欧州ローカル列車の旅 > 2023年 > スイス > サンモリッツ~ツェルマット (2)
ディゼンティス/ムステルには、定刻より1分ほど早着した。両鉄道の接続駅とはいえ、さほど大きな駅ではなかった。広い屋根付きの近代的なホームで、向かい側には接続列車のアンデルマット行きが待っていた。
同じホームで接続する両鉄道 | ホーム後尾のクール方向 |
時刻表上の乗り継ぎ時間は3分しかないので、駅前にすら行く時間がないのが残念である。ちなみに氷河急行は機関車付け替えのため、ここで15分~23分も停車するので、駅前散歩ぐらいできるだろう。小さな村でも鉄道会社の境界であり、古くからの宿場機能を有し、修道院もある村となれば、どんな所かは気になる。たとえ駅前に数分でも、ホームだけよりは何かがわかり、感じられるものである。
氷河鈍行の旅、3番ランナーは、ディゼンティス/ムステル16時14分発アンデルマット行き普通列車。鉄道会社は違うが、似たような赤を基調とした近代的な車輌で、一般乗客の視点では、違う鉄道会社に乗り換えたという実感はあまりない。しかし、レーティッシュ鉄道とマッターホルン・ゴッタルド鉄道の大きな違いは、後者はアプト式のラック式対応車輌、つまり急勾配を歯車を噛ませて走る機能を持つ車輌という点である。
アンデルマットまでは29キロと、距離は短いが、途中駅が10駅もあるので、平均駅間距離は2.6キロしかない。勾配はきついが、並行道路か山道を一駅ぐらい簡単に歩けそうな所も多い。所要時間1時間08分なので、表定速度は時速25.6キロと、これまでの2線よりだいぶ遅い。ラック区間は4ヶ所あり、その合計が約15.8キロなので、半分強がラック区間である。ラック区間にある駅は3駅。
ラック式を使っているから、当然勾配はきつい。標高1130メートルのディゼンティス/ムステルから、ライン川源流であるサミットのオーバーアルプ峠(Oberalppass)までは登る一方で、峠を過ぎてすぐのオーバーアルプパス駅は標高2033メートル。そこから今度は急勾配で下り、終着アンデルマットは標高1436メートルになる。
ラック区間の駅アクラ・ダ・フォンタウナ |
そういう魅力的な峠越え区間ではあるが、今回は残念ながら、途中で日が暮れてしまう。当日のこの地方の日没時刻は16時43分。一番の心残りと言えばそうだが、いずれにしても、いつの日か、乗り通しだけではなく、峠の駅などに下車しに来たいと思う。
今度の電車は6輌編成で、これまでと同じく乗車率は2割弱。ざっと見た限り乗客層は地元客が多いようで、上品そうなご婦人が編み物をしていたりと、生活感が漂っている。やはり自分は観光列車よりこういう旅が好きなんだ、と、改めて思うひとときである。
発車してほどなく、床下からガリガリという音が伝わってくる。ラック区間に入る所では、最徐行して、線路側と車輌側の歯車を合わせるのだ。そのあたりの技術的な詳細はわからないが、とにかく乗っていて音と感触で気づく。ひとたび歯車がかみ合えば、普通の走行音で、スピードがやや遅い事を除けば普通の粘着レール区間と乗り心地は変わらない。また、ラック区間を外れる時は、特に徐行はせず、乗っているだけではほぼ気づかない。
最初の駅アクラ・ダ・フォンタウナ(Acla da Fontauna)は勾配がきつく、ラック区間にある駅である。その先でラック区間を外れると、穏やかな盆地をしばし走り、野原に低いホームがある寂しい駅セニャス(Segnas)に着く。そんな駅でも下車客がいた。その2つ先のブニャイ(Bugnai)はホームが高い所にある、集落の中にある駅であった。
寂しいセニャス駅前 | 人家が割と多いブニャイ駅 |
残念ながら外が薄暗くなってきた。大半の駅はリクエスト・ストップだが、どの駅にも停車し、若干の乗降客がある。スキーを持った人が乗ってくることも多い。交換駅のセドゥルン(Sedrun)で、反対列車行き違いの停車があったので、ドア前のホームに降りてみた。ここもそれなりの集落だが、冬の日没迫る時間帯だけに、寂しさひときわであった。
