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ペルピニャン〜ラトゥール・ドゥ・キャロル 目次


目次 (1) ペルピニャン Perpignan
ペルピニャン〜ヴィルフランシュ Perpignan - Villefranche
ヴィルフランシュ Villefranche
ヴィルフランシュ〜フォンぺドルーズ Villefranche - Fontpédrouse
フォンぺドルーズ〜フォン・ロム Fonpédrouse - Font-Romeu
(2) フォン・ロム Font-Romeu
フォン・ロム〜ブール・マダム Font-Romeu - Bourg-Madame
ブール・マダム Bourg-Madame
ブール・マダム〜ラトゥール・ドゥ・キャロル Bourg-Madame - Latour-de-Carol
ラトゥール・ドゥ・キャロル Latour-de-Carol

フォン・ロム Font-Romeu


 フォン・ロムは、ヴィルフランシュからの5往復中3往復を終着にしてしまう運転上の主要駅だが、他の交換駅と同じ普通の島式ホーム1面に、錆びた側線が1本あるだけである。駅周辺も寂しく、駅前に店も何もないし、ホームの反対側は広々とした草原が広がっている。私の他に下車したのは7〜8名だろうか、地元の人なのか旅行者なのか判然としないものの、鉄道に乗るのが主目的ではなさそうだ。それでも列車をバックに記念写真を撮っている人もいた。

 フォン・ロムに到着  フォン・ロム駅舎と駅前

 乗ってきた列車は時刻表によれば、23分後にヴィルフランシュへと折り返す。これがヴィルフランシュ方面への最終列車である。それが出た後、乗車予定のラトゥール・ドゥ・キャロル行きの到着までが、1時間39分。夕刻とはいえまだ十分明るいし、流石に標高1500メートルの高原だけあって、さきほどのような厳しい暑さはない。

 フォン・ロム駅を下の方から眺める  踏切へと続く未舗装の農道

 ボルケール・エーヌ訪問をやめれば、ここでたっぷり時間がある。そこでまず、ヴィルフランシュ行きの列車をどこかで撮影したい。到着手前に農道の、警報機も遮断機も無い、日本で言う第四種踏切があったので、スマホの地図も頼りにそこへ行ってみる。一旦駅の反対側の踏切を渡って、駅の下の方を通っていく。近道となる駅のすぐ下の道は、ちょうど農夫が牛を小屋に移動させている最中であった。なので遠慮して、さらに下の少し広い道を行けば、ホテルが1軒あり、パブが開いていた。その先の交差点から農道を上がり、無事踏切に達する。


 時刻表よりやや遅れたが、列車がやってきた。それを無事カメラに収め、その後は無難にホテルのテラスでお茶を飲んで時間を潰す。他に2組の中高年夫婦がいて、のんびり保養している感じであった。テラスに座っていれば、やがて汗も引いて、最後は涼しすぎるぐらいになった。この季節だからまだ日没まで間があるが、標高が高いからだろう、夕方には気温が急激に下がってくるようだ。この上なく爽やかな高原での一服であった。

 牛飼いのおじさんは私には無関心  ホテル前の村の風景

 ちなみに駅から徒歩数分の範囲には、他には特に何もないが、本来のフォン・ロム・オデイヨ・ヴィアという名前の村は、駅から北へ2キロぐらいの所にある。その村の上の方はスキー場で、それ向きの宿が多く、冬は賑わうらしい。もとより車で来る人がほとんどだろうが、今でも鉄道でスキーに来る人もいるのかもしれない。複合地名ではあるが、今はそのエリアがそう呼ばれるらしい。駅の下のホテルのあたりは、長い名前のうちの最後の「ヴィア」が元々の地名らしい。

 少し早めに駅へ戻る。この駅を出る最終の列車、といってもこの先は1日2本しかないが、その列車の到着時刻に近いというのに、駅には乗る人も迎えの人も誰もいない。さきほどは開いていた駅舎も営業終了し、施錠されていた。改めてじっくり駅を観察すれば、なかなか風格ある、いい駅で、一世紀近い歴史も感じられる。

 駅の標高を示す刻印  ラトゥール・ドゥ・キャロル行きが到着

 やはりボルケール・エーヌからの13分は余裕を見すぎなのであろう。今度の列車も時刻表より少し早めにやってきた。今回初めて見る新型車であった。後で調べると2輌が1ユニットで2ユニットだけあるらしいので、実質1編成だけである。旧型車は味わい深いが、乗り心地の比較などもできるし、一度ぐらいは新型もいいだろう。落書きが醜いのが残念だ。

