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ズヴォレン〜バルデヨフ 目次


目次 (1) スロヴァキアと鉄道 Slovakia and Railway
ズヴォレン Zvolen
ズヴォレン〜ヴルッキ Zvolen - Vrútky
(2) ヴルッキ Vrútky
ヴルッキ〜キサック Vrútky - Kysak
キサック〜プレショフ Kysak - Prešov
(3) プレショフ〜バルデヨフ Prešov - Bardejov
バルデヨフ Bardejov
プレショフ Prešov
コシチェ Košice

プレショフ〜バルデヨフ Prešov - Bardejov


 本来なら、ここプレショフで8分の接続時間があるので、急いで駅前にちょっと出るぐらいの時間はあるのだが、こちらが7分遅れて着いたため、ここでもすぐに乗り換えなければならない。

 プレショフ始発のバルデヨフ行きは、着いた同じホームの反対側前方に小型気動車2輌で停まっており、この列車からの乗り換え客を待っていた。スロヴァキア東部ではコシチェの中心性が高いようで、この地方のローカル列車はコシチェを中心としたダイヤが組まれている。簡単に言うと、2時間に1本のリパニー行きに、プレショフ始発のバルデヨフ行きが接続しており、コシチェからプレショフまでは、その間にもう1本、区間列車が入り、1時間に1本の運転になる、という感じである。世界遺産に指定された町バルデヨフが盲腸支線の気動車2輌なのに比べると、本線格で5輌の電車がそのまま直通するリパニーというのは、どんな所であろう。人口もリパニーの方が少ないようだし、どうしてあちらが直通で、バルデヨフが支線扱いなのだろうか。そんなことも気になるが、いずれにしても、バルデヨフ行きの可愛らしい小型気動車列車の客となる。

 左がリパニー行きで右がバルデヨフ行き  プレショフで発車を待つバルデヨフ行き

 この車輌は片側は3人掛けで、4人用と6人用のボックスシートが並んでいた。これが満席になればかなり窮屈だが、今はそこまで混むことも少ないのだろう。さきほどの電車よりはいくらか乗車率が良いが、土曜の夕方の客は多くなかった。最後に乗り込んだ私でも、4人用ボックス席を独り占めすることができた。

 プレショフからバルデヨフは、45キロを1時間8分で走るので、表定速度は39.7キロと、だいぶローカル線らしい鈍足になる。途中12駅あり、平均駅間距離は3.5キロと、ローカル支線にしては短めである。2つ目のカプシャニ・プリ・プレショヴェ(Kapušany pri Prešove)までは、フメンネ(Humenné)という所まで行く別の路線も同じ線路を走る。ローカル線ばかりとはいえ、案外稠密な路線網が敷かれた地方である。

 プレショフ発車時のバルデヨフ行き車内  最初の駅は駅舎も大きく構内も広い

 プレショフの街をはずれると、ほどなく長閑な農村地帯になった。折からの初夏の爽やかな夕方の気候のせいもあり、穏やかで平和な風景が続く。その分、強い印象に残る風景ではないので、意識して乗らないと、何の記憶も残らないかもしれない。それでも、来る所まで来たというローカル線の旅の充実感を感じる。バルデヨフは世界遺産に指定された古い街並みがあるというが、週末なのに、観光地へ向かう列車という雰囲気は全くない。実際はわからないが、乗客はほぼ全て、地元のローカル客に見える。

 しっかり駅員がいるカプシャニ・プリ・プレショヴェ  車窓からのカプシァンスキ城(翌日撮影)

 分岐駅のカプシャニ・プリ・プレショヴェは、構内も広かった。左手に高い丘があり、その上に石の廃墟が見える。後で調べると、13世紀築のカプシァンスキ城(Kapušiansky hrad)らしい。この程度の古城の廃墟は、ヨーロッパでは珍しくもないが、城跡の石がそこそこ立派に残っているらしい。

 ローカル線らしくなった小駅フリアンカ  交換駅はどこもちゃんとした駅舎がある

 カプシャニ・プリ・プレショヴェからバルデヨフまでの35キロは、所要57分なので、2時間に1本の運転であれば、1つの車輌が行ったり来たりするだけでも足りる。実際これが日本の盲腸ローカル線だと、途中駅の交換設備をことごとく撤去して、全線一閉塞区間にして、徹底した合理化を図っている所も多い。しかしここは、2〜3駅に一つの割で交換設備があり、そういう駅には必ずちゃんとした駅舎があり、駅員がいて、列車の発着を見守っていた。

 途中各駅で、少しずつ下車客がいる。途中駅からの乗車も少ないながらある。ふた昔前ぐらいの日本よろしく、こういったローカル線もまだそれなりに地元住民の日常の足として利用されているのがわかる。全線のほぼ中間にある交換駅、ラスラヴィチェ(Raslavice)では、6分停車して、上りプレショフ行き列車と行き違った。

