの間は、列車本数が一日6往復しかない。うち2往復がペンドリーノで4往復がICなのだが、所要時間はどれもほぼ同じである。本来はペンドリーノの方をより高速で走らせるプランだったらしいが、色々な事情でそうなっていないらしい。途中駅は2駅だけで、全ての列車が停まる。距離は184キロなので、平均駅間距離が61キロもある。日本で特急だけの線というと、新幹線以外では石勝線があるが、それ以上の駅間距離であり、それ以下の運転本数である。それはここに限らず、フィンランド全体に見られる運行方式である。こうして見ると、3年前に乗ったノルウェー北部の閑散線区ともまた少し違うなと思う。参考までに、この区間の1992年の時刻表を見ると、他に10もの駅があり、普通列車のような列車も2往復だけ走っていた。今それらは駅も列車も廃止されてしまったらしい。距離が旭川〜北見間とほぼ一緒なので、その間に上川と遠軽の2つしか駅が残っていないような感じになっているわけだ。

 大雑把な地図を見れば、沿線には無数の湖がある。列車は時たま湖岸を走るものの、長続きはしない。すぐ森が現れる。まさに森と湖の国フィンランドの典型的な風景が続くが、目を凝らして観察するような変化はない。時たま農家っぽい人家や小さな集落があり、道路が並行したりする。駅があるのは少し大きな町だけである。

 ヘルシンキ行きと行き違うマンティハルユ駅  乗降客で賑わうミッケリ駅

 最初の停車駅マンティハルユ(Mantyharju)は、反対列車との行き違いで、結構賑わっていた。その次のミッケリ(Mikkeri)は大きな町で、乗降客も多い。

 そして駅間は淡々と無停車で、しかしかなりの高速で走る。もとより悪い景色ではないが、さして変わりばえのしない、単調な風景が続く。そしてピエクサマキに着く。ここも小さな町だが、鉄道ジャンクションとしても知られているようだ。乗り換える人もいるのか、下車客は結構多い。私もここで降りる。

 ピエクサマキに到着  ピエクサマキ駅舎と駅前

 ピエクサマキの乗り換え時間は44分。事前に調べてきたところ、町の中心は駅から少し離れていて、小さく、格別の特徴はない。そこへ行って戻るならばそれだけで終わる。他方、駅から徒歩ですぐ、駅前からも見える湖があり、湖畔に出られる。コウヴォラと違って、湖に囲まれた、もしかすると保養地のような所かもしれないと思ってやってきた。実際、駅前も清楚にこざっぱりしている感じである。人はパラパラいるが、観光地としての賑わいではないし、実際、駅前で他に目立つのは、地元民向けのスーパーマーケットである。


 というわけで、ぶらりと数分歩いて湖畔に行ってみる。日本や人口密度の高い工業国でこんな景色があれば、きっと一級の眺めとして観光化し、皆がカメラを向けるだろう。しかしこの程度の湖の景色は、フィンランドでは至るところにあるのだろう。わざわざ湖を見に来ている風な人はいない。角度を変えて数枚シャッターを押せば、もう特にやる事もなくなった。

 幸いの好天で気持ち良い駅付近  ピエクサマキ駅近くの渺茫たる眺め

 といってもどのみち44分。時間を持て余すほどのこともない。あくせくせず、しばし湖畔でのんびりくつろぐのはいいものである。幸い薄日が差しており、結構暖かい。実はもう少し寒いかと覚悟してやってきたのだが、フィンランド南部はまだ十分夏である。だが私はちょうど暖かい日に当たったらしいので、やはり油断は禁物であろう。


ピエクサマキ〜タンペレ Pieksämäki - Tampere


 次はピエクサマキ始発18時16分発の、タンペレ経由ヘルシンキ行きペンドリーノである。少し早めにホームへ行けば、こういう小さな町からの始発だからガラガラの6輌編成で停まっている。しかしホームで列車を待つ人もいる。同じホームの反対側には、18時14分発のカヤーニ(Kajaani)発コウヴォラ経由ヘルシンキ行きIC特急が、間もなく到着するのである。少し前の18時02分には、1日2本しかないローカル線である、ヨエンスー発ピエクサマキ行きも到着している。長閑な駅ではあるが、鉄道ジャンクションの面目躍如で、ひとときの賑わいを見せる時間帯である。