 列車はガラガラであった。ここフォン・ロムでの下車客は5〜6人で、2時間前に私が乗ってきた列車と似たような人数である。そして、発車時刻まで間があるのでホームから一通り車内をのぞいてみたが、どうも乗客は一人もいないようであった。この先は1日2往復だけの貴重な列車なのに、この状況に愕然とする。確かに2往復しかない割に、列車の時間帯も少し遅すぎる気がする。観光客には利用しづらいだろう。今はまだいいが、一年の半分は真っ暗だ。どうしてこんな時間なのだろうか。

フォン・ロム〜ブール・マダム Font-Romeu - Bourg-Madame


 ともかく今度は最後尾に乗ってみた。窓が開かない代わりに冷房が程よくきいているから、快適ではある。しかし、こんなスピードも出せないスローな路線で、しかもほとんど観光鉄道となっているのに、窓を開けられないのは残念だ。旧型車は流石に寿命だろうから、近い将来、全てこれに置き換わってしまうのだろうか。廃線になるよりは良いが、窓が大きく開けられる旧型車には今後も頑張ってもらいたいと思う。

 新型電車の車内  実質貸切列車という贅沢なひととき

 先頭車に乗っている車掌は、運転手と雑談でもしているのだろう。私一人だけなのでわざわざ切符をチェックに来るわけでもなく、こちらも列車を貸切独占した気分である。だが夏の日の長い季節の日曜にしてこれでは、この路線の先行きが心配である。盲腸線であれば、先端部を廃止するところ、終点で別の路線につながっているから、かろうじて2往復を走らせて存置している感じだろうか。

 路線の方は、ここからブール・マダムまで、高原地帯をカーヴを繰り返しながらゆるやかに下っていく。前半区間のような山岳地帯でもなければ急勾配もない。月並みだが、牧歌的という言葉がピッタリであった。

 エスタヴァル付近の山村風景  2分停車の交換駅セラグースも乗降ゼロ

 フォン・ロムから次の駅、エスタヴァル(Estavar)までは7.6キロと、この路線での最長駅間距離であり、所要も時刻表では18分を要している。標高も一駅で200メートル近く下がる。穏やかに見えても勾配はそれなりにあるのだろう。長閑な山村とはいえ、前半区間より人家が多く、点々と集落がある。しかし前半の山岳区間は並行道路もヘアピン・カーヴが続くのに対して、このあたりは道路が良く、概ね並行道路もあるので、車の方が断然早い。前半区間5往復、後半区間2往復の理由はそこにありそうで、後半区間の方が先に、地元の人の利用が無くなってしまったのだろう。

 セラグース(Saillagouse)という交換可能駅に早着し、しばらく停車する。だがやはり乗降ゼロで、駅には人の気配もなかった。ホームから見れば駅の裏手、徒歩数分のところにまとまった集落がある。あれぐらい住んでいる人がいれば、多少は鉄道に乗ってくれる人がいても良さそうなものだが、そうではない実情も、こうして来てみれば納得できてしまう。

 セラグースのホームから見る集落  立派な駅舎のあるエルを通過

 ここからブール・マダムまでは小さな駅が3つある。どこもリクエスト・ストップで停車しないが、駅周辺にはある程度の人家が見られる。どこもホームだけの停留所ではなく、古くて立派な駅舎が残っている。かつては駅員がいて、切符を売り、地元の人が乗り降りしていたのであろう。

ブール・マダム Bourg-Madame


 ブール・マダムもこれまでの交換駅と似たような島式ホーム一面であった。乗降は私だけである。時刻表だと2分の停車時間があるが、2分早着したので、発車まで4分ある。事前にスマホで地図を見ながら、4分の間に駅の先の道路まで行けばこの列車の写真を撮れるのではないかと思っていた。だが、駅のホームから見れば、立体交差で道路が下なので、駄目である。しかも列車は時刻表より2分早く、さっさと発車してしまった。


 無人のホームで発車を見送れば、夕闇迫る寂しいホームに一人取り残された感じになる。一昔前の、グーグル・マップでの下調べなどができない時代だったら、いくらホテルを予約してあっても、ここで不安になったかもしれない。しかし事前に調べてきた通り、駅から1分歩くだけで、町に出る。大きな町ではないが、この時間でも人が歩いているのも見かけるし、車も走っている。ただ、栄えているわけではなく、潰れた飲食店も見かける。

