欧州ローカル列車の旅 > 2013年 > ポーランド・リトアニア > ビャウィストク〜カウナス (2)
目次 | (1) | ポーランドとリトアニア Poland and Lithuania |
ビャウィストク Białystok | ||
ビャウィストク〜スヴァウキ Białystok - Suwałki | ||
(2) | スヴァウキ〜シェシュトカイ Suwałki - Šeštokai | |
シェシュトカイ〜カウナス Šeštokai - Kaunas | ||
カウナス Kaunas |
スヴァウキでガラガラになったので、私はコンパートメント車に移動してみた。若干の乗客は残っているが、大半のコンパートメントは空であった。西欧のコンパートメント車は、二等車でも6人1室が普通だが、東欧の二等車は8人1室である。これが満室になると、正直、かなり息が詰まる感じがするのだが、何人掛けであろうとガラガラの時は最高である。外が寒くても、気兼ねなく窓を開けて写真が撮れるのもいい。乗ってきた線路が右へ緩いカーヴを描いて分かれていく。いよいよ一日1往復だけの超ローカル区間に入った。あとは一面の雪景色の中、点在する人家がたまに現れる程度で、これといって印象に残るようなものは何もない。淡々と原野や森林を抜けて走るあたり、廃止になった北海道の池北線や標津線あたりを思い出す。
乗ってきたビャウィストク方面の線路と分かれる | 国境駅トラキシュキの駅舎 |
スヴァウキからちょうど30分で、次の駅、トラキシュキ(Trakiszki)に停まる。ここがポーランド最後の駅であり、国境駅である。最近まで出入国審査や税関検査があったはずだが、今や旧ソ連のリトアニアもシェンゲン協定に加盟した。共産時代のソ連に行ったことがあるわけではないが、それでも時代は変わったと思う。
乗降客はないが警官が2名ホームから見回っている | 木材を積んだ貨物列車が反対側に停まっている |
こういう駅の常として、古い大きな駅舎があるかと予想していたが、最近建て替えられたのか、案外新しくて、一回り小ぶりな駅舎があった。一般の乗降客はいないし、出入国検査も何もない。しかし警察による任意の国境警備はあちこちで続いている。ここでは警官が2名、この列車から降りてホームを巡回しており、乗っている乗客をそれとなく見ているようであった。彼らはスヴァウキから乗って車内を一巡していたと思う。反対側の窓の外には、木材を積んだ長編成の貨物列車が停まっている。
トラキシュキの先の車窓風景 |
かつては出入国審査で長時間停車したと思われるが、今は何もなく、停車時間僅かで発車。出てほどなく見えた、雪に埋もれた小さな民家の風景は、その昔、北海道で見た、開拓時代の面影を残す古い民家のある風景の印象と重なった。
トラキシュキの次がこの列車の終点であり、リトアニアの国境駅でもあるシェシュトカイである。時刻表によれば、この一駅に40分もかかる。しかし、その間にもう一つ、駅のようなものがある。既にリトアニアに入った所にある、モッカヴァ(Mockava)という所である。人家はほとんどないような所だが、線路が沢山広がり、駅舎もホームもあり、駅員が立っているので、居眠りでもしていない限りはボーっと景色を見ていても気づく。しかし列車はスピードも緩めず通過した。
モッカヴァを通過 | モッカヴァ付近 |
現在、このモッカヴァに停車する旅客列車はない。というか、旅客列車は一日1往復しかなく、その当の列車が通過しているのだから当然である。恐らく信号場か貨物駅か何かなのだろう。仮に旅客扱いをしても、トラキシュキ同様、利用者はほとんど見込めないであろう。
カウナス駅に掲示してあった路線図の一部にモッカヴァもある |
スヴァウキ駅の時刻表ではモッカヴァの停車時刻がある |
けれども、後でカウナス駅に掲げてあった鉄道地図を見たとき、ここモッカヴァが駅のように描かれていたし、これは帰ってから気づいたのだが、スヴァウキ駅の時刻表を撮った写真を見たら、モッカヴァの停車時刻が載っているのである。それが左下の写真である。撮った時はそんな細かいことまで見ていなかったのだが、この通り、13時43分着という時刻まで載っている。ついでに、リトアニア語のMockavaを、ポーランド語ではMaćkowoと綴ることもわかる。ついでだが、1時間の時差があるリトアニアでは、実際の現地時刻では14時43分になると思うのだが、ポーランド時間で書かれている。終着シェシュトカイの到着時刻も同様にポーランド時間である。