 2分差で別ルートのヘルシンキ行きが2本発車するとなれば、ヘルシンキにどちらがどのぐらい早く着くのかは、時刻表マニアならずとも気になる所であろう。これはコウヴォラ経由が21時40分着に対して、タンペレ経由は22時54分着と、大差がつく。タンペレ経由の方は、タンペレで長時間停車があるが、それを差し引いてもタンペレ経由が遅い。距離は前者が350キロ、後者が422キロで、表定速度はそれぞれ101.9キロ、91.1キロとなる。

 ルートの異なる2本のヘルシンキ行きが並ぶ

 カヤーニ方面からの乗り継ぎ客が加わり、いくぶん活気が出たとはいえ、乗車率2割弱という閑散とした状態で、タンペレ経由ヘルシンキ行きペンドリーノは定刻に4分遅れて発車した。こちらも車窓風景は単調で、森林が多く、時に湖が見える。たまに森の中に人家が点在しているが、その程度で、目立つような山も川もない。ピエクサマキからタンペレまでは全駅停車だが、平均駅間距離は47キロである。全線単線電化。

 この区間は大雑把に言うと、2つに分かれる。ユヴァスキュラ(Jyväskylä)までの前半はほぼ真西へ向かう。ユヴァスキュラからは方向が南西になってタンペレへと向かう。そのユヴァスキュラは人口13万で、フィンランドではそれなりの中核都市であり、学園都市でもある。

 木材を運ぶ貨物と交換のハンクサルミ駅  こんな湖が何度も車窓に現れてはすぐ消える

 といってもどちらの区間も車窓風景は似ており、変化にも乏しい。森と湖の国、フィンランドそのものである。地図で見てもこのあたりは湖がとりわけ多い。それが見えては消え、見えては消えの連続である。スイスなどのように、ずっと湖岸に沿った眺めが続くという車窓風景はない。地形が平坦で、湖の形も複雑だから、わざわざ線路を湖岸に沿って敷く必然性もメリットもなかったからであろう。

 ハンカサルミ(Hankasalmi)とユヴァスキュラの間に、2014年まで、リヴェストゥオレ(Lievestuore)という駅があり、一部の列車が停車していたが、利用者が減り、廃止されたという。廃止前の乗降客数が一列車平均3名だったそうで、ゼロではない。それでも廃止とは、少々酷だが、大量高速輸送こそ鉄道の役割だから、時間短縮が優先なのだろうか。日本より割り切ってやっているとの感が強い。

 活気があり都会的な11分停車のユヴァスキュラ駅  信号場に数分停まって反対列車の通過を待つ

 ユヴァスキュラは、11分もの停車時間があり、停車中に乗客がかなり加わった。駅も駅前もモダンで都会的な雰囲気で、実際なかなか活気のある都市らしい。列車本数もここからヘルシンキへ向けては倍増する。

 ユヴァスキュラを出るといくつか短いトンネルがある。駅間距離が長いので所々に信号場があり、停車して反対列車と行き違うこともある。

 タンペレまでで最後の停車駅、オリベシ(Orivesi)は、分岐合流駅であるが、小さな駅であった。ここで合流してくる線は、北部への本線のセイナヨキ(Seinäjoki)へとつながっており、タンペレ〜セイナヨキ間で本線の迂回線のような役割を果たしている。さらにユヴァスキュラから分かれる線ともつながっているなど、人口密度が低い地域にあって不思議な路線網を形成している。しかしどこも一日2〜3往復しかない。将来に渡って安泰なのか、風前の灯なのか、時刻表と地図以外に情報がない私にはわからない。乗って確かめたいなと思う。

 オリベシ駅  黄昏のタンペレに到着

 タンペレに近づき、本線が合流してくると、都市らしい風景になってくる。人口20万の内陸都市タンペレは、ヘルシンキとその都市圏を除けばフィンランド最大の都市である。乗降客も多く、この列車の客も半数は下車した。

 タンペレでの乗り換え時間は40分。大きな町なので、他に何もやる事がないとしても、町歩きには厳しそうだ。そして、乗ってきた列車が13分停車して21時07分に発車し、次に乗る列車は21時18分に到着して16分停車する。その間は11分しかない。乗ってきた列車の発車を見送るのはともかく、これから乗る長距離夜行列車の入線は、できればホームでカメラを構えたいところである。しかし私はこの時間を利用して、タンペレ駅構内で夕食を採ることにした。幸い、カジュアルな食堂があり、短時間でも食事ができそうである。フィンランドの長距離列車は夜行を含め、大体食堂車がついているので、車内で食べてもいいのだが、タンペレまでの車内では、何となく席を離れる気分にならなかった。ここから乗る夜行列車は、まだ時間的に大丈夫であろうが、夜遅くなって食べ物が売り切れにでもなっていたら困る。そんなことはないとは思うが、一応万が一を考えてである。というのも、この先は夜行列車の終着コラリを含め、食べ物すら簡単に買えないかもしれない僻地が続くからである。結論としてはそれらは杞憂ではあったのだが。