 それにしても、何故「マダム」なのであろう。初めて見た時から、むしろどことなしにユーモラスな地名に感じてしまった。まあ、婦人のマダムと特に関係ないとは思うが、フランスの地名にマダムが入っている所を私は他に知らない。

 ブール・マダムを去る客のいない列車  人の姿も見かけるブール・マダムの町

 ブール・マダムの中心部を数分歩き、商店街が果てると、小さな川があり、橋が架かっている。この川がフランスとスペインの国境で、スペイン側はプッチェルダ(Puigcerdà)という町である。この川の存在ゆえ、ブール・マダムは、この路線の後半部分では標高が一番低い。つまり、最高所のボルケール・エーヌから勾配を下ってきた路線は、ここから最後のラトゥール・ドゥ・キャロルに向かってまた登り勾配になる。

 ブール・マダムとスペインとの国境  スペイン側には国境検問施設の跡が残る

 私の今晩の宿は、そのスペインのプッチェルダにあるホテルである。フランスのブール・マダムからも、プッチェルダの中心部からも徒歩10分余りの場所で、国境からなら3分という所だが、場末であり、栄えた場所ではない。しかし、ホテルが2軒ある。ほとんどの客は車で来るのだろう。今回はブール・マダムに着く時間が遅めだが、それでもスペインでの宿泊を選んだ。全区間、フランスを走るローカル線の旅なのに、その途中で降りて泊まる場所がスペイン、というのが、何か愉快という単純な理由である。ちなみにブール・マダムの町にも複数のホテルがあり、近い所なら駅から徒歩3分である。

 わざわざ国境を越えてスペイン側に泊まることにしたわけだが、実はできれば、同じスペインでも、リビア(Llívia)に泊まりたかった。リビアはブール・マダムから見ると、プッチェルダの反対側にあるスペインの飛び地で、周囲を完全にフランスに囲まれている。だからブール・マダムという町も、両側をスペインに挟まれている。鉄道はスペインには全く入ることなく、全区間フランスを走っている。ここにリビアというスペインの飛び地があることを知った時は、興味津々であり、それならリビアに泊まれないかと調べたのだが、ホテルはあるものの、交通機関がない。歩こうと思えば歩けるが、1時間かかる。まだ明るい時間とはいえ、これはさすがに断念した。

 というわけで、プッチェルダに1泊した翌朝は、まずホテルで貸自転車について尋ねた。そもそも貸自転車があるホテルというのが、このホテルを選んだ理由だったのだが、ホテルが貸してくれるのではなく、近所に貸し自転車をやっているスポーツ用品屋があるだけのことである。さっそく教えてもらったそこへ行ったが、朝早すぎるせいか営業していない。そこで時間潰しを兼ねて、歩いてプッチェルダの中心部を通って、その先にあるプッチェルダ駅まで行ってみた。

 この駅は、スペイン国鉄レンフェ(Renfe)の駅で、路線はバルセロナとラトゥール・ドゥ・キャロルを結んでいる。そのラトゥール・ドゥ・キャロルの一つ手前の駅であり、スペイン側最後の国境駅でもある。ちょうど間もなく9時34分の、バルセロナ発ラトゥール・ドゥ・キャロル行きがやってくる所だったので、それを待って写真に収める。数名の乗降客があり、フランスの狭軌鉄道よりは地元で日常的に使われている路線と思われた。そもそもプッチェルダは、このあたりでは大きな町で、人口も9000人に及ぶ。参考までに、ブール・マダムは1200人、リビアは1400人ほどである。

 スペイン国鉄のプッチェルダ駅  風情あるプッチェルダの旧市街

 その後は結局、タクシーでリビアへ行った。バスでもあればと思ったのだが、見当たらなかったし、距離も大したことはないので、そうすることにした。タクシーの運転手は親切ではあったが、英語もフランス語もほとんどできないそうで、母国語はカタラン語であった。こんなフランス国境に近い所でタクシーの仕事をしている人が、フランス語もできないとは意外だが、逆にこのあたりのフランス領内は、カタラン語が結構通じるらしい。まあ、できないとは言っても私などよりはよっぽどわかるには違いないが。