モッカヴァの役割は、一つは間違いなく、シェンゲン協定加盟以前の貨物の通関のためだと思う。ポーランドとリトアニアが同時にシェンゲン協定に加盟したことで、今はその機能が必要がなくなってしまったのだ。旅客のリトアニア側の出入国審査も、もしかしたらシェシュトカイではなく、ここで列車を停めて行っていたのかもしれない。乗降できない所に列車を停めて出入国審査を行うケースは他にもある。スヴァウキの時刻表に時刻が出ているところからすると、その可能性もある。もう一つはモッカヴァが、乗降できなくても運賃計算上必要な駅なのかもしれない。つまり例えば、ポーランド国内乗り放題のパスを持っている旅客がリトアニアに乗り越す場合、モッカヴァからの切符を買う必要がある、ということだ。実際、私がビャウィストクで買った切符にも、モッカヴァが運賃計算上のポイントか何かのごとく、経由地として書かれている。最後の可能性は、リトアニアがEUに加盟したことで、モッカヴァを国境都市として発展させる計画が、もしかしてあったりしないだろうか。国境両側の人口の薄さからすれば、これは現状あまり考えられないが、例えばもしポーランドよりリトアニアの方がガソリンや酒・煙草を含む商品が安いとすれば、モッカヴァに大きなショッピングセンターでも作れば、ポーランドからの買出し客でリトアニアが潤い、反動でスヴァウキあたりの経済が落ち込むことになるだろう。
といったように色々な想像ができるが、いくつかは当たっていて、いくつかは見当外れだろう。いずれにしても、そういった色々なことに思いを巡らせるのも、国境を越える旅の、そして国境を取り巻く環境がこの10年で激変したヨーロッパならではの、面白さの一つである。
トラキシュキやモッカヴァほどではないにしても、やはり人家も少ない寒村といった感じのシェシュトカイには、3分ほど早着した。周囲の風景は寒村でも、駅自体はそこそこ大きい。島式ホームの反対側には、既にリトアニアの3輌編成の気動車が停車していた。一日1往復の列車同士がここで出会って乗り継げるようになっているわけで、シェシュトカイ自体は、ほぼ乗り継ぎのための国境駅である。
シェシュトカイに着いたポーランド国鉄の客車 | ホーム向かい側に停車中のリトアニアの気動車 |
国境駅とはいえ、こんな寂しい所で乗り継ぎをさせて、直通列車を走らせない理由は簡単で、軌間が異なるのだ。ポーランドはヨーロッパの標準軌で、日本の新幹線などと同じ1435ミリゲージ、しかしリトアニアは旧ソ連だから、鉄道もソ連規格の広軌で、1520ミリゲージなのである。
カウナス方面から来てポーランドへと向かう人は、数名しかいないようであった。こちらの方がまだ多いが、それでも15名ぐらいであろうか。駅出口へ向かう客もいると思ったが、これはここで切符を買い直す人のようで、切符売場で短い列を作っていた。時刻表通りだと、乗り継ぎ時間は13分しかない。反対に、カウナス方面からポーランドへ向かう場合は34分もあるので、駅周辺の散歩が十分できる。それでも私は駅前に出てみた。念の為、昼食を仕入れられるような店がないか探してみたが、全く無理そうであった。それに、もしあったとしても、私はリトアニアの通貨を持っていないし、駅にも周辺にも、両替所はもちろんのこと、銀行ATMなども全く無い。そんな駅でも、切符売場ではクレジットカードは使える。
これといって何もない所だが、シェシュトカイ駅周辺の雰囲気は良かった。ここでも私はかつての冬の北海道を思い出した。何と言うのだろう、空気感がそっくりなのである。豪邸はなく、むしろ小さな可愛らしい三角屋根の家が多いのだが、それが良く綺麗に手入れされているので貧しい感じはなく、生活感のある温かみを感じる。
シェシュトカイ駅付近の住宅 | ポーランドのディーゼル機関車が入替作業中 |
といってもゆっくりできないので、すぐ駅へ戻ると、乗ってきたポーランドの列車が機関車を付け替え中であった。さっきスヴァウキでも付け替えたばかりだが、ドイツあたりと違って旧式のため、向きが変わるたびに機関車の付け替えが必要である。日本の客車列車も皆そうであった。その手間もあるので、日本では客車列車がほとんど廃止されてしまったが、ドイツなどは、客車にも運転台を設けることで、機関車を付け替えずに折り返し運転ができるようにと進化した。ここポーランドは、昔の日本同様、付け替えの必要な客車列車がまだ沢山残っている。順調に経済発展を遂げている旧東欧の鉄道は、これからどちらの方向に向かうのだろう。いずれにしても、いつまでもあると思わず、今のうちにこういう客車列車にもっと乗っておきたいと思う。
シェシュトカイ発車時の車内 |