ディエニ(Dieni)という、ホームの目の前にスキー場がある駅を出ると、にわかに登り勾配がきつくなり、2つ目のラック区間に入る。このラック区間はこの鉄道に10ヶ所ある中の最長で、最高所であるオーバーアルプパスのサミットの手前まで、6.4キロも続く。最高地点は国道のオーバーアルプ峠のすぐ横で、そこから下り勾配になってすぐ、今回の全区間で最高地点にある駅、オーバーアルプパスに停まる。
最高所の駅オーバーアルプパス | 終着アンデルマットに到着 |
ここも駅前がスキー場で、ナイター設備はなさそうなのに、まだリフトが動いており、滑っている人がいた。ここから今度はアンデルマットの谷へと急勾配を下っていく。途中駅ネチュン(Nätschen)まではなだらかなカーヴが多く、ラック区間の駅ネチュンからアンデルマットまでは、道路も線路も羊腸ヘアピンカーヴを繰り返しながら下りてゆく。残念ながら完全な夜になってしまったが、アンデルマットの村の夜景がはるか右手下方に見え、次は左側に見え、また右側に見え、そのたびに灯りが近づいてくる。ネチュンからアンデルマットは、4.2キロの距離を、時刻表では18分かかることになっているが、余裕を見ているのだろう。途中やや遅れていたのに、アンデルマットには1分早着した。
まだ夕方5時台だが、日没後の山峡の駅アンデルマットは、寂しい風情があった。ここは、マッターホルン・ゴッタルド鉄道の短い支線が分岐する駅でもある。その支線はゲシェネン(Göschenen)まで4キロ、途中駅なしで、アンデルマットから急勾配をラック式でゲシェネンへ下っていく。ゲシェネンはスイス国鉄のチューリッヒとミラノを結ぶ旧幹線上の駅で、全長15キロのゴッタルド・トンネルの北側の駅である。だからこの4キロの線も、利用者の大半は両線の乗り継ぎ目的であろう。実情を知らない人が地図だけ見たら、交差地点に駅を作れば便利なのに、と思うだろうが、その交差地点はアンデルマット駅のすぐ西で、国鉄は地下深い所をトンネルで通過している。仮に国鉄に地下ホームを作って乗換駅にしたら、土合の下りホーム以上の凄いことになるだろう。私もこの連絡線でゲシェネンに出て、国鉄に乗り換え、今日の宿泊地へ向かった。
一夜明け、翌朝10時半、アンデルマットへ戻ってきた。氷河鈍行の旅は、本日2本の列車を乗り継いで、午後2時過ぎのツェルマットで完結の予定である。
スキー客も多いアンデルマット駅 | アンデルマット駅前 |
昨夕のアンデルマット駅は、日没後のどこか哀愁を帯びた寂しい雰囲気が漂っていたが、今朝は青空も広がり、スキーを持った人が元気に乗り降りしている。駅前もそこまで賑やかな場所ではないが、観光客などで活気があり、明るい雰囲気だ。
アンデルマットでちょっと見ておきたい物が、駅の東側踏切の近くにある。線路はそこからさっそく、かなりの急勾配になって、オーバーアルプパスに向けて登っていく。踏切から至近距離に、線路の真ん中の歯車用ラックレールの開始・終了地点がある。
3本の普通列車が並ぶアンデルマット | 氷河急行も停車するアンデルマット駅発車案内 |
氷河鈍行の旅4本目は、アンデルマット10時37分発フィスプ行き。5本のうち、距離76.8キロは2番目に長く、所要時間2時間13分は最長、そして途中停車駅22駅も一番多く、レーティッシュ鉄道の通過駅を含めて数えても、駅数最大である。表定速度は34.6キロ。今度はアンデルマットから48キロの間はラック区間は全くなく、その先に3ヶ所あるが、どこも2キロ以下の短い区間ばかりで、ラック区間延長は4.7キロに過ぎない。
勾配は、アンデルマットから2駅は登りでレアルプ(Realp)へ。そこからフルカ峠(Furkapass)を越える。かつてのフルカ峠越えは、絶景路線であったが、1982年に全長15.4キロのフルカ・ベーストンネル(Furka-Basistunnel)が開通し、旧線は一旦廃止になった後、保存観光鉄道として復活している。フルカ・ベーストンネルを抜けるとオーバーヴァルト(Oberwald)で、以後は緩やかに谷を下り、後半はループ線で一気に、今回の全区間で二番目に大きな町、ブリークへと下りていく。