 スペインの飛び地リビアの旧市街  のどかなリビアの風景

 そんなわけで、言葉が通じないなりに、リビアという所の写真を撮りたいことを伝え、何ヶ所か停まって待ってもらい、ホテルまで戻ってきた。ただやはり、お金を払っているとはいえ、待たせるのに何となく気を遣ってしまい、自分のペースでゆっくり歩いたり写真を撮ったりはできず、駆け足訪問になってしまった。運転手も、特段有名な観光地もない場所だけに、言葉のできない客をどこへ連れていけばいいか、困ったには違いない。鉄道と関係ないのでこれ以上の詳細は略すが、平和で長閑な飛び地リビアがどんな所かはわかって満足し、タクシーでホテルへ戻る。

 ホテルのチェックアウトは12時。英語のできる従業員のおばさんが「自転車借りられたか」と尋ねるので、駄目だったからタクシーで行ってきたと正直に答える。それから少し部屋で涼んでいたが、いつまで居ても仕方ないので、荷物をまとめて早めにチェックアウトした。列車は12時53分発である。昨夕と同じ国境を歩いて超えて、ブール・マダムの町へと戻り、一通り歩き回り、また汗だくになった。

 ブール・マダムの町越しにプッチェルダを遠望  ブール・マダムの町と反対側の踏切から

 特に観光名所とてないし、とにかく暑いので、やや時間を持て余し、最後はカフェで一服して、12時53分発ラトゥール・ドゥ・キャロル行きに乗るべく、早めに駅へ行く。駅の営業時間は12時45分からとある。少し早く着いたら、やはり無人で、駅舎も閉まっていたので、ホームのベンチに座ってボーッとしていた。すると12時45分に少し遅れてはいたが、駅舎の鍵を開ける音がして、人の良さそうなおばさんの駅員が「ボンジュール」とにこやかに現れた。

 駅へのサインポストは「黄色い列車の駅」  ブール・マダム駅舎

 その駅員さんが何やら色々フランス語で言う。あまり理解できないものの、列車が30分ほど遅れているらしいことはわかった。どこまで行くのか聞くので、切符を出して見せる。結局、ラトゥール・ドゥ・キャロルで12分で接続するトゥールーズ行きには乗り継げないということである。まあ幸いにも今回の私のスケジュールはかなり間延びしており、今晩はトゥールーズに宿を取ってあるし、トゥールーズでも特段の予定はないので、今日中に着けるならば問題はない。逆に、予定通り乗り継げたら16時45分にはトゥールーズに着いてしまい、その方がちょっと早すぎるなと思っていたぐらいなので、それは良しとしよう。

ブール・マダム〜ラトゥール・ドゥ・キャロル
Bourg-Madame - Latour-de-Carol


 やる事とてなく、ホームのベンチに座って待つ。駅にいるのは私と駅員のおばさんだけで、他の乗客も出迎えの人も誰もいない。列車は結局48分遅れで入線してきた。旧型車であった。車掌がホームに降りてくる。昨日の故障車の時と同じ車掌であった。あちらも私の顔を覚えていて、笑顔で「ボンジュール」と言う。遅れているのに運転手と車掌が駅舎まで行き、おばさんの駅員と挨拶し、二言三言、言葉を交わしている。乗降客は私だけ。列車の方は昨日とは違い、パラパラとはお客が乗っているようである。

 48分遅れでブール・マダムに到着する列車  ブール・マダム駅と駅員、運転手、車掌

 ブール・マダムからラトゥール・ドゥ・キャロルは、所要16分で、途中にはリクエスト・ストップの小駅が2つある。その3駅の間に標高が100メートルほど上がる。

 ウル・レ・ゼスカルド駅を通過  民家の庭を見下ろしながら進む

 風景は昨夕の最終区間と似て、山に囲まれた緑豊かな高原地帯である。そこに点々と集落がある。昔ながらの山村集落だけでなく、新しい豪邸が並んだところもある。道路が並行する区間もあり、車が列車を軽々と追い越しながら、ドライバーが列車に向けて手を振ったりする。

 新しい大きな家も目立つ  最後の途中駅ベナ・ファネを通過

 最後の駅、べネ・ファネ(Béna-Fanès)のあたりも大きな新築家屋が建ち並んでいた。とは言ってもやはり都市ではないので、人々の普段の生活に鉄道での移動などは無いのだろう。例えばたまに列車でパリに出かける人がいるとして、駅のそばに住んでいても、1日2本しかない列車との接続を含めて、うまく旅程が組める方が稀だろう。どこか主要駅まで車で行くことになってしまい、この路線には乗ってもらえないのではないか。そして今の私のように、せっかく12分という好接続であっても、こうしてしばしば遅れるのでは、頼りにならないではないか。ゆえにまともに用事があって出かける人の交通機関としては、機能していない、どうもそんな感じを持たざるを得ない。