タンペレ〜コラリ Tampere - Kolari


 そういった次第で、タンペレ駅構内で食事を終えてホームへ上がったのが発車8分前。すっかり日が落ちたものの、まだ真っ暗になる前の、北国の夏独特の夕方と夜の間の時間帯である。そこに長編成の夜行列車が停車しており、停車時間を利用してホームでタバコを吸っている人などがパラパラといて、見送り人と別れを惜しんでいる姿も見られる。今の日本ではほとんど見られなくなってしまった、夜汽車の旅情が確かに存在していた。


 私の寝台は51号車で、もちろん51輌もつながっているわけではなく、機関車の次の先頭であった。その車輌の中でも前から3つ目のコンパートメントという、機関車の音が聞こえそうな場所である。先頭2輌は1階建ての旧式寝台で、その後ろには2階建ての新型寝台車が4輌、その次に座席車、食堂車、そしてもう一輌も座席車だろうか、そこまでが旅客車輌で、その後に車運車が何輌もつながっていた。週3本の超ローカル線とは思えない、豪華な長編成である。

 思えば学生の頃、日本国内の夜行急行自由席を利用してあちこち旅をした。その時はとにかく今よりそういった鉄道は利用者も多かったし、何しろ自由席だから、こうしてゆっくりとホームを歩いて汽車を見るゆとりもなかなかなかった。その点、寝台を取ってある今は、急いで乗り込む必要もない。

 それでも一通りの観察を終えたので、車内に入ってみる。2階建て車輌に比べれば明らかに古いとはいえ、十分綺麗で、コンパートメントには鍵が差し込んである。外から鍵が差し込んであるということは、中に客がいないということであろう。実際そうで、3段寝台の中段も上段も、枕や布団が綺麗にたたんだままで、人がいる形跡がない。私の寝台は下段である。

 コラリ行きのサボに少し感動を覚えた

 ヘルシンキの18時台は少々早すぎるとしても、21時34分発のタンペレを出れば、もうこの先で客が乗ってくる可能性は低いのではないか。タンペレの次の停車駅はセイナヨキで23時45分着である。コンパートメントを一晩貸切独占の可能性が高い。相客がいやだとも言い切れないが、やはり他人に気を遣わず一人ゆっくりできるのは最高である。これは思った以上の良い旅ができそうだ。

 三段式コンパートメント寝台車

 定刻に発車してほどなく車掌が検札に来た。外の景色もすぐに人家が途絶えて田舎になり、そしてほぼ暗くなった。一日中鉄道に乗っていただけだが、それなりに疲れたので、早寝することにする。というより、明日の朝、早起きをしたい。週3往復区間に入るケミ発が5時48分発なので、そこからは起きていたい。よって早々と電気を消してベッドに横になった。

 一夜明けて目が覚めた。やはり同室の客はいない。ブラインドの外が既に明るいのがわかる。どこか駅に停車しているので静かだ。ケミだろうか。ちらりとブラインドを開けて外をのぞくが、どこの駅かはわからなかった。ケミから次のトルニオ・イタイネン(Tornio Itäinen)は、25分かかる。そのあたりからは起きて景色も眺めたいので、横になったものの、もう熟睡しないでいた。

 その25分がなかなか経たない。いつまでも停車しないのである。うとうとしているうちに過ぎてしまったのか、それともまさか、週3往復区間に入ったので、途中駅の利用者はほとんどおらず、リクエスト・ストップなのだろうか、などと考えつつも、横になって目を閉じている。1時間ほど走り、ようやく停車した。そこがケミであった。50分も遅れている。

 分岐駅ケミには約50分遅れで到着

 フィンランドの鉄道は割と時間に正確だと聞いていたし、実際、イギリスあたりに比べても几帳面な国民性ではと思われる。他国からの国際列車の遅れの影響も非常に限定的である。そして夜行列車は運転時間にもゆとりがありそうである。だがやはり、こういうことになっている。コラリでのバスへの乗り継ぎ時間は12分しかない。列車接続バスとはいえ、こんなに遅れても乗り継げるのかと、若干の不安を覚える。とはいえ、遅れのおかげで5時台のはずのケミも、もう6時半すぎである。ブラインドを開け、ここからは起きて車窓を眺めることにする。