1番ホームで発車を待つフィスプ行き電車 |
フルカ峠のトンネルがあるレアルプ~オーバーヴァルト間は、今回の旅で最長の18.1キロもの駅間距離がある。他方、この1駅間を除くと、駅間距離は短く、1キロちょっとしかない所もいくつもある。山峡の小さな集落にこまめに駅が設けられている点は、ディゼンティス/ムステル~アンデルマット間も同じで、人が住んでいるからではあるが、レーティッシュ鉄道の駅間距離10キロ以上が連続する所とは趣が異なる。
列車は5輌編成の電車で、乗車率は3割程度だろうか。スキーを持った人が結構目立つ。駅舎寄りの1番ホームから定刻に発車。
雪景色を眺めながら3分ほど走ると、最初の停車駅ホスペンタル(Hospental)。島式ホームの交換駅で、既に反対ホームに列車が停車している。これこそが、氷河急行であった。ツェルマットを朝に出る2本のうち最初の列車である。外観は特別豪華な列車には見えない。というより、普通列車も皆、綺麗な車輌なので、遠目にはどちらが豪華かと言われてもわからない。ただ、車内はやはり豪華そうで、朝からテーブルにワイングラスが並んでいたりする。他方のこちらはスキーを持った客がさっそく大勢下車。ここも駅前がスキー場なのであった。
ホスペンタルで氷河急行と行き違い | スキー客の下車が目立ったホスペンタル |
再び深い雪の中を、緩い登り勾配を感じながら渓流に沿って進み、レアルプに着く。ここも駅前がスキー場であった。やはりスキーを持った人が何人も下車したが、朝に一滑りした後なのか、乗って来る人もいる。ここはフルカ峠の東側の集落で、列車はここからフルカ・ベーストンネルに入ってしまう。フルカ峠越えの旧線もSL列車が走る観光路線として復活しているが、夏の間だけで、冬期は観光列車どころか、かつて通常路線だった時代、一般の列車も通れなかった。それゆえ年間安定通行のための長大トンネルが掘削されたのである。
フルカ峠の東側の駅レアルプ | レアルプ駅前もスキー場 |
駅間18.1キロのうち15.4キロがフルカ・ベーストンネルという区間をそこそこのスピードで快走し、オーバーヴァルトに着く。駅手前で車運列車が40台ほどの車を積んで停車していた。客車はつないでおらず、車の運転手などは乗ったままである。他方のホーム向かいには、二度目の氷河急行が止まっている。さきほどのホスペンタルからほぼ30分なので、1時間間隔で続行する氷河急行とここで二度目のすれ違いというのは辻褄も合う。今度は停まった目の前が二等客車で、乗客の顔や車内の様子がはっきりわかる。あちらの客も、こちらの列車を見るともなく見ている人が多い。一人旅の日本人女性かな、と思われる客がいたのが何となく印象に残った。
ところで、氷河急行を意識して氷河鈍行の旅を組んだ自分であるが、その割と氷河急行自体には注目していなかった。この2度の行き違いも、事前にしっかり調べていたわけではない。そして、そう言えば昨日も氷河急行2本とどこかで行き違っている筈だが見かけなかったな、と思って後から調べてみた。その1本目はクールの手前のSバーン区間のボナドゥツ(Bonaduz)という駅で運転停車をしている時にさっと走り去った列車であった。そして2本目はクールの町をぶらぶらしている間に、やってきて折り返して去っている。
カートレインが大盛況 | オーバーヴァルトで二本目の氷河急行と行き違う |
オーバーヴァルトは、フランスで地中海に注ぐローヌ川の源流に近い最上流部である。ここから国鉄連絡駅のブリークまでは、一転して駅が多く、同区間の平均駅間距離は2.3キロしかない。前半は勾配も緩く、概ねローヌ川に沿って少しずつ下ってゆく。そんな所にちょこちょこと駅があり、スキーを持った人や地元の人が乗り降りする。生活感もあり、風情はあるが、ハイライトには欠ける。アンデルマット~フュルガンゲン・ベルヴァルト(Furgangen-Bellwald)の48キロに渡り、ラックレール区間もない。積雪も少しずつ浅くなっていく。