ラトゥール・ドゥ・キャロル Latour-de-Carol


 スペインからの広軌路線が近寄ってきて、少しの間、併走し、最後はあっけなく終着ラトゥール・ドゥ・キャロルへ到着した。降りた客は十数名といったところだろうか。ほぼ観光客ばかりと思われた。

 バルセロナからの広軌が近づいてくる  ラトゥール・ドゥ・キャロルへ到着

 この駅も、正式駅名は、ラトゥール・ドゥ・キャロル・アンヴェツという長い名前である。だが、最後のアンヴェツが省略されている書物や表示も多い。アンヴェツは人口650人ほどの小さな自治体の名前であり、駅自体はその外れにあるらしい。もっとも駅名として有名な隣のラトゥール・ドゥ・キャロルの方が人口が少なく、400人余りらしい。両方合わせて1000人ちょっとという、山峡の人口の少ない地域にあり、駅は両集落の中間あたりに位置する。集落の中心へはどちらも駅から1キロほど離れている。だから駅自体は静かな場所である。

 ラトゥール・ドゥ・キャロルで降りてきた乗客  ラトゥール・ドゥ・キャロル駅前の道路標識

 それでも主要駅であるから、豪壮な駅舎と広い駅前広場がある。しかしそれだけで、あとは駅横に1軒のカフェと、広場向かいに薬局があるだけである。カフェは観光客で満員の賑わいであった。なお、正式名が何かという話をするならば、ラトゥールも、ラ・トゥールかもしれない。これもフランス語で2語に分けた表示と、1語にまとめた表示が混在している。語源的にもともとはフランス語の定冠詞"la"がついた2語だったことは間違いないであろう。ちなみに駅名標ではラとトゥールが分かれて書かれていた。

 一つ残っていた旧式の駅名標  ラトゥール・ドゥ・キャロルの立派な駅舎

 それより何より、ここは3つの異なる軌間の鉄道路線が集まる駅であり、その面で世界的にも珍しい、貴重な存在として知られる。スペインからのイベリアゲージと呼ばれる広軌鉄道、フランスのトゥールーズからの標準軌の路線、そして今乗ってきたメーターゲージの狭軌路線、そのいずれもがここが起終点になっており、この駅を超えての直通ができない。細かく言うと、スペイン国境を越える1駅間、つまりこことさきほど歩いて訪れたプッチェルダの間だけが、かつては三線軌道だったらしい。貨物の扱いが主な理由らしいが、ともかく今はその区間も広軌だけとなり、フランスの標準軌車輌はスペインへは乗り入れできない。よって、全ての路線はここが始発・終着であり、この駅を超えて走る列車はない。そういう希少価値のある鉄道の要衝駅である。


 到着したホームの反対側には、フランス国鉄の標準軌の客車列車が機関車付きで留置してある。ローカル列車ばかりかと思っていたが、1日1往復だけ、パリ直通の夜行がここ始終着で走っているのである。それ以外は全てトゥールーズまでの普通列車で、これはすっかり新型電車に置き換わってしまった。他方、広軌のスペイン国鉄は行き止まりの片面ホーム1つだけのようで、1時間半あまりの滞在中、列車を見ることはなかった。上の写真の右の線路がそのスペイン国鉄の車止めで、左のホームに標準軌の客車とトラン・ジューヌの狭軌車輌とが見える。

 15時13分発で折り返してゆく  第三軌条付き狭軌鉄道ともこれでお別れ

 遅れなければ、12分の接続で慌しくトゥールーズ方面へと去っていたわけだが、遅れたおかげでここラトゥール・ドゥ・キャロル駅をゆっくり観察することができた。そして、駅前のカフェで昼食をゆっくり採れたし、その後、折り返し本日最終のトラン・ジューヌ、15時13分発ヴィルフランシュ行きの発車を見届けることもできた。その発車シーンをカメラに収めていたら、あの車掌が運転席の窓から大きく手を振ってくれた。



欧州ローカル列車の旅:ペルピニャン〜ラトゥール・ドゥ・キャロル *完* 訪問日:2017年6月11日(日)〜6月12日(月)


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