 ケミは、フィンランド全体の3分の1弱の面積を占めるラップランドの中では、トルニオと並んで第二、第三の人口を競う、人口稀薄なラップランドの中ではそれなりの町である。線路はここで左右に分かれる。右はラップランド最大都市ロヴァニエミへの、いわば本線であり、左が旅客列車は週3往復だけのコラリへの線である。だがこの区間には1988年までは、ケミからトルニオを経て国境を越えたスウェーデンのハパランダ(Haparanda)までの列車が走っていた。その路線は今も貨物線としては存続している。さらに、コラリ方面も貨物が毎日走っているらしい。木材などを運んでいるのだろうか。だから、旅客列車は週3往復しか走らない区間であっても、軌道の質が落ちることもなく、列車は時速100キロ以上と思われるスピードで快走する。

 ケミからトルニオは、北上というよりほぼ西へと走る。そして列車は、トルニオ・イタイネン駅に停まる。イタイネンは東という意味である。このトルニオの鉄道の変遷は、興味深い。私が1992年にロヴァニエミへ行った後、ケミへ戻って鉄道廃止後の代替バスでハパランダへと抜けた時の時刻表を見ると、コラリ行きは、トルニオ・ポヨイネン(Tornio Pohjoinen)駅、日本語ではトルニオ北駅に停車している。そのさらに数年前までは、トルニオの中心に駅があった。そこが、英語で言うトルニオ・タウン駅で、単にトルニオ駅とも呼ばれていたらしい。タウン駅から線路は四線軌条となり、国境の橋を渡ってハパランダまで続いている。スウェーデンが欧州の標準軌で、フィンランドがソ連と同じ広軌のためである。そこは今も軌間の異なる両国の貨物列車が走っているそうだ。トルニオ・タウン駅は、トルニオの中心市街地にも近く、ハパランダへも国境の橋を渡って歩いていけるような場所にあり、トルニオの町の人に利用されそうな立地だが、今は旅客列車はない。仮にこのコラリ行きを停車させようとすれば、スイッチバックしなければならない。それゆえ、トルニオの町の郊外に設置されたのが、最初は北駅だったが、立地が悪くて利用者が少なかった上、カーヴなどの関係で運転上も具合が悪く、一旦は廃止されてしまい、トルニオには列車が停まらなくなった。そして数年後、そのカーヴや分岐の手前に新たに設けられたのが、トルニオ東駅なのである。

 そのトルニオ東駅は、森林や原野ではないものの、町外れの寂しい所にある。片面ホームだが、この長編成の列車が停まれるだけの長さはある。時刻表では停車時間が4分あるが、遅れているのですぐ発車する。それでもドアを開けてホームにちょっと降りて写真を撮るぐらいのことはできる。一番先頭なので延々とつながっている後ろの方を見てみたが、下車客が10名ぐらいはいたようである。他方、前を見ると、タンペレでは電気機関車1台だけだったが、今はディーゼル機関車が重連で、その次に荷物車か電源車のような客車がついていた。

 単線で駅舎もないが長いホームのトルニオ東駅  先頭はディーゼル機関車の重連

 トルニオ東駅を44分遅れで発車する。発車後すぐに、左へトルニオ市街を経てスウェーデンへ向かう、今は貨物だけになった線路が分岐していく。こちらは右へカーヴして北へと針路を取る。スウェーデンとの国境を成すトルネ川が近づいてきて、木々が多いのではっきりではないが、その向こうにハパランダの市街地が一瞬見えた。

 トルニオ東駅の駅名標  スウェーデン方面への線路が分岐していく

 このカーヴによってほぼ90度向きが変わると、あとは終着コラリまで、ほぼ北上する形になる。線路の左手は、トルネ川がつかず離れずで、その川の向こうはスウェーデンである。従ってずっとではないが、ちらちらと川とスウェーデンを眺めながらの旅になる。

 トルニオを過ぎても列車はさしてスピードを落とさず快走する。たまに人家が現れるものの、いかにも人口密度の低い北辺の地に来たという感慨が湧いてくる。そうして60キロも走って次に停まるのが、ユリトルニオ(Ylitornio)。トルニオがつくが、トルニオに近いわけでもないし、トルニオ以外に地名がなかったわけでもなさそうだ。想像だが、トルニオとはトルネ川と関連した地名なので、トルネ川の沿岸にはトルニオを入れた地名がいくつか存在しうるということであり、その一つなのではないかと思う。