 並行道路も車は少ない  6分停車で列車交換のあるラスラヴィチェ

 太陽が段々と低くなり、風景が少しずつ赤みがかってくる。それでもこの列車に間に合って良かった。バルデヨフまで余裕で明るく、着いた後もしばらく明るい街を散策できる。バルデヨフが近づくと、寂しい駅が多くなる。特に終着の一つ手前のクルショフ(Kľušov)という駅は、単線でホームだけの寂しい駅で、駅前に国道が並行しているほか、特に何もなかった。ここだけは乗降客もゼロであった。

 シバ付近の緑豊かな車窓  終着の一つ手前は寂しい駅

 終着に近づくと、にわかに人家が増え、田舎町ながら、ちょっとした町らしい風景になった。左手の道路の先に立派な石垣が見え、何とはなしに歴史を感じる。遠くアパートも見える。そうして列車はスピードを落とし、ポイントをいくつか渡ると、バルデヨフ駅へとゆっくり滑り込んだ。

バルデヨフ Bardejov


 終着バルデヨフには、定刻の19時32分に着いた。途中はダイヤの乱れの影響を大きく受けたが、出発と到着はピッタリ時間通りの旅であった。ヨーロッパ標準時エリアの最東部に位置するスロヴァキア東部だから、夜明けも日没も早い地域だが、さすが夏至に近い6月なので、まだまだ日が高い。そういう時間に到着できて良かったと思う。

 終着バルデヨフに到着  1輌だけ切り離され車庫へ引き上げる

 2輌の気動車からはそれなりに大勢の客が下車する。ホームに出迎えの家族や知人が何人も来ており、抱き合って再会を喜ぶ光景も見られる。ローカル鉄道がまだまだこうして地域の足として利用されているのを見るのは、いいものである。

 バルデヨフ駅舎

 鈍行列車しか来ない盲腸線の終着駅としては、バルデヨフは十分大きな駅であった。引き込み線も複数あり、貨車も停まっていた。見ていると、今乗ってきた2輌編成が切り離されて、1輌だけが線路の先にある車庫へと引き上げていった。これからの時間は客もますます減るので、1輌だけが折り返すのであろうか。

 駅舎内もかなり広かったが、薄暗く、ガランとしていた。明日の切符を買いたかったのだが、もう切符売場は閉まっていた。そして駅前広場へ出ると、これまた広い広場はあったが、外から見る駅舎は格別の味わいもない、機能本位の建物であった。世界遺産指定都市とはいえ、そんな観光地の玄関口らしさはみじんもなかった。

 まだ明るさもしばらく残りそうなので、今乗ってきた線路に沿って少し戻ってみた。間もなくバルデヨフ19時54分発のプレショフ行きが、バルデヨフを出発する。それを撮影しようというわけだ。駅から500メートルほど行った2つ目の踏切のあたりは、夏草が生い茂っていたが、雰囲気は悪くない。そこで写真を撮った。鉄道写真やその雰囲気も良かったが、素朴な警報機音の踏切も印象的であった。さきほど切り離して1輌になってホームに停まっていた筈だが、どういうわけか、列車は2輌編成であった。私が去った後、また別の車輌が1輌車庫から出てきて増結されたのだろうか。この時はそう思っていたが、後で知ったところによれば、一輌目と二輌目を入れ替えていたのだった。入れ替えが必要で、二輌目の車輌は運転台がついていないのである。

 その後、宿にチェックインしてから、世界遺産に指定された市庁舎広場へと行ってみた。人口3万人のバルデヨフは、鉄道路線図では末端だが、古くから拠点として栄えた都市であり、市庁舎広場は中世の姿をそのままにとどめていることから、2000年にユネスコ世界遺産に指定された。それ以前の戦後のチェコスロヴァキア時代から、文化遺産を守るために、それなりに保全活動がなされていたらしく、その結果が世界遺産登録に結びついたようである。

 バルデヨフ旧市街の市庁舎広場  広場がユネスコ世界遺産に指定されている

 夕方の広場はのんびりしていた。確かに広場に一歩入ると、整然と古い家が並んでいて、何も知らずにやってきても、ここは違うな、と感じない人はいないであろう。それでいてどことなく自然であり、あまり観光地臭くもない。パラパラと地元の人っぽい人が散歩したり、子供が遊んでいたりする、長閑で平和な風情であった。

プレショフ Prešov


 バルデヨフで1泊した翌日は、バルデヨフの街をたっぷり見学して、12時28分発のプレショフ行きで、バルデヨフを後にすることにした。平日だとその前に10時28分発があって、正直、それでも十分、という程度に、バルデヨフの見どころは限られていたが、10時28分が日曜運休なので仕方なかった。