リクエスト・ストップの無人駅グリュリンゲン | 雪も浅くなってきたニーデンヴァルト |
フュルガンゲン・ベルヴァルトまで来るとだいぶ雪が浅くなり、路上にはほとんどなくなった。この駅は面白い構造で、ホームの真ん中の一部が踏切である。そこに降りた客は遮断機が閉まった踏切の中にいることになる。
フュルガンゲン・ベルヴァルトから地形が険しくなっていく。勾配がきつくなり、ラックレール区間に入る。ぐるりと大カーヴを描いて教会の塔が目立つ少し大きな集落を見下ろし、そこへと下っていく。フィーシュ(Fiesch)で、人口千人弱、ブリーク方面からここまでの区間列車もある、これまでの途中では一番大きな村である。駅前からはスキー用なのか、ゴンドラが出ている。
ホームが一部踏切のフュルガンゲン・ベルヴァルト | 久しぶりの大きな村フィーシュが近づく |
グレンギオルス(Grengiols)が近づくと、本列車で2つ目のラックレール区間に入る。短いトンネルを一つくぐると、左車窓直下にグレンギオルス駅が見えて、反対列車が停車している。その先でトンネルに入り、右カーヴでループを回って、今しがた見えた駅へと滑り込む。駅のホームから、今通ってきたループ上の線路がはっきり見えた。
ループ線からグレンギオルス駅が見える | グレンギオルス駅から右上にループ線が見える |
このあたりまで来ると地表には雪が全くない。もう一つラックレール区間を過ぎてまた下界に降りた感じのメーレル(Mörel)の駅前は、もう都市郊外に舞い降りたようである。しかしここもゴンドラリフトの乗り換え駅で、スキーや登山だけでなく、山の上に住む住人の足でもあるらしい。
メーレル駅前 | ブリークの11~12番ホーム |
メーレルから10分、最後の勾配を緩やかに下り、ローヌ川を斜めに渡る。そして右手に国鉄の機関庫を見つつ、ブリークに着く。シンプロン・トンネルを控えた国鉄の主要駅で、私も国鉄では何度となく通ったり途中下車をしている。本サイトの旅でも最初の年にロカルノ~ドモドッソラでここを通っている。勝手知った、というほどでもないが、馴染みのブリークも、こうして山岳鉄道から着いてみると別の所のようで、少し不思議な感じもする。ここでほとんどの客が降りてしまい、列車はガラガラになった。
この狭軌鉄道のブリーク駅は、正確にはブリーク・バンホフプラッツ(Brig Bahnhofplatz)と言う。つまりブリーク駅前広場である。まさにそういう場所に位置し、国鉄の駅舎側から見ると路面電車の駅のように、広場から直接乗車できる。しかし反対側には一応の高さを持ったプラットフォームがある。列車は両方のドアが開き、駅前広場側にも高いホームの側にもどちらにも降りることができる。多くの客が広場側に降りて、国鉄の駅舎に向かったようである。
ブリークの国鉄駅前広場側 | 国鉄線並行区間の途中駅アイホルツ |
このブリーク駅前広場駅はまた、この狭軌鉄道の路線の境目であり、アンデルマットからここまでがフルカ・オーバーアルプ線、ここから先はブリーク・フィスプ・ツェルマット線になる。かつては実際に、アンデルマットからの電車はここが終点で、ツェルマット方面はここで乗り換えであった。しかし今、乗換駅がフィスプに変わっている。これは、2007年にレッチュベルク・ベーストンネルが開通して、ベルン方面とブリーク方面を結ぶ特急がフィスプを経由するようになった時からだそうだ。それにしてももう15年になるとは、早いものである。
ブリークからフィスプは国鉄と狭軌鉄道が完全に並行しており、所要時間は国鉄が6~7分、こちらは倍の12分ぐらいかかる。この間、国鉄には途中駅がないが、こちらには一つ、アイホルツ(Eyholz)という駅がある。片側は国鉄の線路が視界を塞いでいる殺風景な所だが、駅前側はスーパーマーケットなどがいくつかある郊外型ショッピングの場所のようである。もとよりショッピングの客はほとんどが車であろうから、ここでの乗降客も僅かで、中途半端な町中だけに、逆に寂しい感じの駅であった。
