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シラクーザ〜ジェーラ 目次


目次 (1) シラクーザ Siracusa
シラクーザ〜ポッツァーロ Siracusa - Pozzallo
ポッツァーロ〜ラグーザ Pozzallo - Ragusa
(2) ラグーザ〜ジェーラ Ragusa - Gela
ジェーラ Gela

ラグーザ〜ジェーラ Ragusa - Gela


 ラグーザ駅は標高514メートル。この路線の最高地点にある駅である。ラグーザ県の県庁所在都市であり、人口も、この沿線では、両端のシラクーザとジェーラを除けば最大の、7万4千を数える。そしてここも、ヴァル・ディ・ノートの世界遺産に指定された町である。自由気ままな旅行者がさきほどの町を見下ろす絶景を見れば、きっと誰もがここで降りようと思うだろう。そんな古い美しさを持つ、魅力に富んでいそうな所だ。

 ラグーザ駅は屋根付きの島式ホーム  県庁所在都市ラグーザは大きな町

 ラグーザからはジェーラへ向けて、徐々に西へと下っていく。だがここから2駅先の隣町、コミゾまでは、大きく曲がりくねったルートが続く。地図で見ると、まさに右往左往という感じで、勾配緩和のためではあろうが、町もない所なのに極端な大回りをしているのがわかる。そんな所を20分も走ると、次の駅、ドンナフガータ(Donnafugata)へと達する。

 ドンナフガータは、一日4往復の列車のうち、ジェーラ方向が2本、反対方向は1本しか停車しない。この列車はそのドンナフガータに停まるので、どんな駅かと興味を持って眺めていると、単線でホームだけの無人駅という予想に反して、交換設備も大きな駅舎もある、しっかりした駅であった。確かに駅間距離が長いので、列車本数が多くてスピードがさらに遅かった時代には交換設備は必要だったであろう。自動化される前は駅員も配置されていたに違いない。しかし周囲は寂しい所で、駅のあたりには人家も見当たらない。そんな駅だが、初老のおじさんが一人、自転車をかついで降りた。このおじさんは、モディカから乗ってきて、私の反対側のボックスに座り、車窓風景を熱心にカメラに収めていたので、地元の利用者ではないなとは思っていたが、鉄道と自転車を使って観光して回っているようだ。ヨーロッパは概ね列車に自転車を持ち込めるから、交通不便な所を旅行して回るのに、なかなか良い方法である。

 そういう私もあちこちで車窓風景をカメラに収めていたので、観光旅行者と思われていたのだろう。ドンナフガータの発車後ほどなく、斜め前に座っていたおじさんがやってきて、右窓を指して「カステロ」と教えてくれる。地元の一般客かと思ったが、シャツにはイタリア国鉄のロゴが入っていたから、鉄道職員らしい。カステロとは、英語のキャッスルで、イタリア語で城のことである。遠目に見ただけでは、さほど魅力的な建物に見えないが、後で調べると、その名もドンナフガータ城で、19世紀の新しい城だが、それだけに内部はなかなか豪華らしく、観光地にもなっているらしい。駅付近に人家もないドンナフガータ駅が存続している理由は、そして朝夕の通勤通学時間帯ではなく昼間の列車だけが停車する理由も、この城らしい。けれども、今日は自転車のおじさんが一人降りたが、鉄道を利用して城を観光する人が、果たしてどれほどいるのだろうか。第一に、上下合わせて一日3本しか列車が停まらないのだから、スケジュールを組むのに相当苦労するだろう。こういう行きづらそうな観光地も、シーズンに行けば車で来た人で賑わっているに違いない。

 一日3本しか停車しないドンナフガータ駅  車窓に見えるドンナフガータ城

 ドンナフガータ城を過ぎると線路は徐々に平地へと降りてゆき、いくぶん平凡な眺めになってきた。次のコミゾも、これまでの中間駅と似た感じで、引き込み線もある中規模な駅で、駅周辺に小さな町が広がっている。世界遺産指定からは漏れてしまったが、やはり古い町で、似たような後期バロック建築が見られるらしい。それにしても、昔は貨物も含め、鉄道が重要な役割を果たしていたのであろうが、今は各駅とも閑散としており、どの駅にも列車や車輌の姿がなく、使われていない線路ばかりが目立つ。唯一、ラグーザ駅の先で留置貨車を見かけた程度である。