 バルデヨフのもう一つの名所、というか、もともとバルデヨフは古代より温泉都市でもある。その温泉は、駅から北へ数キロ離れた所にある。ホテルの人に聞くと、タクシーで5ユーロぐらいで簡単に行けるそうだ。だが、そこまで行ってしまうと今度は時間が足りなくなりそうだ。行って見学するだけならいいが、せっかく温泉地へ行くなら、温泉に浸かりたい。ここの温泉が日本でいう日帰り入浴ができるのか、水着が必要なのか、そういったこともわからないので、今回はやめておくことにした。

 おかげで普段はあまり入らない博物館などにも入って、ローカルな歴史の跡を少し学ぶことができた。スロヴァキア語と並んで英語でも丁寧に解説がされていたのは有難かったが、その背景にある膨大なヨーロッパ中世史の知識がほとんどない私には、理解できることは限られていた。

 昔のままの古びた駅構内のカフェ  バルデヨフで発車を待つプレショフ行き

 普段はここまで早く駅に行かない私も、今日は30分前に駅へ行く。今日はインターネットで切符を買っていないので、まず窓口で切符を買う。次に、昼食にはまだ早いが、昨晩は閉まっていた構内のカフェが開いていたので、軽く昼食を食べておく。その後、既に入線してエンジンもかかっていた列車に早めに乗り込む。4時間も間が空いたせいか、昨夕よりは乗客も多かった。

 運転時刻はずっと正確であった。途中での乗降もパラパラと見られた。降りる人も結構いる。バルデヨフの人口が3万もあるからではあろうが、このぐらいの利用者がいれば、この線はまだ当分安泰であろう。

 バルデヨフ発プレショフ行き気動車列車の車内  終着プレショフに到着

 プレショフでは、来た時の逆で、到着ホームで少し待っていると、同じホームの反対側に、リパニー発コシチェ行きがやってくる。バルデヨフからの列車を降りた客で、地下道をくぐって出口へ向かう人は半分以下で、コシチェ方面へ乗り継ぐ客の方が多かった。バルデヨフはプレショフ県に属し、ここプレショフこそ県庁なのだが、プレショフよりはコシチェの方が都市の規模が大きいことの表れであろう。

 私はこの先は時間の余裕もあるので、プレショフではすぐ乗り継がず、プレショフの街を1時間ほど歩いてみることにした。リパニー発の2時間に1本の列車の間に、プレショフとコシチェの区間列車が走っている。だが、駅を出るのは、あの強烈な旧型電車の発着を見送ってからにする。

 そのリパニーからの電車は、やはり緑と白の5輌編成で、定刻に入線してきた。先頭車は昔なつかしい、強烈な吊り掛けモーター音で、本当に勢いよく轟音とともに入ってきた。それでわかった。昨日の乗車時、古い電車の割に、ブレーキ音がきしむばかりで、モーター音は案外静かだと思っていたのだが、5輌のうち中間3輌が付随車(日本でいうサハ)であって、先頭と最後のみが電動車(日本でいうクモハ)なのであった。

 日本ならとっくに鉄道博物館入りのような、この個性的な旧型電車に、ここプレショフで大勢の乗客が乗り込む。彼らにとってはごく日常の平凡な利用なのだろうが、そうして普通に利用されている光景が、印象的であった。

 プレショフでコシチェ行きに乗る人々  重々しい旧型電車

 数分の停車で出発。最後尾の吊り掛けモーター音のうなりを見送ってから、地下道をくぐり、駅を出た。駅前は場末という感じで、共産主義時代の香りがまだプンプンと漂っていた。

 プレショフの駅舎内  プレショフ駅舎

 市街地は線路で言えば、駅からリパニー方向へしばらく進んだあたりのようである。だいぶ暑くなってはきたが、閑散とした通りを歩いてみた。次のコシチェ行き列車まで50分ほどしかないが、それに乗り遅れたらその後でもいいと思っているので、気は焦らない。いざとなればバスかタクシーで駅へ戻る手段もあるかな、と思い、注意してバス停をチェックしながら歩いてみた。

 今乗ってきたはずの線路を跨ぐ  プレショフ市街地

 この街は何と言ったらいいのだろう。共産主義時代の面影が強く残っている。日本で言う県庁所在地相当の求心力はありながらも、隣の県の大都市コシチェが近いので、商業などはそちらに取られてしまっているのか、あまり活気がない感じがする。もっとも今日は日曜なので、店の多くが閉まっている。平日はもう少し賑わっているだろう。そして、中心部の街並みに、観光要素が薄い。写真にすれば、それなりに絵にはなるが、ヨーロッパではその程度のことで観光客を大勢集められないのは、周知の通りである。