2日に渡った氷河鈍行乗り継ぎ旅、最終ランナーはフィスプ始発のツェルマット行き。距離35.1キロ、所要1時間06分、表定速度31.9キロ、途中駅6駅で、平均駅間距離5.0キロの区間である。勾配は標高650メートルのフィスプから1605メートルのツェルマットまで、ほぼ一方的な登りの連続で、平均勾配27.2パーミル。ラック区間が5ヶ所あり、最急勾配は125パーミルにもなる。ラック区間延長は9.1キロなので、割合はさほど高くない。
近代的な国鉄との共同使用駅フィスプ | ツェルマット行きホームから隣の国鉄ホーム |
フィスプ18分の乗り継ぎ時間は、駅前をぶらぶら散歩し、3番線の13時08分発ツェルマット行きに乗車。同じホーム反対側2番線には、乗ってきたアンデルマットからの列車がまだ停まっていた。そちらは同時刻の13時08分発折り返しアンデルマット行きになる。こちらツェルマット行きは今までで一番短い4輌編成だが、空いていた。短くても必ずファーストクラスも付いている。
フィスプは、レッチュベルク・ベーストンネル線開通のタイミングで駅を改装したので、近代的な駅である。その際、狭軌鉄道も国鉄と同じ高さに並ぶ高架ホームになった。それ以前の狭軌鉄道の駅はブリーク同様、地平の駅前広場にある古びた風情のある駅だったらしい。今、その跡地には近代的なビルが建ったりして、痕跡はあまり残っていないらしい。
フィスプを出たと思うとすぐ、西へ向かう国鉄線と離れてほぼ90度、左へ急カーヴをして、一路南へ、ツェルマットを目指す。ローヌ川の支流、ヴィスパ川が右手に寄り添ってきた。以後概ねこの川に沿ってツェルマットまで上がっていく。町はすぐ果てて渓流に沿って勾配を上がっていくが、まださほど急ではなく、列車のスピードも速い。車窓も自然一色ではなく、郊外らしい建物があったり、セメント工場があったりする。
そうして走ること7分、スピードを落とすと、床下からガリガリという音が伝わってきて、ラック区間に入った。ほどなく最初の駅、シュタルデン・ザース(Stalden-Saas)に着く。相対ホームの交換駅で、隣の線路の歯車が見える。そういう駅は昨日もあったが、夕方で良く見えなかった。ちなみにディゼンティス/ムステルからツェルマットまでの全線で、ラック区間内にある駅は5駅ある。うちここを含む3駅は交換可能駅なので、そういう駅を選んで降りてみれば、ラック区間のポイントも観察できて面白いだろう。
ラック区間の急勾配駅シュタルデン・ザース | 隣の線路のラックを観察できた |
シュタルデン・ザースはヴィスパ川の2つの流れが合流する場所で、ここから上流は本流がマッターヴィスパ川、支流がザーサーヴィスパ川になる。鉄道はツェルマットまで、ほぼマッターヴィスタ川に忠実に沿って遡り、特に急カーヴもないし、ループ線などもない。
寂しい所にあるカルペトラン駅 | 車窓に見えるマッターヴィスタ川 |
カルペトラン(Kalpetran)という山峡の寂しい駅では、左の線に貨物列車が停まっていた。行き違いかなと思うと、こちらの列車着くや、ツェルマット方向へ出ていった。こちらはその後を続行するわけだが、そのせいか3分遅れて発車した。貨物の方が何かの事情で遅れていたのだろう。
次のザンクト・ニクラウス(St. Niklaus)までの間に割と長いラック区間があり、そのあたりから路面に雪が現れ、次第に深くなっていった。ザンクト・ニクラウスは割と大きな集落で、数名が下車。地元の人ばかりと思われる。名だたる観光地ツェルマットへの最終区間も、時間帯のせいか、全くもって生活列車の趣である。
それなりに変化に富んだ車窓風景 | ランダを発車後に反対列車と行き違う |
3キロのラック区間を終えて平地が広まったランダ(Randa)まで来ると、すっかり雪景色になった。発車後、少しのろのろと走るとすぐ停まり、そこで反対列車と行き違う。これは昨日も何度となく経験しているが、日本なら反対列車がホームに着いてからドアを閉めて発車するだろう。こちらは軽便鉄道なりに貨物も通るからか、交換駅の有効長がかなり長い。だから、発車後の僅かな区間でも、単線になる手前の行ける所まで行き、そこでもう一度停まって反対列車を待つ、ということが結構あった。