 コミゾ駅構内  コミゾ駅からの眺め

 このあたりで列車はしばしば徐行する。日本でもローカル線で最近よくある現象である。路盤整備が追いつかないなどの理由で、非常事態があってもすぐ停車できるように、最徐行の制限をかける。それがここの場合、どうもサボテンのせいではないかという気がしてきた。日本でも欧州でも、伸びてきた線路際の樹木がザワザワと車輌に当たることは珍しくない。しかしそれがサボテンとなれば、話は別だろう。そんな、良く生育したサボテンが線路間際まで来ているところが時々ある。これ以上大きくなってきたら、線路保守の係が伐採に出向くのだろうか。

 線路際で成長するサボテン  ヴィットリア駅

 コミゾの次が、ヴィットリア(Vittoria)。ここも立派な駅で、町も大きい。駅の標高は170メートルで、コミゾとはほぼ同じである。人口6万を越す、ラグーザ県でラグーザに次ぐ第二の町だが、これまでの町より観光色が薄れてきている感じがする。農産物のマーケット・タウンとして栄えているらしい。数名のローカル客が乗降した。

 ヴィットリアを過ぎるとすっかり平地になり、列車のスピードも上がる。風景も平板になり、長い鈍行列車の旅も終盤に近づいて、気温も上がり、倦怠感が漂ってくる。次のアカテ(Acate)は小さな町のようだが、ジェーラからここまでの区間列車が走っている。ジェーラへの通勤用だろうか。駅の標高も102メートルまで下りてきた。ラグーザ県はここまでで、この先はカルタニセッタ県(Provincia di Caltanissetta)に入る。

 アカテから10分ほど、平凡な農村地帯を走ると、左手に石油タンクやコンビナートが見えてくる。そんな所にある殺伐とした雰囲気のジェーラ・アニク(Gela Anic)に停まる。その名もズバリの、アニクという石油化学会社の名前を取った駅名らしい。土曜の今日は乗降客は皆無である。これまではどこの駅も、世界遺産指定の古い町並みに溶け込んだ風情ある駅か、それに準じた雰囲気だったので、あまりに対照的な眺めだが、こういうことも世界中どこでも良くあることだ。山陽新幹線で徳山を通過すると、その異様な景観に目を奪われるが、至近距離には瀬戸内の古い落ち着いた町並みが、それと無関係の如くにいくつも存在している。同じようなものであろう。

 ジェーラ・アニク付近の石油タンク  ジェーラ・アニク付近のコンビナート

 しかし、ジェーラの入口のこの駅で、突如こんな風景を見せられたことで、ジェーラに対する印象が決定的になった。ここへ来る前に、シチリアのことをそこそこ知っているある人に、シチリアはどこに行くのかと聞かれ、ジェーラと答えたら、どうしてそんな所へ行くのかと驚かれ、怪訝な顔をされてしまった。シチリアにおけるジェーラとは、そういうイメージの町なのである。

ジェーラ Gela


 そして列車は終着駅ジェーラに着いた。途中では遅れていたが、ここの到着は定刻であった。接続の良い乗り継ぎ列車もないので、数少ない下車客の全員が地下道をくぐり、駅出口へと向かう。そういえばここまでの途中駅で、駅に地下道や跨線橋のある駅があっただろうか。一般には知名度の低いジェーラだが、鉄道面で見ればここはローカルなシチリア島の中では主要駅である。もっとも今現在、鉄道で運行されているのは、引き続き同じ路線をこの先、カニカッティ(Canicatti)を経てカルタニセッタ(Caltanissetta)まで行く線だけで、もう一つの、ここから内陸へ入り、レンティーニ(Lentini)を経てカターニアへと向かう路線は、現在は全便がバスになっている。鉄道の運休が一時的なのか、このまま廃止されてしまうのかが大いに気になる。


 駅は、非電化単線のローカル線が3方向に出るだけにしては、規模がかなり大きく、ホームは3面5線で、その先に引き込み線も多数あった。駅舎内もそこそこ広く、バーもあって、汽車に乗るとは思えない暇そうなおじさん達がたむろしている。