 プレショフ市街地  市内の教会

 市内交通はバスとトロリーバスである。これらは結構走っている。暑いメインストリートを、同じ所を歩いて戻るのもしんどいので、帰りは市街地のバス停からバスで戻った。バス代は僅か40セントと、安い。ブラチスラヴァの70セントも、近くのウィーンなどと比べれば格安に感じるが、さらに安い。しかもブラチスラヴァなどと同じ自動券売機がバス停にある。ブラチスラヴァでは英語が併記されていたが、ここはスロヴァキア語のみである。それでも勝手がわかっているので、何となく切符を買うことができた。そうしてバスで楽々駅へ戻った。

コシチェ Košice


 プレショフ始発のコシチェ行きは、あの旧型電車ではなく、似ても似つかぬモダンな二階建ての新車であった。乗ってみれば、快適さは雲泥の差である。窓は開かないが、冷房がしっかり入っている。走行音も静かだ。毎日の通勤で乗るなら、この快適さの差は相当大きいだろう。しかし私はあの旧型車にもう一度乗りたかったので、残念ではある。さきほど、先頭車と後尾車が電動車ということを発見したので、今度は電動車に乗って、恐らく強烈であろうモーター音を味わいたかった。こういう新車が導入されているということは、あの旧型電車も遠からず淘汰されるかもしれない。その前にもう一度、あれに乗るために訪れたい。そう思うほどに、すごい電車であった。

 プレショフ始発コシチェ行きは新型電車  キサックで隣に停まっていた旧型電車

 キサックまでは、昨日、旧型電車で乗った所を戻る。そのキサックでは反対側にあの旧型電車が停まっていた。キサックも、行きは慌ただしく乗り換えただけなので、降りてみたい気もするが、今日はやめておく。

 キサックからもしばらくは似たような山村風景の中を走る。しかしコシチェが近づくと、風景が変わった。遠くの丘の中腹に、画一的に造られたと思われるアパート群が見られるようになる。別にアパートが直ちに社会主義につながるとは言わない。日本にもああいうアパートは沢山ある。だが、やはりこれは、社会主義時代の産物だな、と思えるような、集合住宅である。少なくともドイツやフランスの都市近郊で見かけるものとは違う。

 コシチェ郊外の印象的な光景  コシチェに到着

 そうして線路が広がると、コシチェに定刻に着いた。スロヴァキア第二の都市の表玄関であり、確かに大きな駅である。しかし田舎駅の長閑さも持ち合わせた、開放的な駅であった。我が列車が着いたのも、高くて広いホームではなく、狭い簡易ホームであった。

 駅舎も格別なものではなかった。機能一点張りという感じで、間違っても重要建築物として保存対象にならないものである。そう考えると、これまで旅してきたスロヴァキアの主要駅には、いかにも金をかけたという感じの豪壮な駅舎はなかった。駅なんてものはそれでいいのかもしれないが、ヨーロッパには文化遺産的価値のあるすごい駅舎が少なからずあるので、ちょっと味気ない気もする。

 トラムが発着するコシチェ駅前広場  近代化が進みつつあるコシチェ中心部

 駅前はトラムの終着でもある。駅前広場をぐるりと回って戻る方式なので、折り返しはなく、運転手は乗ったままで良い。トラムは複数の路線が入ってきているが、どの路線も15分間隔程度の運転本数なので、終着ターミナルでありながら、トラムの車輌を全く見ない瞬間もある。それでもトラムが着けばそれなりの客が降りてきて、駅舎へと向かう。駅と市街地とが少し離れているので、トラムがそれらを結ぶ交通機関としてしっかり役割を果たしているようであった。東欧は昔からのトラムがそのまま残っているところが多い印象があるが、スロヴァキアでトラムがある都市は、ブラチスラヴァとコシチェだけである。

 ここにも、ブラチスラヴァやプレショフで見たのと同じ、自動券売機がある。トラムやバスは最低運賃が50セントであった。乗り換えても最初の打刻から30分までは有効である。駅は市の中心と少し離れているので、トラムに乗って車窓から市内を見てみた。

 コシチェ市内のトラム。とにかくアパートが目立つ街である

 第二の都市にしては素朴で長閑で平和な街、それがコシチェの印象である。そして、さきほどプレショフからコシチェに向かう列車からも見えたが、とにかくアパートが多い。それはトラム沿線でちょっと郊外へ出ても同じであった。それでも昔ながらのトラムが今なお市内交通の主役として活躍しており、適度な活気もある、ある意味、住みやすそうな都市であった。



欧州ローカル列車の旅:ズヴォレン〜バルデヨフ *完* 訪問日:2014年6月7日(土)〜8日(日)


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