かくしてシェシュトカイ15時10分発カウナス行きの客となる。カウナスまで1時間35分。ヴィルニュスへ行く人は、カウナスで再度乗り換えねばならないが、かつては直通で、予約が必要であった。その頃がどんな列車だったのかはわからないが、この乗車率を見る限り、予約の制度自体、無意味としか思えない。しかし旧ソ連の国々の鉄道は、今も、純然たる短距離のローカル列車を除けば、鉄道は全て全車指定席の事前予約制というのが多い。いち早くソ連邦を抜け出し西側入りしてEUの仲間入りまでしたバルト三国であるが、鉄道システムの西側化はまだまだ時間がかかるのであろう。大体、鉄道というものは設備投資が莫大だから、一つ一つの車輌や設備の寿命が長い。その分、急な変革が苦手だ。だから古びた汽車が残り、それが情緒を醸し出し、都会生活に疲れた現代人を郷愁の旅に誘って癒してくれる側面があるわけなのだが、経営する方は大変だろう。
シェシュトカイからカウナスまでは94キロあって、途中駅5つ。表定速度59.4キロで、一駅平均15.7キロ15分といったところである。ポーランド側と違って全駅に停まる普通列車のようである。車内は片側2人掛け、片側3人掛けのボックスシートであった。車輌の幅が広いとはいえ、もしこれが満席になれば、かなり窮屈だろうとは思う。なかなか個性的な車輌で、どこへ行っても画一化されて同じようにみえる新型車輌が増えている中で、こんな列車に乗れるのは楽しい。しかし気動車のうなりは全くなく、客車のように静かである。中間の2輌目に乗ったのだが、付随車、日本でいうキサハなのだろうか。乗り心地はあまり良くなく、下からゴツンゴツンという線路の響きが伝わってくる。線路保守が行き届いていないのだろう。スピードも遅い。
氷片の浮かぶ寂しい川を渡り、最初の停車駅、カルヴァリア(Kalvarija)に着く。シェシュトカイよりは人家が多かったが、乗降ゼロ。一日1往復では地元の人にとって使いようがないであろう。ところがそんな駅なのに、交換設備もあり、女性の駅員がいて、列車に向けて発車合図を出している。
駅員もいる一日一往復の駅カルヴァリア | マリヤンポレの立派な駅舎 |
その次がマリアンポレ(Marijampolė)。リトアニアは10の県(カウンティー)に分かれるが、その一つ、マリアンポレ県の中心都市である。大きく立派な駅舎があり、身軽なローカル客が何名か乗ってきた。後で調べたところ、カウナスとここの間は、この列車以外に区間列車が数本運転されている。ポーランド側はまだ、いくらか長距離の客が多かったが、リトアニア側はより短距離の地元ローカル利用者が中心のようである。それでもこんな列車がつい最近まで予約必要だったのであろうか。
カズルー・ルーダ駅 |
このあたりは、方向としては北上しているのだが、進むに連れ雪が浅くなってきた。標高が下がってきたからであろう。次のヴィンツァイ(Vinčai)まで来ると、路上の雪がほぼ消えた。ヴィンツァイも乗降客が数名。マリアンポレから1駅だけの利用者もあった。ポーランド側より生活路線の雰囲気が濃い。
左から別の路線が合流して、カズルー・ルーダ(Kazlų Rūda)に着く。この路線はロシアの飛び地、カリニングラードへの路線である。国際列車はこのあたりの小駅には停車しないし、ここは分岐駅としては大した規模ではない。駅舎も小ぶりだ。ここでも地元客数名の乗降があった。
カズルー・ルーダから複線となる。右側通行である。列車はスピードを上げた。カウナスまであと33分である。駅を出るごとに、おばさんの車掌が車内をまめに回り、乗ってきた客の切符をチェックする。車内で買う人もいる。
カウナスを流れる大河、ネマン川を長い鉄橋で渡り、列車はカウナスの駅へと定刻に滑り込んだ。これといって目を引くような景色はなかったが、のんびり平和な感じの汽車旅であった。
ネマン川鉄橋(翌日撮影) | ヴィルニュス行き電車と接続するカウナス |
到着ホームの向かい側に、接続するヴィルニュス行きの列車が停まっていた。ポーランドから乗っていて、シェシュトカイで切符を買い直していた一人旅の女の子も、ヴィルニュス行きに乗り継いでいた。あちらも3輌編成だが、新車のようで、二階建てのモダンな電車である。見れば乗りたくなってしまうが、明日まで我慢。今日の私はここカウナスに宿を取ってある。
乗ってきた気動車の先頭車 | ヴィルニュス行き電車 |
駅は部分的に近代的に改装されていて、東欧のあちこちで見かける、大きいばかりで古びた駅とは、雰囲気が違っていた。鉄道の利用者はさほど多くないようで、広々とした構内はガランとしているし、3つほど窓口が開いている立派な切符売り場もガラガラであった。自動券売機は無いが、コーヒーの販売機はあった。
小綺麗なカウナス駅の地下道 | カウナス駅正面(翌日撮影) |