乗客は地元の一般客が多い | 終着の一つ手前テーシュは大きく立派な駅 |
標高1400メートルのランダを過ぎると、これまでの険しい渓谷から、意外にも雪原が広がる高原らしい風景になった。そして最後の途中駅テーシュ(Tasch)。立派な駅で、駅前にバスが沢山止まっているし、ここから乗ってくる人もいる。どういう事かというと、一般車が入れるのはここまでで、この先は観光客などの車は制限されている。だから車で来た人はここに駐車して、ここから一駅は列車に乗ってツェルマットへ行かなければならない。そのための一駅区間のシャトル列車も走っている。そうして最後の一駅も、開けた雪原の向こうにそれなりの家並みなども見ながら、ビルなども見えてきて、終着ツェルマットにゆっくりと進入した。
ツェルマット駅は標高1605メートルで、サンモリッツの1775メートルより低い。サンモリッツからプレダまでと、オーバーアルプパスの前後の2ヶ所、ここより標高の高い所を経てきたので、特段の高所に来たわけでもない。そして、広々とした感じのサンモリッツよりも、より凝縮した観光都市の町並みが駅前から広がっている。自分の周囲には観光客らしき客はほとんどいなかったが、他の車輌からはキャリーバッグを転がした小グループも何組か出て来た。きっとここで泊まる人達だろう。
終着ツェルマットに到着 | 着いたホームのフィスプ方向 |
観光客の少ない静かな生活列車から降りれば、大きなギャップだが、やはりツェルマット自体は観光地である。駅からブランドショップまでも急坂を上がらないといけないサンモリッツに比べると、町はほぼ平坦で、そこにホテルやレストラン、お土産屋などが集まっており、世界中からの観光客で賑わっていた。
テーシュ行きシャトル列車乗り場が別にある | 駅構内から駅前を見る |
年末休暇の午後とはいえ、あまりの人の多さと見事に観光化された雰囲気は、静かな列車とそこから見えた素朴な風景とのギャップが大きすぎる。それでも、そういう場所は駅付近の一部だけで、少し先へ歩いてみれば、様々なものが見えてくる。車が乗り入れ禁止なのに、これだけの人が来ているのは、乗ってきたフィスプからの列車以上に、テーシュとの一駅を走るシャトル列車の力が大きいのかもしれない。テーシュ行きシャトル列車の専用乗り場があって、本数も20分に1本ぐらいあり、専用の改札口まである。テーシュの駐車場とシャトル列車がセットになったチケットがあるのだろう。
駅横のカーゴターミナルへの引き込み線 | 観光客で溢れかえる駅付近 |
車が乗り入れできないのはトラックも一緒で、そのためここツェルマットは物資の輸送もこの鉄道が活躍している。さきほども先行する貨物列車を見たし、旅客駅のすぐ横にはカーゴターミナルと書かれた貨物駅があって、そこへの専用引き込み線が通っている。そうして一般車を排除していて、走っている車はタクシーを含め全て小型電気自動車である。その数も少ないので、車で溢れかえる観光地になっていないのは救いだし、鉄道旅行派としても嬉しい。
ずっと沿ってきたマッターヴィスタ川の上流になる | 裏道に入ると木造の伝統家屋も見られる |
観光客向けの施設や店が並ぶ所を離れれば、ずっと沿って遡ってきたマッターヴィスタ川に沿った散歩道もあるし、その間の路地に入れば木造の伝統家屋が並んでいる所もある。そもそもツェルマットはその昔は、冬は不可能という夏向け観光地だったらしい。それが今のように通年、鉄道で簡単に訪れられるようになり、今日に至っている。そうして私もこの季節に寒さに震える思いをすることもなく、2日に渡り快適な氷河鈍行の旅を楽しむことができた。しかしやはり、乗りっぱなしの物足りなさはある。とりあえず「完乗」したので、次はいくつかの駅に下車して山里や高原を歩いて、鉄道写真も撮りたいと強く感じた次第である。