 ジェーラに到着した単行気動車  ジェーラの駅舎と駅前広場

 駅舎は、これまで見てきた各駅の重厚な石造りのものとは異なる建物で、かといってモダンで近代的でもない、中途半端で面白みの少ないものである。これは1970年代の築だそうで、その時期に駅は現在地へと移転したそうだ。1970年代といえば、まだローカル鉄道の斜陽が目に見えていなかった頃と思われる。それでこんな立派な駅を造ったのだろうか、などと考える。もっとも主要都市の玄関駅としては、大きすぎるほどではない。ただ、現実の鉄道利用者は少なすぎるので、ガランとした印象を与える。通勤時間にはどのぐらい乗っているのだろうか。

 駅構内に妙な展示物があった  ジェーラ駅付近の場末らしい光景

 ジェーラは人口8万弱の、シチリア島で第6の人口を抱える町である。カルタニセッタ県最大の都市で、県都カルタニセッタをも凌ぐ。これまで乗ってきた路線で海に面した町は、起点のシラクーザと途中のポッツァーロ、そしてここだけである。かように人口も多く、地中海もあるのに、観光ガイドブックでは見事にスルーされている町である。

 ジェーラの典型的な街並み  丘に上がると家並みの先に地中海が見えてきた

 いずれにしても、時間もあるし、せっかく来た地中海沿いの街なので、海まで歩いて行ってみる。しかし駅と海は、遠くはないが、間に小さな丘があり、それを歩いて越えなければならない。私がたどった道は、両側に古い家の並んだ階段もあり、その風情は悪くはなかったが、周囲に世界遺産指定の町が沢山ある中で、観光客を呼べるような所ではない。そうして階段を上がれば眼下に地中海の眺めが展開する。悪い眺めではないが、遠くに工場の煙突が見えるし、これぞ地中海というイメージの海とはどことなく違っていた。

 振り返った内陸方向の眺め  どことなく殺風景なジェーラの地中海

 帰ってから調べると、ジェーラは古い街だが、戦後急速に重化学工業都市として変化を遂げたそうだ。イタリアでも貧しかったこの地方の経済と雇用に貢献したが、他方で無秩序な開発により景観を失い、またその利権などを巡りマフィアの暗躍などがあり、今や知る人の間ではシチリアきっての印象の悪い街らしい。普通に昼間に街を歩く限り、怪しげな人がいたわけでもなく、危ない感じもない。休憩に入った喫茶店の若い店員はフレンドリーで、大きなカップのおいしいカプチーノが1ユーロと安く、無料wi-fiまであった。ただ、あちこち歩いても、ホテルなどをほとんど見かけなかった。観光目的地ではなくても、ビジネスで来る人もいるだろうし、鉄道の要衝だから、旅程の関係でここで1泊するような人も、少なくとも昔はいただろう。そういう街だから通常なら駅周辺や中心部にホテルの数軒はあってもよさそうである。用事があってジェーラを訪れる人も、宿は周辺のもっと風光明媚な所を選ぶのだろうか。

 このイタリア最南を走る鉄道路線が、これからどうなるかはわからないが、予断を許さないような気もする。今は途中で切れている高速道路も、いずれはジェーラまで延びてくるらしい。他方の鉄道は、19世紀に蒸気機関車が上れるように大回りを繰り返しながら建設された路線だから、線形が悪く、車輌だけ更新しても大幅なスピードアップは無理だろう。さりとて今さら長いトンネルを掘って短絡線を作るような大投資もできないであろう。けれどもここは、人家も稀な所ばかりを走る路線ではない。途中駅14駅のうち10駅までが、人口1万5千以上の市や町の玄関駅であり、そのうち4つが世界遺産にも指定された、大勢の観光客を呼べる町である。何とかもっと活用できないものかと思ってしまう。

 これも帰ってから色々検索してみたのだが、世界遺産好きの、そしてブログ好きの日本人でも、この沿線の世界遺産を訪れてブログなどにしている人は他の地域に比べれば少ない。だがその数少ない訪問者の多くが、行ってみたら思いのほか良かったと絶賛している。路線存続のためにはこの程度では焼け石に水かもしれないが、本数の少ないローカル線をうまくやりくりして、この沿線の世界遺産を訪ね歩くような旅をする人が、一人でも増えればと願いたい。私も次にこの地方に来る機会があれば、再びこの線に乗って、途中の町でぶらりと降りて散策してみたいと思っている。



欧州ローカル列車の旅:シラクーザ〜ジェーラ *完* 訪問日:2013年05月11日(土)


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