カウナスは人口33万、リトアニアのほぼ中央に位置する、首都ヴィルニュスに次ぐリトアニア第二の都市である。ヴィルニュスでも人口53万だから、この小国の中ではかなり人口の多い主要都市だと言える。市内交通はバスとトロリーバスで、トラムは無い。
駅付近の風景 | 市内交通はトロリーバスが主役 |
寒いことは寒いが、第一印象は、穏やかな都市である。市街地はネマン川に沿って平地が開けており、周囲は小高い丘に囲まれている。モダンな建物は少なく、発展途上の景気良い都市で良く林立しているクレーンもほとんど見かけず、発展している様子は伺えないが、寂れている感じも全くないし、人も結構歩いている。
ごく普通の街角の光景 | ネマン川夕景 |
ネマン川は、リトアニア語ではネムナス川と言う。あまり馴染みのない名前だが、欧州第14位の長さがある大河で、ベラルーシから流れてきており、バルト海に注いでいる。ここカウナスあたりから下流と呼んでいいのではと思う。カウナス自体、標高は48メートルと低いので、積雪も少ない。ちなみに翌日行ったヴィルニュスの方がずっと残雪が深かった。
そういう街だが、ネマン川沿いに、アクロポリスという名前の、いかにも新しそうな巨大なショッピングセンターがあった。入ってみると、かなり人が多く、賑わっていた。小売店が相当あるだけでなく、飲食店も多い総合ショッピングセンターで、ここに行けば何でも揃うという便利でモダンな場所である。実は私は、履いてきた靴の調子が悪く、ここで靴を買おうかと思って見て回ったのだが、靴屋や靴を売っている店だけで10軒近くあったのではないだろうか。その代わり、値段は西側に比べて言うほど安くなかった。昔を知らずに言うのも何だが、リトアニアもすっかり先進国に組み入れられているなと思った。これでユーロを導入すれば、ますます物価は上がるであろう。
それにしても、ここが少し前までソ連であって、キリル文字が使われていた国だとは、到底信じられない。現にリトアニアにいる間じゅう、街中ではキリル文字の標識や看板は、ただの一度も見かけなかった。見たのは駅に停まっているモスクワ行き国際列車の行先表示ぐらいであった。
アクロポリス・ショッピングセンター | 杉原記念館となっている旧領事館 |
カウナスと言えば、ちょっと何かを調べると、杉原千畝という人の名前が必ず出てくる。第一次大戦後、第二次大戦中まで、首都ヴィルニュスが侵攻されている間、カウナスが臨時首都だった。その際、カウナスにも日本領事館が置かれていたが、そこで領事代行という形で第二次大戦中に派遣されていた外交官が、杉原千畝であり、ユダヤ難民を救うために日本政府外務省の意向に従わずに、人道上、日本の通過ヴィザを発行し続けたという人である。
その日本領事館があった場所が、今、杉原記念館となっているので、閉館中とは知っていたが、翌朝、前まで行ってみた。街を見下ろす小高い丘の中腹にある、普通の民家より少し大きい程度の建物で、周囲は閑静な住宅地であった。
そもそもポーランドにしてもリトアニアにしても、ドイツやロシアなどの大国に挟まれ、歴史上、何度も領土が変わり、時には国そのものが無くなったりしている。それでもポーランドはある意味、大国と言っていいかもしれないが、リトアニアは紛れもない小国で、影も薄く、独立した今でも、バルト三国の一つとして一まとめに捉えられるのが、一般にはせいぜいの所かと思う。私の世代だと、外国の名前や国旗を覚えるのが好きだった子供時代から、もう少しちゃんと世界史や地理を習う学生時代にかけて、存在しなかった国なので、今もソ連から分離独立した国の一つという角度から見てしまう。だが、長い歴史を見れば、ソ連に組み込まれていた時期の方が短い、れっきとした独立国であるべき国であり、それはこうして来てみて、ますます強く実感できた。こちらもホリデーなので、難しく凄惨な歴史を紐解くよりは、能天気に汽車に乗って景色や風土や食事を楽しめばそれでいいわけだが、それでもこういう国に来てみると、色々なことを考えざるを得ない。ちなみに杉原千畝が領事だった時代は、カウナスの人口の4分の1がユダヤ人だったそうだ。今はカウナスにもリトアニア全土にも、ユダヤ人はほんのわずかしかおらず、カウナスで9割以上、リトアニア全体でも8割以上が、リトアニア人だという。民族的にも、一つの国としてあるべき国なのである。
鉄道には何となくソ連時代の名残りが感じられるものの、街からはソ連・ロシア色も払拭され、西側の一員としての発展を目指して進行中なのが、今のリトアニアという国である。だが、鉄道に関しては、西欧と同じような汽車が同じように走る国ではなく、今の個性的な姿を残しつつ、交通機関としても衰退せずに発展してくれれば、などと身勝手な希望を記して、本稿は終わりとしたい。