 舗装もしていないユリトルニオ駅ホーム  ユリトルニオ駅から白樺林の向こうに人家が見える

 そのユリトルニオも、長い単線の片面ホームの駅であった。トルニオと違い、ホームは舗装もされていない。やはり10人ぐらい下車客がいたようである。時刻表上では4分の停車時間があるが、やはり遅れているから、降りる人が済むとすぐ、中ほどにいる車掌が手を大きく挙げて発車合図を出した。

 終点まであと2駅になった。といってもまだ1時間以上あるので、私は食堂車へ行った。一応ペットボトルの水とパンなどの食糧は買って持ってきたが、ちょうど巡回してきた車掌に聞いたらちゃんと営業しているというので、コンパートメントに鍵をかけ、手ぶらで7輌も先の食堂車まで行ってみる。そこは売店とカフェテリアという感じで、何組かの客がくつろいで朝食やコーヒーを楽しんでいた。最初は買うだけですぐ戻るつもりだったが、空いている席も十分あったし、流石に部屋の荷物も大丈夫だろうから、しばしそこで過ごした。その間に列車は北極圏に入ったはずである。

 朝の食堂車はそれなりの賑わい  食堂車というよりはカフェテリアの雰囲気

 コーヒーの残りだけ持ってコンパートメントへ戻り、人家もない寂しい景色を眺める。北極圏内最初の駅にして最後の途中駅、ペロ(Pello)でも、やはりちょっとホームに出てみた。ユリトルニオと似て舗装もしていないカーヴを描いたホームがあり、ここもまた10人程度の下車客がいた。


 ついに最後の一駅になった。食堂車に行けば温かいコーヒーも買えるし、乗り心地も良く、もっといつまでも乗っていたい、優雅にくつろげる素晴らしい列車であり、降りるのが名残惜しい。遅れの方は、ペロ発の時刻で24分まで縮まっている。だいぶダイヤに余裕があるようだ。しかしダイヤに余裕といえば、深夜の途中停車駅も、軒並み停車時間がたっぷりある。それでいてどうして遅れたのかがむしろ謎だ。

 緑豊かな沿線に時たま人家が現れる  コラリ到着直前の車窓

 植物や植生の知識など皆無に近いので、気のせいかもしれないが、北極圏に入ってさらに北上し、心持ち木々が一層北国っぽくなった気がする。しかしその程度で、あとは変化に乏しい風景が続く。最後はにわかに線路が広がり、木材を積んだ貨車が並んだところを過ぎれば、長いホームの終着駅、コラリである。9時09分着、21分の遅れであった。

 終着コラリに到着  週3往復だけとは思えない立派なコラリ駅

 長編成の列車からは、それなりに大勢の客が降りてきて、駅は賑わう。駅舎は新しくて立派なものがあり、その中にカフェと売店もあるようだが、それ以外には特に何もないところである。駅前広場へ行けば、確かに路線バスが2台と、これは路線バスではなさそうだが、マイクロバスも1台、停車している。本当はもう少し駅をゆっくり観察したいところだが、既にバスの発車時刻を過ぎているので、急ぎ乗り込むしかない。しかし運転手はまだ車外でのんびりと客を待っていて、早く乗れとせかす雰囲気もない。そして予想外だったのは、この2本の路線バスがガラガラなことである。列車からこれだけ大勢の客が降りたのに、何もないコラリから、皆はどうするのだろう。この後、列車の後ろに連結されている車運車から車を下ろす作業が始まるはずだが、そうするとここまで乗ってきた客のほとんどが、車も乗せてきたということだろうか。まあ、フェリーなどでも、徒歩客は僅かで車の客が殆どだったりするから、ここも恐らく同様なのであろう。

 列車に接続してさらに北へ向かうバスが待つ駅前  コラリ駅前の道路

 それでも列車からの客が揃ったとみると、バスは発車した。最北駅コラリの駅と周辺をゆっくり観察できなかったのは残念だったが、フィンランド最北駅への列車の旅は文句なしに楽しかった。生まれて初めて北極圏を、それも列車で越えたので、鉄道でもっと緯度の高い所へ行くならば、残されたのはスウェーデンからノルウェーのナルヴィクへの線か、あとはロシアのムルマンスクということになる。それらも魅力に溢れる路線のようなので、いつか乗ってみたいと思う。



欧州ローカル列車の旅:ヘルシンキ〜コラリ *完* 訪問日:2017年8月18日(金)〜19日(土)


ヘルシンキ〜コラリ (1) ヘ戻る    南西ウェールズの盲腸線 (1) へ進む